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「拝啓、アザレアの華の前で」  作者: 新月華一
一、「四月は絵画の季節」
3/9

密室はお好きですか

「な、何これ…」


美和子は思わず口をあんぐりと開けてしまった。

それもそうだ。これが家かと言いたくなるくらいの豪華絢爛さだからだ。まず玄関エントランス。豪奢な装飾のされた階段に絨毯カーペットの敷かれたフロア。それに広さもとんでもない。玄関エントランスだけで美和子の住んでいる部屋の十倍、いや三十倍はありそうなのだ。


「やっと来てくれましたな、扇赤加賀智殿」


あっけにとられている美和子を茶化していると、一人の紳士が階段を降りてきた。その男はそれはもう紳士と呼ぶのに相応しく、如何にも華族という雰囲気の男だった。切れ長の目はなんでも切ってしまいそうな位に鋭かった。


「いやはや、遅れ馳せながらこの扇赤加賀智、参上致しました。して、そちらはどなたでしょうか?」

「む、名乗っていなかったな。私は海苑寺雅臣かいえんじまさおみ。ここの長男だ」


階段を降りてきて海苑寺雅臣は扇赤に手を差し出す。それを見て扇赤は首を傾げる。


「その手はなんだ?」


美和子はまたあっけにとられた。


「扇赤さん…握手を知らないんですか?」

「あくしゅ?それは何だ?」

「扇赤殿はお知りでないか。これは欧米や西洋の文化で相手に敬意をはらう時や挨拶の時にするのだよ。こういう風に」


雅臣はおもむろに美和子の腕を取ると握りしめた。瞬間的に美和子の顔は赤くなった。まるで秋の紅葉さながらだ。


「なっ、なっ、なっ」

「貴女の名前はなんて言うのですか?鳴桜のお嬢さん」


にっこりと笑われ美和子はつっかえながらも自分の名を名乗る。雅臣は美和子の名を聞いた一瞬、表情を雲わせた。美和子は見ていないが扇赤はそれをしっかりと見ていた。






□□□□□□□□


「ここが問題の蔵ですよ」


見事に咲き乱れている桜の近くにこれもまた見事な大きな蔵が建っていた。


「ねぇ扇赤さん」

「んー?何だ?」


美和子・扇赤・雅臣の三人で蔵の周りを歩く。懐から眼鏡を取り出した扇赤は蔵の外壁や地面を観察しながら返事をした。


「なんで最初からこの現場に来なかったの?遺品…とかは店で見ていたけど…」

「ああ、別に来なかった訳じゃない。助手がいなかったのと、今日来ようとしていたからだ。たまたま君の来訪とこの予定が被ってくれたから…そういえば君、写真部だって言ってたな」


ぴたり、と動きを止め扇は美和子を見た。


「ええ。そうよ」

「じゃあ部長は高遠原だな?ちっ…あんのクソアマ…」

「ちょっと、今なんて言ったの?」

「いや〜別に〜?あ、そうだ雅臣殿、ここの鍵を持っていた執事バトラーと女中を呼んできてもらっても構わなかい?」

「ああ、少し待ってろ」


雅臣はそう言うと屋敷にかけて行った。桜の木の下に美和子と扇赤だけが残される。

扇赤は懐から巻煙草を取り出すとマッチで火をつけた。


「健康に悪いですよ」

「うるさいなぁ、君は俺の母さんか」


木の幹の寄りかかり煙草を吸いつつズボンのポケットから手帳を取り出した中を読む。中々その格好が様になってい美和子は何故かむかついた。美和子はため息をつきながら扇赤の隣にしゃがみこんだ。さぁ、と緩やかな春のやわい風が通り過ぎていく。

まるであの時のように――――。

煙草が半分程無くなった頃、扇赤が口を開いた。


「君はどっかの令嬢か?」


いきなり思い立ったように扇赤が聞いてきた。美和子は特に驚きもせず答えた。


「違うわよ。ただの喫茶店で働く貧乏学生よ」

「じゃあその喫茶には金持ちの後援者パトロンでもいるんだな」

「どうして?」

「だってお前…」


扇赤がそこまで言った時だ。間がいいのか悪いのか雅臣が戻ってきた。扇赤は舌打ちをすると笑顔で雅臣の元へ向かった。美和子はこの短時間で扇赤の事で一つだけ確かな事が言える事に気がついた。

彼は相当な猫被りだ。




「お待たせしました。彼らが第一発見者の執事バトラー荒木登あらきのぼると女中の中崎恵なかさきめぐみです」


中崎、と女中の名を聞いて扇赤は「ほう」と興味深げに頷き、美和子は口元をおさえた。


「中崎とは…あの中崎で間違いありませんか?」


扇赤は女中の顔を覗き込みながらそう言う。美和子は失礼な男だと思いつつもその質問の答えに興味がありすぎて口にはしない。中崎女中はその精悍そうな顔つきを微塵も変えずに頷いた。


わたくしは確かにあの中崎家の次女でございました。あの後、邦臣様に拾って頂きましてこうしてご奉公している次第でございます」

「ほほう、中崎の次女は噂に違わず英語が得意なようだ」


扇赤は中崎女中から離れ感慨深けに頷いた。中崎は驚いて口元に手を持っていった。美和子も雅臣も荒木執事も目が点だ。


「貴女の言葉は紛れもなく日本語ですがやはり英語を長らく使っているとどうしても日本語のではなくなってくる」

「な、なんで長らく使ってるなんてわかるのよ」


すかさず美和子はそう言うが扇赤はなんだ、気が付かなかったのか?と馬鹿にしてくる。非常に癪に障るが事実なので否定しようがない。しょうがないなぁとぼやきつつも説明してくれるのだから恐らく性根は優しいのだろう。恐らくは。


「中崎次女と言えば令嬢にも関わらず外務省にお勤めと我ら写真館店主の間では殊更有名でして。美しく異国に理解のある名の知れた令嬢など言われれば、誰しもその姿を一度は写真に納めたいでしょう。故に、有名だったのですよ。そして外務省と言えば六年前に岩倉使節団を派遣し、それに随行した女学生がいましたよね?あなた、中崎恵嬢も。元々英語が達者だった貴女は留学し更に上達した。LとRの発音なんて容易いでしょう?」


ペラペラと扇赤はそう言うとしてやったりと言わんばかりの顔で美和子を見た。そして器用に片目を瞑って中崎を見るとどうです?と言った。


「あっております…確かに日本語でもLとRの発音を明確にしてしまいがちで、それにイントネーションもイマイチまだ日本語じゃなくて」

「まあどちらにせよ二カ国後喋れるなんていいじゃないですか。貴女が長い間留学していた事が一瞬でわかる人間なんてどうせ俺くらいしかいませんから気にしなくても大丈夫ですよ」


なんて、とても輝かしい笑顔を扇赤は中崎に向けた。美和子は思わずその背中を蹴りたくなった。確かに中崎も美人だが…


そんなこんなでとりあえず扇赤と美和子も自己紹介をしてようやっと蔵の中に入る。

蔵の入口はとても大きく重く、女子では開けられそうになかった。


「落とし錠ですか。南京錠まで…えらく厳重ですねぇ」


蔵の入り口に付けられた錠前を見て扇赤がそう声を漏らす。それには荒木執事が答えた。


「旦那様はここを本館の書斎よりも愛用しておりました。無かった二階をお作りになり、女中が飯時だとお呼びしても蔵でお食事をとるほどでございました」


荒木は銀縁の眼鏡を押し上げながら答えた。荒木は如何にも執事、と言ったお堅い男でそのまま役員にだってなれそうな感じだった。

扇赤は古い真鍮の鍵を受け取り二つの錠前を開けた。やはり扉は重く、雅臣と荒木の二人掛かりでようやく開けれる、といった具合だ。


中は意外にも暗くなく広々としていた。蔵の半分程の大きさの二階があり、その上には屋根裏部屋がある。床は板張りで安楽椅子や執務机、檜の箪笥や骨董アンティーク照明ランプ、壁際の本棚にはぎっしりと和本や洋書がささっていた。


「窓は…あれじゃ届きませんね。梯子はしごなんかのたぐいはここにはありますか?」

「いや、ないはずだ。それに梯子で届いたとしてもあれは嵌め殺しだから開かないよ」

「窓は改造して付けられたんですね?」

「ええ」


扇赤の質問に雅臣が答える。

窓はほとんど天井に近いところに取り付けられていて、入り口真上と右と左の中心近くに一つずつ。恐らく奥にも一つあるだろう。


「ふぅん、執務机の引き出しは開けても?」


雅臣は無言で頷いた。扇赤は美和子を呼び手伝わせた。引き出しの中身を床にひっちらげて書類や手帳なんかを見ていた。


「ここに裏口はないようですし…地下室もない。そして窓からは逃げられない。唯一の入り口は鍵が閉められていて入る事も出る事もできない。本当に密室だな」

「ここ、中からは開かないの?」


美和子は扇赤の呟きに問いかける。扇赤はああと言った。


「あれは無理だ。外から鍵がかかっている。それも二つ、両方ともかなり頑丈な錠前だ。老人の力では鍵が無くても開けられないし鍵があれば尚のこと開けられない。あ、中から出るときはどうしていたんです?」

「あ、それは私と荒木ともう一人の執事バトラーが担当しておりました。そこの黒電話で旦那様はお屋敷の本館の方にお電話なさり、要件を聞き、中からお出になられる時は荒木ともう一人の執事を遣わしました」


扇赤は執務机の黒電話を手に取ると裏返したり受話器を取ったりいろいろ調べた。が、めぼしいものは無かったようだ。


「さて、じゃあ、問題の二階を見ますか。あ、この床はこのままで。美和子君、行くよ」

「え、なんで私まで…」

「君は助手だろ」


人が死んだ場所など死んでも行きたくないのだが扇赤の力は強い。腕を掴まれて二階へ続く階段を登った。


二階部分には紅いカーペットが敷かれていてまるで宮殿パレスの様な調度品が置いてあった。ここは居間リビングとして使っていた様だ。


その中心に、どす黒く色が変化したところがあった。


「そこが、海苑寺邦臣が死んだところですね」


雅臣ら三人は無言で頷く。美和子はごくりと唾を飲んだ。


「さて、ここからだぞ。美和子君」


暗くも明るい蔵に、異様に明るく楽しげな声が嫌に反響した。

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