第37話 緊迫の夜(4)
王都外城壁の南西側の防衛塔の下、ベトールは難しい顔をして防衛塔を見上げていた。
(結界強化、その上にさらに対ジニマル用結界術の発動となれば……。相当な魔力を消耗する……。そうなればテオ様の言うように、魔道士たちの魔力の枯渇は時間の問題ですね……)
ベトールは濃紺のマントの首元を押さえると、顔を隠すようにその場から立ち去った。
そして、辺りを警戒しながら外城壁の内側を南へと足早に辿ってゆく。
――40分ほど前
魔道院内にある魔道士課のフロア。
そこに人の気配はなく、薄暗い。
いくつか並べられている机は、1つを除いて、どれも机の上はきれいに片付けられている。
それは魔道士課の魔道士たちが、テオとヘリソンの二人を除き、普段は遠方の要塞都市に駐留し、めったに魔道院に戻ってくることはないからだ。
そして、今は一番奥にある大きな机の、机上の明かりだけが穏やかに灯っている。
ベトールは、フロアの中ほどにある机の前で足を止めた。
分厚いグリモワールが何冊も重ねられている。
「あぁ、そこはヘリソン君の机ですよ」
一番奥の、明かりのついた机の横でテオが言った。
「ヘリソン様の……(上級魔導書……。難しい本ばかりですね……)」
ベトールは興味深そうに、積み重ねられた本の背表紙を順に見た。
「その魔導書自体は、レベス君の物ですね」
「そうなのですか?……なぜ、ヘリソン様の机に?」
ベトールはそう言うと、テオのいる机の前に来た。
「レベス君に借りたようですよ。ヘリソン君は何か調べ物をしているようですね」
テオはそう言いながら、自分の机の一番下の引き出しの奥から、古めかしい本を一冊取り出した。
茶色身を帯びた皮の表紙。
相当古いのか、そこに書かれた文字は消えかかり、側面はところどころ亀裂が走っている。
テオは難しい顔をして、その本をパラパラとめくると、目的のページを開いて机の上に置いた。
「ベトール君、この図を見てください」
そう言って、開いたページに書かれた古い図面を指す。
机上の明かりに照らし出された図面。
「これは……、旧世代の外城壁?」
ベトールは戸惑った様子で示された図面を見た。
そこには、王都デグレードの古い時代の外城壁の図面が描かれていた。
「えぇ、そうです。旧世代の外城壁は、老朽化と王都の拡張によりほとんどが取り壊され、現在の外城壁は、この旧世代の外城壁よりもさらに一回り外側に建築されています。……ですが、ご存知かと思いますが、旧世代の外城壁が一か所だけ現存し、今も防壁として使われている部分があるのです」
「……南西塔から南塔の間、……たしかその一部、と記憶しております」
ベトールは思い出すように言った。
「そうです」
テオはそう言って頷くと、フロアの様子を見回した。
そして、フッと手を横に切るように動かす。
するとテオの机を中心に、二人を囲むように薄い魔法円が僅かに浮かび、すぐに消えた。
ベトールは一瞬、驚いた表情を浮かべて結界を見た。
(隔離結界!?)
隔離結界魔法は、魔法円の内と外を遮断する。
レベルの低い微弱なものは、音や気配のみ。
レベルが高くなるにつれ、その遮断するものも程度を増し、内側にいるものの姿形だけでなく、最終的には空間そのものを完全に分離する。
テオが言う。
「フロアには誰もいませんが、万が一……です。大きなものは使えませんので微弱なものですが、念には念を……」
ベトールは頷いた。
(誰かに聞かれては、まずい……、ということでしょうか……)
テオの表情がいつになく厳しい。
「これから話すことは極秘事項ですから。ベトール君、他言無用に願いますよ」
その言葉にベトールの顔に緊張が走る。
「わ、わかりました……」
内心、平静を装った低い声で答えたが、極秘事項という言葉にどこかに不安を覚える。
テオは、図面に書かれた南西の外城壁を指さした。
「外城壁のこの辺りに、建築時に秘密裏に作られた隠し通路が残っているのです」
「隠し通路、ですか……?」
「えぇ。かつて今以上に大規模にフラガと対戦を繰り返していた頃の名残です。今は使われていないものですが、対フラガの防衛戦時、王都内のいたるところに瞬時に退避できるよう転移の魔術が施されていました」
ベトールは驚いた顔をした。
「……かつて存在していたという話は聞いておりましたが……。現存している部分があったのですね……」
「そうです。ですが、旧世代の外城壁が取り壊されたことで、残存部分の外城壁内にある転移の魔術は狂っているのです。ですから我々でも、この隠し通路にはそう易々と立ち入れない場所になってしまったのです……」
「……」
ベトールの顔が幾分強張る。
「ベトール君、君にこの隠し通路の、“ある部屋”にある、魔力補充用の魔晶石を取ってきていただきたいのです」
「えっ!?」
ベトールは予想外の話に驚いて、テオの顔を見た。
テオは、真剣なまなざしでベトールを見ている。
「私たち課長クラスの魔道士に、緊急の上紺会議の招集が来ています。……そこで院長名による魔道士一斉召集がかかるはずです……。それ以降デグレードは、対ジニマルに向けた防衛策を取ります。王都は……、ナガールもですが、対ジニマルに向け、魔力を集中させるでしょう。さらに、魔道院も王国軍も、その戦力の殆どをナガールに向かわせる方向に動くはずです」
テオの妙に具体的なその言葉に、ベトールは緊張を覚えた。
テオが話を続ける。
「そして、“対ジニマル用の魔道具”……。魔道具課はあれを持ち出してくるはずです……。かつて、私も開発に関わったあれは、魔力の消耗が大きいだけでなく、ジニマル以外には全く無意味の代物」
ベトールが少し考えて言う。
「……対ジニマルの防衛に動くのであれば、問題ない判断かと思われますが……」
「そうですね……。スコット様が主体となって開発した対ジニマル用魔道具……。ルルアさんが起点となり発動させれば、術は間違いなく起動するでしょう……」
テオは一呼吸置いて言った。
「しかし、あの魔道具は、まだ改良の余地を残しているのです。使用に当たり恐ろしく魔力を消耗するのですよ。術の発動を維持するには、現在保管されている魔道院の魔晶石を、すべて使い切ってしまう恐れさえあります。それでは術に関わった魔道士も魔力切れを起こしてしまう……。ほかの脅威を考えなければ、それでも良いのですが……」
ベトールが、さらに顔を強張らせ、考えながら言う。
「……ほかの脅威。……それは、……フラガのことを言っているのでしょうか?」
「そうです」
テオは、難しい顔のまま、顔色一つ変えず言った。
(テオ様のこのお話……。まだ何一つ起こっていないというのに、まるで先が見えているかのよう……。もしかしてこれは……)
湧き上がる不安に、ベトールはテオの顔をじっと見つめた。
テオがベトールの内心を見透かしたように言う。
「これは推測ではありません。……“予見”です」
「よ、“予見”!(やはり!)」
ベトールは驚愕し、目を見開いた。
少し先の未来を垣間見ることのできるテオの特殊能力“予見”。
それは、外れることがほとんどない、占い以上に精度の高い予知能力だ。
ベトールが、僅かに焦ったように言う。
「そ、それではテオ様は、デグレードにフラガが攻めてくると……!?」
テオが視線を外し、机上の本を数ページめくりながら言う。
「えぇ。ほんの先ほど現れた“予見”は……。フラガの魔道兵がシオウルの魔物とともにナガールを攻め落としている、というもの……。おそらくフラガはジニマル弱体化を好機と捉えているのでしょう……。ですが、どうしても見えない部分があったのです」
「……見えない部分?」
「えぇ。予見できるはずの範囲に、なぜか影があるのですよ。それはフラガの魔道兵がナガールに進攻する動機となる部分。……それさえなければ、フラガはナガールに進攻する大義名分など無いはずなのですが……。それが一体何なのか……(予見に影が現れるなど……。嫌な予感しかしませんね)」
「……」
テオは本を閉じ、ベトールに向きをかえた。
「ベトール君。私は対ジニマル用の防衛結界発動にあたり、少しでも魔力の消耗を遅らせるために、魔道士課から三人の魔道士を結界術発動の人員に加えます。それを見届けた後、まっすぐナガールに向かいます。……“予見”ではわかりませんでしたが、その“影”の部分は、おそらくこの一連の騒動を大きく左右するモノです。……それさえわかれば、フラガの侵攻を最小限の被害で押さえることができるかもしれません」
「テオ様……」
「ですから、それまでの間、この王都が落城しては困るのです。対ジニマル用魔道具の使用による魔晶石の消失、魔道士の魔力の枯渇、そのようなことになっていては、ナガールだけでなく王都もフラガに侵攻されかねません。いくら魔道士課の魔道士を加えたとしても、長くは持ちません。ですからベトール君、隠し通路の奥にある補充用の魔晶石の搬出を、君に頼みたいのです」
ベトールは大きく頷いた。
「(そういうことなのですね)わかりました……」
しかし、そう返事をしたものの、テオに頼まれた役目は、話を聞く限り、ベトールの予想をはるかに超えた重要な任務だ。
まして旧世代の外城壁の隠し通路は、内部の魔術が狂っているともなれば、任務遂行に不安が湧かないはずはない。
ベトールは僅かに気後れして言った。
「……しかし、私一人では……。獣魔課の信頼できる魔道士を同行させてもよろしいでしょうか?もちろん、機密は守らせます!」
テオが曇った顔をして首を横に振った。
「隠し通路は、私が50年ほど前に、魔道士課の魔道士たちとともに調査を行いました。その後も単身、何度か立ち入ってはいるのですが、初めて入る場合、転移先に厄介な通路が一本あるのですよ」
ベトールが顔を曇らせ言う。
「……それは、……同行は難しいということでしょうか……?」
「いえ、その者が信頼できる者で、かつ、ベトール君と同等かそれ以上の魔力を持っているなら問題はありません。ですが、そうでない場合、あの厄介な通路は……(生死にかかわります……。)難しいでしょうね」
ベトールは何か考えるように顎に手を当てた。そして視線を机の上の本に移す。
(私と同等か、それ以上の魔力……。となると課長かシアさん……)
課長のバルキエルは療養中で戦力外だ。そしてシアは、その課長に代わり獣魔課を仕切っている。
どちらにも頼むことはできない。
(では、獣魔課以外では……?)
魔法課の魔道士はミゲルの許可がなければ、動かすことはできない。結界強化と対ジニマル用魔道具による魔術の発動を行うのであれば、魔法課のすべての魔道士が動員される可能性が高い。
(ミゲル様から許可を得るのは難しそうですね……)
魔道具課は、魔道具の扱いに長けた者ばかりだが、持っている魔力自体は、獣魔課よりも低い。
(……私しか、いないということですか)
「私が取りに行ければいいのですが、時間がありません」
テオはそう言うと、肩を落として遠い目をした。
――。
住宅街区から外れた、倉庫群が立ち並ぶ街灯の無い真っ暗な区域。
ベトールは足を止め、外城壁の壁面を探った。
(たしか、この辺りのはず……)
腰よりやや下の石レンガの一つに違和感を覚え、近くまで寄る。
(あった、これですね……)
ベトールは、一つだけ僅かに色の違うその石レンガの場所を確認すると、再度周囲を警戒するように見回した。
そして、魔道服の内側から呪符帳を取り出すと、そこから一枚外し、何やら書き込んだ。
それを宙に放り投げる。
しかし、その紙切れはそのままヒラヒラと足元に落ちた。
ベトールは渋い顔をして紙切れを拾い上げた。
(やはり、ルイさんに呪符通信が送れない……。通信経路は確立しているはずなのに、なぜ?)
ベトールは未送信に終わった紙切れをじっと見つめた。
経路の確立している相手に呪符通信が送れないということは、相手の状況に何らかのトラブルが生じているということだ。
(ルイさんから、私の呪符通信登録紙が送られてきてから、それほど時間は経っていない……。あれだけ強い魔力を持っているルイさんが、急に危機的状況に陥るとは考えられませんが……。森は、ジニマルだけでなく、もしかして、ルイさんからも魔力を奪い始めている……?)
ベトールの心に不安がよぎる。
ベトールは未送信の紙切れをしまうと、もう一枚呪符帳から紙切れを取り外した。
(カロ屋さんに直接向かえば、森のことも、ルイさんの状況もわかるかもしれない。……しかし、私は動くことができない……。今、一番カロ屋さんの近くにいるのは……、ディルメイ……)
ベトールは今外した紙切れに、走り書きをすると、サッと宙に放り投げた。
紙切れは青い炎を上げ瞬時に消えた。
(ディルメイ……、責任はすべて私が取ります。……だから、そのままフーナプラーナに……)
ベトールは、遠く東のフーナプラーナの方向を見透かすように見つめた。




