写真館パンドラの匣
初めましての方も、お久しぶりの方も、よろしくお願いします!亀更新ですので気長にお待ちください
「僕は生きたいんだっ」
それは僕の言葉。
僕が最後に君に言えた言葉。
言葉は不思議なもので、形としては跡形も無いのに傷としては残る。それも永久に。傷が消える事は無く、ずっと苦しめ続ける。
言葉は呪いだ。
だから僕は喋るのが嫌いだ。
喋る事なんて、大嫌いだ。
それに。
生きたいと言う言葉はこの世の中で一番哀れみを向けられる言葉だし。
「拝啓、アザレアの華の前で」
序幕
「ねぇ、知ってる?」
「え、何を?」
「写真館よ。写真館パンドラの匣」
「何それ、そんな名前の写真館なんてこの街にあったかしら」
「そう!そこなのよ!無いのにあると言われてる写真館!」
「へぇ、それがどうかしたの?」
「この間ね、四条通を歩いていたの、そうしたらそこにあったのよ!写真館パンドラの匣!」
「あるんじゃない」
「だから驚いてるの」
「その写真館はなんでそんな噂が流れてるのかしら」
「うーん、入ったら二度と出てこれない、だったかしら。いっぱいあるの、噂。あ、でも一番有名なのはね」
写真館に飾られてる写真が動くんですってーーー
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時は嘉聖十一年。
恵戸幕府が倒れ再び天皇が國の頂点に立ち早くも十一年の歳月が経っていた。西洋と和國が混ざり合いなんとも奇妙な國になった和國。そんな和國の中で”境”と呼ばれる都市があった。古き良き和國の形を残しつつも西洋の文化を程よく取り入れたその都市は和國屈指の学生都市であると同時に、写真館都市でもあった。
この國で都市という名が表すのは単なる”都市”ではない。
この國で都市という名が表すのは「それ単体にだけ特化した街」だ。
”境”は「学生」と「写真館」に特化した街だ。もちろん普通の商いも行われているがそれらの店よりも圧倒的に「写真館」の方が多いし商人よりも「学生」の方が多い。”境”というのはその二つの都市の名称で正式に言えば「境の写真館都市」「境の学生都市」だ。
そんな「境の写真館都市」にはある写真館があるとまことしやかに噂されている。それは先ほども学生都市の中にある私立鳴桜女子高等学校の生徒が言っていたように、無いのにあるという写真館、パンドラの匣の事だ。そこには様々な写真が眠り、また素晴らしい写真を撮る店主がいると言われているが、誰もその正体を知らない。だが二つだけ確かな事がある。
店主はとんでもなく謎が好きだという事が。
そしてとんでもなく美人だという事が。
さて、これはそんな写真館の主人と私立鳴桜女子高等学校に通う一人の女子の…真に奇っ怪で非日常で非常識な物語である。
一、「四月は絵画の季節」
「無理よ、無理。無理って言ったら無理なのっ」
放課後の校舎にそんな声が響いた。
境、学生都市三条通を少し行ったところに私立鳴桜女子高等学校はある。西洋の技術をふんだんに使った校舎は学生都市に住む学生ならば誰でも知っていて、憧れでもあった。今時そんなに珍しくも無いのだが、やはり様々な色のついたギヤマンや可愛らしい西洋式の制服、広い敷地、設備の整った寮、そして高い学力と財力がなければ入学できないこの学校に、千藤美和子は通っていた。
「そんな事を仰らないで。美和子さん。この鳴桜高等学校写真部の為だと思ってやってくださる?」
「それは是非ともやりたいですよっ、でもですねっ!?ないモノを探せと言われても困りますっ」
「あら、無いんじゃなくってよ。ないのにあるの」
「そういう問題じゃありません!」
美和子は本校舎の三階突き当たりの部屋で気品溢れる先輩、高遠原円と話し合っていた。この部屋部屋は代々写真部が使っていて、美和子も写真部員だった。そして円は写真部の部長だった。
「パンドラの匣なんて写真館なんて存在してるわけないじゃないですかっ」
美和子はそう声をあげる。円は窓から差し込む日を浴びながら「そう?」と小首を傾げながら優雅に茶を飲んでいた。
「あるから言っているんじゃない。いくら私でも可愛い後輩に無理強いはしないわ」
美和子が何故先ほどから大声をあげているのかと言うと、単にこの高遠原円の所為である。円が美和子に小十分前に言った言葉が原因だった。『写真館パンドラの匣で写真を撮ってきてもらいなさい』。
「なんでそう言い切れるんですかっ」
美和子は長い黒髪を揺らしながらそう聞く。円はただ笑って「兎に角行って来なさいな」と言うだけだ。
「あんまり駄々をこねると先生に退部許可証を発行していただく事になりますわよ?」
それはあんまりだ。
美和子は渋々鞄を持って部室と校舎を後にしたのだった。
赤い制服のリボンを揺らしながら美和子は写真館都市を歩く。”境”は二つの都市を持っている。二つの都市、「学生都市」と「写真館都市」は隣り合っていて出入り自由だ。都市の間に大きな門があって常に人が往来していた。
「いつぶりかなぁ、こっちに入るのは」
美和子はあまり写真館都市に入った事はなかった。学校からは少し遠いが、働いている学生都市の喫茶店で下宿しているしさほど写真館に用はないからだ。それしにしても面倒だなぁと内心で思いつつ、大通りを歩いていた時だ。なんとなく、右を見たのだ。本当になんとなく、不意にだ。そこは薄暗い路地だった。狭く、人一人がようやっと通れる様な狭い路地。その向こうにそれはあった。
「え…?」
美和子は立ち止まった。
「写真館…パンドラの、匣…」
びゅうと、風が通り過ぎていった。
「なんで…」
ないと思っていたのに。
そこにある。
写真館パンドラの匣が。
西洋風の白い、こじんまりとした店だ。店の前には『写真館パンドラの匣』と書いた看板がある。その文字は玄関の上にもあった。茶色の古めかしい、彫刻の施されたドアの隣にはギヤマンの窓がある。
『入らないのかい?』
不意にそんな声が聞こえた。美和子は驚いて辺りを見回した。が、誰も美和子を見ていない。美和子に話しかけてなどいない。
『入らないのなら、もう今日は店仕舞いだ』
「ま、待って!入るわよっ」
店仕舞い、そう言われてはぽかんとしている場合ではない。美和子は思い切って路地に足を踏み入れた。
思っていたよりも大通りから店までは遠かった。店の前に着くと、美和子は大きく息を吸ってドアノブに手をかけた。金の豪奢なドアノブだった。
「いらっしゃい、ようこそ、パンドラの匣へ」
美和子は思わず鞄を落とした。中に入り目に入ったのは、
おびただしい数の写真と…それはまだいいが。店主と思われる男の傍らのテーブルには血のべったりとついた包丁に初めて目にする拳銃、切り裂かれ血が付着しているシャツ、そして、切り取られた人の、腕があった。
「おや、どうかしましたか?写真を撮られるんでしょう?顔色が優れないようですが…?」
そんな物を見たら写真どころじゃないわよっ
美和子はそう言おうとしたが口にする前にふらりと倒れこんだ。
「おおっと」
店主は駆け寄り完璧に倒れる前に美和子を抱きかかえた。その時、店主は美和子が制服である事に気がつく。
それは店主も良く知る女が通っている学校の制服だった。それ故に店主は舌打ちをする。店主の良く知る女
とはできればあまり関わりたくなかったからだ。
「また面倒な」
そう呟くと店主、扇赤加賀智は窓の下のソファに美和子を寝かした。
「さぁて、俺はこいつの謎を解きますか」
かたんとこれまた古めかしい椅子に座りナイフを手に取った。
美和子はまだ知らない。
この男との付き合いが今日だけで終わらない事を。
そして何故ここが「ないのにある」と言われているのか。
その話はまだ、もう少し後、だ。