第36話 夜行、シオウル
デグレード王国とミュール国の国境にそびえるシオウル山脈。
最高峰シオウルは標高三千メートルを超え、デグレード国内では最も標高が高い。
連なる山脈は東西に長く、西の外れはフラガ国領域の一部にかかる。
その最高峰シオウルの森林限界を超えた真っ暗な山岳地帯に、こげ茶色のマントを羽織った男女が数人、列を組んで足元の悪い岩場を進んでいた。
マントの内側には魔法紋様がビッシリと描かれ、シオウル一体に濃く広がるジニマルの冷たい魔力を防いでいる。
皆、一様に頭からそのマントのフードをすっぽりとかぶり、手には背よりも低い長さの、魔晶石がついただけのシンプルな魔杖を携え、辺りを覆う厚い雨雲と強風の中を慎重に歩いている。
雨除けの魔術が切れたのか、すでにその身体は滴るほどに濡れていた。
マントの下に着た灰色の魔道服の胸元に、チラリとフラガ魔道士の紋章が見える。
先頭を歩いている髭づらのガタイの良い男が、後ろに連なる数人を振り向いた。
「おい!大丈夫か?全員いるか!?」
大きな声で叫ぶように言うも、時折轟く雷鳴と豪雨にかき消され、ほとんど声が通らない。
列の三番目を歩いていたきゃしゃな女が辺りを見回した。
「ウルクがいないわ!どこかではぐれたみたい」
「何だと!?」
髭づらの男は横殴りの雨に顔を濡らしながら、列の後方に、人数を確認するように移動した。
「パッゴ、ミドルガ、ファーグスト……。くっ……、ウルク、どこではぐれた!?」
「エド、いったん戻りましょう。ウルクを見つけないと……」
エドと呼ばれた髭づらの男は、ギョロっとした目つきでミドルガを見ると、手に持っていた魔杖の先を、足元の岩場にガッと突き刺した。
「これを目印にする。この雨はジニマルの魔力による雷雨だ。探しに戻ったところで、今度は俺たちの方がはぐれる恐れがある……。こうやって目印を残しておけば、あいつならすぐに気づくだろう」
「エド!でも……」
「ミドルガさん、先に進もう。目的の場所はまだ先なんだ。ここで無駄に魔力を消耗するわけにはいかないっスよ」
「……」
ミドルガの後ろを歩いていた背の高いやせ型の男、ファーグストに言われ、ミドルガは渋い顔をして進む先を見た。
「そうだ。ウルクはダークエルフだ。俺たちとは根本的な魔力値も基礎体力も違う。この杖を見つけて追いついてくるだろう」
エドはそう言うと、左の腰に付けた剣を確認し、先頭に戻った。
そして後ろを振り向き、思いきり声を張る。
「いいか、ワニノセに着いたらジニマルの様子を探って、すぐにカルプ様に報告するぞ!」
その声に三人が頷く。
ワニノセは、森林限界とシオウル山頂の中間にある、ゴツゴツした岩場が比較的平坦に広がる一帯を指す通称だ。
魔王ジニマルは、そのワニノセの端にある巨大な一枚岩の上を拠点としている。
風雨が強くなる中、明かりも灯さず、時折轟く雷鳴に恐怖しながら少しずつ進んでゆく。
やがて、遠くに大岩に乗ったジニマルが見えてきた。
時折、紫色の閃光を走らせるジニマルは、暗闇の中にあってひときわ目立つ存在だ。
四人はワニノセに入ってすぐにある、背の高さほどの岩陰に身を寄せ合うように隠れた。
少し太めの体形のパッゴが、辺りの魔力の波動を探り、急に顔を強張らせた。
「エド、やはり、バイエモンの言う通りだ。ジニマルの魔力の流れがおかしい……」
「どうおかしいんだ?こんな乱れた魔力の中じゃ、俺にはさっぱりわからんぞ」
エドはそう言って、頭上を見上げた。
暗雲の中、雨になる前の水滴が暴風に乗ってまとわりつく。
防魔の魔術を施したマントを羽織ってもなお、ジニマルの身震いするほど冷たい魔力が刺すように伝わる。
ミドルガはエドのすぐ横で身を縮め、ウルクが来るのではないかと、来た方向をじっと見つめていた。
ファーグストが激しい風雨にマントのフードを押さえ、顔をしかめて言う。
「くっ、この雲の中。せめて濡れないようにだけでも……。パッゴさん、なんとかならないっスか……?」
「……厳しいな。この状況じゃ魔法は使えない。それより、見てみろ」
パッゴがそう言いながらジニマルを指した。
白銀の巨大な龍が、苦痛にも似た声を上げ、もがくように身をくねらせている。
「あれは……、何をしているんだ?」
エドが風雨に目を細め、ジニマルを見た。
「わからない。だが、ジニマルの魔力が南へ南へと流れて行っている……」
「パッゴさん、オレたちここにいても大丈夫なんスか?もう少し下がった方が……」
ファーグストがそう言った直後、身をくねらせていたジニマルの尻尾が勢いよく頭上をかすめ、針のように尖った尻尾の毛が、隠れていた岩を僅かに削っていった。
「なっ!」「っ!」「……」
「ひっ!」
ミドルガはとっさに頭を手で覆い、しゃがみこんで目をつむった。
「き、気づかれたっ!?」
エドが焦ったように言う。
パッゴは動じることなく、岩陰からじっとジニマルの様子をうかがった。
「大丈夫だ。気づかれていない」
「くっ!何でオレたちがこんな危ない目に!」
ファーグストが恐怖の表情を浮かべ、苛立ったようにフードの下の銀髪を掻きむしった。
「ファーグスト、静かに……。エド、それよりジニマルの魔力がどんどん低下しているぞ……」
パッゴが雨に濡れた茶色の前髪を手でかき分け、厳しい目つきでジニマルの魔力を探っている。
「どういうことだ?」
パッゴの肩越しに、エドがジニマルを覗き見る。
突然、轟音とともに閃光が走った。
「うわっ!」
四人、とっさに耳を塞ぎ、しゃがんだ姿勢をさらに低くした。
ミドルガは泣きそうな顔で、そのまま岩に背中をくっつけ震えている。
「チックショー!」
ファーグストが急に立ち上がり、狂ったように叫んだ。
そして、持っていた緑色の魔晶石のついた魔杖を頭上に掲げる。
魔晶石が光り出す。
「まずい!」
パッゴがとっさにファーグストに体当たりをするように、ファーグストの持つ魔杖を強引に引っ張り落とした。
すかさずエドがファーグストの肩を両手で押さえつけ、その場に座らせる。
ファーグストはその勢いで尻もちをつき、ミドルガに背中でぶつかった。
「何をやってるんだ!お前は!」
エドが怒鳴る。
「隊長!これ以上雨に濡れれば、マントの内側の紋様まで消えかねないっス!そうなる前に防水の魔法をかけ直そうと思ったんスよ!」
ファーグストはムッとした表情でエドを睨んだ。
パッゴがジニマルの動向を気にしながら、チラッとファーグストを見る。
「ファーグスト、魔法はマズイ。ここはジニマルの領域。魔法を使えば気づかれるぞ……」
そう言うと、足元に落ちた魔杖を拾い上げ、エドに渡した。
ファーグストが声を震わせ言う。
「だ、だってパッゴさん……、バイエモンよりも強い魔王っスよ、すぐそこに、この距離で!……身動きが取れなくなったらどうするんですか!?バイエモンの命令かなんか知らないっスけど、こんな危ない仕事、やってられないっスよ!」
動揺しているファーグストを前に、エドは片膝をつき、ファーグストの肩に軽く手を乗せた。
「落ち着け、ファーグスト!パッゴがいるんだ。何かあったら、俺の判断で撤退する!」
「……、ちっ……」
ファーグストはエドから視線を逸らし、チラッとパッゴの後ろ姿を見ると、苦い顔をしてミドルガの横にしゃがみ直した。
パッゴは魔法感応の良い魔道士で、フラガの中でも上位クラスだ。
ウルクを除く四人の中では最も魔力が強く、ジニマル調査の実質的な実行者でもある。
リーダーのエド以外、他のメンバーはただの補助にすぎない。
「とりあえず、様子を見よう……」
エドはそう言うと、ファーグストの隣に片膝をついてしゃがんだ。
そして魔杖をファーグストに戻す。
低木がところどころに繁る、草に覆われた斜面。
しとしと降る雨の中、遠くに雷鳴が聞こえる。
こげ茶色のマントを纏ったダークエルフのウルクが、雨に濡れながらその斜面を歩いていた。
フードはかぶらず、赤毛の長い髪の毛をおさげに結い、手にはフラガの魔道士と同じ、魔晶石がついただけのシンプルな魔杖を持っている。
童顔で子供のように背が低く、そのせいか、魔杖は背の高さとほぼ同じだ。
「いやぁ、参った参った。……こんなところで道に迷うなんて、……なんちゃってね」
一行とはぐれた状況にしては、どことなく楽しそうだ。
ウルクは長い耳をピクピクと動かし、周囲の様子をうかがった。
「んー……、何かいる……」
少し先の、いくつかの低木を面倒くさそうに注視しながら、道なき真っ暗な道を進む。
そこへ予想通り、注視していた左右の低木から黒い人影が飛び出してきた。
それは少し距離を置いて、ウルクを取り囲むように数体が並び、その手に持った武器のようなものが鈍く光る。
ウルクは鋭い目つきで、雨の降りしきる暗闇の、その黒い影を見た。
背は低く、緑色をした筋肉質の体つき。
長い耳と頭に小さな二本の角を生やし、口は耳まで大きく割け、そこから尖った歯が覗いている。
(なんだー、ゴブリンかー)
ウルクは少しがっかりした表情を浮かべた。
ゴブリンは肩から腰に斜めにベルトをまわし、人間から奪ったであろう短剣を構えていた。それが、時折走る雷光に、鈍く光を反射させていたのだった。
そのうちの、リーダーらしきゴブリンがウルクを観察するように見た。
「ちっ、なんだ、人間じゃねーのかよ」
そう言うと、がっかりしたように構えていた短剣を下ろす。
「そっちこそなんなのよ。ゴブリンふぜいが、何の用!?」
ウルクはムッとした表情でゴブリンを睨んだ。
リーダーゴブリンがため息交じりに言う。
「ダークエルフなんかに用はねーよ。こんな荒れた天気なのに、さっきここを人間が通って行ったから、また来たのかと思って出てきたんじゃねーか」
そして、面倒くさそうに短剣についた雨粒を払った。
ウルクの後ろにいた色の薄めのゴブリンが、構えていた槍を肩に担ぐように持ち直し、ウルクの服装を怪訝な顔で見る。
「お前……、なんでさっきのやつらと同じマントを着ているんだ?……もしかして、あの人間たちから奪ったのか?」
そう言って首を傾げた。
ウルクは口をへの字にし、嫌そうな顔をした。
「奪ったんじゃなくて、いちお、同じパーティ……なのよね……」
その言葉に、取り囲んでいるゴブリンたちが一斉にケラケラと笑いだす。
そのうちの、リーダーゴブリンの横にいる兜をかぶったゴブリンが言う。
「同じ?パーティ?ギャハハ、ダークエルフも堕ちたもんだな、人間と連むなんてよ!」
ウルクは兜をかぶったゴブリンをキッと睨むと、少し声を張って言った。
「別に、好きで一緒にいるんじゃないからね!アタシはバイエモン様の命令に従ってるだけなんだから!」
ウルクから出てきたバイエモンという名前に、リーダーゴブリンが予想外といったような顔をした。
「へぇ、お前、バイエモンの手下かよ」
そう言って、まじまじとウルクを見る。
後ろにいた槍を持ったゴブリンが、ウルクを見下したようにニヤリと笑って言う。
「バイエモンなんざ、ジニマル様に比べればヘタレだぜ!」
その声に、周囲にいたゴブリンたちも「そうだ、そうだ!」と、バカにしたように笑いだした。
ウルクの表情が怒りへと変わる。
「ムムム!バイエモン様をバカにするんじゃない!」
ウルクはそう叫ぶと、持っていた魔杖を振りかざした。
無色の魔晶石が白い光を発する。
「ひ!」
ゴブリンたちは、一斉にウルクから距離を取り、それぞれ防御の体勢になった。
「……」
「……あれ?」
ウルクは振りかざした魔杖を見上げた。
魔法は何も発動せず、魔晶石もその光をすぐに失った。
「な、なんで?」
ウルクは手を下ろし、焦ったように魔杖を見た。
「へっ、なんにも起きねーじゃねーか!ギャハハ!」
槍を持ったゴブリンが高笑いをした。
「じゃ、今度はこっちから行くぜ!」
そう言って、リーダーゴブリンが短剣を振りかざし、勢いよくウルクに襲い掛かる。
「ちっ!」
ウルクは魔杖で短剣をかわすと、数歩後退し、雨で濡れて重くなったマントを脱ぎ捨てた。
褐色の肌に身軽そうな赤い服、腕とすねにアーマを付け、露出した太ももと二の腕に、何やら魔法紋様が描かれている。
ウルクは魔杖の尖った先をゴブリンたちに向け、魔杖を持ち直して構えた。
「おぅ!やる気か、バイエモンの下僕め!」
背後にいた色の薄いゴブリンはそう言うと、周りのゴブリンたちに目配せをし、一斉にウルクに飛び掛かった。
その瞬間。
これまでに無いほどの大きさの雷鳴が、閃光とともに鳴り響く。
雨が降りしきる中、その轟音に、ウルクもゴブリンたちも驚愕して動きを止め、一様に空を見上げた。
「な、なんだ、一体!?」
「ジニマル様が怒ってらっしゃるのか?」
ゴブリンは焦ったように口々に言うと、雨の降りしきる暗雲を、不安げな表情でじっと見た。
ウルクも空を見上げ、暗雲に目を凝らし、顔をしかめた。
(……この雨。……そうか、これがバイエモン様の言っていた……)
先ほどよりもさらに悪化した雷雨。
岩陰に隠れジニマルの様子をうかがっていたパッゴが、恐怖に顔を歪ませ言う。
「み、見ろ!ジニマルが」
そう言われ、エドがパッゴの肩越しに、その指さした方向を見た。
「えぇ!?」
エドは、雨粒に濡れた髭づらの顔をこすり、再度目を凝らしてジニマルを注視する。
「ち、縮んでいる……だと!?」
白銀に光る龍は、先ほど見た時よりも一回り小さくなって見えた。
パッゴが言う。
「内在魔力が流出してるんだ……。流出先はおそらく“カロの森”……」
そして、何かに気付いたようにハッとした顔をしてエドを見る。
「エド!もしかするとマズイことになったかもしれない……。カルプ様に呪符通信を送ってみてくれないか!?もしかすると……」
焦ったように言うと、再びジニマルに視線を戻す。
「わ、わかった……」
青い顔をしたエドはそう頷くと、懐からハガキサイズの質の悪い紙切れを取り出した。
服の上からしみ込んだ雨水が、その紙切れにまで到達し、すでに水分でグニャグニャになっていた。
「くぅ……。だめだ、雨に濡れて、これでは字が書けない……」
そう言って苦い顔をする。
「構わない。送れるかどうか、それだけ試してくれ……」
パッゴは視線をジニマルに向けたまま逸らすことなく言った。
エドは頷くと、紙切れを指の間に挟み、念を込めるように宙に放り投げた。
雨に濡れた紙切れは、そのままヘロヘロと落下し、足元にペタリと落ちた。
その紙切れを、岩陰にうずくまったミドルガが虚ろに見る。
「へ!?だ、ダメだ……。魔力が入らない!どうなってるんだ!……おい、ミドルガ、お前試してみろ!」
エドは急いで紙切れを拾い上げ、ファーグストの横に隠れるように、青い顔をして座り込んでいるミドルガの目の前に差し出した。
「……」
ミドルガがその紙切れを虚ろに見る。
「おい!ミドルガ、しっかりしろ!」
エドは片膝をつき、ミドルガの肩を揺さぶった。
ミドルガは焦点の定まらない目つきでエドを見上げた。
「大丈夫か?ミドルガ……」
しかし、ミドルガはエドの言葉に答えることなく、無言のままエドを見ている。
「おい、どうしたんだ!?」
エドがミドルガの肩を強く揺さぶる。
「エド、戻ろう!」
突然パッゴが振り向いて、強い口調で言った。
その顔は恐怖に青ざめ、すでに生気を失っていた。
「どうしたんだ、パッゴ」
「呪符通信が使えない、ということは、この雨……」
パッゴはつぶやくように言うと、周囲にまとわりつく雨粒を手で握るようなしぐさをし、上を見上げた。
「雨……?」
エドは片膝立ちのまま、周囲を見回した。
雨雲の中、雨として落ちる前の雨粒が濃い霧となり辺りを濡らしている。
パッゴが言う。
「これが……多分、話に聞いていた“魔力を奪う雨”……。ジニマルの降らせる雨に紛れて、ジニマルの魔力を奪っているんだ……。俺たちの魔力も……」
パッゴは空を見上げたまま、恐怖のあまり言いかけた言葉が途切れた。
――使おうとした矢先から奪われる……。
心の中でのみ、言おうとした言葉がこだまする。
強大な魔力を持った魔王を目の前に、魔法の使えない魔道士など最弱の存在だ。
今、もしジニマルが襲ってでもきたら、一切抵抗する間もなく瞬殺されるだろう。
「パッゴ……――」
エドは立ち上がり、紙切れを懐にしまうと、青ざめた顔のパッゴの様子に、何か察したように頷いて言った。
「――わかった……、撤退しよう。目視でジニマルの様子を確認できたんだ。報告はできるだろう……」
「……」
パッゴは恐怖の表情を浮かべたまま青い顔で頷いた。
「ファーグスト、ミドルガ、戻るぞ!」
エドは二人の腕を強く掴み、立ち上がらせた。
「まったく、フラガ魔道士のトップクラスが、なんたる様だ……」
そう言ってミドルガの腕を肩にまわし支えるように歩き出す。
ファーグストもパッゴに促され、ようやく立ち上がると、エドの後をついてフラフラと歩き出した。
パッゴが後ろを警戒するように、列の最後についた。
強い雨が濡れた全身をさらに濡らす。
濡れた衣服は重く身体にまとわりつき、その上、砕けた大きな石がゴロゴロと無数に転がっている足元は、非常に歩きにくい。
暗さと、魔力を吸収する雨雲の中、今ここで魔物にでも遭遇すれば、戦えるのは剣技の立つエドのみ。
パッゴは後ろから、エドの様子をうかがった。
(ここでエドに倒れられては、パーティは全滅……。どうすれば……)
パッゴは魔物との遭遇回避を祈るように、胸元に下げた木製の小さなアミュレットを強く握った。
「エド、もういいわ。一人で歩ける……」
ミドルガは弱々しい声でそう言うと、エドの肩から腕を外し、フラフラとエドの後ろについた。
「そうか……」
エドは頷くと、ミドルガから後ろを歩く二人の様子をうかがった。
パッゴとファーグストが、エドを見て頷く。
エドは全員無事であることを確認すると、進む方向に向き直り、真っ暗な濃い雲の中を再び慎重に歩き始めた。
皆、緊張と不安の表情を浮かべ、黙々と歩く。
登って来たときよりも、無意識に足早になっている。
少しして、エドが後ろを振り返り、声を張って言った。
「もうすぐ先ほど目印を立てた場所に出るはずだ!みな、しっかり歩けー!」
三人は力なく、一様に頷いた。
どのくらい下ったのか、しばらくして、
「隊長!さっきの魔杖の場所っスよ!」
後ろからファーグストが叫んだ。
目を凝らし見た先に、先ほどエドがウルクへの目印に立てた魔杖が風雨に耐え、荒れた地面に突き刺さっている。
それを確認した途端、四人は少し安堵の表情を浮かべた。
「ここまでくれば、ジニマルも襲ってくることはないはず……」
パッゴはそう言うと、不安げに後ろを確認するように振り返った。
「そうだな……」エドは魔杖を力強く抜いた。「――だが、ウルクが見当たらん」
そう言って辺りを警戒するように見回す。
「あいつ、勝手すぎるんスよ。まだここまで登ってきてないんスかね」
ファーグストも真っ暗な谷側を見回して言った。
「ま、まさかウルク……、どこかで魔物に襲われてるんじゃ?」
ミドルガが不安気な表情を浮かべる。
エドは顎に手を当て、難しい顔をした。
「この辺りはゴブリンが多いからな……。しかし、あいつは魔法だけじゃなく、剣技も相当な腕だったはず。この“魔力を奪う雨”……。魔法が使えないのはおそらく敵さんも同じだろう。ゴブリン程度なら問題ないはずだ……」
そして、「行くぞ!」と向きをかえ、再び歩き出した。
やがて、岩石だらけの足元から、低木がチラホラと生える森林限界まで下りてきた。
雨が若干弱く感じられる。
「方向……、こっちで合ってるんスかね?」
ファーグストが辺りを見回し不安げに言う。
「……」
それにはすぐに誰も答えず、少しの間をおいて、エドがつぶやくように言った。
「……そうだな」
だが、エドにも進んでいる方向に自信はなかった。
風雨の暗夜。
視界はほとんどない。
今、辿っている獣道のような道は、本当に通って来た道なのか?
魔法は使えず、腰に下げた方位磁石もグルグルと狂ったように回り、方角が定まらない。
ただでさえシオウル山脈は、魔物が大量に巣くう無法地帯だ。
こんな魔法が使えないという状況に、四人はひと時も気が抜けず、精神力はそろそろ限界に近づいていた。
「遅かったねー!」
どこからかウルクの声がした。
「ウルク!」
ミドルガがそう叫んで辺りを見回す。
「こっちだよー」
声の先、真っ暗な斜面に目を凝らしてみれば、ウルクが何やら黒い塊の上に座っていた。
雨の中、濡れたマントを小脇に抱え、上から見下ろすように四人を見ている。
そして、「よっ、と」と言って、勢いよく飛び降りた。
「ウルク、無事だったか!」
エドがホッとしたように明るい声で言った。
パッゴとファーグストが、ウルクが飛び降りたその黒い塊を見て、思わず驚愕に顔をしかめた。
「お、おい!それって……」
ファーグストが焦ったように言う。
「あぁ、これ?ゴブリンの山」
ウルクの背の高さほどある黒い塊は、先ほどウルクを襲っていたゴブリンの死体だ。
それがすべて山積みにされ、一番上の死体にまっすぐに短剣が突き刺さっている。
ウルクはゴブリンの死体を撫で、ニコッと笑った。
「これ、いいでしょ?襲って来たから、全部殺してあげたの」
そう言って、死体を上り短剣を抜き取る。
「ま、魔法は!?……使えたのか?」
パッゴが列の後ろから前に出て言った。
ウルクが短剣の血振りをし、キョトンとした顔で首を横に振る。
「まさかー。使えるわけないでしょ」
そう言って、ゴブリンの死体の横を指す。
そこには荒れた地面に突き刺さった魔杖があった。
続けて言う。
「だって、この雨、ヤバイ雨だよ?」
「ヤバイ雨……?」
ミドルガが難しい顔をした。
「そ。アタシも最初、気づかなかったんだよね……(バイエモン様に施してもらった、この紋様が無かったら、ジニマルみたいに、アタシも弱体化するところだったよ……)」
ウルクは疲れたように言うと、自身の身体に施された紋様を確認するように見た。そして短剣をポイっと投げ捨てる。
そのまま、地面に突き刺さった魔杖をグッと抜き取り、軽々と四人の前に来た。
「とりあえず、無事で何より」
エドはそう言うと、ウルクの肩をパンパンと叩いた。
ウルクが嫌そうな顔をする。
「ウルク!良かった!」
ミドルガがエドを押しのけて、ウルクの前に立った。
「ミドルガ。あんたも無事で何より」
ウルクが素っ気なく答える。
今度はパッゴがミドルガを押しのけて、ウルクの前に立った。
「ヤバイ雨って……。ウルク、この雨のこと、知っていたのか?」
「んー……。知ってたって言うか、バイエモン様情報?」
そう言って首を傾げる。
ファーグストが苛立ったような顔をした。
「ちっ!……(何がバイエモン様だ!オレたちはカルプ様の命令で動いてるんだ)」
そう舌打ちすると、プイっとエドに向きをかえて言った。
「隊長!方向は合っていそうだし、早くこんな山、降りましょう!」
「あ?そ、そうだな……。全員揃ったしな」
エドはそう言うと、四人を確認するように見た。
パッゴが頷く。
「では戻るぞ!」
エドがそう言った途端、再び凄まじい閃光と轟音が周囲を駆け抜けていった。
「なっ!?」
皆一様に、驚愕し後ろを振り返った。
「あ、あれは!」
パッゴが言う。
暗雲の中、時折走る雷光とともに、白銀の巨大な龍が、もがくような変な動きをしながらゆっくりと山から離れ、雲の中に浮いていた。
「魔王ジニマル!……何なんだよ、あれは!」
ファーグストが恐怖の混じる声で苛立ったように言った。
ウルクがニヤリと笑う。
「(バイエモン様の言う通りだわ……。ジニマルが弱体化している。)……森に引っ張られているのよ。早くバイエモン様に知らせなきゃ!」
「おい、知らせるったって、呪符通信どころか魔法自体が使えないんだぞ」
ファーグストが焦ったように言った。
「もう少し下まで降りれば、使えるようになるはずだよ」
ウルクはそう言うと、四人に背を向け、獣道を一気に下って行った。
「あ!待って、ウルク!またはぐれるわよ!」
ミドルガが叫ぶように言ったが、すでにウルクの姿は暗闇の中に見えなくなっていた。
ファーグストがムッとした表情で言う。
「……何なんスか、あのダークエルフ。バイエモン直属の魔物部隊員かなんか知らないっスけど、酷すぎっしょ……」
フラガでは、魔王バイエモンの名のもとに、フラガ国内に存在するダークエルフのような亜人を軍隊に取り込み、魔物部隊を編成していた。
取り込まれた魔物は、表向きはフラガに協力しているが、実際はバイエモンの命令に従っているだけに過ぎない。
ウルクも当然例外ではなく、初めからエドたちに協力する気などさらさら無かった。
それを知ってか知らずか、エドがあきらめたように言う。
「まぁ、気にするな、ファーグスト。今回は臨時編成のパーティだ。亜人と組むなんて、そうそうないことだぞ……」
「そうだな。魔道部隊どころか、バイエモンがいなかったら、あの手の魔物は仲間にすらならない。一緒のパーティなんて、考えられないことだ……」
パッゴが補足するように言った。
そしてエドに向いて続けて言う。
「エド、ここまでくれば、ウルクはそのまま放っておいても問題はないはずだ。それよりこちらも早くカルプ様に報告をしなくては……」
その言葉にエドが頷く。
「そうだな。我らも呪符通信ができる場所まで降りよう。行くぞ!」
エドたちは、幾分小降りになった真っ暗な雨の中を、足元を確認するように魔杖をつき、魔法が使える場所へと急いだ。




