第1連
近所の中学校で生徒が大量に失踪したらしい。町のちょっとした話題はお母さんたちを過敏に騒がせていたのを何となく覚えている。戻ってきた人もいれば、戻ってこなかった人もいたとか。小学生の俺はそんな話を聞いたけど、まったく気に留めることもなくで、あっという間に話題は立ち消えになっていったような気がしている。あの頃の俺は中学受験のために学校が終われば塾へ行って毎日のように帰ることにはとっぷり日も暮れているような生活で自分のこと以外を考えるなんてほとんどできないような時期だった。
親が決めた受験だったのか、俺自身が望んだ受験だったのかと聞かれたら今となってはもうどちらだったか思い出せない。最終的には自分が受けたいと言っていたような気もするが答えは藪の中だろう。ま、今となってはどちらもいいんだけど。
俺、玉置洸佑は晴れてこの翔陽学園中等部への入学を果たしたのだから。
◆
唐突に回りだすカメラ。荒い息遣いと足を引きずるような音。映し出されるコンクリート造りと思しき薄暗い通路。集合住宅の様だ。しかし、人の気配は感じない。むしろ、人間の手から放棄されてしばらく経っている様な荒廃具合。今にもカビ臭いにおいが漂ってきそうだ。
カメラは回り続ける。目的地は分からない。暗い通路を進んでいたかと思うと、カメラは不意にある部屋の前で立ち止まる。赤茶けた鉄製の扉。躊躇することなくドアノブに手をかける。
ガチャリ
扉はいとも簡単に開いた。土足のまま室内に足を踏み入れる。ヘドロのような水のたまったバスタブに、切り裂かれたかのようなカーテン、和室の畳はどこから水が漏ったのかブヨブヨだ。そして、不意にカメラが撮影者自身を捉える。落ちくぼんだ瞳、男性ということ以外すべてが不詳な見た目。
その時、男の顔の向こう側。ちょうど、玄関の方に何やら小さい影が映る。それは薄暗い虚像から徐々に実体を持つ像を結び始め近づいてくる。
男は気が付く素振りもなく先ほどまでと同じようなことをうわ言のように繰り返し繰り返し唱えている。
影は男のすぐそこに近づく。どうやらその影は少年の様だ。中学生のぐらいの背丈。白いポロシャツに、濃紺のズボン。制服だろうか。しかし、彼は歩いているのではない、ただ浮遊しているというわけでもなく、コマ送りのようにはたまたワープをしているかのような近づき方。
生気を感じられない少年の顔はモザイクをかけたような変な歪み方をしていた。もう、男の真後ろだ。
そして、男が振り向く。
無言のうちにカメラが床に落下する。ブヨブヨの畳が画面いっぱいに映し出さされる。そして、画面の端にはバタバタともがく男の足。暗転。
唐突に終わったかと思う映像はまだ続く。所変わって、画面には夕焼けに照らされた屋上が映し出される。カメラは置かれている。時折吹き込んでくる風の音がある程度の高さにカメラがあることを物語る。
画面の中央に映っているのは恐らくさっきの男だろう。服装が一緒だ。
柵のない屋上を無駄のない歩みで進んでいく。
そして、淵で立ち止まる。紛れもない生と死の淵。
そして、
タンッ
軽い音だった。でも、確かにすぐそこで聞こえたような音量で聞こえた。
次の瞬間、男は画面から消えた。
停止ボタンを押す人がいなくなったカメラは回り続ける。
すると、先ほどまで男が立っていたところにまた靄のような影が浮かぶ。カメラを認識しているのか、影はどんどんこちら側へと進んでくる。
そして、画面いっぱいを真っ黒に染め上げる。そして、
「くふふ ふふふ」
噛み殺したような少年の笑い声が入ったと思ったら暗転。完全なる沈黙。
◆
「な、な、やばいだろ、この動画」
「いいからスマホ返してってば」
「洸佑、もうちょいだけ、ほら、ここ!」
ジェイクがかなり興奮気味に俺のスマホを占領して騒いでいる。一応先輩だから、言うこと聞いているけど実際、俺の方が大人、絶対。
俺の通う翔陽中学校は高校と一貫になっているいわゆる中高一貫校ってやつで、いまや、この形の学校は大都市圏だけでなくてこの地域みたいな田舎でも増えてきている。まぁ、通う俺らからしたら関係のない話なんだけど。
そんなわけで、ジェイク・カーライルは高等部に通う2年生で、バスケ部の先輩だ。名前はガッツリ外国人だけど、中身は面白いくらい日本人だ。英語なんてほとんどしゃべれないし、むしろ英会話教室に通っているなんて言うんだから余計に面白い。たしか、お父さんがヨーロッパの方出身で、お母さんが日本の人みたいな話を聞いたことがある。
「なぁ、これ、最後にビデオ止めたの誰だと思う。やっぱりあの幽霊だよな」
「はいはい、どうせ作りもんだって。多いじゃん最近そういうの。テレビでも散々やってるし」
季節は8月。テレビでは連日のように心霊特集が放送され、ネットのまとめサイトもそのたぐいの話であふれかえっている。確かに気味の悪いものが多いのは事実だけど、その多くが作りものであるということは誰もがうすうす感づいている。でも、みんなで「怖いね」って言いあうのが好きなわけで、もっと言えば「自分じゃなくてよかったね」って言い合いたいための時間なんだと思う。
「いやいや。こんなリアルに作れるわけねぇじゃん!これ、LINEで回ってきたんだけどさ、洸佑にも回そうか?」
「いやいや、いらんから。今見て履歴が付いただけでも嫌なのに」
つれねぇなぁとか言いながら、ジェイクは自分のバスケシューズをようやくしまい始めた。練習が終わって、ほかの部員も監督もみんな帰っていく中、俺はこれに付き合わされたわけだ。動画から意識が外れたせいか、蒸し風呂のような部室の暑さが急に戻ってくる。
「あっつぅ、ねぇ、帰りアイス奢って。これ付き合ったんだし」
「はいはい、分かったよローソンに寄ろ」
「っしゃ!オレ、白くまね」
「まじかよ、たけぇなあ。ガリガリ君にしろよ」
「しらん、白くま!あんな気味悪いもん見せておいてケチんなよ」
「なに、洸佑ビビってるの?」
痛恨のワードミス。ジェイクが調子に乗り出してしまった。あーめんどくさ。
「はいはい、ビビってますよ」
「素直になれよな、こーちゃん」
そう言って、ジェイクは俺の汗だくの頭をもみくちゃにする。無言で振りほどくと俺はまとめていた自分の荷物を抱えて汗臭い部室を飛び出す。
夏の夕暮れは温度が下がらない。部室よりはましなものの、肌を撫でるねっとりとした湿気と温度が不快感を煽る。
「はやくーアイスー」
部室の外から呼びかけると、もうちょい!という声が飛んできて、それから5分ぐらいたってやっとジェイクが出てきた。遠目に見える旧校舎の向こう側に夕日が沈もうとしていた。