第8連
◆
次に目が覚めた時は風が顔に当たった感触を最初に感じた。
「ん」
「洸佑!気が付いたか!」
うるさい。誰だ。
視界に飛び込んできたのはジェイクのうるさい顔だった。
「ジェイク?ここ、え、おれ」
「心配したんだぞ、馬鹿野郎」
そして俺の意識が鮮明になっていくにつれて恐怖がよみがえってくる。
「えっと、階段で、賢哉が!そう!賢哉が。やだ、連れていかれる!時間切れだったんだ。俺はもうだめでっ―――」
「落ち着けって、今、ナースコールしたから。ここは安全だから。お前、階段から落ちて4日も昏睡状態だったんだ。脳は奇跡的に問題ないって。だから、お前の頭はアホなまんまだから安心しろ。ただ、打撲とかはあったから安静にしてないといけないんだとよ。おばさんはさっき買い物に出た」
ここに来て俺は自分が水色の病院着を着ていることに気が付く。腕からも何本か管が伸びている。
「いや、でも賢哉が―――そう!携帯、俺の携帯は?」
「いや、俺は知らんよ。おばさんが戻ってきたら聞けばわかるっしょ」
力が入り切っていた肩を落としてベッドに深く体を預ける。俺、生きてるんだ。
その後、看護婦さんや先生があわただしく部屋を出入りして色々検査された結果、明日には退院できることになった。寝ている間に打撲とかもだいぶ良くなったらしい。携帯は家にあるってお母さんが言っていたし、退院したらジェイクや伊藤先輩に見てもらわないといけない。
暫くしてお母さんが戻ってくるやいなや、買い物の袋をその場に落として俺に抱き着いて泣いた。正直びっくりした。そして、泣かせるほど心配させてたって実感して申し訳なくなった。
「ばか、本当にあんたは。もう、お母さん一生分の心配したんだからね」
少し遅れて病室に来たお父さんはほっとした様子だったし、秋佑は兄に何が起きていたのかをあんまり理解していないようできょとんとしていた。
その日、俺は病室で最後の夜を過ごしていた。8時過ぎにはお父さんもお母さんも帰って、俺は一晩寝たら退院という医者のお墨付きをもらった。ジェイクは暇だったのか面会時間を過ぎているのにも関わらず、病室が一人部屋であることいいことに残っていた。誰かにとがめられることもなかったからよかったんだけど。スマホは家からお母さんに持ってきてもらっていた。
「ねぇ、見てほしいんだ。これ」
「目が覚めたばっかりなのに馬鹿なこと言うなよ」
ジェイクは俺を思った以上に気遣ってくれる。やっぱり伊藤先輩に追及されたことでだいぶ責任を感じてしまっているのかもしれなかった。
「ううん、でも、これは絶対見てもらわないとダメ」
そう言って俺は半ば強引にスマホの動画を再生する。
◇
ガサゴソと物音がしてカメラの焦点が合う。見慣れた我が家の廊下だ。奥には玄関が映っている。俺はそこに向かって歩く。不審なところなんて何もない。多少自分の息遣いが荒いくらいだ。そうして、動画の中の俺は階段へと向かっていく。
ギシッ、ギシッ、順調に階段を軋ませながら2階へと体を持ち上げていく。そこで不意に俺の足音が止まる。
「誰?」
暗闇に投げかけられた問には当然反応をする相手はいない。そして、またごそごそと物音。唐突にインカムモードに切り替わった動画に俺の顔が映る。青白く照らし出された俺自身がもはや幽霊のような顔をしている。奥に奈ほの暗く映る玄関のすりガラスが見える。おかしいところは何もない。
そして、またカメラは元の背面モードに戻り、手ブレよろしく階段を上がっていく。
不意に歩みが止まる。
「んっ、なんだよこれっ。ちょっ、冗談じゃないって」
カメラが俺の足元を捉える。茶色の階段にある俺の足。ハーフパンツをはいているからその膝から下の白い脚が硬直している。動けなくなったのはこの時だった。
「うわっ」
何もいないはずの自分の素足を映した画面が激しく揺れる。でも、動画には自分の足しか映っていない。
「やだあぁぁぁ。はなせ!はなせよ!」
半狂乱の俺の声がこだまする。カメラは思っていた以上にガタガタ揺れまくっている。
「痛いっ、それ以上はムリだって…うっ…」
そしてカメラがそれまで以上に大きくグラついたかと思うと、大きく宙を舞った。大きな音共に廊下に投げ出された。
直後、それ以上の音で俺が落ちてきた。画面いっぱいに俺の足が映し出されていた。
◇
そこで、動画は不意に途切れる。
映っていなかった。俺が見たあれが。俺の足首をつかんだあれが。そう、賢哉が。
「洸佑、お前きっと色々考えすぎてたんだ。だから―――」
「違うって!おれ、間違いなく見たんだ。俺の足をつかんで死んだみたいに俺を見る賢哉と目が合ったんだ。本当だって、あの時はカメラにも映ってて」
ジェイクは子供でもあやすような表情をしていた。
「わかった、もっかい見せて。確認する」
俺のスマホを受け取ると今度は至る所で一時停止をしながら映像を見ていた。
「何か写ってるでしょ、ちゃんと見てよ」
「ん、これ、いや、ちょっと待てよ」
ジェイクが急に立ち上がる。
「どうしたの?」
「いや、洸佑これ俺に転送して。ちょっと、伊藤先輩に会ってくる」
「ちょっと、え、待って」
そう言うとジェイクは俺の話も聞かずに急に荷物をまとめて病室を出ていった。言われるがままに例の動画はジェイクのスマホに転送しておいた。
「なんだよもう」
そうは言ったものの、俺はだいぶ疲れていたみたいでその後気が付いたらあっという間に眠ってしまっていた。深い眠りの中で賢哉の夢を見たような気がした。