第22話 探し物は魔物ですか?(4)
――その日の夕方
「こんばんは」
五番通り側のガラスドアを開けて、類が『カロ屋』の店の中に入って来た。
濡れたビニール傘をガラスドアの横に立て掛ける。
先客なのか、もう1本、濡れた紺色の傘が同じように立て掛けられている。
「先輩、お疲れ様です」
店の中には、カウンターの前に、スーツを着た翔太が仕事用の大きなカバンを抱えて立っていた。
その表情が心なしか暗い。
その向かい側から、茂がカウンターに腕を付き、類を見て言う。
「おう、お疲れさん」
「アリサは?」
類は翔太と茂の横を通り、休憩室を覗いて言った。
「まだ帰ってきてないぞ。今日は、少し遅くなるとか言ってたな」
茂が類を振り向いて言う。
「ふーん」
類は休憩室の時計を見上げた。
時刻は18時少し前。
類は休憩室と店側の間から翔太に言った。
「翔太、データありがとう。今、少し時間ある?」
「え?ありますよ」
翔太は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニコッと笑った。そして続けて言う。
「ちょっと待ってください。補充すぐに終わりますから」
そう言うとカウンターに乗せたタブレット端末を操作した。
類は作業台の前に移動すると、その椅子に座り、パーカーのポケットから携帯電話を手に取った。
「まだ、雨が降っているのか?」
茂が類に言う。
「うん。降ってるね。今夜は止みそうにない感じだよ」
類は携帯電話のメールを確認しながら言った。
(あ、アリサからのメール、今気付いたわ……。確かに、帰宅、6時過ぎるって書いてあるな……)
類は大きくため息をついた。
「翔太君も、雨が降ってるってのに、今日は遅い時間で大変だね」
翔太の様子を見て、曇った顔の茂が言った。
「いえ、大丈夫ですよ。カロ屋さんは、うちの会社から比較的近いですからね」
翔太は苦笑いをして言った。
類は、白い目で翔太を見た。
(補充の時間を遅くしたのは、アリサが狙いだろ!)
「類、ちょっといいか?」
茂がカウンターから、類に“休憩室に来い”というような目配せをして言った。
「う?うん」
類は立ち上がり、茂の後に続いて休憩室に入った。
普段は閉めない休憩室のドアを珍しく閉め、茂が小声で言う。
「類、お前、翔太君に何か用があるのか?」
「あ、うん。そうだね。ちょっと聞きたいことがあってさ……」
その答えに茂は難しい顔をした。
「なるべくすぐに帰ってもらえよ。アリサの話じゃ、この杖と板を取りに、異世界側から客が来るっていうからよ」
茂はそう言って、休憩室のテーブルに置かれた杖と板を指した。
「あ、ベトールさん?アリサが連絡したの?」
「その、名前まではわかんねーけどよ。たぶんそろそろ来るはずなんだ。組子障子の戸を外すわけにもいかねーしよ……」
類は曇った顔で宙を見た。そして少し考えて言う。
「うーん……。じゃ、翔太とは休憩室で話をするよ。そして帰りも玄関側から出てもらったらいいかな。そうすれば、異世界側とは鉢合わせしないで済むはず……」
その答えに、茂は難しい顔をして頷き、杖と板を手に持った。
「そうだな……。じゃあ、翔太君はお前に任せたぞ」
そしてドアを開け、店側に戻る。
類は、休憩室から店を覗いた。
カウンターの前に、補充を終えた翔太が気まずそうな顔をして立っている。
「翔太、終わった?」
「あ、はい」
「ちょっとこっちに来て」
類がそう言うと、翔太は大きなカバンを抱えて休憩室に入って来た。
「お、おじゃまします……」
類が休憩室と店とを分かつドアを閉める。
「先輩、どうしたんですか?ここ、スタッフルームですよね?」
翔太が休憩室を見回して言った。
「う、うん。まあ、座って。コーヒーでいい?インスタントだけど」
類は、休憩室の椅子を指し言った。
そして流し台に向かい、マグカップにインスタントコーヒーを入れる。
「あ、ありがとうございます」
翔太はカバンを抱えて、玄関側に近い方の椅子に座った。
カップにお湯を注ぎ、かき混ぜながら類が言う。
「今日、アリサの知り合いのレイヤーさんが店に来る予定なんだ」
類は、万が一異世界側の人間に会ってしまった場合の保険をかけた。
「レイヤーさん?」
「あぁ。うちの店、扱っている物が物だけに、たまにコスプレしたままで来る人がいるからさ」
そう適当なことを言って、コーヒーの入ったマグカップを翔太に差し出す。
「あー!そういうことですか。そう言えば、以前もそんな方いましたもんね。髪が緑色でびっくりしましたよ」
「そ、そうだっけ……?(緑の髪?誰だ?ルルアさんか?)」
類は引きつった顔をした。
翔太はマグカップを両手で挟むように持ち、テーブルの横に立つ類を見て言った。
「それから、見ましたよ!カロ屋のホームページ。カロ屋さん、コスプレ推しみたいですもんね!」
「えっ?」
「あのトップページの可愛い子は誰なんですか?モデルさん?」
その言葉に、類は“ルイ”で写真を撮ったことを思い出した。
(叔父さん、あの写真をトップにしたのか……)
思わず赤面して顔が引きつる。
「し、知り合いの、れ、レイアーさんだっ」
類は挙動不審に答えた。
「あのトップページの子のコスプレ、シイちゃんですよね?そっくりでびっくりしましたよ!」
翔太は思い出したようにニコニコして言った。
「し?シイちゃん?」
「あれ?……あー!名前、先輩は何て呼んでいたかな?あのキャラ。前にエルデで作っていたMMOの……、ほら、津田さんが原図を描いたあのキャラですよ」
「ち、チャーシューのことか……」
類は焦って答えた。
「チャーシューって……。いや、確かにみんな、あのキャラのこと適当な名前で呼んでましたけど、それはちょっと(ひどい)……」
翔太はそう言って苦笑いをした。
「そ、そうか……」
類は動揺を抑えようと、持っていたマグカップを口元に当て、コーヒーを一口飲んだ。
「それでですね、先輩。この前アリサちゃんが持っていた“コウモリダンゴ”のストラップなんですけど」
「お、おう」
「あの後、著作権とか調べてみたんですけど、どうもエルデの著作権は消えてるみたいなんですよ」
「ん?どういうこと?」
類は首をかしげた。そして翔太の座っている椅子とは90度ズレる、壁に向かい合う側の椅子に座った。
「“コヒ森”のキャラって、主人公以外の主要なキャラは外注なので、著作権は外にあると思うんですけど、津田さんのキャラと、エルデでデザインしたキャラって、コウモリダンゴも含めて、エルデが倒産した後、誰も継承してないみたいなんですよね」
「そ、そうなのか?」
「だから、あのコウモリダンゴの著作権も消えているんですよ。まぁ……、モデラーの大野さんに聞いたんですけど、コウモリダンゴはもともと誰かがパワポで適当に描いたキャラらしいので、著作権なんて微妙ですけどね」
「大野さん?」
「あぁ、エルデで僕と同期入社だったやつです。プログラマ志望だったのに、モデリングソフトが使えるというだけで、なぜかモデラーに回されちゃった変なやつです」
翔太は苦笑いをした。そして続けて言う。
「でも、アリサちゃんのお母さんが作ったコウモリダンゴのストラップ、可愛いですよね。カロ屋さんで売ったら、絶対売れると思うんですよね、僕」
不意に、ガタガタと玄関側で音がした。
類がその玄関側に通じるドアを見る。
(アリサか?)
その音に、翔太も後ろを向く。
玄関側のドアを開けて、疲れた顔のアリサが休憩室に入って来た。
「ただい……ま……!?」
そして目の前にいる翔太に、驚いた顔をした。
「アリサちゃん!おかえりー!」
翔太が満面の笑みを浮かべ言う。
「アリサ、おかえり」
「し、翔太さん!?……ど、どうして?」
アリサは背負っていたカバンを降ろすと、驚いた顔のまま類に手渡した。
類は無意識にそれを受け取る。
「この前、アリサちゃんに見せてもらった、コウモリダンゴのストラップ。あれ可愛いからさ、カロ屋さんで売ったら、売れるんじゃないかと思って。今、その話をしてたんだ」
「そ、そうなんですか……」
ジャージ姿のアリサは苦笑いをして答えた。
「それにしても、アリサちゃん。今日、遅かったね。お疲れ様。(ジャージかぁ!これはこれで可愛いなぁ)」
翔太は椅子から立ち上がり、アリサの前に向いて言った。
「うん、今週からクラスマッチの準備が始まったんですよ」
「え?早いね。もうそんな時期?」
翔太は少し驚いて言った。
「クラスマッチ自体は7月なんですけど、なんか準備は、もう始めるとか言って……。今日は、クラスでお揃いのTシャツを作るから、その打ち合わせです」
「へぇ……」
翔太が感心したように頷いた。
(俺……、なんでアリサのカバン持ってるんだ……?)
類は呆然とした顔でアリサの高校のカバンを見た。
「じゃ、着替えてくるんで」
アリサはそう言うと、類からカバンを奪うように持ち、そそくさと住居側に戻っていった。
「……アリサちゃん(今日も可愛いなぁ)」
閉められた住居側のドアを見つめて、翔太がつぶやくように言った。
コンコンコン
店側のドアをノックして、茂が入って来た。
「アリサは?」
そう言って休憩室を見回す。
「声が聞こえたと思ったんだが……」
「あぁ。今、帰って来たよ」
類が答える。
「そうか。その……、お客さんが来たからよ」
茂はそう言って、気まずそうな顔をした。
類も、その言葉に緊張が走る。
翔太が二人の様子を交互に見た。
「お店の方も、大変そうですね」
翔太はそう言うと、再び椅子に座り直した
「……」
茂はその様子に、顔を曇らせた。そして類に目配せをすると、「うーん」と、うなって、店側に戻っていった。
(まだ、翔太から肝心なことを聞いていないからな……)
類は苦笑いをした。
椅子に座り直し、類が難しい顔をして斜に座った翔太に言う。
「翔太、一つ聞いていいか?」
「なんですか?」
「エルデで、……その、魔物のデータがばら撒かれたのっていつぐらいかわかる?」
「いつ……、ですか?」
類の問いに、翔太は考えるように宙を見つめた。
「うーん。確か、僕がエルデを辞める前の年の、暮れくらいだったと思いますよ」
「だと、二年半前……か。ふむ。でも、誰がばら撒いたんだろうな……」
類は椅子の背もたれにもたれて言った。
「それが、大野さんともその話題になったんですけど、結局誰なのかわからなかったんですよね」
「え?でも、メールで送られてきたんなら、送信元のアドレスがわかるだろ?誰が送ったのか、すぐわかったんじゃないのか?」
類は怪訝な顔をして言った。
「普通はそう思うでしょ?でも、送信元がエルデの代表メールだったんですよ。だからあの時、社内で相当問題になっていたんですよね。しかもデータは、メール送信ができるくらい小さくなってましたし……。明らかに意図的ですよね。誰が送信したのか、結局わからずじまいで……。ほんと、変な話ですよ」
翔太はそう言うと、コーヒーをグイッと飲んだ。
「ふむ……」
類は大きくため息をついた。
(どんどんワケがわからなくなっていくな……)
トントントンと階段を下りる音がして、住居側に続くドアが開いた。
「ルイ兄、ベト……、お客さん来た?」
そう言ってアリサがテールに髪を結いながら入って来た。
「あぁ、来たみたいだよ」
アリサは、ひざ丈の台形スカートに、袖口と襟にフリルの付いたノーカラーのカットソーを着ている。
(いつものカーゴパンツじゃない、だとっ!?……よそ行きか?)
類はあきれた顔でアリサを見た。
「アリサちゃん、その服すごく似合ってるね!可愛い」
翔太が着替えてきたアリサを見て言った。
「あ、ありがとう」
アリサは適当に言うと、そそくさと店側のドアを開け、休憩室を出て行った。
翔太が視線でアリサを追い、その閉められたドアを見る。
類は、今度はあきれた顔で翔太を見た。
「先輩、じゃ、僕そろそろ……」
翔太はそう言うとカバンを抱えて立ち上がり、店側に続くドアの前に移動した。
類もあわてて立ち上がり、そのドアの前に立つ。
「今、店側はお客さんが来ているから、今日はそっちから出て」
そして玄関に通じるドアを指す。
「あ、いや、でも、傘が……」
翔太は困惑した表情を浮かべて言った。
類は顔を引きつらせた。
「(店の入り口にあったのは翔太の傘だったのか)……わ、わかった。俺が傘を取って来るから」
「いえ、大丈夫ですよ。自分で取りに行きます」
そう言ってドアノブに手をかける。
「俺が取って来るって言ってるだろ」
類は翔太の手を振り払うように、ドアノブに手をかけた。
「そ、そんな。傘くらいで先輩の手を煩わせるのは……」
翔太は再びドアノブに手をかけ、苦笑いをして言った。
類も苦笑いをする
(翔太め、素直に待っていればいいものを……)
(先輩。さてはアリサちゃんに会わせないつもりだな……)
たがいに苦笑いをしたまま、ドアノブを握る手に力を入れる。
(先輩、僕はこのドアから出て、アリサちゃんに挨拶をしてから帰りますよ……)
(翔太め、さっさと玄関側から帰ればいいものを。もう、帰社時間過ぎてるんだろうが!)
互いに逆方向に力を入れドアノブを握る。
「あら?二人とも何しているの?」
そこへ、キョトンとした顔のキヨが、住居側のドアから入って来た。
(ナイスタイミング!叔母さん!)
「あっ。い、いつもお世話になっております」
翔太が慌ててドアノブから手を離し、キヨに向けて軽く頭を下げた。
「キヨさん!翔太をお願い」
類はそう言うと、急いで店側のドアを開けて店の中に入り、すぐにドアを閉めた。
薄暗い店の中、慌てて入って来た類を、組子障子側のカウンター前にいたベトールが驚いた顔をして見た。
茂が焦ったように類を見る。
類は冷や汗交じりに苦笑いをして言う。
「べ、ベトールさん、こんばんは。いらっしゃいませ……」
ベトールはこの前と同じ、白いシャツに濃茶のズボンを穿き、濃紺のマントを羽織っている。
(今日は、ディルメイは来ていないんだな。ベトールさん、あのマントさえ着ていなかったら、普通の格好なんだけどな……)
「こんばんは」
ベトールは、軽く微笑んで類に挨拶をした。
その隣に並んで立っていたアリサがムッとした顔で類を見る。
(ルイさん……。同じ名前の男性の方ですね)
ベトールは少しがっかりした表情で類を見た。
類は、足早にガラスドア側に回り、翔太の傘を手に取った。
そして、すぐにカウンター横を通り過ぎ、休憩室のドアに手をかける。
その途端、手をかけていたドアが休憩室側から開いた。
そしてキヨとその後に続いて翔太が店側に入って来た。
「っ!」
類は顔が引きつった。
茂も、アリサも、同じように顔を引きつらせ、店に入って来た二人を見た。




