第7連
◆
2日経っても伊藤先輩からの連絡はなかった。
俺とジェイクは相変わらず居心地の悪い学校に通い続けた。何事も無いかのように振る舞うということを二人で決めたんだ。何にも負けないで自分たちが正しいという姿勢を貫くことに。伊藤先輩の話と俺の推測からすれば学校は知っていたんだ。3年ごとにこの現象が発生することも。それを対策すべくあの黙認と排除の姿勢を貫くわけだ。つまり、学校に味方はいないということだった。そんなものに負けているようじゃ呪いとの対峙なんてできるわけがないんだ。
とはいえ、伊藤先輩が俺に言った「残り時間」に関しても気になっていた。それにどうして、勇磨、賢哉の順番だったのか。他の生徒はどうなったのか、正直よく知らなかった。翔陽は中学だけでも200名を数える生徒が通っていてお互いが話したことないレベルの認知度ということは往々にしてある。そのため、全体での行方不明者がどの程度なのかの把握ができない。
俺の「残り時間」はあとどのくらいなのだろうか。伊藤先輩の場合、古川先輩という人が例の団地で何かをしたことで厄災の中から抜け出すことに成功したという。いまだその具体的な方法は分かっていない。
そんな中、一つだけ俺の生活に変化が現れた。時々あのノイズが聞こえるようになった。賢哉が消える直前に何度も聞こえたあの音だった。これがどこにいる時というわけでもなく不意に聞こえる。騒々しい教室で、家族との食卓の場で、電車に乗っている時も、音のない深夜の寝室で、それは突然鳴る。もう自分の頭の中でその音が鳴っているような錯覚すら覚えるレベルだった。賢哉はこんな音をずっと耐えていたのだろうか。夏休み中だって何回も会っていたけど、彼がそんな様子を見せることはなかった。
この日、音が聞こえてきたのは真夜中を過ぎた頃だった。珍しく日中はノイズが聞こえることもなく過ごせていただけに少し油断してしまっていた。
「トイレ、トイレっと」
階段をすたすたと降りる。秋に入ったもののまだ残暑は厳しく、生暖かい若干の湿気を感じるフローリングが気持ち悪い。玄関から真正面の奥にあるトイレで用を済ます。寒くもないのにブルッとしたところで、ノイズが始まった。水を流す音でもかき消せないほどはっきりとしたノイズ音。
自分の家なのにあたりを無駄にきょろきょろ見てしまう。探せば探すだけ何かを見つけてしまう可能性が高いことを知っているのにそれがやめられない。トイレからまっすぐ2階へと続く階段へと向かう。玄関の曇りガラスの向こうに何かが良そうな気がしてしまう。
「あれ、あんなに明るかったっけ」
つい口に出してしまったが、玄関の外がいつもより明るい気がする。普段この時間は少し離れた街灯の明かりが少し見える程度だったと思ったが今はそれよりもわずかに明るい様に見えた。その間もノイズは断続的になり続ける。俺は不意に手に持っていたスマホでカメラを起動する。何かあれば証拠になるはずだった。動画モードにして録画を開始する。ただ、玄関の曇りガラスには何が映るわけでもなく俺は階段を昇り始める。カメラは俺の視線とほぼ同じ、正面を映している。ミシッ、ザザッ、ミシッ、ザザッと一段ずつ軋む音とノイズがないまでになって音がやけに大きく聞こえる。
あと数段で2階だった。そこで、異変に気が付く。ただ、あたりを見回しても特に変な話。そして、もう一段。異変に気が付いた。足音が2人分している。
ノイズの音で気が付かなかったが、俺が軋ませた後に間違いなく俺の後ろの誰かがもう一段軋ませている。
「誰…」
俺は2階を見たまま、後ろにいるであろう誰かに声をかけた。幽霊か何だかわからない何かに話しかけるなんて馬鹿げていたが、この時の俺は正常は思考回路を持ち合わせていなかった。ただ、背後の気配から反応はなかった。そして、俺はしびれを切らせて、恐る恐るカメラをインカムモードに切り替えて背面を撮影する。
暗がりに浮かぶ不健康そうな自分の顔といつもと変わらない我が家の階段が映っていた。玄関の外もいつもの暗さだった。全部気のせいだったのかもしれなかった。しばらく気を張り続けてきたらからどうしようもないのかもしれない。
そして、俺は部屋に戻るために正面を向いて残り数段の階段を昇り始める。と、その時だった。足元に違和感を覚えた。カメラは正面を捉えたまま視線は足と元へと落ちる。
そこには自分の裸足があるだけだった。でも、俺の体は他にも何かに触れているという感触を受け取り、脳へ伝達していた。
「んっ、なんだよこれっ。ちょっ、冗談じゃないって」
そう、動けないんだ。足がピクリとも動かない。足首に絡みつく何かしらの力のせいで全く動かない。慌ててカメラを足元に向ける。
「うわっ」
何もいないはずの自分の素足を映した画面には紛れもなく異形のものが映されていた。血色の悪い青白い手が二本俺の足首をしっかり握っていた。
「いやだあぁぁぁ。はなせ!はなせよ!」
恐ろしいことに膝から下が全く動かない。どれだけ力を込めても微動だにしない。部分的に金縛りにあっているかのようだ。
ノイズが大きくなっていく。
何かがこちら側に侵食してきているのを感じた。これが呪いなのか。
手がさらに力を入れてくる。足首がおられてしまいそうなくらいの圧迫を感じる。
「痛いっ、それ以上はムリだって…うっ…」
痛みと恐怖で意識が遠のいていくのを幽体離脱したような気持ちで感じていた。そして、俺の体は宙に浮いた階段から体が離れる。正確には足が体を支えるのをやめたようだった。
そして、1階の廊下にしたたかに体を打つまでのわずかの間に折れた間違いなく見た。階段にいた青白い手の正体を。
生気を失った表情の賢哉の姿を。
◆
「洸佑、洸佑」
誰かが俺を呼んでいた。
天井が真っ白でまぶしい。俺はまた目を閉じる。
暗闇に青白い顔の賢哉が見えた。
俺もああなるんだ。時間切れだったんだ。
吸い込まれれていく暗闇に。沈む。沈む。