謎はお好きですか
いやよ、来ないで
どうしてそんな物を持ってるの、どうしてそんな物を私に向けてるの
いやよ、来ないで
私は死にたくない
私は母さんや父さんにみたいに死にたくない
やめて、やめて、来ないでよーーー
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写真館パンドラの匣に珍しく来客があった。
店主、扇赤加賀智は店に続く唯一一本の道の向こうに立つ客の気配を感じ取っていた。
「女子、か……」
窓を覆っている薄幕をシャッ、と開け外を見てみる。暖かい春の日差しが暗ぼったい店に差し込んだ。
見れば、こちらを見て固まっている女子が立っていた。この店がある事に驚いているようだ。
「入らないのかい?」
扇赤はそう声をかける。この辺りは写真館パンドラの匣の営業指定範囲内だから直接会わずとも声は聞こえているだろう。それにも驚いたのか女子は辺りを見渡す。
「入らないのなら、もう今日は店仕舞いだ」
「ま、待って!入るわよっ」
女子はそう言ってこちらに向かってくる。扇赤は久方ぶりの客を迎い入れるため、とりあえず身だしなみを確認した。壁に掛けてある鏡でざんばらに切った髪の様子を見る。そこまで跳ねてはいなかった。手櫛で多少直し、シャツの釦を止める。こんなもんか、と思ったところで店の扉が開く。
「いらっしゃい、ようこそ、パンドラの匣へ」
愛想良く、営業用の笑みを浮かべそう言えば女子は目を点にした。
「おや、どうかしましたか?写真を撮られるんでしょう?顔色が優れないようですが…?」
女子は何か言いたげだったが気を失ったようでふらりと倒れこんだ。
「おおっと」
いきなりなんなんだ、と扇赤は心内でそう思うが、とりあえずこの人は女子で客だ。適当に寝かせると扇赤は机に向き直った。
暫くして。
美和子は調子の外れた歌らしき物を聞いて目を覚ました。ゆっくりと上体を起こして声の聞こえる方に目を向ける。
「おや。目を覚ましたか。いきなり倒れるから驚いたじゃないか」
「…ここ、は」
「何、記憶喪失にでもなったの?ここは写真館パンドラの匣だよ」
その名を聞いた瞬間、ぼんやりとしてた意識が鮮明になる。
「なんでっ…存在してるのっ」
「あのなぁ、君も存外失礼な奴だな。巷でこの店がどんな風に言われてるのか知らないけど、この店はきちんと実在してるよ。それに結構儲かってるんだ」
「嘘、本当に儲かってるの?」
はぁと扇赤はため息をつく。美和子はまだ疑いの目で見ている。それもそうだろう。本当に儲かってるのかと疑いたくなるくらいこの店は古めかしい。奥にちらりと見える写真機はそうでも無いが、壁際に置かれた箪笥や照明機、円卓や椅子、そういったものは全て古い。
「で?お客さんはどっちの人?」
店の中を観察していると不意にそう声をかけられた。
だが美和子はその質問の意味がわからず小首を傾げる。その反応に扇赤はまたため息をついた。
「何にも知らないで来たんだな。ここは写真館パンドラの匣、二つだけの確かな事って聞かなかったか?」
そう言われ美和子は思い出す。
「店主はとんでもなく謎が好き…」
「そーゆー事。俺は謎をこよなく愛しているっ、が故に!俺は探偵をやってるんだ。写真館と同時にな」
「それでどっち、ね。私は写真よ。一枚頼めるかしら」
「なーんだ。写真か。だけど少し待てくれないか。今ちょうどいいところなんだ」
ちょうどいいところ?と美和子は尋ねる。扇赤はこれさと円卓の上を見せる。
「っ、それ!」
「この間起きた殺人事件知ってるだろう?軍警も中々解決できなくてね。見兼ねた遺族が俺のところを訪ねてきたって訳さ。そーだ、写真代無料にしてあげるからついてきてよ。ちょうど助手が必要だったんだ」
「は、ぁっ?」
そうだそうだそうしよう、扇赤は椅子から立ち上がって外套掛に掛かっていた二重回を着ると、同じところに掛けてあった絹帽子を手に取り美和子の腕を引いて店を出た。扇赤の力は存外強くて美和子はなされるがままだった。
「なんで私までっ」
「言ったろう?ちょうどね、君みたいな助手が欲しかったんだ。いいだろう?写真代が無料になるんだから」
「そうかもですけど!私殺人現場になんて行きたくないですっ!」
「いいじゃないか。年上の言う事は聞いとくもんだ」
ああ言えばこう言う。まさにその状況で美和子はいつの間にか大通りを歩いていた。そしてその目線に気がつく。ここで美和子はもう一つの「確かな事」にも気がつく。
「そういえば君の名前は?俺は扇赤加賀智。歳は二十五だ」
「千藤美和子…鳴桜女子高等学校の一年よ」
「ほう、じゃあ高遠原と同じ学校か。部活動は何をしてるんだ」
そう言って扇赤は振り向く。
(これは、確かに美形ね…)
美和子は質問に答える前にそう思った。高い鼻梁に大きいが流れる様な眼、絹の様な黒髪。細身ですらりとした体躯。確かに女達は黙っていないだろう。結構な間扇赤の顔を見ていたのだろう。一向に質問に答えない美和子に「どうした」と扇赤は声をかけた。
「別に、写真部よ。ていうか高遠原先輩を知ってるの?」
「ん?ああ、まあな。だけど君、写真部だって言うくせに写真館都市に来た事ないだろう」
「え…なんで知ってるの」
「何でって、君営業指定範囲の事知らないのか?」
「何それ」
扇赤は本日何度目かのため息をした。まぁ目的地に行くまでの暇つぶしができたと思って説明する事にした。
「写真館都市には写真館しかないだろ?客は写真館を選び放題、自分の好きな店を選別できる。だが店はどうすれば一番儲かるか、どうすれば一番客受がいいか、まぁ敵が多いのさ。が、故に営業指定範囲っていうのが存在するんだよ」
「だからその営業指定範囲って何よ」
「それを今から説明するんだろ?営業指定範囲は”境”独特の決まり。ざっくばらんに言うと、写真館を経営してる奴は他の店に入る時、その店主の許可がない限り入れないんだ。技術の漏洩、営業妨害行為、客の取り合い、強盗等々を防ぐためにな。そういうの以外にも便利な機能があって、客の人数とかその客がどんな人物なのか、そういうのがわかる機能もあるんだ」
美和子は得意げに語る扇赤を見てやっぱり胡散臭と思った。
「そんな事できるの?」
「できるんだなこれが。俺ら写真館店主は写真館を開く時”境”のお上に会うんだ。その時にお上から直々に術を掛けてもらうのさ」
「術?」
「そ、術。証拠を見せてあげたいところだが、あんまり人様に見せてはいけないモノなんでね。それに俺のは特別だから」
じゃあ、と美和子は口を開く。
「さっきあなたの声が聞こえたのもその、営業指定範囲とか言う奴?」
「まあな。さて、もう少しで現場に着く。ああ楽しみだなぁ」
にやり、と化け物もたじろぐ程不気味な笑みを扇赤が浮かべた事に、美和子は幸か不幸か気がつかない。
いまだに手を引かれ大通りを下り学生都市との境の門まで来た。扇赤はそのまま学生都市に入ると北上し学生都市の中でも高級住宅地とされる地域に入った。学生都市だからと言って学生のみが住んでいるわけではない。もちろん学生とその家族が住んでいる地域だってある。
「ここは?」
「海苑寺家と言えば美和子君もわかるんじゃないかな」
そんな高級住宅地の中の家でも一等大きな洋風の屋敷の前に着いた。
海苑寺家…?と頭上にはてなまーくを浮かばせ考える。そしてすぐにわかった。
「まさか、あなたが依頼された事件って先月の…」
「そう、海苑寺家密室殺人事件さ」
美和子は血の気が引くのがわかった。
海苑寺家密室殺人事件。それは先月新聞を騒がせた事件だった。
「死んだのは海苑寺家当主、海苑寺邦臣。そいつが離れとして使っていた蔵の中で滅多刺しにされ死亡しているのを女中が発見。まぁそう言うと少し語弊があってね。蔵に入ろうとしたが鍵が掛かっていたんで鍵の管理をしている執事を呼びに行き、一緒に蔵を開けたところ蔵の二階で死んでいるのを二人で発見したんだ。でな、面白いのはここからなんだ」
「密室、だったんでしょ」
「なんだ、知ってるのか」
「さっきあなた言ってたしね。それに学校にいるのよ、そういうのが好きな子と海苑寺の娘が。高遠原先輩の親友だし…」
あまりにも精神的ショックが酷いので今は高遠原家に居候しているらしい海苑寺家の長女、海苑寺晴海は一度だけ美和子も会ったことがあった。高遠原や扇赤とはまた違った雰囲気の女子で、優しそうで柔和でふんわりとした雰囲気だった。が、故に酷くショックを受けたのだろう。晴海は邦臣によくなついていたらしい。
「ならば話は早い。いざ、尋常に勝負だ!」
「はぁ?」
本日何度目かの扇赤の意味不明な言葉に美和子は眉根を寄せる。
「ふっふっふっ、この扇赤加賀智にかかれば密室なんてすぐに密室でなくなるわ!犯人よ、待っておれ!」
「もう帰りた…ちょっ、急に引っ張らないでよっ!」
意気揚々と門を潜り聳え立つ屋敷に扇赤達は足を踏み込んだのだった。
新たに死人が出るとも知らずに。
どうも、新月です。
「拝啓、アザレアの華の前で」を読んでいただき有難うございます。
この話は日本の明治初期頃をイメージして書いておりますが、その時代には無いものが出てくる事がままあります。そこは弱ファンタジーだと思って下さい。尚、この作品は時折グロい描写が入ります。何卒ご了承ください。