第26話 忘却の迷い人
魔道院塔の中層階。
良く磨かれた深い茶色の床、同系色の壁。
天井は高く、広々とした大きな部屋。
縦長の窓が等間隔にあり、南に面した側から薄いカーテン越しに日の光が淡く差し込んでいる。
その広々とした部屋に、比較的大きな木製の机が、左右に分かれていくつか並んでいた。その机で上紺や青、上赤の魔道士たちが仕事をしている。
一番奥の、壁を背にした一回り大きな机に、ミゲルが座っていた。
机の左後ろに置かれたポールハンガーに、ミゲルの濃紺のマントがかけられている。
ミゲルは難しい顔をし、机の上に広げられた大きな地図を見ていた。
「うーむ」
地図上を、位置関係を確認するように指でなぞり、ある一点で指を止める。
「亜型の最後の報告例が、フーナプラーナの東北東、約二十キロ……。しかも半年前の話……」
そう言って「はぁ」と、大きくため息をついた。
少しの間、何か考えるように宙を見ていたが、軽く頷いて、気持ちを切り替えるように広げられた地図を畳んだ。
そして、部屋の中を見回して言う。
「フレッド、少しいいですか?」
フレッドがその声に気付き、「はい」っと、返事をして、少し離れたところの机からミゲルのもとにやってきた。
「なんでしょうか?」
ミゲルは机の引き出しから一枚、メモ用紙ほどの大きさの質の悪い紙を取り出して言った。
「先日出してもらっていた、魔晶石支給の申請ですが、許可が下りましたので、魔道具課の倉庫に取りに行ってください」
フレッドは差し出された許可書を手に取った。
「はい」
それは数日前に魔法課の各支所から連名で依頼のきたもので、担当のフレッドが取りまとめて申請をしていた。
用紙を確認して言う。
「では、魔道具課に魔晶石を取りに行きましたら、そのまま各支所に配布してまいります」
「うむ。お願いします」
ミゲルはそう言うと、ため息交じりに再び地図を机に広げた。
フレッドはミゲルに軽く頭を下げ、自分の机に戻ると、何やら一式見繕い肩掛けのカバンにしまった。
そして、そのかばんを下げ、椅子の背もたれに引っ掛けていた青いマントを羽織ると、部屋の入り口にある掲示板に外出の印を書き、魔法課の部屋を出た。
魔道院地下、魔道具課倉庫。
青いマントを羽織った若い印象の女性が、倉庫の大きな扉を開けて、その前で足元に置かれた箱を整理していた。
「すみません、魔法課のフレッドです。魔晶石を取りに来ました」
フレッドはその女性に声をかけた。
女性は急に声をかけられ、少し驚いたように振り向いた。
高い位置で一つに結ったその明るい茶色の髪が揺れる。
「あ、フレッドさん。魔法課の依頼品ね。それなら、そこの箱に入っている魔晶石、全部よ」
そう言うと、その通路に並べられた、蓋の無い木製の箱の一つを指さした。
箱の中には、大きさが5センチから20センチほどの魔晶石がいくつかと、ひときわ目立つ30センチのものが1つ入っている。
「あ、これですね」
フレッドはその指示された箱を見た。
そして箱の前にしゃがみ、許可書と中身とを確認する。
(30センチの魔晶石……。よくこんな大きな魔晶石の許可が下りたな。どこの支所の依頼だろ?)
そのフレッドの様子を、女性はクスクスと笑って見た。
「フレッドさん、髪、ずいぶん短く切ったね」
「えっ……、あぁ」
フレッドは一瞬驚いた声を上げ、立ち上がった。
そして自分の髪を摘まんで、少し照れた顔をして言う。
「最近、暑くなってきたので少し短くしようと思ったんですが、予想以上に短くされてしまって……」
「フフ、似合ってるよ」
女性は微笑んで言った。
「ありがとう……。ソフィアさんに言われると、なんか、照れますね……」
フレッドは、はにかんだ笑いを浮かべた。
ソフィアは、すぐ足元の箱の中を確認するように言った。
「フレッドさん。魔晶石の配布、ナガールは入ってる?」
フレッドは、再度、許可書を確認した。
「えっと、入ってますね」
「じゃぁ、逓送を頼んでいいかな?」
そう言って、ソフィアは足元の箱から、少し厚みのあるA4判よりやや大きい大きさの小包を取り出した。
「なんですか?」
「ナガール支部の魔法課の、バスさんって人宛に、魔道二中のルルア様からの逓送便。……逓送は魔道士課の担当なんだけどね、今朝の逓送担当の人、これだけ忘れて行ったみたいで……」
「そ、そうなんですか……」
フレッドは、小包を受け取り、宛名書きを見た。
ソフィアが困ったような笑みを浮かべて言う。
「次の逓送は週明けになっちゃうでしょ……?送り主がルルア様じゃなかったら、それでもいいんだけどねー……」
「そ、そうですよね……。その逓送担当の人、これが知れたらテオ様にこっぴどく叱られそうですね……」
フレッドは苦笑いをして言った。
「じゃ、悪いんだけど、お願いするわね」
ソフィアはそう言うと、再び足元に並んだ箱の整理を始めた。
フレッドが付け加えるように言う。
「あ、それからソフィアさん。高速飛行のペンダント、ありますか?お借りしたいのですが」
その言葉に、ソフィアがフレッドを振り返る。
「ん、ああ、そうか。……ナガールまでは百キロ以上あるもんね、低空飛行のペンダントじゃ、一時間はかかっちゃうね」
そう言うと、ソフィアは倉庫の中に入っていった。
フレッドは通路から、倉庫の中を覗き込んだ。
二階層分ある天井の高い倉庫は、通路を挟んで大きな棚がいくつも並んでいる。
そこに、様々な道具や素材が、適度な間隔を持って置かれていた。
少しして、奥の棚からソフィアが、手に首飾りを持って戻って来た。
「はい、高速飛行のペンダント。利用者リストに名前、書いておいてね」
そう言って、青い色の羽のモチーフの首飾りを渡す。
「ありがとうございます」
フレッドはそれを受け取ると、さっそく首飾りを首から下げた。
ソフィアが腰に手を当て、通路から倉庫の中を見て言う。
「はぁ。私もルルア様みたいに出向したいわ。別に学校じゃなくてもいいし、魔道院以外ならどこでもいいんだけど」
フレッドはキョトンとした顔をした。そして不思議そうに言う。
「へぇ。意外ですね。他の支所に配属されてる人は、みんな魔道院に戻りたいって話をよく聞きますけどね」
その言葉に、ソフィアは少し気だるそうに言った。
「魔道具課以外の人はね、そうだろうね。でも、魔道具課は基本的に、ほとんどこの地下倉庫にいるんだよ。実験室もこの倉庫の奥だし。……一応、中層階に課の部屋はあるけど、課長ですら、そこにはほとんどいないからね。あーあ、学校の研究室みたいに、日の当たるところで仕事がしたいわー」
ソフィアは曇った顔をして、再び箱の整理を始めた。
フレッドは、倉庫の入り口にあるリストに名前を書き込むと、通路に置かれた箱の中から魔晶石を取り出した。
それを、持ってきた布袋に詰め、口を固く結ぶ。
ソフィアが、思い出したようにフレッドを見て言った。
「あぁ、フレッドさん。わかってると思うけど、そのペンダントでカロの森の上は飛ばないでよ。飛行高度が高いから、ソラスやウスペンスキーに襲われるからね」
ソラスはカロの森に昼間に現れる小型の魔物だ。
ウスペンスキーと同じ、高度の高い場所を縄張りとしており、鋭いくちばしと爪を持った鴉にも似た姿をしている。
「あ、はい。大丈夫です。では、魔晶石、持って行きますね。それから逓送も届けてきます」
フレッドは、そう言うと、魔道具の利用者リストに記名し、倉庫の前を後にした。
王都から北北東に約百キロメートル、ミュール国へ抜ける街道沿いにある大きな町ナガールは、シオウル山脈を北に臨む要塞の街だ。
シオウル山脈には多くの魔物が生息しており、魔物の王都襲来を未然に防ぐための最前線の拠点としての機能を持つ。
同時に、ジャノ山への龍狩りの拠点にもなっており、狩猟の時期には屈強な魔物ハンターがデグレード王国各地から集まる。
日が西に傾き始めた夕刻、フレッドはナガールの町の入り口に降り立った。
高い防壁で囲まれたナガールは、町の上空にも強力な防衛魔法がかけられており、王都同様上空から侵入することはできない。
高さ数メートルはある防衛塔を備えた頑丈な門。
その両側に鈍い銀色の簡易な鎧を着た門兵が、一人ずつ立っている。
フレッドは青いマントをなびかせ、その門に近づいた。
門兵たちは、青いマントと、その下に着た服が魔道院の魔道服だとわかると、一瞬引きつった顔をしたが、すぐに元の無表情さに戻り、フレッドに軽く頭を下げた。
フレッドは「ご苦労様です」と声をかけ、そのまま素通りで町の中に入っていった。
街の中心地に近い場所に、魔道院のナガール支所はある。
ひときわ目立つ大きな門構えの三階建て建物は、言われなければ魔道院の支所とわからないほど、ナガールの街並みに溶け込んでいた。
「お疲れ様です。王都魔法課のフレッドです。申請のあった魔晶石を届けに来ました」
エントランスで、受付と奥にいる獣魔課の魔道士にそう声をかけ、二階へと階段を上る。
二階は、通路を挟んで左が魔法課、右が魔道士課に分かれていた。
フレッドは二階でも、同様に声をかけた。
その声に、フロアにいた両課の魔道士が、軽く頭を下げる。
フレッドは通路を進み、一番奥の席にいるナガール支所の支所長へと挨拶をした。
「王都魔法課のフレッドです。申請のあった魔晶石を届けに来ました」
そう言って頭を下げる。
「フレッドさん、ご苦労様ですじゃ」
上紺の魔道服を着た、高齢のナガール支所長はそう言うと、フロアにいる上赤の魔道服の女性に声をかけた。
「ミラ、フレッドさんが魔晶石を届けに来てくれましたぞ」
「あっ、は、はい!……フレッド様。お疲れ様です」
そう言って、魔法課側の机に座っていたミラが、セミロングの赤い髪をなびかせ、慌てたようにフレッドのもとに近づいてきた。
「お疲れ様です。ナガール支所は、30センチの魔晶石でしたね」
フレッドはそう言うと、袋から、最後に1個残っていた大きな魔晶石を取り出した。
「はい、そうです」
ミラは慎重に魔晶石を受け取った。
そして確認するように見る。
フレッドはミラに尋ねた。
「すみません、バスさんはいますか?」
「えっ?は、はい……」
女性は一瞬フレッドを見ると、すぐに後ろの魔法課のフロアを見渡した。
「バス様は……、あ、あの窓のすぐ近くの席の“青”の方です。――」そう言うと再びフレッドを見て言う。「――呼んでまいりますので、少々お待ちください」
「いえ、私から伺います」
フレッドはそう言うと、女性の前を通り過ぎ、窓側にあるバスの机の近くへと移動した。
その男は中肉中背の三十代半ばといった年頃で、黒く長い髪を後ろで一つに結っていた。
「(あれ?バスさんって、出身、デグレードの国の人じゃない……?)す、すみません……」
フレッドは少し驚きつつも、バスに声をかけた。
「はい?」
バスは作業をしていた手を止め、フレッドを見た。
「バスさんですか?」
「はい、そうです」
「逓送便です。ルルア様からです」
フレッドはそう言うと、カバンから小包を取り出し、バスに手渡した。
「あぁ!ありがとうございます」
バスは恐縮したような笑みを浮かべ、小包を受け取る。
そして、さっそくその包み紙を開いて、中を確認した。
「失礼ですが、バスさんは、ご出身はどちらなんですか?」
フレッドはバスの様子をうかがうように言った。
「あ、あぁ……。よく聞かれるんですよ」
バスは“またか”と言ったような顔をすると、包み紙を畳みながら言った。
「それが、私もよくわからなくて。たぶんミュール国ではないかと皆さんおっしゃってくれるのですが、それも確信がなくて……」
「うーん?」
フレッドは疑問符を浮かべたような顔をした。
「あはは。恥ずかしい話、私は六年より以前の記憶がないんですよ……」
バスはそう明るく笑って言った。
「そ、そうなんですか、し、失礼しました。すみません」
フレッドは、その言葉に動揺して顔が引きつった。
(き、記憶喪失……?予想外……)
「フレッドさん、来たついでで悪いんじゃが、一つ魔晶石の設置を手伝ってもらえまいか?」
支所長は椅子からよぼよぼと立ち上がり、フレッドのもとにゆっくりと移動しながら言った。
「は、はい」
そのフレッドの返事に、ミラが明るい顔をする。
バスが言う。
「フレッドさんにも手伝っていただけるのなら、とても助かりますね」
そして立ち上がると、フロアを見回して言った。
「今、ナガール支所は、ご覧の通り魔道士がほとんど休んでおりまして……」
その言葉に、フレッドはもう一度フロアを見回した。
(……確かに、机の数よりも明らかに魔道士の数の方が少ない)
フロアにいる青属性は支所長とバスと魔道具課に一人いるだけで、残りは赤属性の魔道士が数人いるだけだ。
バスが続けて言う。
「先月あった魔物強襲で、王国軍だけでなく、魔道院ナガール支所からもだいぶ負傷者が出まして……。このナガールで応戦できたのは魔物全体の三分の一程度。残りは、一部はジャノ山の方に行ったと目撃がありましたが、ほとんどが王都に流れていったようで――」そしてフレッドを見る。「――あの数です……。王都も強襲で相当大変だったのではないですか?」
「え、えぇ。そうですね。王都では民間からも討伐隊を募って対応していましたね。……私も王都の上空に張られた防衛魔法の強化にあたっていたのですが、相当魔力を使ってしまいまして……強襲が収まった二日後くらいに、張っていた気が緩んだのか、丸一日寝込んでしまいましたよ……」
フレッドはそう言うと苦笑いをした。
ミラが、フレッドのそばに寄り言う。
「今、ナガールの町は、北側防壁の空中防衛結界が壊れたままの状態なのです。小さな魔晶石で簡易に細々と結界を張っていますが、この魔晶石利用の許可がようやく下りたので、これでやっと直せます」
ミラはニコッと笑って、抱えるように持った魔晶石を大事そうに持ち直した。
日がゆっくりと陰ってゆく。
防壁の影が足元に長く落ちる。
北側防壁の途中に設置された防衛塔の上。
「うん。いい具合に魔晶石がはまってくれました」
バスが、その四角い台座に設置された魔晶石を見て言った。
「空中結界も、これでようやく元通りです」
ミラが塔の上から空を見上げて言った。
「フレッドさん、おかげで予定よりも早く結界の修復が終わりましたよ。ありがとうございます」
バスはそう言うと、フレッドを見てニコッと微笑んだ。
「いえ。ナガールも相当被害を受けているという報告は聞いていたのですが、ここまでとは……」
フレッドはそう言うと申し訳なさそうに、町を囲む防壁を見た。
修復途中の防壁は、まだ、ところどころ崩れ落ちたままの状態だ。このまま同じ規模の襲撃が起きれば、たやすく突破されてしまうだろう。
「一刻も早い修復が望まれますね……」
フレッドはそう言うと大きくため息をついた。
ナガール支所に戻ったミラが、支所長に報告をする。
「おかげで、早く作業を終えることができました」
報告を聞いた支所長が、フレッドに言う。
「ありがたいことですじゃ。フレッドさんにはだいぶ時間を取らせてしまい、申し訳ないことですじゃ」
そして、フレッドに軽く頭を下げた。
「い、いえ。同じ魔法課の魔道士ですし、今日はこのまま直帰する旨をミゲル様に呪符通信で伝えましたので、問題はありません」
フレッドがそう言うと、支所長は少し曇った顔をして言った。
「……足止めさせておいてなんじゃが、この時間からの移動は控えた方がよいかもしれませぬぞ……。最近、ナガール周辺で妙な噂が立っておりましてのぅ……」
「噂?」
フレッドは訝しげな顔をして言った。
「えぇ。……まぁ、フレッドさんなら大丈夫かとは思いますが、何分万が一ということがありますゆえ……」
「は、はぁ……」
フレッドは、支所長の言う話の状況がいまいちピンと来ていない様子。
バスが補足するように言う。
「未確認の情報なので、まだ王都魔道院に報告はしていないのですが、シオウル山の辺りから、ナガールのかなり西の方で、魔物を従えたフラガ国の魔道士のような人物を見たという噂が出ているんですよ」
「えっ!?フラガの!?」
フレッドは驚いた顔をしてバスを見た。
「フラガの連中は、シオウル山脈の魔王ジニマルが大人しいことをいいことに、最近シオウル山で何やら動いているという出所不明の話もありますし、私も、王都に戻るのは明日の夜明けを待った方が安全かと……」
バスはそう言って、難しい顔をした。
「うーん……、そ、うですか……」
フレッドはバスの言葉に、手を顎に当て、少しの間考えるように視線を落とした。
(そんな噂が出ているなんて……。呪符通信でミゲル様に相談して、明日少し調べてみることを許可していただこう……)
ミラが考え込んでいるフレッドを見て言う。
「フレッド様、それではお泊りはどうします?ナガール支所の仮眠室をお使いになりますか?それとも、街の宿にお部屋を取りますか?……もし、街の宿にお泊りになるようでしたら、今すぐ手配をいたします」
「あ、あぁ……。そうですね……」
その歯切れの悪い返事にバスが言う。
「よかったら、私の家に泊りませんか?魔道院が借り上げている家なのですが、一人暮らしには広すぎまして……。宿を取るにも、今年はジャノ山の龍狩りの解禁が早まったせいで、ここ数日のうちに宿泊費が2、3割上がっているようですし、仮眠室は寝心地がいまいち……ですからね」
そう言って苦笑いをした。
「いえ、宿泊費の方は大丈夫です。事後でも経理に申請できますから」
フレッドは、軽く微笑んで言った。
町は薄暗さを増し、空がゆっくりと夜の色へと変わる。
ポツポツと明かりの灯り始めた目慣れぬ街並みを、フレッドは珍しそうに見て歩いていた。
「王都とは違い、街の色が全体的に薄茶色……。使われている石レンガの色の違いかな?」
フレッドがつぶやいた。
「そうですね。王都はどちらかというとグレーっぽいですからね」
隣を歩くバスが言った。
「バスさんは、王都にはよく来られるのですか?」
フレッドが尋ねると、バスは少し遠い目をして言った。
「去年、魔道院に入って、このナガール支所に配属になるまでは王都に住んでいたんですよ」
「そうだったんですか……」
表通りから一本裏通りに入った小さな路地の角、バスがそこで足を止める。
「あ、ここです。私の家」
見れば、二階建ての薄茶色の建物。
「大きいですね」
「えぇ。部屋の数もかなりありますから、遠慮なく泊まってください」
バスはそう言うと玄関のドアを開けた。
「バスさん、お世話になります」
フレッドは、少し申し訳なさそうにバスの家に入った。
広々とした玄関ホール。
正面に、いくつかのドアと、二階へ続く階段があった。
「おかえりなさいませ」
メイド服を着た、かなり年配の女性が出迎える。
「ただいま。メムさん、こちら、王都魔道院のフレッドさんです。今夜うちに泊まりますので、よろしくお願いします」
「はい。かしこまりました」
メムはフレッドに軽く頭を下げ、階段の横にある通路を奥へと歩いていった。
一階の一番大きな部屋。
フレッドは部屋を見回した。
応接用のイスとテーブルが中央に置かれている。
「どうぞ、座ってください」
バスが笑顔で言う。
「ありがとうございます」
フレッドはバスの示した椅子に腰を掛けた。そしてドアを振り返る。
「先ほどの方は、メイドさん?」
「えぇ。家が広いので、一人暮らしですと掃除などがままならないんですよ。それでこちらに赴任した時に、早々に雇い入れまして……。食事も作ってくれますし、ナガールは王都と違い人件費も安いので助かりますよ」
そう言うと、バスはフレッドの向かい側の椅子に座った。
少しして、メムがティーワゴンでお茶を運んできた。
バスが、その出されたティーカップに手を添えて言う。
「龍狩りのハンターや商人で、宿が埋まることは毎年なのですが、まだ時期が少し早いので、空きがあると思ったんですけどね……。まさか、防壁修理の人たちで安宿まで埋まっているとは……。近隣の村からも修理に来ているという話は聞いていたのですが、王国軍はだいぶ人手を集めたようですね」
そして苦笑いをする。
「そうですね。かなりの強襲でしたし、王都でも外城壁の修理が急ピッチで行われていますよ」
フレッドは、テーブルの上に出されたティーカップを見つめた。
そして、思い出したように言う。
「そう言えば……。失礼ですが、バスさんは……なぜ記憶喪失に?」
その言葉に、バスは照れたように笑った。
「やっぱり気になりますか?いや、よく聞かれるんですよ」
「す、すみません……」
フレッドは申し訳なさそうに言った。
「いえ。構いませんよ」
バスは一口お茶をすすると、続けて言う。
「六年くらい前、私はシオウル山の魔物に襲われていたところを、デグレード王国軍の山岳警備部隊に助けてもらったんですよ。ちょうどシオウル山脈の峠道、ミュール国へ抜ける国境に近い辺りです。私の記憶がある中で、一番古いのがそれなんです」
バスはそう言うと、逓送で届けられたルルアからの品物をテーブルの上に置いた。
「ということは、やはりバスさんはミュール国の方なんでしょうか……?」
フレッドは少し訝しげな顔をして言った。
「うーん。“ミュール国からシオウル峠を越えて、デグレード王国領に入ったはいいが、シオウルの魔物に襲われて、その時に記憶を失った……”状況を考えたらそう推測できますね。山岳警備部隊に助けてもらったところは覚えているのですが、その後、気が付いたら王都の魔道院医療棟にいまして……」
バスは少し恥ずかしそうに言った。
「へぇ……。では治療を受けていたわけですね」
「えぇ。魔物に襲われた怪我がひどくて、ひと月ほど、入院生活でお世話になりましたよ。その時に私の魔力がかなり強かったので、魔道士課の方にデグレードの魔道階位でどのレベルになるのか調べていただいたんです。そうしたら“上紺”という結果が出ましてね」
その言葉にフレッドは少し驚いて、バスの着ている魔道服を見た。
「でも、バスさん。今着られているの“青”ですよね?一階級下……?」
バスは頭に手を当てて、恥ずかしそうに笑って言った。
「あはは。私は魔力が強いだけで、記憶が無いこともあって、魔法の基本知識があまりないんですよ。魔道第二中の後期課程を1年と、魔道高等学校に1年、それから魔道院学校の院生として1年勉強させていただいて、そして昨年、魔道院に入ったという事情がありまして……。ですから、魔法経験が新人さんよりも少ないんですよね。そう言うこともあって、魔道階位が“青”になっているんです」
「……なるほど」
フレッドはため息交じりに、椅子の背にもたれた。
「私は結構魔力が強かったので、魔道院の方から、ミュール国に該当する魔道士がいないか、問い合わせていただいたりもしたのですが……、該当なしという結果をいただきまして……。まぁ、デグレード王国が、居心地がいいので……、と言っても以前の記憶はないんですけどね、最近はもう、昔の記憶は思い出さなくてもいいかなと思っているくらいでして」
バスはそう言うと、机の上に乗ったルルアからの品物を虚ろに見た。
「そういえば、それは何ですか?」
フレッドが少しテーブルに前のめりになって、ルルアからの品物を見た。
それは横幅30センチほどの大きさの長方形の木の枠で、枠の幅は3センチほど。その枠にぎっしりと魔法紋様が描かれている。
「あぁ……、これですか――」
バスはそう言うと、フレッドに見せるように枠の角を持ち上げた。
「――これは、記憶をたどる魔道具です。同じものを二年ほど前にもルルア先生にいただいたんですが、それは壊れてしまいまして、それで、また送っていただいたんですよ」
その言葉に、フレッドは顔が引きつった。
(“また送ってもらった”って……。ルルア様に借りを作っている……。大丈夫かな、バスさん……)
バスは木の枠を、裏に返したり表に向けたり、確認するように見ている。
「ただ、これ、使い方が難しくて……。これの他にもう一つ、魔法紋様が必要で」
そう言うと、バスは困った顔をして額を掻いた。
「……記憶、戻らなかったんですか……?」
フレッドがつぶやくように言った。
その言葉に、バスは軽くため息をついた。そして言う。
「これは記憶を戻す道具というよりは、かつての記憶をこの枠の中に映し出すという感じでして……。ですから、この中に映ったものを見ても、いまいちこれが自分のことなのか実感がないというか、本当に自分の記憶なのか疑う部分もあったり。……それに、これの他に使う魔法紋様によっては、記憶をたどるどころか、全然違う結果になることもありまして……――」そう言うと、急に何かを思い出したように照れて笑った。「――あはは!いや、これを使った二年ほど前は、ひどい目にあいました」
「な、何かあったんですか?」
バスの様子に、フレッドは引きつった笑みを浮かべて聞いた。
「いや、大したことはありません。使う紋様を間違えただけなんです。……私、王都に住み始めて最初の年に、うっかり夜中にカロの森に入ったことがありまして、そこでウスペンスキーに追いかけられたんです。その時の記憶が、鮮明にこの箱に映し出されてしまいまして!あはは」
「そうなんですか……」
フレッドは苦笑いをした。
コンコンコンと、ドアのノックする音。
「はい」
バスが返事をする。
ガチャリとドアを開けて、メムが入って来た。
「失礼します。お部屋の準備が整いました」
そう言うとメムは軽く頭を下げた。
バスが椅子から立ち上がり言う。
「フレッドさん、では今夜はゆっくりしていってください。夕飯の支度が出来ましたら、お呼びしますね。私は着替えてきますので、少し失礼しますよ」
そう言うと、バスは部屋を出て行った。




