第42話 魔王と魔王と……(3)
鶏庵ラーメン店からの帰路、押しボタン式の信号待ちで三人が立ち止まっている。
「うまかったな!茂」
マルが満足そうな顔をして言った。
「喜んでもらえたようで、こちらとしても嬉しいですよ、ガハハ!」
二人の様子とは対照的に、バイエモンは顔色悪く、冷や汗交じりに虚ろに横断歩道の白いところを見ていた。
「(……部分ごとに食べ分ければ問題ない。だが、最後に出てきた、あの不気味な料理は何だ……。ジニマルめ、オレに押し付けやがって。思い出しただけでも気持ちが悪くなる……)うぅっ……」
バイエモンは思わず口元を手で押さえた。
「なんだ?小僧、口に合わなかったのか?」
マルが冷たい視線をバイエモンに向けた。
(最後は貴様のせいだろが!)
バイエモンはマルを睨んだ。
「ふーむ、異世界の食べ物だから、口に合わなかったのかもしれませんな、ガハハ――」
茂はそう言うと、向かい側にあるアオミドロ薬局に視線を移した。
「――アオミドロさんで、胃腸薬でも買っていきますか」
信号が青に変わる。
三人は横断歩道を渡り、店先にカエルのオブジェが置かれたアオミドロ薬局に入った。
「いらっしゃいませー。あ、シゲル君」
奥のカウンターから、白衣を着た太めの中年女性が老眼鏡を僅かに下げ、入り口を見ていた。
「イッ子ちゃん。胃腸薬あるかい?」
茂はひょこひょこと店を奥に進み、カウンターの前に立った。
「どうしたの?」
「いやあ、親戚の子がね、ラーメン食べたら食べ過ぎたみたいでよ、ガハハ!」
茂は、嘘を言っていることなど微塵も感じさせないような口調で笑った。
イツ子が、茂の後ろにいたマルと、店の入り口に立つ具合の悪そうなバイエモンを見た。
「あら?その子かい?……もしかして、鶏庵ラーメン初めて食べたんじゃない?」
「あぁ。今、ちょうど食べてきたところさ。ガハハ。いやー、トッピング乗せ放題、なかなか良かったよ」
イツ子は苦笑いをすると、レジカウンターの下から小瓶を取り出した。
「ボク、ちょっといらっしゃい」
そう言ってバイエモンを手招きする。
バイエモンは恐る恐る店の中を奥に進んだ。
消毒薬と何かが混ざったような、変な匂いのする店内。
両脇の棚には、数種類の市販薬の薬箱が置かれている。
そして、イツ子の座るカウンターの奥の棚には、ビン詰めにされた植物の乾物が並んでいた。
「鶏庵のラーメンは相性があるからねー。鶏庵ラーメンから出てくる人のだいたい半分は、ウチに寄っていくのよ」
イツ子はそう言いながら、カウンターの端にある給水器から紙コップに水を入れ、それをカウンターの上に置いた。
そして、先ほどの小瓶から一粒錠剤を手に取る。
「はい、これを飲んでおけば大丈夫よ」
そう言ってバイエモンに薬と紙コップを渡す。
バイエモンはイツ子と、差し出された白く丸い薬とを交互に見た。
「大丈夫よ、これはサービス!」
そう言ってイツ子はウインクをした。
(うげげげげっ!)
バイエモンは思わず吐きそうになった。
「お、おい小僧、大丈夫か!?」
マルが、あまりにも具合の悪そうなバイエモンの様子に焦ったように言った。
バイエモンは頷くと、イツ子の手から薬を取り、紙コップの水とともに一気に飲み干した。
「お、イッ子ちゃん。これどうしたの?」
いつの間にか、茂は壁際の棚の端に置かれていた骨格標本を眺めていた。
「あ、それ?いいでしょ?お向かいのヒビダさんで買うって言うから、一緒に買ってもらったの。なんでも、2体買うと安くなるそうで、ウチも2体買っちゃったのよ!」
「へぇ、そうなんだ。ヒビダさんは接骨院だからな。で、もう1体は?」
茂は感心したように言うと、店の中を見回した。
「ほら、そこに」
イツ子が入り口を指さす。
「おぉ、あんなところにあったのか。店に溶けこみ過ぎていて気づかなかったぜ、ガハハ!」
バイエモンとマルも、今し方入って来た入り口を振り返った。
店の入り口、薬が陳列された棚の横に、その1体が派手なピンクのワンピースを着せられ、マネキンのように立っていた。
頭には羽飾りの帽子をかぶり、まるで南国にバカンスに来ているかのようなポージングだ。
バイエモンは驚愕した表情を浮かべ、骨格標本が置かれた店の入り口に戻った。
(な、何という嗜好。同族の骨を飾るなど……。これはロジュスも真っ青だな……。恐ろしい……)
マルは骨格標本の着ているピンクのワンピースを観察するように手に取って興味深く見ている。
(うーむ……。派手な色だ。ワシもこのような色、着たら似合うか?)
「でもねー、台座が不安定で、すぐに倒れちゃうのよ」
イツ子は奥の小棚から小さな薬の箱を手に取った。
「ふむ、もう少し安定の良い支えがあれば良さそうだな」
茂がレジ前から骨格標本の支柱を見て言う。
「あ、そうだシゲル君!確か子供の時から手先が器用だったわよね?何かちょうどいい台座を作ってもらえないかしら?お店が暇な時でいいからさ」
イツ子はそう言うと、バイエモンが飲んだ薬と同じ薬の値段をレジに打ち込んだ。
「あぁ、構わねーよ。じゃ、近いうちに寸法測って、見積もり出してみますか」
「うん、お願いするわー。じゃ、この胃腸薬代、八百八十円になります」
「おう」
茂は返事をすると、財布からお金を取り出しイツ子に渡した。
そして、お釣りを受け取り、薬の箱を手に取る。
「じゃ、頂いていくぜ、ガハハ!」
「あ、シゲル君、レシート!」
「お、おう!」
茂はレシートを受け取ると、バイエモンの様子をうかがった。
「衛門君、どうだい?具合。といっても、まだ薬飲んだばかりじゃ効かねーか、ガハハ!」
「……」
バイエモンは店の入り口で、驚愕した表情のまま、マネキンのような骨格標本を見つめている。
「じゃ、ちょいと骨のマネキンを見せてくれよ」
茂はそう言うとレジカウンター前から、店の入り口に移動した。
そして、骨格標本の足元の台座に視線を移す。
「……うーん、ガイコツにポーズを取らせるには、この細い支柱1本と土台じゃやっぱ不安定そうだな」
茂はそう言うと、骨格標本の着ているピンクのワンピースを手で引っ張った。
そのとたん、不安定な骨格標本がバイエモンめがけ倒れてきた。
「うわっ!!」
「お、悪い!」
とっさに標本の肩口を茂が支えた。が、力が入りすぎて頭の部分が取れ、マルの足元にゴロゴロと転がった。
「な、何をやっている茂!」
マルが焦ったように叫ぶ。
茂は標本から手を離し、マルの足元に落ちた頭を拾い上げた。
バイエモンが首の取れた骨格標本と抱き合っている。
「ひぃ……!(な、なんでオレがこんな目に……)」
「あー、シゲル君!だからそれ不安定なんだって!」
店の奥からイツ子があきれたように言った。
「悪い悪い!ガハハ!」
茂は気まずそうに笑うと、頭蓋骨を首の骨にはめこみ、骨格標本を元の位置に戻した。
「じゃ、イッ子ちゃん、また来るわ」
「はい、よろしくねー」
茂は気まずそうに店を後にした。
その後をマルとバイエモンが追う。
薄暗い『カロ屋』の店内。
「戻ったぞー」
茂がガラスドアを開け、店の中に声をかけた。
ドアベルがカラコロと鳴る。
「あら、おかえりなさい」
カウンターの内側では、事務椅子に座ったキヨが、コウモリダンゴのストラップを作っていた。
「キヨ、ラーメン美味かったぞ!ライチも冷たくて美味かった」
マルが満足気に言う。
「良かったわ!衛門君はどうだった?」
キヨはニコニコしながらバイエモンに視線を向けた。
バイエモンは、顔色悪くおなかを抱えている。
「……(き、気持ちが悪い……)」
「あら?どうしたの?」
「あぁ、衛門君は鶏庵ラーメンと相性が悪いみたいでよ。類みたいだぜ、ガハハ!」
茂は笑いながら言うと、作業台に置いていた前掛けを手に取り腰に巻いた。
「あら、それは大変だったわね。でも鶏庵ラーメン、ラーメンの部分だけ食べれば味はまあまあいいのよね」
キヨは困ったような笑みを浮かべると、休憩室の奥を指さした。
「衛門君、トイレ奥にあるから、自由に使っていいからね」
「……う、うん」
バイエモンは顔色悪く頷いた。
「茂、ではワシは帰るぞ。この礼はいずれまた」
「あら、マルちゃん、もう帰っちゃうの?もっとゆっくりして行けばいいのに」
「そうだな。キヨ、また今度ルイがいるときにゆっくり来るぞ」
マルはそう言うと組子障子の戸を開けた。
「龍神様、お気を付けて」
「おう、茂。ではな」
マルはそう言うと異世界側に戻っていった。
マルのいなくなった店内。
僅かにバイエモンが安堵したような表情を浮かべた。
そして、そのまま休憩室を振り返る。
「……お、奥を借りるぞ」
バイエモンはそう言うと休憩室の中に入っていった。
「どうぞ」
キヨがやさしく言う。
不意に、五番通り側のガラスドアのドアベルがカラコロと鳴った。
茂とキヨが、その音に入り口を振り返る。
「こんにちは。叔父さん、来たよ」
無精ひげが僅かに伸びた類が、いつも通りのパーカー姿で店に入って来た。
「あぁ、類。今朝はお疲れさん。昼めし食ったのか?」
茂が作業台前から言った。
「途中のコンビニで買ってきた。休憩室で食べるよ」
冴えない顔で類はそう言うと、片手に持っていたコンビニの袋を持ち上げて見せた。
「おう、今日は品数の確認をして発送するからよ、よろしく頼むぞ」
「うん。わかった」
類はそう言うと、そのまま休憩室に入っていった。
休憩室の片隅にある狭いトイレ。
バイエモンが青い顔で座り込んでいる。
(この異世界、魔力も無いのに高度に発展している。おまけに気色の悪い食べ物と悪趣味な嗜好……。この世界の人間は狂ってやがる。早く戻らねば……)
休憩室の小さなテーブルの前。
類は壁に向かう位置の椅子に座り、コンビニの袋からサンドイッチを取り出していた。
おしぼりで手を拭き、それを食べ始める。
テーブルの上には、五番通り商店街のチラシが乗っていた。
それを手に取る。
B5判の二色刷りのそのチラシには、来月の商店街の催し物案内が掲載されていた。
「うーん。(カロ屋は……?何かイベントやるのか?)」
チラシに一通り目を通し、カロ屋の催し物を確認する。
(“可愛い小物、アクセサリー”……。うーん、ゴールデンウィークの時と変わらないな……)
チラシを見ていると、トイレの流す音が聞こえた。
「あ?(誰かいる?お客?……この時間だし、アリサ……のワケないよな)
」
類は首を傾げてトイレのある方向を見た。
トイレのドアが開き、顔色の悪いバイエモンが腹を抱えて出てきた。
「あ……(誰?)。こんにちは……」
類は軽く頭を下げ、トイレから出てきた子供を見た。
「こ、こんにちは……」
バイエモンも、僅かに動揺したように類を見た。
(あ、昔着てた俺の服じゃん……。どうしたんだ?……さてはキヨさんだな)
類はバイエモンが着ている服を見て、キヨが着替えさせたと直感した。
「具合……、悪いの?」
類が問う。
「……」
バイエモンは無言のまま頷くと、ゆっくりと店側の入り口に移動した。
(顔色悪いな。何があったんだ?)
サンドイッチをくわえたまま、類は店側に入っていったバイエモンの後姿を見送った。
(でも、どこの子供だろう?近所の子?)
類は疑問に思いつつも、再びテーブルの上のチラシに視線を戻した。
「うげ!ドリアンラーメン、今度は新作デザート!?」
茹で麺の上にソフトクリームが乗った絵柄に、類は顔をしかめた。
「……き、気持ち悪い!」
不意に、後ろからキヨの声がした。
「こっちで休んでて……」
のろのろと、バイエモンがキヨに支えられて休憩室に戻って来た。
(小学生……?だよな。学校休みなのか?)
背もたれに腕を付いて、類は訝し気にバイエモンを見て言った。
「つらそうだね……。大丈夫?」
「は、はうぅ……」
「もう少しで薬が効いてくると思うんだけど……」
戸惑ったように、キヨが言った。
目線を外したまま、バイエモンは腹を抱えてずっと足元を見ている。
「さっきね、衛門君たち、お父さんと鶏庵ラーメンに行ってきたのよ」
(くっ!……なるほど。それは災難だな)
類はキヨの言葉に納得すると、お気の毒様と言った様子でバイエモンを見た。
「で、キヨさん」
「うん?」
「……その、……誰、なの?どこの子」
「あぁ、そうね。類君は初対面なのね」
キヨのその言葉に、バイエモンがハッとしたように顔を上げ類を見た。
(ルイだと!?……こいつ、ジニマルが言っていた、力場を狙っているやつか!?)
「うん?どうしたの?」
バイエモンの突き刺さるような鋭い目つきに、類は困惑したように言った。
「……」
バイエモンは青い顔をしたまま、じっと類を睨んでいる。
「……(なんで俺、そんなに睨まれなきゃ?)……えーっと、初めまして……だよね?」
類の挨拶など聞こえていないかのように、バイエモンは鋭い視線を類に向けている。
「この子ね、マルちゃんのお友達の、馬井衛門君よ」
「えっ!(うそだろ?こいつがあの?)そ、そうなんだ……。衛門君、類です。よろしく」
類は内心驚きつつも、引きつった笑みを浮かべ挨拶をした。
「……バイエモンだ。(ルイ……。やはりこの女と同様に、魔力の気配がしない……。こいつが本当に力場を狙っているやつなのか?)」
バイエモンは青い顔のまま、類を観察するように見た。
「じゃ、衛門君。二階で横になっていくといいわ。薬も効いてくるだろうし、少しは楽になると思うわよ」
キヨはそう言うと、バイエモンの肩を支えて押すように、そのまま皆川家の玄関のある方に休憩室を出て行った。
玄関側に続くドアが閉まる。
「……ふぅ」
類は腕で額を拭うようなしぐさをすると、ぐったりと休憩室の椅子の背もたれにもたれた。
(バイエモン……。まさか、魔王までもここに来るとはな……。やっぱ“力場”が狙い……か?でも、何でドリアンラーメンに?)
類は自分の推測通りにバイエモンがカロ屋に来たことに、内心かなり動揺していた。
休憩室の時計がピピッと鳴り、12時半を告げる。
「お、もうこんな時間……。とりあえず、魔王がここに来た経緯を叔父さんに聞こう……。(ついでにドリアンラーメンに言った理由も……)」
テーブルの上を早々に片付けて、壁に掛けられていたカロ屋のロゴ入りのエプロンを手に取ると、類は休憩室を店側に出た。
相変わらず薄暗い『カロ屋』の店内。
作業台の前で、茂が完成品と思われるからくり箱の個数を数え、梱包している。
「叔父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
エプロンを身に着け、言い出しにくそうに言う。
「なんだ?」
「……衛門君のことなんだけど……」
「あぁ、魔王様か」
「し、知ってたのか!?」
類は、茂がバイエモンが魔王であると知っていたことに驚いた。
「何でカロ屋に?マルの友達ってどういうこと?」
類は動揺したように言った。
茂が作業を中断し、困惑したような表情を浮かべて言う。
「その……、なんだ。龍神様と友達ってのは少し違う気はするな。……まぁ、知り合いみたいだけどよ。オレも詳しくはわかんねーな」
「そ、そうなんだ……。でも、なんでドリアンラーメンに?」
「お?それは、龍神様が行きたいって言うからよ、ガハハ!……はぁ、また来てくれるといいな、龍神様」
茂はそう言うと、ラーメンを思い出すような目で宙を見た。
類はその様子に顔を引きつらせた。
(叔父さん、どんだけドリアンラーメン好きなんだよ!あんな気色の悪い組み合わせのメニューしかないラーメン屋、俺は絶対行かねー!)
「あぁ、そうだ類。近いうちにアオミドロ薬局さんのところに寸法を測りに行くぞ」
「え!?何急に、何の話?」
類は、話の流れが突然変わったことに動揺した。
「アオミドロ薬局さんに置いてあるマネキンが、ポーズをとると倒れてくるみたいでよ、台座を安定したものにしたいんだそうだ」
「へ、へぇ……。(薬局にマネキン?そんなものあったかな?)」
「だからよ、お前も一緒についてこい」
「え、あ、うん。わかった……」
類は困惑気味に返事をした。
その日の夕方。
「では、お預かりしていきますねー」
「おう、よろしく頼みます、ガハハ」
ガラスドアを開け放ち、集荷に来た配達業者のお兄さんに、茂が挨拶をしている。
類は疲れた顔で店の中を見回した。
「類君、お疲れ様。やっぱり類君がいると仕事がはかどるわね」
キヨは事務椅子に座りながらニコニコして言った。目の前のレジカウンターの上には完成したコウモリダンゴのストラップが置かれ、その数を確認するように見ている。
「今までちょいちょい手伝ってはいたけど、これが仕事となるとな……。まだ、慣れないからよくわからないところも多いよ」
「そう?もう十分慣れているように見えるけど」
「そうだな。類がいると、やっぱ助かるわ、ガハハ!」
いつの間にか、茂が五番通り側の棚の前に立ち言った。
「そ、そんなことも無いと思うけど……」
類は照れくさそうに頭を掻いた。
「類。オレ、少し出てくるからよ、店を頼んだぜ」
「えっ!?どこか行くの?」
「あぁ。ジャンク屋のゲンさんが、なんか珍しいものが手に入ったから見に来いって言うからよ、ガハハ。じゃ、行ってくる!」
茂は上機嫌に笑うと、そのまま店を出て行った。
「あらあら、困った店主ね。店番がいると思って……、もう、すぐいなくなっちゃうんだから……」
キヨは困ったような笑顔で言うと、作りかけのコウモリダンゴのストラップを片付け始めた。
「キヨさん、そう言えばお店って何時まで開けているの?」
作業台の横から、レジを振り返るように類が言った。
「ウチは夜八時までが基本よ。日によっては早く閉めたりもするけどね。お向かいのメルヘルさんも、北隣のフラワーさんも八時で閉店ね」
「そうなんだ……」
向かい側に立つ『ブティック“メル・ヘル”』はミセスの衣料品を扱う店だ。
ターゲット層が類とはかけ離れているため、類はその店に入ったことがない。
細い路地を挟んで北隣にある『フラワーショップ花屋』は、五番通り商店街唯一の生花を扱っている店だ。
店先には、ほとんど誰も名前を知らないような、よくわからないマイナーな鉢植えが並んでいる。
「商店街の中で遅くまで開いているお店は、“Hell See”さんとか、その周辺にある居酒屋さんくらいかしら。まぁ、コンビニはずっと開いているけどね――」
キヨはそう言うと、ストラップの入った籐カゴを持って立ち上がった。
「――じゃ、類君。私、これ片付けてくるわね。二階で寝ている衛門君も心配だし」
「あ、はい」
キヨは、そのまま休憩室の奥に引っ込んでいった。
(衛門君……か……)
類は苦笑いし、具合の悪そうなバイエモンを思い出した。
突然、ドアベルがカラコロと鳴った。
「あ、いらっしゃいませ!」
類は慌てて入り口側を振り返った。
「!!(ひぃぃぃっ)」
「ウフフフ!類様、来ちゃった!」
「ミ、ミナミちゃん……」
そこにはガラスドアから入って来たミナミが、強烈な違和感を漂わせて立っていた。
類は顔を引きつらせながらも、心を落ち着けるように強引に笑った。
「い、いらっしゃい……ませ……」
ミナミは肩開きの大きな薄紫色のチュニックに、ひざ下までの黒いスパッツを穿き、柔らかそうなベージュのバレエシューズを履いている。
そして、ぬいぐるみのようなピンクのウサギ型のバッグを肩から斜めに下げていた。
髪は、以前見た時と同様に、明らかに人工的な質感の亜麻色のロングヘアだ。
「ど、どうしたの?初めてじゃない?ウチに来るの……」
動揺を押さえるように視線を外し、類が言った。
「ウフ!兄から類様がここで働き始めたって聞いて、鶏庵ラーメンさんに行くついでに寄ってみたの、ウフフ」
ミナミは顔に手を当て、少し恥ずかしそうに笑った。
「(キモっ!そして化粧が濃い……)そ、そうだったんだ……。(南のやつ、余計なことを……)」
「エリちゃんの話じゃ、可愛いアクセサリーも置いてあるって聞いたわよ」
ミナミはそう言うと、店の中を見回した。
「あ、アクセサリーなら、その後ろの棚だよ……」
類はそう言ってミナミの後ろ側にある陳列棚を指さした。
ミナミが後ろを向く。
その瞬間、裾広がりのチュニックがフワリと広がった。
「うっ……」
類は思わず目を逸らした。
(きれいな女性なら見つめていたい瞬間だろうけど、ミナミちゃんじゃ目が腐る……)
類はそのまま、ミナミに背を向けるようにカウンターを回り込み、その内側の事務椅子に座った。
そして壁に向いて、パソコンを操作する。
「あら!これも可愛いわねー。あん、こっちの髪飾りも素敵……」
ミナミが陳列されているアクセサリーを見ている。
「ゆ、ゆっくり見ていってよ……。結構いろいろあるからさ……」
類は、ミナミの様子をチラリと横目でうかがいながら言った。
ミナミが濃いピンク色の星のついたバレッタの髪飾りを手に取り、類を振り返る。
「ウフ!類様、この髪飾り、いただけるかしら?」
そう言ってカウンターの前に来る。
類は、ぎこちなく立ち上がり、カウンターに立った。
「ミ、ミナミちゃん……、その、類様っていうの、何?(気持ち悪いんだけど……)」
「この前ね、エリちゃんと水ちゃんと、また一緒に飲みに行ったんだけど、類様が貴公子見たいってエリちゃんが言うからね、それなら“類様”って呼んだら?って話になったのよ、ウフフ」
「えぇぇっ!?何それ……、止めて欲しいかも。俺、貴公子でも様付けされるようなやつでもないし……」
類はエリと水田を思い出し、気恥ずかしさに赤面した。
「ウフフ!類様。アタシはピッタリだと思いますよ!ウフッ」
ミナミがウインクを飛ばす。
「うぐっ(キモっ!……)あ、ありがとう……」
類は、鳥肌が立つ感覚のまま、髪飾りの値段をレジに打ち込んだ。
「おいくらかしら?」
「えっと、千五百円になります……」
ミナミがピンクのウサギの頭についたファスナーを開け、財布を取り出した。
「あら?それって鶏庵ラーメンのチラシ?」
ミナミが、マルがカウンターに置きっぱなしにしていった鶏庵ラーメンのチラシに目を留めた。
「え、あぁ。そうだね。なんでも、“トッピング乗せ放題”を始めたとか……」
類は南から代金を受け取ると、レジ処理をし、髪飾りを紙袋に入れた。
その口を折り、テープで留める。
「そうなの!今からアタシ、それを食べに行くのよ、ウフフ」
「へ、へぇ……。ミナミちゃん、鶏庵ラーメン好きなの?」
紙袋を渡し、類が言う。
「ええ、大好き!それに、林さんとは筋トレ仲間だしね」
ミナミはそう言うと、肩を軽く上げてニコッと微笑んだ。
「……筋トレ仲間……(そういや、鶏庵のオヤジも筋骨隆々だったな……)」
皆川家のリビングのソファー。
バイエモンは起き上がると、辺りを見回した。
「ここは……、異世界、カロ屋の二階だったな……」
「あら?起きたの?具合、どうかしら?」
キッチンのカウンター越しに、夕飯の準備をしていたキヨが声をかけた。
「え、あ。だ、大丈夫だ!」
バイエモンは焦ったようにソファーから立ちあがった。
そしてソファーの背もたれに掛けてあったモスグリーンのマントを手に取る。
「良かったわ。衛門君も夕飯食べて行くでしょ?」
バイエモンは、昼に食べた鶏庵ラーメンを思い出し、身震いをした。
「い、いや!オレは異世界に戻る!帰る!」
そう言うと、青ざめた顔のまま後退りし、リビングを出て行った。
「あ、衛門君」
キヨは水道を止め、慌てて廊下に出た。
バイエモンは一目散に階段を駆け下りていった。
「あら……、ゆっくりしていけばいいのに……」
レジカウンターの前では、ミナミが類と雑談をしていた。
「類様、今度また一緒に飲みに行きましょうね!兄には内緒で、ウフッ」
「……そ、そうだね、内緒って言うのはどうかと思うけど……」
類は社交辞令のように話を合わせた。
そこへ、休憩室からマントを手に持ったバイエモンが店に駆け込んできた。
店に入った瞬間、レジ前にいたミナミを見て足が止まる。
「あら?男の子?こんにちは!ウフッ」
ミナミがピンクのウサギのバッグを抱えるように持ち、バイエモンに微笑んだ。
「……」
バイエモンは驚愕した表情のまま、ミナミを見ている。
類が焦ったように言った。
「し、親戚の子なんだ。最近よく遊びに来ていてね。もう一人いたんだけど、先に帰っちゃったからさ……」
「あら、そうなの?」
バイエモンは目を見開いたまま、金縛りにでもあったかのように休憩室の入り口前に立っている。
(こ、こいつは一体何者だ……!?おぞましい雰囲気……。も、もしやこの世界の魔王?いや、そんなもんじゃない。こいつは……邪神、そうだ、このおぞましさは邪神だ!)
よく見れば、バイエモンのそのこめかみにうっすらと冷や汗がにじみ出している。
「あらー!類様、このコ、男の子よね?髪の毛、三つ編みなの!?可愛いーっ!!」
ミナミは顔を赤らめ、両手を胸の前で組んでバイエモンを見た。
その瞳がまるでハート形になっているかのようだ。
「うぐっ!」
バイエモンは半歩後ろにたじろいだ。
「ミ、ミナミちゃん?」
類が、ミナミの様子を見て、つぶやくように言った。
ミナミが一歩、休憩室側に寄る。
「ねぇねぇ、ボク、お名前は?」
「……」
バイエモンは顔を引きつらせたまま、動揺した様子でミナミを見ている。
「ミナミちゃん、衛門君にはミナミちゃんはまだ刺激が強いって……」
「キャ、衛門君っていうのね!見た目とのギャップが萌えるわー」
ミナミはそう言うと、筋肉質の腕をバイエモンの前に突き出した。
そしてバイエモンの肩にその手を乗せる。
「お姉さん、ミナミって言うの。よ、ろ、し、く、ね!ウフッ」
ミナミはそう言うと、首を傾けてぶりっ子のようなしぐさをした。
その瞬間、被っていたカツラがずれ、足元に落ちた。
「!!!っ」
突然あらわになった坊主頭と厳つい首回り。
「あら、また取れちゃったわ、安物はダメね、ウフフ」
ミナミはそう言うとカツラを拾い上げ、慣れた手つきで被り直した。
そして、バイエモンの口の前に人差し指を立て、
「これはシーッ、内緒ね!」
そう言ってウインクをした。
「ミ、ミナミちゃん!」
類がカウンターの横からミナミとバイエモンの間に割って入り、すぐにミナミをバイエモンから引き離した。
「あら、類様、ひょっとしてヤキモチ?」
「んなわけあるかっ!」
「ううん、もう、つれないんだから、ウフフ」
「ほらほら、鶏庵ラーメンに行くんだろ?早く行かないと閉まっちゃうよ」
類はそう言うと、強引にミナミの背中を押し、ガラスドア前に移動させた。
「ああん、類様」
ミナミは類に背中を押され、まんざらでもない顔をしてガラスドアを開けた。
「じゃ、また来ますからね!類様。今度はデート、しましょうね!キャッ、言っちゃった!ウフフ」
「(キモーッ!マジキモッ!)あ、あはは……、ありがとうございました!」
類は引きつった笑顔のまま、強引にミナミを店から追い出すと、すぐにガラスドアを閉めた。
そして急いでバイエモンの前に戻る。
「だ、大丈夫か!?」
バイエモンは器用にも立ったまま気絶していた。
「あちゃー、まぁ、そうなるよな……。まいったな……」
類は頭を抱えると、休憩室から奥に叫んだ。
「キヨさん!キヨさん、ちょっと来てー!!」
そして、気を失っているバイエモンを抱えて持ち上げた。
「うぐっ、見た目以上に重い……」
そして横歩きに休憩室に入る。
階段をバタバタと下りる音がして、キヨが休憩室に入って来た。
「類君、どうしキャーッ!どうしたの、衛門君!」
キヨは青ざめ、類の腕の中でぐったりしているバイエモンを見た。
「た、たぶん、立ち眩み。すぐに元に戻ると思うけど……」
「類君、と、とにかく二階へ!」
キヨはそう言うと、類を促すように休憩室の玄関側へと続くドアを手で押さえた。




