絶望と失望
この話は、花野美知の過去になります。彼女が、アイドルを憎む理由とは?
父はとても歌が上手くて、どのような楽器もまるで自分の手足のように自然に美しい旋律を奏でていた。
そのレベルは当時プロとして活動していた演奏家や歌手達を上回っていたと今でも思う。
私は、物心ついた時から父の歌を聴いて育ってきた。
あの悲しい事故が起こるまでは……。
父が生きていた頃、父にこう訊ねたことがあった。
「どうしてお父さんは、歌手にならなかったの」
父は苦笑いしながらこう言った。
「お父さんの顔じゃ売れない、音楽会社の人に言われちゃってね」
私はその時、釈然としない何かを感じた。
「そんなのおかしいよ。歌も上手いのに、どうして?」
すると父は、私にこう言った。
「お父さんが若いときは、今よりも作詞家や作曲家が多くて、とりあえず顔さえよければ歌なんか上手くなくても、曲が作れなくたってよかったからな」
それを聞いた私は、何も言えなくなってしまった。
そして、これが父との最後の会話となった。
父は交通事故で亡くなった。
事故の原因は、相手側にあった。
運転手から、基準値を大幅に超えるアルコール反応が検出された。
父は飲酒運転の車に遭遇して、事故に巻き込まれたのだ。
そして、酒を飲んで運転していたのは、父と同年代の有名アイドルだった。
そのアイドルの事務所は、この事を隠蔽するために、私達二人が一生暮らせるお金を母に提示し、母はその提案を受け入れたため、示談が成立した。
私は、この事件以降、アイドルを激しく憎むようになっていった。
……そして大きくなるまでに、アイドル達に復讐する力をつけると心に決めた。
幸か不幸か、私は母に似て美人だった。
街を歩けば、モデル事務所やアイドル事務所から勧誘の嵐であった。
しかし、私はこの容姿を売りにする仕事をするつもりは無かったし、ましてや父を殺した奴等と同じ仕事をするなど論外だった。
私が所属していた音楽会社を辞めたのも、会社が私をアイドルとして売り出そうとしていることに気付いたからだ。
それは、私がメジャーデビューする前日だった。
私の広告ポスターに、大きく書かれたキャッチコピーは、『歌・顔・パフォーマンス、完璧アイドル誕生!』
私は、煮えたぎる衝動を抑えつつマネージャーにこの事を問いただした。
「何で私を、アイドルとして売り出そうとしているのですか!」
マネージャーは、不思議そうに聞き返してきた。
「君は、アイドルに憧れたことは無いの?」
憧れる?
馬鹿にしているの……あの事件は、この業界でも有名なはずだ。
「私はアイドルを目指して、ここに入ったわけではありません!」
マネージャーの無神経な逆質問に、危うく手が出そうになったが
「私は歌手になるためにこの会社に入ったのであって、アイドルになろうと思ったことはありません!」
何とか堪えて自分の意思を伝える。
「君みたいに可愛い女の子が、アイドルにならないなんてもったいないよ」
まだ白々と同じことを繰り返す馬鹿なマネージャーに、私はこう言った。
「私の父は、アイドルに殺された。あいつらと同じ事をする気はありません!」
その場に居合わせた誰もが、何事かと私達の方を見る。
「そうか、君はあの事件で亡くなった人の娘さんだったのか。でもね、仕事に私情を挟むなんて君らしくないよ」
すこし考えるようなふりをして、それがどうしたというように言った。
もう、我慢の限界だった。この言葉を言うことに躊躇いはなかった。
「アイドルなんかより、歌手が何倍も優れていることを証明してやるわ!」
するとマネージャーは嘲笑うように
「いまどき歌手は売れないよ」
と言った。
「私ができる、と証明するわ!」
「やれるものならやってみろ」
売り言葉に買い言葉。
これがマネージャーと交わした最後の会話だった。
こうして私は、せっかく入った大手音楽会社を辞めることにした。
この事は、今でも後悔していない。
そうだった。私がシンガーソングライターになったのは、アイドルに復讐するためだった。
父は、迷っていた私の背中を押すために話しかけてきたに違いない。
いや、そう思いたい。
そう思わなくては私の存在価値は無いように思えた。
……ふと出てきた父の顔が少し悲しそうなのは、気のせいだろうか?
そんな弱気でどうする。
あの不思議な道化師がくれた千載一隅の幸運を手にしたのに、そんなことでは証明できないじゃないか。
歌手がアイドルよりも何もかも優れていること、その証明をするのは私だ!