第30話 亜型と紋様(中編)
薄暗い『カロ屋』の店内。
茂がカウンターの内側で、開店の準備作業をしている。
一瞬、僅かに店内が淡く明るくなった。
ふと顔を上げ、見れば組子障子の戸の紋様の前、浮かない顔をしたルイが立っている。
「どうしたんだ?こんな朝早く」
ペンを持つ手を止め、茂が言った。
「おはよう、叔父さん」
ルイは疲れたようにカウンターの前に立って頬杖をついた。
「昨夜、魔道士の隠れ家に行ってきたんだ」
「ふむ」
「でも、誰かがいてさ……」
ルイはそう言うと怪訝な顔をした。
「誰かって、隠れ家の持ち主じゃないのか?」
茂はそう言いながらペンを置き、レジの引き出しを開ける。
「いや、隠れ家の持ち主はルルアさんの師匠らしくて。その人はだいぶ前に亡くなってるって話だから違うと思う」
「んじゃ、ルルアさんだろ?」
茂はレジの中に入っている現金と異世界の通貨の確認を始めた。
「ルルアさんなら、魔力の波動ですぐわかるよ。でも……、あれはルルアさんの魔力の波動じゃなかったんだよな」
ルイはそう言うと、カウンターに後ろ向きに寄りかかり、思い出すように宙を見つめた。
「あら?ルイ君、おはよう」
そう言ってエプロン姿のキヨが休憩室から店側に入って来た。
手に小さめの籐カゴを持ち、その中に何やら入っている。
「あ、キヨさん、おはようございます」
ルイは寄りかかっていた体勢を直してキヨに挨拶をした。
「ねえ。これ、ちょっと見て」
キヨはそう言うと、かごの中に入っていたコウモリダンゴのストラップを持ち上げて見せた。
ルイが驚いた顔をして言う。
「え?それって……」
「ウフフ。アリサが見たって言う魔物のストラップよ」
籐カゴの中には、コウモリダンゴのストラップが何個か入っている。
「……う、売るの?」
「ウフッ、まだよ。アリサのお友達の反応を見てから決めようと思って」
キヨはそう言うと、一つだけ別に手に持っていたコウモリダンゴのぬいぐるみをルイに差し出した。
「これ、ルイ君の分」
「え?俺の?」
ルイはキヨに差し出されたコウモリダンゴを手に取った。
その3㎝ほどの大きさのコウモリダンゴは、ストラップにはなっておらず、質感が全体的に、妙にテカテカしている。
「これって……(もしかして)」
ルイは恐る恐るキヨを見た。
「うん。ルイ君の分だけ特別に、ルイ君がこの前持って来た魔物の羽で作ってみたのよ」
キヨはそう言うとウフフと笑った。
「(案の定かよ!)本物の、魔物の羽……。あ、ありがとう」
ルイは引きつった笑みを浮かべた。
「ルイ君、もしもこれ、売ることになったら、商品リストへの登録をお願いするわね」
キヨはニコッと笑うと、籐カゴをレジカウンターの上に置いた。
「は、はい……」
ルイとキヨが話をしている間に、茂は五番通り側のガラスドアの鍵を開け、かけられていたプレートを“OPEN”の文字にすると、入り口側のスチール棚の前に立って店の中を見回した。
「叔父さん、どうしたの?」
ルイが言う。
「いや、最近、異世界側からの客がチラホラ来るようになったからよ。ほら、こっちの世界の人間と会うと厄介だろ?この前の翔太君みたいによ」
茂はそう言うと、肩越しに左手の親指でガラスドアを指し示した。
「あ……あぁ。そうだね」
「だからよ、隣の早川さんところの店舗、もう今は店辞めちまってるからよ、そこを倉庫に借りて、この店を異世界側と五番通り側とに間仕切ったらいいんじゃねーかと思ってよ、ガハハ」
茂はそう言って腰に手を当て、ニヤリと笑った。
「早川さん……。あぁ、昔ダンゴ屋だった……」
数年前からシャッターが下りっぱなしになっている南隣の空き店舗は、間口が2間の、奥に細長い二階建ての建物だ。
「そうね、早川さんのご夫婦、もう高齢でお店、辞めてしまったものね」
「うむ。組合の須藤さんとも話をしてたんだが、使ってないんなら有効活用した方がいいだろうって、もし借りるんなら早川さんにかけ合ってくれるそうだ」
茂はそう言うと、もう一度店の中を見まわした。
「ところでルイ君、今日はルイちゃんの方なのね」
キヨがルイを見てニコニコと笑った。
「あ、そうだった。魔道士の隠れ家に行くんだった」
ルイは思い出したように言うと、小走りに休憩室に向かった。そしてトイレ前の棚からモスグリーン色のマントを手に取ると、足早にカウンター前を通り過ぎ、組子障子の引手に手をかけた。
キヨと茂を振り返って言う。
「ちょっと異世界側に出てくる」
「おう、気を付けて行って来いよ」
「あ!待って、ルイ君」
キヨはそう言うと、慌てたように休憩室に入っていった。
その様子に、ルイはマントを羽織りながら茂と顔を見合わせた。
少しして、キヨがグレーっぽい色の立体的な蜘蛛の巣状の何かを持ってきた。
「これ、このあいだ割った魔物の実なんだけどね」
そう言って、繊維の部分だけになった魔物の実をカウンターの上に置く。
ルイは不思議そうな顔をして、その魔物の実を手に取った。
「これ……、どうしたの?」
キヨがニコニコして言う。
「魔物の実をね、煮て乾燥させてみたの!ヘチマたわしみたいでしょ?」
「た、たしかにヘチマっぽい。でも、ヘチマよりずいぶんスカスカ……。それにすごく柔らかい……」
魔物の実の中身は、キヨの手によってたわしに加工されていた。
「そうなの!柔らかいからこれ、身体を洗うのに絶対いいと思うのよね!ルイ君、どうかしら?」
魔物の実のたわしはヘチマたわしよりもずっと密度が低く、スカスカなうえに、あまりきれいとは言えない色をしている。
「(どうかしらって言われても……。魔物で体を洗うのはちょっとなぁ)……うーん。手触りは悪くないかもね。“ヘチマたわし”ならぬ“魔物の実のたわし”か……。“商品名マモノミたわし”みたいな?」
ルイは適当に言った。
「じゃ、ルイ君!これ使ってみて。そして感想を聞かせて欲しいの!」
キヨは目をキラキラさせて言った。
「へっ!?」
ルイは顔が引きつった。
(お、俺、実験台?)
キヨが期待するような目でじっとルイを見ている。
「(ひぃ!こ、断れない)……わ、わかったよ……。つ、使ってみる」
「ありがとう!じゃぁ、あとで類君の時にお店に取りに来てね!」
キヨはニコニコと笑って言った。
「……う、うん。じゃぁ、俺、異世界側に行ってくるから……」
ルイは引きつった笑顔で組子障子の戸を開けると、異世界側に出ていった。
よく晴れた異世界の森の中。
風もなく穏やかに、雲一つない青い空が広がっている。
枝葉の上ギリギリを飛び、昨夜同様、魔道士の隠れ家になっている大木へと向かう。
しばらくして、ルイは再び隠れ家の大木よりも手前で止まった。
森の中を流動する魔力を捉えるように、感覚を研ぎ澄ませる。
「……良かった。もういないみたいだ」
ルイは安堵の表情を浮かべ、大木に近づいた。
先日に来たときと同様、その幹に触れ、中にズブズブと入ってゆく。
「んあっ?」
ルイは驚いた顔をして部屋の真ん中を見た。
窮屈そうに置かれていた大きな魔晶石の玉が部屋の隅に片付けられ、床に描かれていた“魔力を補充するための紋様”も取り除かれている。
「昨夜いた人が、いろいろ動かしたみたいだな……」
他にも動かされたものはないかと、本棚を確かめるように部屋の中を見回した。
「うーん、こう本がいっぱいだと、どれか一つが無くなっていても、よくわからないな……」
ルイはため息交じりに言うと、本棚の下段から適当に1冊本を手に取った。
そして床に座り、その本をパラパラとめくる。
ふと、中ほどのページで手を止めた。
「あ、これは……」
そこに描かれていたのはウスペンスキーだ。
絵の脇に細かく解説が書かれている。
(へぇ……。マ・ブーナの実は種がデカくなりすぎて、鳥も虫も運べなくなったから、魔物化することで自分から遠くに飛んで行くようになったのか……。なるほど)
ルルアの師匠、スコットの書き残したその本には、マ・ブーナの木どうしの間隔は半径8キロメートル以上離れる、と書かれている。
(ふむ。カロ屋から東に行ったところにあるあの巨木以外に、周辺に同じような木が無いのはそういうことか。……亜型のことは何か書いてあるかな?)
ルイはウスペンスキーの書かれたページの前後数ページを、確認するようにめくった。
(……載ってない?……全部を網羅してるってわけでもないのか)
索引を確認するが、やはり亜型の文字は見られない。
本を戻すと、今度は下段隅に、はじかれるように置かれている“カロ屋”の紋様に関係する本を手に取る。
ルイはしばらくの間、その本を真剣なまなざしで読んでいたが、最後のページを読み終えたところで本を閉じ、難しい顔をした。
「……“ルイ”やミヤビは、幻獣と召喚魔法とを掛け合わせたような魔法なんだな……」
そう言って本をもとの場所に戻し、立ち上がる。
目の前の本棚は、上から下までぎっしりと本が詰め込まれている。
そして視線の高さの棚にある本の背表紙を指でなぞるようにたどってゆく。
(“紋様集大成”……“魔物辞典”、“紋様と幻獣”……。紋様関係の本が多いな……)
そのうちの、かなり厚みのある赤茶色の背表紙の本で手を止めた。
(“異世界への扉”……これにもカロ婆の紋様が載っているかもしれないな)
ルイはさっそくその本を手に取り、棚から引っ張り出した。
「うっ、予想外に重い!何だこれ」
慌てて本をもとに戻す。
「何でこんなに重いんだ?持ち主以外持てないように、呪詛でもかけてあるのか?」
ルイは顔を引きつらせてその本を見た。
「ふぅ……。まぁ、いいや」
ため息交じりにそう言うと、すぐ隣に並んでいた『紋様と幻獣』と書かれた本を手に取った。
(これも、少しは参考にはなるだろう……)
そして、その場に座り込むと、本棚に背を当てて読み始めた。
本を半分ほど読み進めたところで、ルイは視線を部屋の入り口に向けた。
その顔に若干の焦りが見える。
(……外に、……誰かいる)
ルイは本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
入り口に手をかざし、隠れ家の外に流れる、流動する魔力の気配を読む。
「……昨夜、ここにいた人だ……。どうしよう……。どこかに隠れた方が?」
ルイは部屋の中を見回した。
奥に、トイレとシャワーを備えた小部屋がある以外、部屋の中に隠れるところはなさそうだ。
「うぅぁ……。まいったな、トイレに隠れても、トイレに入ってこられたら逆に終わりだ……。やばいぞ……」
ルイは難しい顔をした。
「えぇい、こうなったら、堂々と居座ってしまえ!」
ルイは何かを決意したような顔をすると、再び本棚の前にドカリと座り、先ほど読んでいた本の続きのページを開いた。
1、2分もしないうちに、その人物がズブズブと幹の中に入って来た。
顔を上げ、その人物を見る。
視線が合う。
紺色のマントを羽織った聡明な顔立ちのやや年配の男が、驚愕した表情を浮かべ、部屋の入り口で立ち尽くしてルイを見ている。
「(あれ?この人、ベトールさんと同じ服だ……)お、おはようございます」
ルイは、引きつった笑みを浮かべ挨拶をした。
その言葉に、男は警戒した様子で口を開く。
「お、おはようございます……」
互いに、互いの出方を見るように、少しの間沈黙が続く。
先に動いたのはルイだ。
本を閉じ、ゆっくりと立ち上がると、男の着ている服を見て言った。
「その服、ベトールさんと同じですね」
「えっ?」
男はルイの不意の発言にたじろぎ、半歩後ろに下がった。
しかし、すぐに気を取り直し、乱れたミルク色の前髪をさっと直すと、冷静な口調で言った。
「ベトール君をご存じなのですか?」
その表情は警戒したままだ。
「えぇ。俺……(じゃない)、私は、この辺りの森で魔物ハンターをしているルイといいます。ベトールさんには、魔物のことでいろいろと、お世話になってまして……」
ルイは、こめかみを薄っすらと流れる冷や汗を拭った。
その言葉に男は怪訝な顔をした。
「そうでしたか……。いや、失礼。私は魔道院の魔道士、テオと申します。それにしても、なぜここに?」
それは当然の疑問だ。
魔道士の隠れ家は強い魔力によって入り口が封じられ、一見すると周りの大木と何ら変わりない。
何のために、どうやってこの隠れ家に入り込んだのか、普通の魔物ハンターに用のある場所とも思えない。
「あ、あはは……。え……と、たまたまここを見つけたというか……。ベトールさんに聞いたら、有名な魔道具士の隠れ家だそうで……。今は誰も使っていないみたいだったんで、この辺りに来たときに、……ト、トイレを使わせてもらってるんです。勝手に入ってすみません……」
適当な嘘を言って、ルイは苦笑したまま軽く頭を下げた。
(ルルアさんが管理してるとばかり思ってたけど、よく考えたら、それはベトールさんたちの推測で、実際のところわかってないんだよな。……もしかして、このテオって人が管理してるのか?……俺、不法侵入……)
ルイは顔が青ざめた。
テオは顎に手を当て軽く頷くとクスッと笑った。
「私に謝らなくてもいいんですよ。私も同じですから」
「へ?」
「私も、勝手に入っているんです。ここに」
テオはそう言うとニコッと笑った。
「そ、そうなんですか……」
ルイはその言葉に、思わずその場にヘロヘロとへたり込んだ。
(うぅ、思ったより緊張してたっぽい……)
ルイは力なく宙を見た。
「大丈夫ですか?」
テオがサッとルイのそばに寄り、その肩を支える。
「(くっ、何だ、この人、紳士っぽい動き)……す、すみません」
ルイは引きつった笑みをテオに返すと、無意識にその手を借りて立ち上がった。
手が触れた瞬間。
内在する魔力の波動を感じる。
(このテオって人、相当魔力が強いな。俺と同じ……?いやそれ以上か?油断できねーな……)
立ち上がったルイの横で、テオが周りの本棚を見回して言う。
「すごい本の数でしょう」
「そ、そうですね」
「ここは魔道具の研究をされていた魔道士様の隠居部屋だったのですよ。晩年はこの大木の部屋で、紋様に関する研究をされていたようですね。ここにはそう言った研究書が多いのは、そのせいなのでしょう」
テオの表情が、警戒したものから穏やかなものに変わっている。
「そうなんですか……」
ルイはそうつぶやくと、先ほどまで読んでいた本の表紙を見た。
「何か、興味の惹かれる本がありましたか?」
「え、えぇ……。これ……」
ルイはテオに本の表紙を見せるように手に持った。
「“紋様と幻獣”……なるほど。その本には幻獣の見分け方も載っていますからね。魔物ハンターさんなら、幻獣か否かは死活問題でしょうからね」
テオはそう言うとニコッと微笑んだ。
「そ、そうですね……(幻獣だと死活問題?)」
テオは何か思い出したような様子で、つぶやくように言った。
「あぁ、そうだ。魔物ハンターさんなら、いろいろと魔物を追っていらっしゃるだろうから、もしかしたらご存じかもしれませんね……――」
そしてルイに向き直り言う。
「――ルイさん、この辺りの森でウスペンスキー亜型を見かけたりしませんでしたか?」
「亜型?い、いえ……。私が魔物ハンターになったのは最近なんで……。先月の青空市の見世物小屋で見た以外、森の中では見たことがないですね……」
ルイは困ったように笑って言った。
「そうですか……」
ルイはマ・ブーナの巨木の根元で拾った、魔物調査の資料に書かれていたことを思い出した。
(亜型は死体を残さず消える……。まぁ、元がデータだからな)
幻獣が、魔物ハンターにとってガッカリするということは、幻獣からは魔物ハンターの生業である、魔物の素材が得られないということだ。
(要するに、幻獣も死体が残らないってことか。ふーむ。ということは、コウモリダンゴは幻獣扱い?)
「あのう、亜型は幻獣なんですか?」
ルイは何気なく尋ねた。
「ん?……うーん」
テオはそううなると、難しい顔をして宙を見つめた。
(えっ?お、俺、なんかマズイこと聞いた?)
何かを考えているテオの横で、ルイは気まずそうに苦笑いをした。
「本物も、幻獣もいますよ。ただ……、“いました”というのが正しいかもしれませんね」
「いました……?」
「えぇ。どちらも最近はまったく出現報告がありませんし、私が調べた範囲でも、その魔力の気配すら感じませんでしたからね……。ベトール君たちが調査してくれたこの森の報告を見ても、やはり確認できなかったようですし……」
テオはそう言うと、少し肩を落とした。
ルイにはそれが、ひどく落胆したように見えた。
「……(コウモリダンゴと、その幻獣と本物の亜型がいるってこと……?)」
ルイは手に持っていた本をパラパラとめくった。
そして、幻獣の概略が書かれた最初のページを開く。
「……“幻獣”……。“濃度の濃い魔力による影響により具現化する。自然発生的に起こるが、その発生場所は極めて限定的……”。“主としてカロの森……”。“満月、または新月の夜に発生しやすい傾向……”。うーん、なんだか難しいな……」
ルイは顔をしかめた。
「要するに、満月か新月の夜に、カロの森で高濃度に魔力が溜まっていると、その付近にいる魔物の分身が出来上がってしまうということですよ」
「そ、そうなんですか……(そういえば、この辺り、この前までものすごい魔力の吹き溜まりになっていたな……)」
「今夜は新月ですからね……。魔力が溜まっていたら幻獣が生成されてしまう可能性があります」
テオはそう言うと、部屋の隅に片付けられた大きな魔晶石を見た。
ルイもそれに視線を移し、ハッとしてすぐにテオを見る。
「も、もしかして、ここにあった魔力を集める紋様を動かしたのって……」
「……ご存じでしたか」
テオはそう言うと淡い笑みを浮かべ、ルイを見た。そして続けて言う。
「この隠れ家の魔道士様が放置して行った巨大な魔晶石と、それに魔力を充填する魔法円がずっと起動したままになっていましてね。前々から、この隠れ家の魔晶石のことは気になっていたのですよ。この辺りに高濃度の魔力の吹き溜まりができていましたからね。……ですが、少し前にどういうわけか一度魔力が低下しましてね……――」
(ひっ!やばっ!この間のディルメイを助けたときのことか!?)
ルイは魔力を吸収する魔法円を放ったことを思い出した。
「――それでも、魔法円は魔力を集めることを止めませんから、すぐに魔力が溜まってきてしまいます。それに今夜は新月ですからね……。危険な幻獣が生み出される前に、要因を取り除こうと思いまして」
テオはそう言いながら、魔晶石の近くに寄り、それに手を触れた。
「で、でも、コウモっ――」ルイは首を横に振って言い直した。「――ウスペンスキー亜型の幻獣を探すなら、魔力が高濃度の場所で、幻獣として出現したところを捕まえた方が早いんじゃ?」
その言葉にテオが軽く首を横に振る。
「幻獣が出現するためには、その幻獣の元になる魔物が付近にいる必要があるのです。……残念ながら、突然変異体であるウスペンスキー亜型は、調べた限りではおそらくもう……」
テオは少し曇った顔をして視線を落とした。
ルイが取り繕うように言う。
「で、でも、もっと範囲を広げて探せば、もしかしたらどこかに1匹くらいは……」
テオは暗い顔をして再び首を横に振った。
「魔物ハンターの方なら、ご存じかとは思いますが……。ウスペンスキー自体、魔物化してからの寿命は約半年です。――」
(へっ!?そ、そうなの?そんなこと知らねーし……)
ルイは少し焦って、引きつった笑みを浮かべた。
「――半年に満たなくても、遠くに飛んで根を下ろせる場所を見つけたら、地面に着地した段階で魔物としての役目は終えます。……ただのマ・ブーナの実に戻るわけです」
「……は、はぁ……(や、やばい。知らないことが多すぎて、魔物ハンターっていう肩書の嘘がバレそうで怖い……)」
「ましてや亜型は、天候の影響で未完熟なものが魔物化した突然変異体です。一昨年に現れてから約二年。亜型の寿命がどのくらいあるのかは推測の域を出ませんが、ウスペンスキー自体の寿命に準ずる可能性は高いでしょう。そう考えると、幻獣が残っている可能性は否定できませんが、まず、本体が現存していることはないでしょうね……」
「そ、そうですよね……」
ルイは話を合わせるように、苦笑いをして言った。
テオは目を細めて、じっと魔晶石を見つめた。
そしてつぶやくように言う。
「幻獣の研究は、実はあまり進んでいないのですよ。魔道院獣魔課のバルキエルさんが熱心に研究を行っていますが……――」テオが、ルイの持つ本を指さす。
「――その本を書かれた方ですね」
「へっ?そ、そうなんですか」
ルイは持っていた本を確認するように見た。
(これを書いた人……)
「そもそも幻獣自体、発生率が低いうえに、魔物ハンターが、幻獣とわからずに狩ってしまうこともありますからね。なかなか優良な一次資料に当たれないというのもあるようです」
「へっ!?魔物ハンター……」
ルイは焦って顔が引きつった。
「あ、これは失礼。ルイさんではなく、一般的な魔物ハンターにそういう方が多いということです」
テオは気まずそうに笑った。
そしてルイに向き直り、あらためて言う。
「失礼ですが、あなたは一体どういう方なのでしょうか?」
「へっ?」
不意の問いに、ルイは動揺した。
「ただの魔物ハンターとは思えません……。先ほど……、手を触れた時、あなたから伝わった魔力の波動が、あまりにも純粋なもので……」
「へぇぇっ?……じゅ、純粋……?(俺が?)」
ルイは思わず赤面した。
「あっ、これは失礼。その、変な意味ではありませんよ。あなたから伝わった魔力の波動が、まるで無属性の魔晶石のように、どの属性にも振れていないので驚いたのです」
テオはそう言うとニコッと微笑んだ。
「そ、そうなんですか……」
ルイは気まずそうに頭を掻いた。
(この人も、俺と同じように魔力の波動が読めるのか……。しかも、属性までわかるなんて……。魔力に属性があるなんて知らなかったし……。まずいな。今度からはもっと気を付けないと……)
「たいていの魔道士は、どこかの属性に魔力が振れていますからね。かくいう私も無属性に近いですが、若干闇属性に振れていますし、ベトール君はああ見えて、完全に火属性ですからね」
「へ、へぇ……(ベトールさん……ああ見えてって、どう見られているんだろう?)」
ルイは苦笑いをした。
テオがルイの立っている本棚の前に、ルイと並ぶように立つ。
そして本棚に入っている本の背表紙を上から下まで、何かを探すように見た。
「そ、そう言えばテオさんは、ここには何を……、本を探しに?(この人も、勝手に入って来たって言ってたしな)」
「えぇ……。少し気になることがありまして。スコット様の資料の中に、手掛かりになるような書物があるのではないかと……」
そう言って難しい顔をし、本棚を注視する。
少しの間、テオは本棚に並んだ多くの本の背表紙を、一つ一つ確認するように見ていった。
そして棚の端に来ると、顎に手を当て軽くため息をつく。
「うーん、やはり幻獣に関しての本は少ないようですね……」
ルイも釣られるように本棚を見上げた。
テオがルイに向き直り言う。
「……ルイさんが持っているその本が、幻獣に関しては一番まとまっているようですね」
ルイは手に持っていた本の表紙とテオとを交互に見た。そして言う。
「何か、幻獣に関する調べものなんですか?」
その問いに、テオは少し困ったような笑みを浮かべ、本棚を見上げた。
「昨日、亜型が一匹見つかったという報告を受けましてね……」
「へっ!?」
ルイは驚いた顔をした。
テオがルイの隣に立つ。
「それが、……どうも私には、納得のいかない状況でして……」
「と、言うと……?」
「魔道院の魔道士の各面々が、ひと月かけて散々探して見つからなかった亜型が、この時期に見つかったというのも驚きましたし、何よりその出現場所もそうです」
「場所?」
ルイは首を傾げた。
「えぇ……。カロの森から連なる森とはいえ、森の中心からはあまりにも離れすぎているのですよ……。その本にもあるように、幻獣は濃度の濃い魔力がなければ発生しないのです」
テオはそう言うとルイの持つ本を差した。
「あー、森の端っこは魔力濃度が薄くなりますもんね」
ルイは、これまでの経験から思い当たる節を言った。
「そうです。幻獣が発生するほどの魔力濃度に満たないのです。それに、バルキエルさんの研究で、未熟な実が魔物化したマ・ブーナの巨木は、この隠れ家から少し北西に行ったところにあるものと、カロ屋から東に行ったところにあるものの二本だということが分かっています」
「そ、そうなんだ……(この近くにも、もう一本あるんだ……)」
ルイは本棚を見回した。
(こっち側の人たちも、こっち側の視点からコウモリダンゴの謎を解こうとしてるのか……)
ルイは本の表紙をじっと見つめ、顎に手を当てた。
(いっそ、俺の推測をこの人に聞いてもらったら、何か手掛かりを得られるだろうか?)
ルイは首を横に振った。
(いや、ダメだ!それじゃ俺が、異世界から女装してアクセスしてるってことがバレてしまう……)
「どうかなさいましたか?」
ルイの挙動不審な動きに、テオは首を傾げてルイを見た。
「い、いえ!なんでもありませんっ」
その声が裏返っている。
ルイはごまかすように、声を整えて言った。
「そ、その、捕まった亜型というのは幻獣……?なんですか?」
その問いに、テオは少し難しい顔をして、言葉を選ぶように言った。
「……おそらくそうでしょう。本物の亜型である可能性は、先ほどの理由からきわめて低いでしょうし……」
「ふむ。じゃぁ、青空市の見世物小屋にいた魔物も幻獣だったんですね……」
ルイは青空市で見た魔物を思い出すように言った。
テオが無言のままにルイを見ている。
「……」
ルイは首を傾げた。
「な、何か……?」
そう言って顔を引きつらせた笑みを浮かべる。
テオが何か閃いたような顔をし、少し考えるように視線を落とす。
「ふむ。ベトール君にお願いしようと思っていましたが……、ルイさんの方が適任かもしれませんね……」
そうつぶやいてルイをまっすぐに見た。
「へ?」
「ルイさん、今夜、お時間はありますか?」
不意の問いに、ルイは困惑したように言った。
「(こ、今夜?)え、えっと……、あると言えばある……かな?」
「良かった!それならぜひ協力をお願いしたいのです!」
テオはそう言うと、ルイの右手を両手で包むように握った。
「(ひぃ!)なっ、なんでしょう……?」
「あ、これは失礼」
テオはルイの手をやさしく離すと、魔晶石の置かれた部屋の隅を見た。
「意図的に幻獣を作り出します」
「へっう!?」
ルイは驚いて変な声を上げた。
「(ど、どういうこと?幻獣を作る?)……で、でも亜型の本物って、もういないんですよね?」
テオは魔晶石に触れると、片膝をついて魔晶石を確認するように見た。そして言う。
「そうです。幻獣が自然発生する場合には、どうしてもそのもととなる魔物の存在が必要です。ですが、高濃度の魔力と対応する魔法円、それに具現化させるイメージさえあれば意図的に作り出すことは可能なのですよ」
「そ、そうなんですか!?じゃ、じゃぁ……、今回見つかった亜型って……」
ルイの言葉にテオが頷く。
そしてゆっくりと立ち上がり言う。
「そうです。その可能性があるということです……」
ルイはテオの言葉に、ミヤビや“ルイ”が現れた時のことを思い出した。
テオの言う、意図的に作り出すことのできる幻獣の条件は、“ルイ”とミヤビが実体化した状況にきわめてよく似ている。
(イメージ、魔力、魔法円……。“ルイ”とミヤビが実体化できたのは、カロ婆の魔法円が強力な魔力を帯びているからか……。だとすると、3つの条件、すべてクリアしてるな……)
しかし、コウモリダンゴは同じ条件でも実体化はしなかった。
(やっぱり何かもう一つ条件があるんだ……。紋様とイメージを作ったのが同一人物……)
ルイはミヤビの言葉を思い出した。
(“術者は異世界側にいる”……。でも、大野は異世界側の人間じゃない……。最後の条件が違うのか?)
「ルイさん?」
テオが首を傾げてルイを見ている。
「あ、すみません……」
「今夜、お願いできますか?」
「(この人に協力すれば、何かわかるかもしれない……)わかりました。協力します」
「良かった」
テオはニコッと微笑んだ。
「で、でも……、本当に私でいいんですか?(さっきからこの人、ペラペラと機密っぽいことしゃべってる気がするんだよな……)」
「えぇ。あなたの魔力の波動が、信用するに足る人物であることを証明していますから……」
その言葉に、ルイは顔が引きつった。
「信用って……、買いかぶりすぎですよ……。(俺、中身男だし。でも、どこまで魔力から俺の情報が洩れてるんだ?……ま、まさか!?……俺が男だってバレてないよな?)」
ルイは引きつった笑みを浮かべてテオを見た。




