第21話 新しい客
薄暗い部屋の中。
閉められたカーテンの隙間から、外の明るさが伝わってくる。
「殿おー!お電話が鳴っておりますぞ!殿おー!」
ミヤビが、机の上に置かれた携帯電話の周りを走り回って騒いでいる。
類は布団の中、起きる気配を示さない。
ミヤビは机の上から類を見降ろした。
「えぇい、こうなれば!」
ミヤビは、携帯電話に付いている小さな猫のストラップを引っ張り、机の端に移動させた。そして、机の角に足を引っかけ、類めがけて落とそうと、さらに携帯電話を引っ張った。
その拍子に円筒になった胴体を滑らせる。
「おわっ!?」
そして、そのまま机の端に垂れるストラップにぶら下がった。
ブルルル、ブルルル
その携帯電話の振動に合わせて、ミヤビも一緒に震えている。
「殿おー!痺れまするー!」
類はその声に、虚ろに目を開けた。
ぼんやりした頭の中、視界に入ってきたのは今にも机から落ちそうな携帯電話だ。
「……ん?」
眠い目をこすり、もう一度机を見た。
「うわ!何やってるんだ!」
類は慌てて起き上がり、落ちそうになっている携帯電話を手に取った。
その拍子にミヤビが布団の上に転がり落ちる。
「うわわわわ」
「も、もしもし!?」
――「やっと出た。ちょっとルイ兄!何やってるの?早くお店に来てよね!」
電話の主はアリサだ。
怒った口調でそう言うと、すぐに電話が切れた。
「……えぇぇ」
類は布団の上で、唖然として携帯電話を見た。
表示は“通話終了”の文字。
そしてすぐに時計表示に切り替わる。
「……10時……20分!?マズイ!」
類は慌てて立ち上がると洗面台に走った。
「殿?」
その後ろをミヤビがついてくる。
洗面台の前、蛇口を上げて顔を洗う。
「殿、いかがなされました?」
ミヤビが洗面台の下、キョトンとした顔で類を見上げて言った。
「店番、9時半に約束してたんだ!完全に遅刻だっ!わっとっと」
慌てて髭を剃ったせいか、ところどころ僅かに顔が切れて血がにじんでいる。
類は適当に身支度を整えると、斜め掛けのカバンを背負った。
「ミヤビ!留守番頼む!」
玄関先でそう言い残し、類は部屋を飛び出した。
「まったく、ルイ兄は……。約束の時間守らないなんて、最低!」
カロ屋の店の中、カロ屋のロゴ入りのエプロンを着けたアリサが、作業台の前で小さな段ボール箱を組み立てながらぼやいている。
「まあまあ。類君もいろいろあるんでしょう。急にお店の手伝い、頼んだわけだし」
キヨがレジカウンターの内側のオフィスチェアに座って、カウンターに向かい何やら作業をしながら言った。
「今日は、お店の仕事いっぱいあるっていうのに、お父さんも急に異世界に行っちゃうし、お母さんは午後から商店街組合のお手伝いで出かけるんでしょ?」
アリサはムスッとした顔でそう言うと、組み立てた段ボール箱の山をレジカウンターの上に乗せた。
「そうね。午後は二人でお店の仕事、頼んだわよ」
キヨが穏やかに微笑む。
「うぅ……」
アリサは嫌そうな顔をして、再び作業台の前に戻った。
五番通りに面したガラスドアのドアベルが、カラコロと激しく鳴る。
「遅くなった!」
類が息を切らせ、慌てた様子で店に入って来た。
「ルイ兄遅い!」
アリサが作業台前から振り向いて言う。
その怒った形相に、類は引きつった顔をした。
「類君、おはよう。悪いわね。急にお店の手伝い頼んじゃって」
「あ、いえ。すみません。遅くなっちゃって……」
類は息を整えながら、頭の後ろに手を当てて、申し訳なさそうにキヨを見た。
「それよりルイ兄!気持ちの悪い物、お店に置いていかないでよね!」
アリサが類の横に立ち、レジ横に置かれた魔物の包みを指して言った。
キヨも、それを見て興味津々と言った様子で言う。
「これ、なんなの?魔物の実って書いてあるけど……」
「あぁ。それ昨夜、異世界の森の中のでっかい木に実ってたやつを、1つ取って来たんだ」
類はそう言うと、組子障子側からレジカウンター前に立ち、魔物の包みに手をかけた。
「大丈夫なの?そんな気持ちの悪い物」
アリサが顔をしかめて言う。
「たぶん、大丈夫だと思うよ」
類は包みを開けた。
魔物の実を見てキヨが言う。
「あら、綺麗ね。包みとも似ている色ね」
「何これ。でっかい丸茄子?」
アリサは首をかしげて言った。
「茄子って……。合ってるの、色だけじゃねーか」
類は、包みにしていた少し白っぽくなった魔物を丸めて、カバンにしまった。
「類君、ちょっと見せてね」
キヨはそう言うと、魔物の実を手に取り、観察するように見た。
類がカウンターに後ろ向きに寄りかかり、腕をついて言う。
「一昨日、魔物の羽を持ってきただろ?あの魔物がいた辺りに、ものすごいデカい木があるんだ。その木に実ってたやつなんだけどさ」
「面白いわね。色は茄子だけど、質感はひょうたん?に、似ているかしら?中はどうなっているのかしらね?」
キヨはそう言うと、魔物の実を両手で挟むように持ち、耳の横で軽く振った。そして続けて言う。
「何も音がしないわね」
類がキヨの様子を見て言う。
「俺は、みずみずしくない巨大なブルーベリーっぽいと思ったんだけどな」
「えー。茄子の方が似てるって」
アリサはそう言って、魔物の実を突っついた。
キヨが何か考えるように、魔物の実をじっと見ている。そして、目を輝かせて言った。
「類君……。これ、割ってみてもいいかしら?」
「え?あ、うん」
類がそう返事をすると、キヨは「ウフッ」と笑って魔物の実を持ち、休憩室へと運んでいった。
「あ、お母さん待ってよ」
その後をアリサが追う。
類も、アリサとともに休憩室に入った。
休憩室のテーブルの上、まな板に置かれた魔物の実。
それに向かってキヨが包丁を握っている。
「ウフフフ……」
キヨが薄ら笑いを浮かべる。
(お、叔母さん……。なんか怖いぞ……)
類はカロ屋のエプロンを着け、その様子を見て顔が引きつった。
「切るわよ……」
そう言うと、魔物の実を左手で押さえ、ヘタの部分に包丁を入れた。
そして縦に割るように、一気に包丁を降ろす。
魔物の実は、予想外にさっくりと真っ二つになった。
「あれ?意外に簡単に切れたわね」
魔物の実の断面は白みがかったブルーグレーで、メラミン樹脂製のスポンジのような見た目だ。そしてヘタのすぐ内側の実の上部の部分に、鶏卵くらいの大きさの黒くてやや縦長の丸い種が3つ、放射状に付いていた。
「何これ……――」アリサが気味悪そうに、魔物の実のブルーグレーの部分を指で突っつきながら言う。「――スポンジみたい」
「もう少し果物っぽいのかと思ったけど、なんだか冬瓜みたいね。食べられるのかしら?」
キヨは期待外れとばかりに首をかしげて、実の断面を見た。
「うーん、ルルアさんに訊いてみないと……。こういうのは毒があるかもしれないし」
「じゃあ、そんなもの持ってこないでよね」
アリサは類を見て、あきれたような顔でそう言うと、店側に戻っていった。
魔物の実をじっと見ているキヨに、類が半分になった実を指さして言った。
「叔母さ……(じゃなかった。叔母さんにも名前で呼んでくれって言われたんだったな。くぅ……)――」そして少し照れたような顔をする。「――キ、キヨさん。これ、どうしよう?」
「そ、そうね。このまま捨てるのももったいないし、ルルアさんに食べられるかどうか聞いて、それからかしらね」
キヨはそう言うと、魔物の実をラップに包み、休憩室の冷蔵庫の中に入れた。
「とりあえずこれでいいわね」
満足そうに冷蔵庫を見て、キヨは頷いた。
作業台の前、注文票を片手にアリサが箱詰めの作業をしている。
その向かい側に座った類が、中身と納品書を確認し、梱包する。
「今週は、ずいぶん発送が多いな」
類が梱包の終わった箱に送り状を乗せ、カウンターの上に運びながら言った。
「連休の時に入った注文が、少し遅くなっちゃってね。まとめて発送することになったのよ」
キヨは類から梱包された箱を受け取ると、注文票と送り状とを最終確認して、発送準備の出来上がったものを台車に乗せた。
作業台前に戻った類に、アリサが耳打ちして言う。
「ほらこの前、青空市に行ったでしょ?あの時の激マズサンド……――」横目でキヨの様子をうかがう。キヨは、レジカウンターの内側で後ろを向いて、パソコンの画面内の注文を確認している。「――あれをさ、お母さんが作り直したんだけどね。それを食べたお父さんが寝込んじゃって!具合が良くなるのに三日かかったんだよ」
アリサはニヤニヤと笑った。
「そ、そうなんだ、あはは……(やっぱり、か)」
類は苦笑いをした。
「それのせいもあって、発送が遅れてるんだよねー」
アリサはニヤニヤした顔のまま、梱包材を箱に詰めた。
ガラスドアのドアベルがカラコロと鳴った。
その音に、アリサと類はドアの方を見た。
「こんにちはー」
そう言って入ってきたのは翔太とエリだ。
「えっ?あ?いらっしゃい」
類は驚いた顔で、慌てて立ち上がり言った。
「あ、いらっしゃいませー。……昨日はお世話になりました」
アリサもすぐに立ち上がり、軽く微笑むと、二人に社交辞令のように挨拶をした。
「昨日はどうも!楽しかったよー」
翔太はそう言って、アリサに揚々と近づくと満面の笑みを向けた。
「あら?翔太さん、いらっしゃい」
カウンター越しにキヨが、入って来た翔太を見て言った。
その声に、翔太はカウンターを振り返り挨拶をする。
「あっ。いつもお世話になっております」
キヨが少し驚いたような顔をして、翔太とすぐ横にいるエリとを交互に見た。
「あら?あらら?もしかして?」
翔太はその視線に焦った顔をした。
「こ、こっちは会社の同僚の佐々木です。同じ部所なんで……。か、彼女ではないですよ」
キヨの視線を察したかのように、すぐに否定をする。
「佐々木です。お世話になっております」
エリはそう言って、キヨにぺこりと頭を下げた。
「あらー、同僚さんなのね。こちらこそ、お世話になっております」
キヨは少し残念そうにそう言うと、エリに軽く頭を下げた。
類が二人を見て、引きつった顔で言った。
「え?なんで……?」
エリが類を向いて、少し恥ずかしそうに言う。
「あの、梅原さんから、類先輩がお店を手伝っているっていう話を聞いて……。それで来ちゃいました」
そして照れたように微笑んだ。
「そ、そうなんだ……」
「アリサちゃん、なんだか忙しそうだね」
翔太が店の中を見回して言った。
「うん。ネットからの注文分を梱包してるんですよ。明日、発送なんで。それに新しく仕入れた商品の整理も終わってなくて。だからお店の中、ちょっとごちゃごちゃしちゃってて」
アリサは苦笑いをして言った。
「少し見せてもらってもいいですか?」
エリが類に言う。
「どうぞ」
類は気まずそうな顔で、頷いて答えた。
エリが五番通り側のスチール棚の商品を見ている。
翔太が、作業台前で段ボールの箱を組み立てているアリサの横で、作業の様子を見ながら言った。
「僕も、箱を組み立てるの、手伝おうか?」
「結構です」
アリサはすぐに素っ気なく断った。
「……(アリサちゃーん)」
翔太が苦笑いをする。
(何やってるんだ、翔太のやつ)
アリサの向い側に座っていた類は、あきれた顔で翔太を見た。
「お茶どうですかー?」
キヨが休憩室から、お盆に湯呑と急須を乗せて出てきた。
それをカウンターの上に置く。
「ありがとうございます」
翔太とエリが、キヨを振り向いて言った。
類は作業台前から立ち上がると、奥に置かれた丸い椅子を作業台がある側のカウンター前に置いた。
そして椅子を指して言う。
「エリさん、これに座って」
「あ、すみません。ありがとうございます」
エリは軽く頭を下げると、その丸い椅子に座り、キヨから差し出された湯呑を手に取った。
「お店の中、ごちゃごちゃしていて驚いたでしょう?」
キヨが少し困ったような笑顔でエリに言った。
「い、いえ……」
「最近は、インターネットでの販売が中心でね。お店の方はどんどん物置みたいになっちゃって」
キヨはそう言うと「ほほほ」と笑った。
「でも、カロ屋さんって、可愛いアクセサリー系もたくさん置いているんですね」
エリが、先ほど見ていたスチール棚を見て言った。
「あら、ありがとうー!ブレスレットとかイヤリングはね、私が作っているのよー」
「へぇ。デザインも、……その、おかみさんが考えているんですか?」
エリは少し驚いた様子で訊いた。
「えぇ。そうなのよ。パーツは仕入れているのもあるけど、ウチの夫が作っているものもあるのよ」
「すごい」
エリは感心したように頷いた。
キヨとエリの会話を、作業台の前で立って聞いていた翔太が、アリサに向かって言った。
「ねぇ、アリサちゃん。この前、見せてもらった“コウモリダンゴ”のストラップも、アリサちゃんのお母さんが作ったんだよね?器用だよね」
「そうだよ」
アリサは箱を組み立てながら面倒くさそうに答えた。
作業台に乗った注文品と、注文票との確認作業をしていた類が手を止め、首をかしげて翔太を見た。
「コウモリダンゴ?」
「あれ?先輩。忘れたんですか?昔、エルデで、問題になったじゃないですか。あのザコ敵ですよ」
「なんだっけ?」
「なんだっけって……」
翔太は苦笑いをすると続けて言った。
「どっかのチームのやつが、社員全員に一斉送信しちゃったザコキャラですよ」
「そんなこと、あったかなぁ……?」
類は記憶をたどるも、憶えていないのか、いまいち要領を得ない反応をした。
「ルイ兄、昨日見せたお母さんが作った魔物のストラップ、あれに似てるらしいよ」
アリサは、視線を目の前の段ボール箱に向けたまま、作業を続けて言った。
「ふーん?」
「先輩、データ持ってないんですか?開発のかなり早い段階で、コウモリダンゴの3Dモデリングデータが社員全員に送り付けられて来たじゃないですか」
翔太が引きつった顔で言う。
「えぇ?そんなことあったか?それに、そんなもん、持ってねーよ。大体、何年前の話だよ。覚えてねーよ」
類は少し不機嫌そうに言った。
「えぇぇ!?」
翔太は苦笑いをすると、気まずそうに顔を掻いた。
五番通り側のスチール棚からエリが何やら手に取って、作業台の横に立った。
「類先輩、これとこっち、どっちがいいと思います?」
そう言って、赤と青、2つのブレスレットを類に見せる。
ブレスレットは木製で、色付けされた小さなダイス状のパーツが角と角でつながれて連なったものだ。途中にそのダイスより一回り大きな紋様を描いた丸いパーツが、アクセントとして挟まっている。
「あぁ……――」
類は、ブレスレットとエリの様子を交互に見た。「――どっちでもいいんじゃない?」
アリサは類のその言葉に、イラっとした顔をして類を睨んだ。
(ルイ兄のバカ!この鈍感!)
「えっ?なに……?」
アリサの視線に、類はつぶやいた。
「あ、アタシだったら、赤い方が好きかな。ルイ兄はどっちの色が好き?」
アリサが取り繕うように言う。
「え?俺?……――」類はエリの手の中にある2つのブレスレットを見た。「――俺、ブレスレットしないからなぁ」
類のその返事にアリサは目を吊り上げて立ち上がると、組み立てたばかりの段ボール箱で類の頭を殴った。
「いてっ!」
「この鈍感がぁ!」
そう言ってドカッと椅子に座り直す。
「な、なんで?(なんで俺、殴られなきゃならないんだ)」
「先輩……、鈍すぎます」
アリサの後ろに立って様子を見ていた翔太が、ニヤニヤと笑って言った。
「じゃぁ、両方可愛いから、2つともいただいていきますね」
エリは苦笑してそう言うと、レジカウンターにいるキヨのもとにブレスレットを持って行った。
「ルイ兄……」
アリサが怒ったように低い声で言う。
「な、なんだよ……」
「別にっ」
アリサはムッとした顔で、また段ボール箱を組み立て始めた。
五番通りのカロ屋の店先、キヨがガラスドアを開けて翔太とエリを見送っている。
「お忙しいところ、すみませんでした」
エリが、少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「ううん、ウチの方こそごめんなさいね。ごちゃごちゃしていて」
キヨが笑顔で言う。
「皆川さん。それでは、またお菓子の補充の時にお伺いさせていただきますね」
翔太は笑顔でそう言うと、キヨに軽く頭を下げた。
「えぇ。お待ちしていますね」
キヨがそう言って手を振る。
「それでは」
翔太とエリは、挨拶をすると、五番通りを駅の方に歩いて行った。
穏やかな農村のフーナプラーナ。
昼前の高く昇った太陽の日差しが、まぶしく降り注いている。
獣魔課の詰所になっている小屋の中。
机の横に、ベトールが難しい顔をして立っていた。
その向かいに、今にも泣きそうな顔のディルメイがいる。
二人ともマントはそのままに、服は魔道院の魔道服ではなく、ベトールは白いシャツに濃茶のズボン、ディルメイは薄い青緑色のワンピースを着ている。
「昨日の状況じゃ、仕方がないけど、獣魔の記録資料はともかく、支給の魔杖を無くしたというのは厄介かな」
ベトールはそう言うと腕を組んだ。
「……す、すみません、ですの」
ディルメイはそう言って、視線を土の床に落とす。
「今日中に何とか探し出さないと……」
「す、すみません、ですの……」
「ディルメイ、あなたが謝ることではないよ。転移のリスクがあるのに、森の奥まで入り込んでしまった私に責任がある……」
「ベトール様……」
半べそをかいて、ディルメイがベトールを見る。
「大丈夫。ディルメイは心配しなくていいよ」
ベトールはそう言うと、ディルメイの肩に手をポンと置いた。
「で、でも……。今日はお休みの日ですのなのに……。ベトール様に出てきていただいてしまいましたの……」
「……だから探しに行けるんじゃないかな。休日だったら自由に出歩いてもいいでしょう?それこそ“カロ屋”さんにだって行っても良いわけだしね。カロの森に入っても、誰も変だとは思わないよ」
ベトールは、ディルメイを安心させるように微笑んだ。
「は、はい、ですの」
ディルメイは頷いた。
「それにね、気になることもあるんだ……」
ベトールはそう言うと、腕を組んで窓の外を見た。
「……ルイ様……のことですの?」
ディルメイが不安そうにべトールを見る。
ベトールが頷く。
「うん。あれだけのすごい魔法使いが、“はぐれ魔道”というのも引っかかるんだよね……――」ベトールは何かしら考えたように、ひと呼吸おいて言った。「――まぁ、モロウさんのこともあるから、もしかしたら、このフーナプラーナ辺りの人たちは、あまり魔道階位にこだわりが無いのかもしれないけど……」
そう言って大きくため息をつく。
「……」
ディルメイが強張った表情でベトールを見て言った。
「あ、あのの。ベトール様」
「うん?」
ベトールがディルメイを向く。
「ル、ルイ様が……、その、魔王ってことは……ないのですよね」
その言葉に、ベトールは一瞬顔が引きつった。
しかし、すぐに元の冷静な顔に戻り言った。
「可能性は……、無いとは言いきれないかな。でも、魔王ならナジが真っ先に気付いていたと思うからね。魔王はこの世界とは違う、異世界特有の魔力の波動を持っているはずだし、昨夜、一緒に行動していた時には、そんな感じはしなかったからね」
「そ、そうですよね」
ディルメイは、それを聞くと少し安心した表情を浮かべた。
ベトールは小屋から出ると、難しい顔をして東の森を見つめた。
(ルイさんがいてくれれば、魔杖もすぐに見つかりそうなんだけどな)
昼過ぎ、休憩室から店側に顔を覗かせてキヨが言った。
「アリサ、類君。私、そろそろ商店街組合のお手伝いに行ってくるわね」
「あ、うん。何時に帰ってくるの?」
作業台の前で梱包作業をしていたアリサが、キヨを向いて言った。
「そうねぇ……。四時前には帰ってこれるとは思うんだけど……。須藤さん、話長いからねぇ」
キヨはそう言うと困ったように笑った。
「須藤さん?」
類が首をかしげる。
「“Hell See”って居酒屋のオーナーよ。副組合長なんだけど、話が長くてねぇ」
「へー……(あそこの変な内装の店のオーナーか)」
類は苦笑いをした。
「じゃ、頼んだわよ」
キヨはそう言うと、皆川家の玄関側から外に出て行った。
「はぁー。疲れたー」
アリサが作業台の前から立ち上がり、両手を上にあげて大きく伸びをした。
「明日の集荷、何時なの?」
類は、ガラスドア側に積み重ねられた段ボールの箱を見て言った。
「さー。たぶん午前中の早い時間なんじゃない?」
アリサは両手を腰に当て、疲れた顔で言うと、奥の棚を見た。
「うん。あとは、この前の青空市で仕入れた品物の整理作業ね」
「そういや叔父さん、何を買って来たんだ?ずいぶんリュック、パンパンにしてたけど」
類も疲れた顔で、膝の上に頬杖をついて言った。
「あー。なんかいろいろだよ。ルルアさんに借りた、あの緑色のマントも、同じようなものを何枚も買ってたみたいだし」
アリサはそう言うと、棚の間を奥へと入って行った。
「ん?」
不意に、類が作業台前から組子障子の戸を振り返った。
「どうしたの?」
アリサが棚の間から声をかける。
「今、異世界側の方から声がしなかったか?」
類はそう言うと、組子障子を注視した。
「え?もしかして、お父さん?帰って来たの?」
アリサは棚の間から顔を覗かせて組子障子を見た。
スッと、組子障子の戸が開く。
「こ、こんにちは……」
そう言って入って来たのは茂ではなかった。
「い、いらっしゃ……」
類は入って来た人物に驚いて言葉を失った。そして思わず立ち上がる。
「すみません。ここ、“カロ屋”さんですよね?」
ベトールは、組子障子の戸の前で、薄暗いカロ屋の店の中を見回して言った。
(べ、べ、ベトールさん!?)
類は顔が引きつった。
「あ、はい。そうです」
アリサが棚の奥から出てきて言った。
「お、おじゃましますですの……」
ベトールの後ろから、恐る恐るディルメイも店の中に入って来た。
(えっ?ディルメイまで!?……なんで?)
類は冷静さを装いつつ、ベトールに話しかけた。
「い、いらっしゃいませ……。何かお探しでしょうか?」
引きつった笑顔に冷や汗が混じる。
(お、落ち着け、俺……。二人とは初対面だ。そうだ、今、初めて会ったんだ)
類は自分に言い聞かせた。
「え、えぇ。魔道具を扱っているお店と伺って来たのですが、少し見せていただいてもよろしいですか?」
ベトールが類を見て言う。
「どうぞ」
ベトールは訝しげな顔をして類とアリサと、店の中を見た。
類もアリサも、カロ屋のロゴ入りの作業用のエプロンを着けている。
(やはり、ここは異世界のようだね。ルルア様も、ずいぶんと危険なことをされる……)
「わ、私も、お店の中、見せてもらってもいいですの?」
ディルメイがおどおどして言った。
「うん、どうぞ」
アリサが笑顔で答える。
「は、はい!ですの」
ディルメイは青いマントを揺らしてカウンターの横を通り過ぎ、五番通り側のスチール棚の前で立ち止まった。そして、その棚に置かれたブレスレットやイヤリングなどのアクセサリーを見て、目を輝かせた。
類がアリサに小声で言う。
「五番通り側のプレート、“閉店”にしてくる」
その言葉にアリサが「うん」と頷く。
類は、山積みになった段ボールの箱の横を通り、ガラスドアのプレートを裏返した。そして内側からカギをかける。
(とりあえず、これでいい)
ドアの前から店内を振り返る。
ディルメイが棚の商品を手に取って、ニコニコしながら見ている。
(良かった。元気そうだな……)
類は昨夜のことを思い出し、ホッと安堵した。
「つかぬことをお伺いしますが、この辺りの森で、このくらいの長さの、赤い魔晶石の付いた魔杖の落とし物を見かけませんでしたか?」
ベトールが1メートルほどの幅で両手を広げ、アリサに尋ねた。
「魔杖?うーん、ちょっとわからないかな」
アリサは少し困ったように笑って言った。そして、ルイを振り返って言う。
「ルイ兄、魔杖の落とし物だって。この周辺の森の中で見かけた?」
類もカウンターの前に戻って言った。
「魔杖?うーん、森の中って言ってもなぁ。広いからなぁ……。俺もわからないな」
類はそう言うと、宙を見つめて難しい顔をした。
ベトールが類をじっと見る。
(ルイ……?ルイさんと同じ名前……)
その視線に類が気付き、引きつった笑いを浮かべて言った。
「な、なにか……?」
「あ、いえ。知っている方と同じ名前でしたので……」
ベトールは視線を外して、気まずそうに言った。
「そ、そうですか(ま、マズイ!ベトールさん。俺が“ルイ”だってバレてないよな?)」
類は、冷静を装いながら、作業台に散らかっていた梱包材を片付けた。
その様子をベトールが真剣な顔で見ている。
(うぅ、ベトールさん。そんなに俺を見ないでくれ……)
その視線に顔が引きつる。
(ルイさん……。この人が昨夜のルイさんだったなら、どんなに心強かったか……。でも、この人は男性だ。昨夜の、あの美しい方とは似ても似つかない……)
ベトールは、軽くため息をつくと、もう一度店の中を見た。そしてカウンターの上の配置菓子の箱に目を留めた。
「これは何ですか?」
アリサに言う。
「あ、それはお菓子ですよ」
アリサはそう言うと、足早にカウンターの内側に回り込んだ。そして配置菓子の箱に手をかけて言う。
「お勧めは、この“クランチョコ”!二つで大銅貨1枚です」
アリサはベトールを見てニコッと微笑んだ。
「お菓子ですか。珍しいですね」
ベトールは少し前かがみに、配置菓子の箱の中身を興味津々と言った様子で見た。纏った濃紺のマントが少し揺れる。
「おいしいですよ!」
「ふむ……」
アリサは、配置菓子の箱を見つめているベトールをまじまじと見た。
(うわぁ。髪、すっごい綺麗……。何歳なんだろう?二十歳くらい?かっこいい……)
ミルク色の短めのマッシュヘアに暗灰色の瞳、落ち着いた声と振る舞いが、アリサの目には若干美化されて映った。
「そうですね。(森の中を探しまわって)やっと見つけた“カロ屋”さんですからね。(せっかくきたし、大銅貨1枚なら手ごろな値段かな。)ではこれでお願いします」
ベトールはそう言うとズボンのポケットから巾着袋を取り出し、その中から大銅貨1枚を手に取ると、カウンターの上に置いた。
「は、はい!クランチョコですね」
アリサは少し顔を赤らめて、大銅貨を両替し、百円を配置菓子の箱の投入口に入れた。
そして“クランチョコ”を二つ取り出して、ベトールに渡す。
「お買い上げ、ありがとうございます!」
アリサは少し恥ずかしそうに言った。
「変わった包装ですね」
ベトールは“クランチョコ”の包みを珍しそうに見た。
「ベトール様。私は、これを買おうと思いますのです」
スチール棚の前にいたディルメイが、赤いブレスレットを手に持ってカウンターの前に来た。
それは午前中に、エリが買っていったものと同じブレスレットだ。
ベトールが、そのブレスレットを観察するように見た。
「フム……。火炎属性の魔法防御の効果付きですか。なかなか良いですね」
「ですの」
ディルメイが笑顔で頷く。
(そんな効果付いてたんだ……)
類はベトールの言葉に苦笑して、ブレスレットが陳列してあるスチール棚に視線を向けた。
「そちらは小銀貨1枚になります」
アリサがディルメイに言う。
「はい、ですの」
ディルメイもワンピースのポケットから巾着袋を取り出すと、その中から小銀貨を1枚、カウンターの上に置いた。
「ありがとうございます」
アリサは銀貨を手に取った。
ディルメイが、さっそくブレスレットを左の手首にはめた。
「うん!可愛いですの」
「そのまま着けていきます?」
アリサはディルメイを見て微笑んで言った。
「はい!ですの。このまま付けて行きますの」
アリサは「うん」と頷くと、
「じゃぁ、ちょっと手をこっちに出してくださいね」と言って、ブレスレットについていた値札をハサミで切った。
「ありがとうですの」
ディルメイは嬉しそうに左手にはめたブレスレットを見つめた。
ベトールはクランチョコ二つを巾着にしまうと、アリサを見て言った。
「もし、森の中で赤い魔晶石の付いた魔杖を見かけたら、知らせてもらえませんか?」
「えっ、あ、は、はい……」
照れたように返事をするアリサをよそに、作業台の前から類が苦笑してベトールに言う。
「すみません。もし、見つけた場合、お知らせするのは構わないのですが、どなた宛に?それに、その方法が……」
類のその言葉に、ベトールはハッとして言った。
「これは失礼しました。私は魔道院魔術……、いえ、王都北第3街区のベトール・グレと申します。もし、見つかりましたら、王都北第3街区のベトール宛に呪符通信を送ってください」
そしてベトールは、巾着袋から名刺サイズの質の悪い薄い紙を1枚取り出した。
「えっと……(呪符通信?)」
考えている類をよそに、すかさずアリサが言った。
「わかりました!呪符通信で、王都北第3街区のベトール様宛にお送りしますね」
「はい、お願いします。私の呪符通信登録紙です」
ベトールはアリサに、取り出した薄い紙を差し出した。そして続けて言う。
「お手数をお掛けして申し訳ありません。よろしくお願いします」
ベトールは、少し不安の混じる笑みを浮かべ軽く頭を下げると、組子障子の紋様の前に立った。そしてディルメイを向いて言う。
「ディルメイ、行くよ」
「はい、ですの」
ディルメイは組子障子の戸の前で振り返り、「また来ますの」と言って、ぺこりと頭を下げると店を出た。
その後に続いてベトールも軽く頭を下げ、店を出る。
そして、ゆっくりと戸が閉まる。
「……あ、ありがとうございました!」
アリサが閉まった組子障子の戸に声をかけた。
「……」
類もアリサも、沈黙して組子障子の戸を見つめたまま、少しの時間その場に立ち尽くした。
そして、互いにハッとして顔を見合わせる。
アリサが目をキラキラさせて言った。
「キャー!異世界の新しいお客さんだよ!それに今の男の人見た?すっごいかっこ良かったー!」
「そ、そうか?」
類は顔を引きつらせた。
「うんうん!カッコいいー。ド変態のルイ兄とは全然違う」
アリサは身を震わせて、困ったように笑っている。
「……ド変態で悪かったな。だいたい、呪符通信ってなんだよ」
類はあきれてそう言うと、半端になっていた作業台の上の後片付けを始めた。
「呪符通信って、ほら、前に青空市に行ったときに、一筆箋でルルアさんに連絡したでしょ?あれのことだよ」
アリサはいつになく上機嫌で答えた。
「ふむ、あれか……。じゃ、ベトールさんが置いていった紙切れは何なんだ?」
「登録紙ね。一度も通信したことのない相手に連絡するときの、一番簡単な方法?らしいよ。簡単に言うとアドレス登録みたいなものかな。“このアドレスに送ってください”みたいな?――」アリサがハッとした顔をする。「――……ってことは、ってことは!?ベトール様のアドレスゲットぉぉ!?」
アリサは顔を真っ赤にして飛び跳ねた。
「……あ、そう」
類は白い目でアリサを見ると、床に散らばった梱包材を拾い集めながら、何やら訳ありそうなベトールとディルメイの様子を思い出していた。
(カロ屋に買い物に来た感じじゃなかったよな……。杖?を探しに来たのか……?)
類は推察しながら、休憩室に入った。そして用具入れからホウキを手に取る。
休憩室の時計は、すでに夕方四時半を回っていた。




