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五番通りの魔道具店  作者: もとめ
42/71

第32話 未熟な実

「というわけで……、本当にすみません」

発掘現場のプレハブ小屋の中、類は恩田を前に、恐縮したような顔をして頭を下げていた。

「まぁ、そういう事情なら仕方ないですよ。手続きはやっておきますから。……今日で最後というのは少し寂しいですが、今日一日、よろしくお願いします」

 恩田は淡々とした様子でそう言うと、長靴を脱ぎ、壁際に置かれたローテーブルの前に座った。

そこへ、南がプレハブ小屋に入って来た。

 グレーの作業ズボンに、ピチピチの窮屈そうな黒いTシャツを着、首から下げたタオルを手で押さえながら、類に声をかける。

「瀬戸……。今日で最後なんて急すぎだぞ」

 類が浮かない顔で振り向く。

「しょうがないだろ。叔父が急病で、俺が強引に店をやらされることになったんだ……。俺だって、この遺跡の発掘、最後までやりたかったよ」

 そう言うと、大きくため息をついた。


「恩田さん、朝礼お願いします」

 そう言って、プレハブ小屋に中島が入って来た。

 その声に、ローテーブルの前で何やら書類を書いていた恩田が振り返って言う。

「中島君、俺、手続きがあるから、代わりにやってて。瀬戸さん、今日で終わりだから」

「へっ!?」

 中島が驚いた顔で類を見た。

「あ、すみません。今、恩田さんにも話したんですが、俺、今日でバイト辞めることになりまして……」

 類は苦笑いをして、中島に軽く頭を下げた。

「そうなんですか?……急ですね」

 中島は少し残念そうに類を見た。

「中島さんにも、いろいろお世話になりまして……」

「何か事情があるのなら、仕方がないですよ……。では、朝のミーティングを始めましょう」

中島はそう言うと、プレハブ小屋を出て行った。

 その後に続いて南と類もプレハブ小屋を出る。


 ――その日の夕方


「皆さん、短い間でしたがお世話になりました。原野中の五番通り商店街の“カロ屋”という雑貨屋で店番をやっていますので、よろしかったら遊びにいらしてください」


 作業員の面々の前で別れの挨拶を済ませた類は、南と共同で使っていた小さなロッカーの中を確認した。

「忘れ物は……、無いな」

 帰り支度を終えた作業員が、類に挨拶をしてポツリポツリと帰宅を始める中、遺跡内を見回っていた中島が、プレハブ小屋に戻って来た。

「瀬戸さん、明日からいらっしゃらないというのは寂しいですね」

 そう言って困ったような笑顔を向ける。

「あ、中島さん。中島さんには、本当にいろいろお世話になりまして、ありがとうございました。南が、俺の分も二倍働きますんで、よろしくお願いします」

「あはは。そうですね。南さんは、体力も凄そうですもんね。……瀬戸さん、来月の16日に現地説明会を予定していますので、良かったら見に来てください。みんな、また瀬戸さんに会いたいと思いますよ……」

「はい、ぜひ、見に行きます」

 類は頷いて答えた。



 帰り道、居ノ台駅までの道のりを、南と並んで歩く。

「居ノ台駅なんて、このバイトを辞めたら、そうそう降りないだろうな……」

 南越しに、駅までの街並みを、類は少し寂しそうに見た。

「まぁな。俺も、今の現場が終われば、また違う現場に移動になるらしいからな……」

 南も、頭の後ろで腕を組んで、通りの両脇に並ぶ街並みを見た。

 夕暮れに染まる街並みは、人の往来も少なく、類と南、二人そろっての帰路が最後とあって、どことなく寂しそうに映る。

 南が類を切なそうに見つめて言った。

「なぁ、瀬戸。今日が最後なんだ。原野中駅前で、飯でも食って帰らないか?」

 その言葉に、類は困惑した表情を浮かべた。

「うーん、そうしたいのは山々なんだけど、ごめん。先約があるんだ」

「先約?」

 南は少し残念そうな顔をした。

「う、うん。店に客が来るんだよ。どうしても予定変更できなくて……」

「そっか……。なら、しょうがないな。店のオヤジさん、大丈夫なのか?」

「それが……。自宅療養なのは良いんだけど……、あの様子じゃ、しばらくは店に立てないだろうな……」

「そんなに具合悪いのか?」

 南が心配そうに言う。

類は魔物のようになった茂を思い出し、気まずそうに笑った。

「い、いや、ま、まぁ……。そうだね、あはは……」

「大変だな……。土日、なんなら俺も店を手伝おうか?」

南が、何か期待したような目で類を見た。

「いや、大丈夫。土日はアリサがいるから」

 類は間髪入れずに答えた。

「そっか……。まぁ、連絡先はわかるんだ。何かあったら遠慮なく俺に相談するんだぞ、はっはっはー」

南はそう言うと、少し強がったような笑い声を上げた。



「殿、おかえりなさいませ」

 玄関先で、帰宅した類をミヤビが出迎える。

「ただいま」

 類はそう言うと、荷物を玄関先に置き、そのまま風呂場に直行した。

「殿?いかがなされました?」

 ミヤビが不思議そうに、風呂場の戸の前から中を覗き込んで言った。

「今日はこれから、“ルイ”の方で異世界の人と待ち合わせなんだ。だから先にシャワーをしてしまおうと思って」

 服を脱ぎながら答える。

「左様でしたか。では、お身体の方はまた、このミヤビがお守りいたしまする」

「あぁ、助かるよ」

 類はそう言うと、半開きになった風呂場の戸を閉めた。


 

――薄暗い『カロ屋』の店内


 五番通り側は、“閉店”のプレートが下げられ、ガラスドアを覆うように薄地のカーテンが閉められている。


 帰宅したばかりで制服姿のままのアリサが、ソワソワした様子で組子障子の戸の前を落ち着きなく行き来している。

「アリサ。今日は“ルイ”に用があって来るんだ。邪魔はするなよ」

 作業台前に座った、半端な魔物姿の茂が、渋い顔をしてアリサに言った。

「わかってる。わかってるけど、なんで“ルイちゃん”なの?あたしにだって、相談してくれていいのに、ベトールさん……」

 アリサが不満そうな顔をして組子障子の戸を見た。

「ガハハ。しょうがねーだろ。“ルイちゃん”は、一応魔物ハンターなんだからよ」

 茂はそう言いながら、製作中の“魔法の杖”のパーツを確認するように見た。


 ふと、店内が一瞬淡く明るくなった。


「あ、ルイ兄」

 組子障子の戸の前にルイが疲れた顔をして現れた。

「こんばんは。あ、アリサ。なんでいるんだ?(まだこの時間学校じゃないのか?)」

「いちゃ悪い?」

 アリサがムッとしたように言った。

 ベトールが来るとあって、アリサはクラスマッチの準備を、メイとシズクに押し付けて早々に帰宅していた。

茂が類を見てニヤリと笑い言う。

「ルイ、お疲れさん。ベトールさん、何の話かわからんけどよ、よろしく頼むぞ」

「うん、そうだね……」

 ルイはそう言うと、フラフラと休憩室に入り、トイレ前の棚に置かれたモスグリーン色のマントを手に取った。

 店側から休憩室を覗き込んでアリサが言う。

「ねえ、ルイ兄」

 マントを羽織りながら返事をする。

「うん?」

「ベトールさん、魔物のことを聞きたいって、なんだろうね?」

「さあな。たぶん、木の実が魔物化したウスペンスキーって魔物の話じゃないか?俺、それしか狩ったこと無いし……」

 ルイはそう言いながら休憩室を出ると、アリサの横を通りすぎ、組子障子側にあるレジカウンター前の丸い椅子に座った。そして虚ろな目をして、カウンターに横向きに頬杖をつく。

 アリサがカウンターの内側の、ルイの前に立つ。

「あーあ。あたしもルイ兄くらい魔力が強かったらなー……。魔物ハンター、やるんだけどなー」

 そう言うと、両肘をカウンターについて、ルイ越しに組子障子の戸を見た。

「俺が強いんじゃなくて、このアバターが強いんだよ。素の状態ならアリサの方が魔力は上だろ?」

「でも、お父さんが特注で作った杖で魔力が覚醒したのって、あたしはあたしのままの状態だったけど、ルイ兄の場合、ルイ兄の状態じゃなくて、その、ルイちゃんの状態の時だったじゃん?」

「あぁ、そうだね」

「もしさ、ルイ兄の状態で覚醒してたら、どうだったのかと思って……」

 その言葉に、ルイは首を傾げた。

「言われてみればそうだな……。素の状態では、俺は、魔力は覚醒してないんだよな……」

 アリサがニヤッと笑ってルイを見る。

「ね、今度試してみたら?でさ、あたしにも魔力が強くなるアバター作ってよ」

 ルイが面倒くさそうに言う。

「……お前な。“ルイ”がどうやって実体化してるのか、俺だってよくわかってないんだ。そう簡単にアバター作れねーよ」

「えー……。いいじゃん、別に。あたし用に作ってよ」

 アリサが口をとがらせて言った。


(!?ん?)

 ルイが何かに気付き、組子障子の戸を振り返る。

「な、なに?」

 アリサが少し驚いたように、ついていた頬杖を外し、ルイの視線の先を見た。

「どうしたの、ルイ兄……」

「アリサ、その呼び方はマズイ……。ベトールさんが来たようだ。戸の向こうに気配がする」

 ルイが難しい顔で組子障子を見つめている。

「べ、ベトールさん!?」

 アリサは、顔を赤らめて緊張したようにつぶやいた。

「来たのか?」

 茂が作業台前からルイを見た。

 ルイが頷く。


 組子障子の戸がスッと開く。

「こんばんは」

 そう言って魔道服姿のベトールが濃紺のマントを翻し、ゆっくりと店の中に入って来た。

「い、いらっしゃいませ」

 アリサが顔を真っ赤にして言った。

(はぁ、やっぱベトールさん、カッコいい……)

 茂もベトールに笑顔で言う。

「いらっしゃい、ベトールさん。昨日はありがとうございます」

「いえ……」

 ベトールは微笑んで茂に軽く頭を下げると、組子障子の戸を入ってすぐのレジカウンター前で、椅子に座っているルイに目を留めた。

 ルイが足を組み直して言う。

「こんばんは」

「ルイさん、こんばんは。お呼びたてして申し訳ありません」

 ベトールはルイに軽く頭を下げた。そして作業台前にいる茂に言った。

「カロ屋さん、ルイさんを呼んでいただき、ありがとうございます」

「いえいえ、お安い御用ですよ、ガハハ」

茂は作業台前から立ち上がり、カウンターに片腕をついて照れ臭そうに笑った。

 ルイが訊ねる。

「それで、どういった話ですか?」

 ルイの横に立って、ベトールが微笑んで言う。

「ウスペンスキーについて、少し魔物ハンターとしての立場からのお話をお聞きしたいと思いまして」

「(やっぱり)……いいですよ。でも俺……、まだ駆け出しの魔物ハンターだから、魔物のことそんなに詳しくないですよ?」

 ルイは内心面倒くさいと思いつつも、申し訳なさそうにベトールを見た。

 ベトールが頷いて言う。

「構いません。現在、この“カロの森”で魔物ハンターをされている方が、私の知る限りルイさんだけでして……」

「そうなんだ……」

 ルイはつぶやくように言った。

 ルイとベトールの会話を、カウンターを挟んでアリサが顔を赤くしてじっと見ている。

 ベトールが、アリサを気にしつつ、言い出しにくそうな様子でルイを見た。

「その……。大変申し訳ないのですが、マ・ブーナの木までご同行願えませんか?」

 そう言って恐縮したように微笑む。

「マ・ブーナ……。あぁ(あの巨木か)。いいですよ」

 ルイはそう言うと立ち上がった。

 アリサが口をへの字にしてルイを見る。

「この時間からですと、マ・ブーナの実が魔物化してしまい、多少危険を伴うかもしれませんが、魔物化が始まったときは、私の方で対処しますので」

そう言うと、ベトールは組子障子の戸を振り返った。

「うん、わかりました」

 ルイがそう言ってサッと立ち上がる。

(めんどくさいから、早く終わらせて早く帰ってこよう……)

そして組子障子の前に立ち言う。

「あまり時間が遅くなっても大変だろうから。ベトールさん、早く行きましょう」

 ルイは引手に手をかけ、サッと戸を開けた。

 少し湿ったような夕暮れの風が店の中を駆け抜ける。

「すみません。ありがとうございます」

 ベトールがルイの後に続く。

「じゃ、ちょっと行ってくる」

 ルイは店の中を振り返ると、茂とアリサに言った。

 そして異世界側へと出る。

 ベトールも組子障子前から、店の中を振り返り言う。

「ありがとうございました。ルイさんをお借りします。では、失礼します」

 そして深く頭を下げた。



 異世界は、西の空に僅かに明るさを残しているが、東の空はすでに漆黒の闇が広がっていた。

 見上げればその空を、森に住む見知らぬ鳥が数羽、南の空に向かって飛んでいる。


「ルイさん、行きましょう……」

 先ほどまでの笑顔とは打って変わって、真剣な顔をしたベトールが低空飛行の首飾りを操作し言った。

 その身体が僅かに浮き上がる。そしてマントをなびかせ、ゆっくりと森の木々の枝葉の高さまで高度を上げた。

「う、うん……」

 ルイも返事をすると、ベトールと同じように枝葉の高さまで浮いた。

 ベトールは、ルイを確認するように見ると頷いて、僅かに西寄りに振った北の空に向いてゆっくり飛び始めた。

(え!?そっち?)

 ルイは焦ったようにベトールの後姿を見た。

 ベトールがルイを振り返る。

「ルイさん……。速度を上げます。ついてきてください……」

 そう言うと、進行方向に向き直り、一気にスピードを上げる。

「あっ!(まじかよ)」

 ルイは慌ててベトールの後を追った。

(なんで?東の巨木じゃないのか?)

 ルイは怪訝な顔をして飛びながら、遠く、東の闇の中にあるマ・ブーナの巨木がある方向を見た。


 明るさの消えた森の上を、木の葉をかすめるように、二人、その枝葉の上ギリギリを飛んで行く。

(魔道士の隠れ家よりも北西か……。カロ屋からだと、北北西ってところか)

 ルイは眼下に広がる暗夜の森の様子をうかがった。

「ルイさん、あそこです」

 ベトールが目指す先を指さす。

「うん?」

 見れば、森の木々の陰の中に、ひときわ大きな巨木の影が映る。

「でかい……」

 ルイはつぶやくように言った。

 カロ屋から東に行ったところにあるマ・ブーナの巨木よりも、さらに一回り大きな巨木が、不気味な影となってそこにあった。


「ずいぶん大きいですね……」

 そう言って、眼下に生えるマ・ブーナの巨木の枝振りを感心したように見る。

「えぇ。カロの森の西半分の範囲内では最大だと言われています」

 ベトールはそう答えると、真剣な顔をして確認するようにマ・ブーナの巨木を見下ろした。

(まだ、魔物化は始まっていないようですね……)

そして、低空飛行の首飾りを操作し、ゆっくりと降下を始めると、ルイを見て言った。

「ルイさん、根元におりましょう……」

「あ、うん……」

 ルイもベトールに合わせて、木の枝を避け、ゆっくりと降下する。


 若干湿り気のある空気。

 辺りは深い緑の森の匂いに包まれている。

(雨……?の匂い?)

 ルイは辺りの様子をキョロキョロとうかがった。

「ルイさん、こっちです」

 ベトールが巨木の幹を回り込み、その中の一番太い根が、うねるように露出している辺りで立ち止まった。

 ルイがベトールのいる方向に歩きながら言う。

「ベトールさん、もしかして雨が……、近いですか?」

 その言葉にベトールが頷く。

「そうですね……。この感じですと、夜更けあたりから降ってくるかもしれません」

 そう言って空を見上げる。

 ルイも釣られるように空を見上げた。

 木の枝の隙間から僅かに見える夜空は、ところどころに雲があるものの、綺麗な星が輝き、雨が降りそうな感じは微塵もない。

「うーん?(これ、ホントに雨が降るのか?)」

 ルイは首を傾げた。その様子にベトールが微笑む。

「この空の様子では、いまいち雨になるか判断がつきませんが、森の波動が雨を呼んでいますから、間違いなく降ると思いますよ」

「ふむ……」

「都合がいいですね……」

 ベトールがそう言ってフワリと浮き、うねった木の根の上に立ち、その幹に手を当てた。

「都合?」

 ルイはそのうねった根の傍らに立ち、ベトールを見上げた。

「えぇ……。雨の気配のある晩は、魔物化しにくい傾向があるのです……」

「へぇ。そうなんだ……」

 ルイはそうつぶやくと、木の幹に触れた。

 太く、どっしりと落ち着きのある巨木から、悠久の歳月を感じる。

「この木って、樹齢どのくらいなんだろう……」

 見上げた巨木のその太い枝に、暗さを通してもなお、大小さまざまな、おびただしい数の実が実っているのがわかる。

「……課長の、……幻獣の研究をなさっているバルキエル様の話では、この木の樹齢は二千年ほどではないかということです」

「二千年か……、すごいなぁ。……で、そのバルキエルさんというのは?(そういえばテオさんも、その人の名前、言ってた気がするな……)」

 ルイが再びベトールを見上げる。

「……えぇ。私が所属している獣魔課の課長です。課長は幻獣の研究をされている方で、特にこのマ・ブーナのような魔樹に関する幻獣を熱心に研究されているのです」

 ベトールはそう言うと、うねった木の幹からルイの傍にマントを翻し飛び降りた。

 そしてルイに背を向け、右手を目の前にかざす。

「召喚、メア・ウルフ」

 そうつぶやくように言うと同時に、ベトールの手を中心に赤い魔法紋様が浮かび上がった。

 そこから、真っ白い毛並みの大きな犬が出てくる。

「わっ。(召喚魔法だ……)すごい……」

 ルイが目を丸くして、つぶやくように言った。

 召喚された大きな犬、ナジは、魔法円から出ると、ベトールの傍らに静かに座った。

 ベトールが手を下ろすと同時にその魔法紋様が消える。

 ナジが、何か物言いたげにじっとルイを見ている。

「私は、こういった召喚獣を研究しておりまして、この狼が魔物化したメア・ウルフの幻獣は研究対象の一つなのです」

 ベトールはそう言いながらナジの頭を撫でた。

「へぇ……。(ナジは幻獣……?魔道院って、もしかして魔法の研究所のようなところなのか?)」

 ルイは、テオから結界魔法の研究本をもらったことを思い出した。

「じゃぁ、ディルメイも何か研究してるんですか?」

 ルイは興味本位に訊ねた。

「えぇ。彼女は草花の魔物化傾向についての研究をしていましたね……」

「うん?(過去形?)」

「今は、課長の指示で幻獣についての研究を手伝っていますよ。助手みたいなものです――」そして少しうつむき加減に小声で言う。「――……ただ、今はそれも魔物探しの命令で中断していますけどね……」

「そうなんだ……」

 ベトールが何やらナジに手振りで指示を出す。

 その指示を受け、ナジがマ・ブーナの木の幹から少し距離を取り、辺りを警戒するようにその幹の周りをゆっくりと歩き出した。

「魔物化しそうな実を見つけたら、すぐに知らせるよう指示を出しました。今夜は雨の気配がありますから、ウスペンスキーよりも、むしろヘリオベアの方に注意が必要かもしれません」

 ベトールはそう言うと、警戒するように背後の森をじっと見た。

「ヘリオベア……。(そういや、ヘリオベアの素材、叔父さんから頼まれたけど、俺、まだヘリオベアを見たことないんだよな……。)俺は、出来ればそれ、狩りたいところですね」

 ルイはそう言って苦笑いをした。

「では、もしもヘリオベアが現れましたら、ルイさんにお任せしますよ。私はできる限り援護しますが、この制服を着ているときは、立場上、商業的な狩りに手をお貸しすることができませんので、ご了承ください……」

 ベトールは自分の服の胸元を手で押さえ、申し訳なさそうにルイを見て言った。

「あぁ……、それは別にいいんですけど……。それより、魔物の話ってなんですか?」

 その言葉に、ベトールは少し曇った顔をした。

 そして肩を落とすと、ルイの横に並んで申し訳なさそうに言う。

「すみません……。“ウスペンスキーについて、少し魔物ハンターとしての立場からのお話をお聞きしたい”……というのは建前です」

「へ?」

「本当はルイさんの魔力を当て込んで、お願いがあって来たのです。……このようなこと、まだ幾度もお会いしてもいないルイさんに頼むようなことではないのかもしれませんが、他に頼めるあてが私にはなく、どうしてもお願いせざるを得ない状況なのです……。早急に対処しなければ、さらなる混乱を招くことにもなりかねません。それに――」

「ちょ、ちょっと待ってください!な、何の話ですか?」

 ベトールの話を遮って、ルイは慌てたように怪訝な顔をして言った。

「あ……、すみません……。肝心な部分が抜けていましたね……」

ベトールは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに難しい顔をした。

そして、マ・ブーナの巨木を見上げ、一呼吸置いて言う。

「ウスペンスキー亜型を、意図的に作り出します」

「ほへっ!?」

 ルイは驚いて、思わず変な声を上げた。

 ベトールが真剣なまなざしでまっすぐにルイを見る。

「今、魔道院ではウスペンスキー亜型が大変問題になっているのです。……その決着をつけるには、幻獣の元となった、未熟な実が魔物化した亜型の存在が必要不可欠……。しかし、このひと月、このカロの森を調査して得られた結果は……、すでに未熟なマ・ブーナの実が魔物化した亜型は存在しないということです……」

ベトールがルイから視線を外し、その視線を落とす。

「ベトールさん……?」

 ルイが不安そうにべトールを見る。

「……課長の先行研究が、すでにそのことを指摘していました。マ・ブーナの実が魔物化したウスペンスキーの存続期間は約半年、亜型もそれに準ずると……」

「……(なんか、ごく最近、そんな話を聞いたような……)」

 ルイは苦笑いを浮かべた。


 ベトールが、ゆっくりと巨木の幹に近づく。

 そして枝葉を見上げ、実る実を、暗がりに目を凝らして見つめる。

「課長の研究で、ここ六十年の間で未熟な実が魔物化したのは、二年前の夏以降、その年の冬までの間だということがわかっています」

「……そ、そうなんだ」

ベトールがルイを見る。

「ルイさん。二年前の夏のこと、覚えていますか?」

「へっ?」

ルイは急に振られ、焦りと動揺で顔が引きつった。

二年前は、類はまだ異世界の存在を知らず、“ルイ”さえも完成してはいない。

(ど、どうしよう……)

 ルイは最近の記憶をたどり、思い当たる節を探った。

「た、たしか……(テオさんは)天候が……(どうとかなんとか言ってたような?)」

ベトールが頷く。

「そうです。雨ばかり降って、大変な冷夏の年でしたね。……その影響であの年は夏以降マ・ブーナの実は一つも完熟することがなかったのです」

「そ、そうだったんだ……」

 ベトールがルイを見る。

「通常は魔物化しない未熟な実が、魔物化を起こした要因は、そのことによるものですが、マ・ブーナの木の持つ特性を考えれば、今後も未熟な実が魔物化を起こす可能性は十分にあるでしょうね」

「へ、へぇ……。特性……?」

 ルイは、マ・ブーナの実が魔物化したウスペンスキーが、魔力でパンパンに膨らんで大きくなっていることを思い出した。

 そして首を傾げ、つぶやくように言う。

「ウスペンスキーって、魔力を中にため込んでいますよね……?」

 その言葉に、ベトールが感心したような顔をして頷いた。

「そうです。マ・ブーナは周辺の魔力を吸収し、完熟した実に魔力を溜め込むことで実を魔物化させているのです。魔物化した実は、自ら遠くに飛んで行き、元の木より離れた場所に種を運びます。そのことが、結果的に森に溜まった魔力を外へと排出することになるのです」

「あ、それ、本で読んだことがある」

「たぶんその本は、課長が書かれたものですね。今の話は全て、課長の研究の成果によるものですから……」

「そ、そうなんだ……。でも“カロの森”って、なんでこんなに魔力がすぐに溜まるんだろう……?」

 ルイは辺りの森を見回した。

 湿り気を含んだひんやりとした空気の中を、魔力が縦横無尽に流れているのを感じる。

 森の辺縁部では希薄な魔力の流れも、森の中心に行けば行くほど、その濃度が濃くなる。


「力場ダ……」

 巨木の幹を反時計回りに一周してきたナジが、ルイに近づきながら言った。

「力場?(モフモフわんこ……。白いから目立つな……)」

 ベトールが言う。

「古より、カロの森の中心部には“力場”と呼ばれる、魔力が生み出される場所があると云われているのです。その“力場”がこの森の魔力濃度を上げていると……。ですが、この“力場”の話は、魔道院長をはじめ、これまで魔道院の何人もの魔道士が調査研究を行ってきましたが、いまだ場所の特定までには至っておりません」

「へぇ……。そんな話があるんだ……。(カロ婆は知ってたのかな……?)」

「ソレヨリ、ベトール。ヘリオベア、ガ、北ノ方角二居ルゾ」

 その言葉に、ルイとベトールはナジを見た。緊張が走る。

「近いのかい?」

「イヤ、遠イ。ダガ、油断デキナイ。用件ハ、早々二済マセタ方ガイイ」

 ナジはそう言うと、ベトールの横を通り過ぎ、森の木々の間を北の方角を向いて睨んだ。

「そうだね。夜も更ければさらに魔力が強くなる。こちらに有利なことばかりではないからね」

 ベトールはそう言うと、低空飛行の首飾りを操作し、浮き上がった。

「ルイさん、少々お待ちを……」

 そう言ってマントを翻し、低空飛行の首飾りを操作してマ・ブーナの枝葉の高さまで昇ると、その木の枝に実る小ぶりな未熟な実を一つもぎ取った。

 ルイが下から見上げるように声をかける。

「ベトールさん?」


「すみません」

 ベトールがそう言って、枝葉の高さから素早くルイの前に降り立った。

 そして右手に持ったリンゴほどの大きさの、緑味がかった未熟なマ・ブーナの実をルイに見せ言う。

「これは、私の推測なのですが、未熟な実に強制的に高濃度の魔力を送り込めば、おそらく魔物化するのではないかと思うのです。課長は、強制的に魔力を送り込んだ場合、魔物化が起こる前に魔力に耐えられなくなり破裂する、という仮説を唱えていますが、私はそうはならない気がするのです」

「ふむ……」

「通常、マ・ブーナの木は完熟した実に魔力を蓄えます。ルイさんもウスペンスキーの大きさをご存じかと思いますが、ウスペンスキー一体当たりの魔力の蓄積量は相当なものです。直径15センチほどの魔晶石に相当すると言われています」

「へ、へぇ……。(いや、それって、むしろ魔晶石すごくね?ウスペンスキーって、確か3メートルくらいあるだろ?魔晶石15センチで、あれ一体分かよ……)」

 ルイはウスペンスキーの大きさを思い出し、苦笑いをした。

「幹は常に周辺の魔力を吸収していますから、完熟した実にならなかったあの年の夏は、未完熟な実のままの状態で魔力が注がれたのでしょう……。未完熟なものは魔力の蓄積量が少ないと考えられていますから、完熟した実であれば、一晩に2、3体の魔物化で済むところ、大量に魔物化することになったのだと思います。……一晩で、どの程度魔物化が起こったのかは、課長の論文でも推測の域を出ていませんが……」

「は、はぁ……」

「ルイさん、これを持っていてもらっても良いですか?」

 ベトールがそう言って手に持った未熟な実をルイに差し出した。

「いいですよ」

 ルイはそれを受け取った。

 ベトールがマントの下に、腰のベルトに下げていた小さめのカバンから、直径10センチほどの透明な魔晶石を取り出した。

「課長が仮説で算出した未熟な実の魔力蓄積量が正しければ、破裂しない限り、これ一つで未熟な実を十分魔物化させることは可能なはずなのです。……ですが、あくまで推測で、実際にはやってみないとわかりません。課長の仮説が唱えるように、魔物化が起こらず破裂するのか、……破裂しないにしても魔物化するには魔力が足りない、という場合も十分に考えられますから」

 ベトールがルイを見る。

「あ、あはは……。要は俺が、魔力が足りなかったら、破裂するか魔物化するまで魔力を送り込んでやればいいんですよね?」

 ルイは苦笑いをして言った。

「そうです。もちろん私も魔力を注ぎますが、他の魔術に魔力を割いている分、未熟な実に充てられる魔力がきわめて微力です。ですので、……ルイさん、お願いできますか?」

 ベトールはそう言って、真剣なまなざしでルイを見た。

「……(策士だな、お願いできますかって……。ベトールさん、最初からそれをやらせるつもりで俺をここまで連れて来たんだろ?叔父さんの件もあるし、ここまで来て“嫌です”とは言いにくいよ、まったく……。しょうがない……)いいですよ……」

 ルイは苦笑いをして言った。

「ありがとうございます!」

 ベトールはそう言うと深く頭を下げた。

 様子を見ていたナジが、ニヤリと笑って言う。

「決マリダナ。移動スルゾ」

 ベトールが頷く。

「ルイさん。雨が近いとはいえ、ここでは完熟した実が魔物化する可能性があります。スコット様の隠れ家まで移動しましょう……」



 木々の枝葉に見え隠れしていた西の空の星が、少しずつ厚みのある雲にのまれてゆく。


 魔道士の隠れ家の前の僅かな広間、ベトールが隠れ家から魔法円を持って出てきた。

「あれ、それって……(テオさんも使ってたけど、ベトールさんも使うのか?)」

「魔力を集める働きのある魔法円です。魔法円は同時に、円の内と外を分かつ働きもありますので、今回は、円の内側で魔法を発動させたときに、周りに魔力が拡散するのを防ぐために使います」

 ベトールはそう言うと、広間の中心に直径1メートルほどの魔法円を置いた。

 そして訝し気な顔をして辺りの様子をうかがう。

「変ですね……。一昨夜が新月でしたのに、いつも以上に魔力の濃度が薄い……」

(ギクッ!)

ルイはテオと幻獣生成を行った時に、周囲の魔力を著しく消費したことを思い出した。

「あ、あはは……。そんな日もあるんですよ、たぶん……」

 目を逸らし、冷や汗交じりに苦笑して、小声で言う。

 ベトールがルイに向き直る。

「……では、ルイさん、魔法円の中心にマ・ブーナの実を置いてもらっても良いですか?」

「あ、うん」

 ルイは、促されるままに、未熟なマ・ブーナの実を魔法円の中心に置いた。

 ベトールが魔晶石を手のひらの上に乗せ、未熟な実の上にかざす。

「では、始めましょう……」

 その言葉にルイが頷いた。

 

 念を込めるように、ベトールが魔晶石をじっと見つめた。

 フッと魔晶石が淡く光り出す。

 それに反応してか、足元に置かれた魔法円も淡く光り始めた。

 ベトールがゆっくりと魔晶石から手を離す。そして、後ろに一歩下がり、魔法円の内側から外に出た。

 魔晶石が、魔物の実の真上1メートルほどの高さに浮いている。

 ルイはベトールと円を挟んで反対側の位置で、その宙に浮いた魔晶石をじっと見つめた。

 その輝きが次第に強くなる。

 ルイは訝し気に足元に転がる魔物の実と、宙に浮く魔晶石とを交互に見た。

(魔物の実の魔力の吸収速度がずいぶん遅いな……。破裂しないよう、あえてゆっくり送っているのか?)


 ベトールが魔晶石に両手をかざす。

 その途端、魔晶石が砕け、光の小さな粒となった。そして魔物の実に向けて一筋の光の柱を作る。

「今、魔晶石の魔力を強制的に注いでいます」

 ベトールが真剣な顔で言った。

 

 魔物の実が、心なしか一回り大きくなったように見える。

「あれ?大きくなった?」

 ルイは思わずつぶやいた。

「えぇ。順調に魔力を吸収しているようです」

魔法円の内側に、魔力の流れが淡く紋様を浮かび上がらせる。

「ふむ……」

 ルイは顎に手を当て、その様子をうかがった。

 魔物の実が、気のせいなどではなく、徐々に大きくなってゆく。


 リンゴほどだった未熟な実は、やがて直径50センチを超えるほどに大きくなった。

 光の柱に手をかざしていたベトールが難しい顔をする。

(……足りない。……やはり未熟な実の魔力吸収量は、仮説よりもずっと多かったようですね……)

 魔法円の内側に淡く浮かんでいた紋様が消える。

(ベトールさん……。大丈夫かな?)

ルイは不安げにベトールを見た。

 光の柱が少しずつ薄くなる。

 魔力を吸収した実がさらに一回り大きくなったところで、薄くなった光の柱は切れ切れとなった。

 そして、その切れ切れとなった光も、魔物の実にすべて吸収され、あっという間に消えていった。

 未熟な魔物の実に、破裂する気配はない。

「……」

「……」

 闇に包まれた広間。

 僅かに、蓄光塗料のように魔法円が鈍く光を保っている。

その暗がりの中、二人は無言のまま、大きくなった魔物の実をじっと見た。

 ベトールが何か考えているような難しい顔をしている。


 ルイはその場にしゃがみこみ、魔法円に手を添えてベトールを見上げた。

「じゃぁ、あとは俺が魔力を注げばいいんですよね?」

 そう言って、テオと幻獣を作り出したときの要領を思い出し、魔法円に魔力を送る。

(確か、こうだったよな……)

 光を失いかけていた魔法円が、急激に強い光を放って明るく輝き始めた。同時に、魔法円の内側にくっきりと紋様が浮かび上がる。

 ベトールが少し驚いたように言う。

「お、お願いします……」

 そして、ルイの向かい側の円の縁に、同じようにしゃがんで手をついた。


(お……。ベトールさんの魔力も円の中に流れ込んできたな……)

 ルイが魔物の実越しにベトールを見た。

 ベトールが少し苦しそうな表情を浮かべている。

「ルイさん……、申し訳ありません。……私は召喚獣を使役中は、あまり大きな魔力を放出することができないのです……」

 そう言って顔をしかめる。

「だ、大丈夫ですよ。無理しないでください……」

 そう言った直後、魔物の実が、また少し大きくなった。

 緑味がかっていた色も黒さを増し、やがて、その場に小さく円を描くように震え出す。

 ベトールがその様子を、少し苦しそうな顔をしながらも注意深く観察するように見た。


(破裂する感じはないけど……、なかなか魔物化しないな。まだ魔力が足りないのか?)

 ルイは訝し気に、一段と大きくなった魔物の実を見ると、さらに強い魔力を魔法円に送った。

 直径1メートルほどになった魔物の実がふわりと宙に浮く。

 ルイの送った魔力が、魔法円が抑えることのできる魔力の上限値を越えたのか、溢れた魔力が円の外に流れ出し、円の外側にも淡く紋様を浮かび上がらせる。

 その魔力の流れに、ベトールのマントとルイの髪が弱くなびく。

「す、すごい……」

 ベトールがルイの魔力に、驚愕の表情を浮かべつぶやいた。

(ルイさん……。本当に、一体何者なのでしょうか……)

「そろそろか……」

 ルイがそう言って、目の前に浮く魔物の実を見上げる。

 その途端、実のヘタの部分からコウモリのような羽が、お尻の部分からは4本の腕がヌッと出てきた。

(キモっ!)

 ルイは思わず顔をしかめた。

「ま、魔物化が……、起こった……」

 亜型となった魔物の実を目の前に、ベトールがそうつぶやいて目を見開いた。

「ヤルナ……」

 遠巻きに様子を見ていたナジも、低くうなるように言った。

「……こんなもんか」

 ルイはそう言うと、魔法円から手を離した。その途端、足元に光っていた魔法円が、急速にその光を弱める。

ルイは立ち上がると、目の前にぼんやりと佇む魔物を見た。

「ふむ。これが亜型か……(良く見れば、やっぱコウモリダンゴとは腕の位置が微妙に違うんだな。でも、言われないとわからないな、これ)」

「る、ルイさん!す、素晴らしいです、素晴らしいですよ!」

 ベトールが立ち上がり、興奮気味に言う。

 少し疲れたような顔をしてルイはベトールを見た。

「うまく行ったみたいで、良かった……」

 ルイはそう言うと、大きくため息をついた。そして目を細めて亜型を見る。

(テオさんと幻獣を作った時よりは魔力を使ってないけど、それでも結構な量の魔力を送り込んだな……。ベトールさんの魔力と、ベトールさんが持っていた魔晶石の魔力を考えると、魔力の内容量はウスペンスキーの四分の三……、いや八割ってところか)

「ルイさん、申し訳ございません」

 ベトールが突然頭を下げた。

「へ?――」

 ルイは驚いてベトールを見た。

「――な、何ですか!?急に……。あ、頭を上げてください」

 ベトールが沈痛な面持ちでゆっくりと頭を上げる。

「未熟な実の魔力吸収量を見誤ったようです。……ルイさんには予想以上に魔力を放出させてしまい、申し訳ございません」

 ベトールはそう言うと、再び頭を下げた。

「い、いや、だから、頭を上げてくださいって……」

 ルイは苦笑いをした。

僅かに光を残していた足元の魔法円が、完全に光を消し、辺りを真っ暗な闇が覆う。

「で、ベトールさん。この亜型、どうするんですか?」

 魔法円の中、ウスペンスキー亜型がうつろに佇んでいる。

 頭を上げたベトールが、亜型を見て言う。

「もちろん、魔道院に連れて帰ります」

 ベトールはそう言うと、腰のカバンから白いロープを取り出した。

「ルイさん、取り押さえるのを手伝っていただいてもよろしいですか?」

 そう言ってロープを両手で伸ばす。

(あれ?なんだろ、このデジャブ感)

 ルイは引きつった笑みを浮かべ、首を傾げた。


 白いロープで、動きの封じられた亜型が、ベトールの足元に転がっている。

「ルイさん、ありがとうございました。これで、今回の亜型の問題も解決に向かうと思います……」

 ベトールは、亜型の結ばれたロープの先と、反対の手に魔法円の魔道具をフラフープのように持ち言った。

「い、いえ……。お役に立てたなら良かったです……」

「申し訳ないのですが、この亜型を少し見ていてもらっても良いですか?」

 ベトールはそう言うと、ロープの先をルイに差し出した。

「わ、わかりました」

「これを片付けてきます」

 ベトールは魔法円を両手で持ち直すと、隠れ家になっている大木の方に歩き出した。

(つい最近、これとかなり似たようなことがあったような……)

 ルイはベトールの後姿に、一昨夜のテオの姿を重ねた。


 少しして、ベトールがルイの元に戻って来た。

 いつの間にか、ナジの姿が消えている。

 ベトールは亜型を縛り上げたロープの先をルイから受け取ると、微笑んで言った。

「ルイさん、この度は本当にお世話になりました。ありがとうございます」

 そして深く頭を下げる。

ルイは左右に手を振って、引きつった笑みを浮かべた。

「い、いえ……。ベトールさんには俺も“カロ屋”もお世話になってるし。これくらいなら……」

 ベトールが真剣な顔で、ルイを見つめて言う。

「それで……。もう一つお願いがあるのです」

「はい?(なんだろ?)」

「このことは、内密にしていただきたいのです」

「あぁ……(それか)。それなら大丈夫です。誰にも話しませんよ。(テオさんの件もだけど、このことも、話したら余計ややこしくなりそうだもんな)」

 ルイは頷いて答えた。

「ありがとうございます……」

 ベトールが安堵したように言った。

 ルイが、ふと何かを思い出したような顔をする。

「あぁ、そうだベトールさん」

「はい」

「俺からも、一つお願いしてもいいですか?」

 ベトールが頷いて言う。

「もちろんです。何でしょうか?私にできることであれば良いのですが……」

 ルイがこめかみに指を当て、少し照れたように言う。

「その……、“カロ屋”の常連になってくれません?」

 その言葉に、ベトールは少し驚いた顔をした。

「カロ屋さんの……?」

「うーん、カロ屋は商品が少ないから、あまり用がないかもしれないけど、その……、何も買わなくてもいいので、たまに?夕方の、その、アリサが店番をやってる時間帯で、遊びに来てくれると嬉しいな……なんて……」

 ルイは引きつった笑顔を浮かべて言った。

 ベトールが微笑む。

「そうですね。では、今度ゆっくりお伺いさせていただきますよ」

「ありがとう……」

 ルイは申し訳なさそうに言った。

「ルイさん、今度呪符通信で、私に一度連絡をいただけると、私も嬉しく思います」

 ベトールがルイをまっすぐに見つめて言った。

「(ヒッ!しまった、またすっかり忘れてた。)そ、そうですね……。じゃ、この後、カロ屋に戻ったら連絡しますよ……。(でも、それが知れたら、俺、アリサに殴られそうだな……)」

 ルイは苦笑いをした。

「帰り道はわかりますか?」

 ベトールが気遣って言う。

「あ、それなら大丈夫。すぐに戻れるんで……」

 ルイのその言葉に、ベトールが何かを思い出したように頷いた。

「あぁ、ルイさんは瞬間移動の魔法も使うことができるのでしたね」

 そして少し気まずそうな顔をする。

「え?(何の話?どの魔法のこと?)」

 ルイは一瞬引きつった顔をした。

 そして、以前、ベトールとディルメイの前で、フーナプラーナから“RET”の呪文でカロ屋の組子障子前に戻ったことを思い出した。

「あ(……あれか)。うん、そ、そうですね」

 そう気まずそうに言う。

 ベトールがロープでグルグル巻きになった亜型を、脇に抱えるように持ち上げる。

「では、ルイさん。申し訳ありませんが、先に失礼させていただきます」

 そう言ってほほ笑むと、再び頭を下げた。

「わ、わかりました。俺も、もう帰ります」

 ルイも釣られるように軽く頭を下げる。

「ルイさん、連絡お待ちしていますね」

 ベトールがそう言って、右手で低空飛行の首飾りを操作し、木々の枝を避け浮き上がる。

 暗夜の空に、濃紺のマントを纏ったその姿が溶ける。

 ルイは、淡く光を放っている低空飛行の首飾りに向け、適当に手を振った。

 低空飛行の首飾りの淡い光が西に向けて飛び去って行く。

 ルイはそれを見送ると、大きく深呼吸をした。

「ふぅ……。テオさんと言い、ベトールさんと言い、解決どころか、悪化しなきゃいいけど……。ま、俺には関係ないな……」

 見送った西の空に、湿り気を帯びた冷たい風が吹く。

 雨の気配が一層濃くなる。

ルイは右の手首をくるりと回した。

 そしてつぶやくように言う。

「RET……」

 その瞬間、隠れ家前の小さな広間からルイの姿が掻き消えた。

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