第9連
学校の正面に到着するとそこにはすでに伊藤先輩がいた。遠目に見える校舎内は非常灯の緑色が所々見えるだけですっかり静まり返っていた。
「さ、急ぐよ」
「急ぐってどこに」
「いいからついてきて」
伊藤先輩はひょいと学校の柵を飛び越える。
先輩は数年前に使われなくなって取り壊されることもないまま放置されている旧校舎に向かっているようだった。日中から人気のないあの辺りは常に気味が悪いエリアだ。そして先輩が立ち止まる。
「ここなんだ。すべての始まりの場所は」
「え、あそこは団地なんじゃ」
「いいや、あそこは、あの動画に収められていた一室は、この旧校舎の宿直室なんだ。だから団地の室内みたいに若干の居住感があったんだ」
「じゃあ、呪いの元ってずっとこんなに近くに…」
伊藤先輩は静かに頷く。
「だから学校の先生たちも大きく騒ぐことをあんなに嫌がったんだよ。この旧校舎は何度も取り壊しの話が持ち上がっていたんだけど、その度、不幸な事故とかが重なって頓挫してね。それで今でもこのままってわけなんだ」
そうだ。
「ジェイクは、あいつはどこにいるんですか?」
「中だよ。あの宿直室に向かったはず。いいんだね、向かって」
「当たり前です。早く案内してください」
正面玄関は鍵がかかっているということで、窓から俺たちは校舎内に入る。不思議な校舎だった。コンクリートの壁、廊下、団地というより刑務所のような印象だった。
「昔、この翔陽学園はとっても荒れていててね。一種の更生施設のような学校だったそうだよ。それで、こんな作りなんだ。さ、こっちだ」
伊藤先輩はどんどん暗い校舎を進んでいく。そして、何個目か分からないくらい角を曲がった時だった。
「あ」
そこにはあの見慣れた廊下があった。
「そう、ここがあの動画に映ってる廊下だよ。もうすぐだから」
「ジェイク!」
俺は無我夢中で走りだしていた。背中に伊藤先輩の声が飛んできたような気がしたけど、もうわからなかった。
一つ一つの扉を確認しながら見覚えのある赤い鉄の扉を探す。
しばらく走ったけど、扉は一向に見つからない。それどころか、どれだけは知っても突き当らないのだ。学校の廊下はこんなにも長いものだったのだろうか。
廊下に差し込む月明りだけが頼りだったのだが、それも今しがた雲に隠れてしまった。ノイズだけが鳴りやまない。
その時だった、ガチャッとどこかで扉があいたような音がした。
目を凝らすと少し先で、扉が開いて誰かが出てきた。
「ジェイク」
俺は名前を呼んでさらにスピードを上げて近づいていく。俺に背中を向けて立っている彼は俺に気が付いていないようだった。
「ねぇ」
俺はジェイクの肩をつかんでこっちを向かせる。
「んっ!」
力なく俺の方に体を回転させたのはあの晩俺の足をつかんだ賢哉だった。生気を失った目で俺を見ているのかもわからない。そして、額からは真っ赤な血を流していた。
「う、うわぁぁぁっぁぁ」
そして、後ずさる俺に彼はゆらっ、ゆらっと近づいてくる。俺は思わず尻餅をついてしまう。
賢哉は無言のまま俺に向かってきて、目の前で止まった。
そして口を開いて何かを言おうとしたところで顔が歪んだ。というより、顔のバランスがおかしくなった。すると、そのまま賢哉の顔が崩れ始めた。顔だけじゃない、体も、全部。ボトボトと音を立てて崩れていく賢哉を俺は何も言えずに見ていた。あっという間に目の間には賢哉だった塊が積み上げられていた。合間から見えるあいつの着ていたTシャツなどの服。そして、不意に鼻を突いてくる腐臭。
「う、おぇっ」
こみあげてくる酸味に堪えきれず胃の中のものをすべて吐き出してしまった。
そして、ようやく嗚咽を押し込めてあたりを見回すと、さっきの肉塊は跡形もなく消えて元のコンクリート造りの廊下に戻ってきていた。
「おい!洸佑!」
不意に背中の方で声がして、振り返るとそこにはェイクがいた。
「ジェイク!よかった無事だった!」
普段はあんなに鬱陶しいと思っていた先輩だけど、今は彼の無事が何事よりもうれしかった。そして、俺は勢いで彼に抱き付いていたことに気が付き飛びのく。
「あんなに来るなって言ったのに」
ジェイクは諦めとか心配みたいな複雑な表情をしていた。
「一人で行かせるわけないじゃん」
「でも、なんでここだってわかった―――あぁ」
ジェイクは俺が答えを言う前に気が付いたようだった。
「伊藤先輩」
「だろうな。それで、肝心の先輩はどこだ?」
「あ」
そうだった、俺が走り出した時に置いてきてしまった。というよりも、俺が勝手にはぐれた形になっていたんだった。一部始終を説明する。
「うーん、今は先輩を探すよりこっちはこっちでやるべきことをやったほうがよさそうだな。先輩はここに詳しいし大丈夫だと思う」
ジェイクは俺の知らない何かしらの情報を得ているようだった。
「お前が寝てる間に聞いたんだ、先輩から。この呪いのこと。3年前のこと、古川先輩のこと」
「どういうこと」
「洸佑はこの呪いって呼ばれる現象が3年周期で発生していて、その度、何人も生徒がいなくなってっていうことしか聞いてないよな」
俺はこくんと頷く。
「でも、犠牲者の数が共通なんだよ。毎回必ず十四人で失踪や呪い騒動は止まる。これが伊藤先輩と、古川先輩が当時見つけた事件解決の糸口の一つだった」
「つまり、十四人まで人が消えたらそれで残りの人は助かるってこと?」
「まぁ、そういうことだな」
「もしかしてそれが分かっていて古川先輩は―――」
「十四人目になった」
ジェイクが静かに目を閉じてそれを肯定する。
だから、伊藤先輩はあんなにも自分を責めるような話し方をしていたんだ。そこで俺はジェイクの話からある仮設にたどり着く。
「ってことは、もしかして」
ジェイクは全部わかっているように頷く。
「いま、十三人なんだ…」
「その通りだ」
「ダメだって!別にジェイクじゃなくたっていいじゃんかよ。動画はもっと拡散されているわけだし」
俺は自分がいかに最低なことを言っているかの自覚はあった。でも、目の前で自分が犠牲になろうとしている人をむざむざ死なせるようなことも俺にはできなかった。
「ありがとな、洸佑。でも、今はこれが一番いい方法なんだ。だから、な」
「な、じゃねぇよ。こんなとこでカッコつけられても困るんだよ」
唾を飛ばしながら喚く俺のことをジェイクはどう見ていたんだろう。わがままな子供っぽく見えたかもしれない。
そして俺の頭にポンと手を置く。
「なぁ、洸佑きいてくれ」
「え?」
「俺だって死ぬのは怖い」
「だったら!」
「だから、最後まで聞けよ。でも、お前やほかの誰から死ぬのはもっと怖い。それにな、伊藤先輩が準備してくれたんだ。もしかしてうまくいけば俺は死ななくて済むかもしれないんだ」
そういうとジェイクはポケットから一枚の写真を取り出す。古ぼけたセピア色の写真。
「これ、何の写真?」
「これは呪いが最初に起きた時の代の翔陽の生徒の写真だ。伊藤先輩が調べた限りだと、いじめだったんだとよ。この気の弱そうな男子生徒が被害者だった」
そう言ってジェイクは写真の端に映る色白の少年を指さす。
「そしてな、写っている生徒の人数は」
「14人」
そう。生徒の数は男女合わせて14人。これがあの数字の所以だったわけだ。
「そのあと彼は不幸な事故で亡くなったんだ。交通事故だったとか。それかだったんだとよ。この翔陽で厄災とか呪いとか言われるような事件が起こり始めたのは」
かなり詳しいところまで先輩に教えてもらったようだった。
「でも、どうしてこれで生き残れるのさ」
俺の当然の問いに対するジェイク答えはあまりにも意外なものだった。
「古川先輩がそうしたから」
「え、でも先輩は」
「そう、死んでる。でも、呪いが原因じゃなかったんだ。伊藤先輩がここ、旧校舎に来た時、古川先輩はまだ生きていた。その時先輩はこれを持っていたんだ」
例の写真のことだ。
「でも、古川先輩は――――」
「ああ、そのあとな。自殺だったんだ。それまでに呪いの犠牲になった生徒たちに対する責任を必要以上に感じてしまってた先輩は病んでしまったんだ。そして、学校にも行かなくなって最期は」
重たい沈黙が俺とジェイクの間に降りる。
「だから、だから伊藤先輩はあんなにも自分に厳しいんだ。古川先輩を殺したのも自分だと思ってる」
「そうだったんだ…でも、ジェイクこの後はどうするの?」
「宿直室にいく。そこで止めるんだ。この呪いを」
「俺も行っていいでしょ」
「ダメって言っても来るんだろ?」
俺は首を大きく振る。
「だろうな、じゃあ行くぞ」