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「龍の花嫁」

 麗宝と青慎が後宮入りを果たしてから、早くも一週間が過ぎようとしていた、ある日の午後。

 「羽根、見付からないわね~」

 初夏に相応しい薄荷(はっか)(ちゃ)を冷ましながら、紅い表衣の侍女姿の麗宝が、青貴妃の衣装のままぐったりと椅子に腰掛けている青慎に話しかける。

 麗宝は筋金入りのお嬢様だ。高貴な身分の妃達の相手をするのも慣れているし、後宮暮らし自体に特に不満は無い。

 だが、青慎の方はそうはいかなかった。

 慣れない女装に貴妃の演技。それに加えて、周囲の目を(あざむ)く為に必要だとはいえ、足繁(しげ)く青貴妃のもとに通って来るホモの太子・(ほう)(しょう)からの本気のアプローチに、神経をすり減らし続ける毎日を送っている。

幸い青慎は李家の道場でも師範代(しはんだい)の腕前である。コトに到るまでにはならないが、相手もそれを承知で寝込みを襲って来るのだから、夜中ですら気の休まる時が無い。

麗宝と一日中一緒に居られるのは嬉しいが、情けないことに今の彼には、太子と二人きりにならずに済むのが、何より有り難かった。

 麗宝達の努力も(むな)しく、黒鳳凰の羽根探しは思うように進んでいなかった。

 大きな黒い羽根を見た、という女官や侍女は多く、初めの内は麗宝達も、直ぐに羽根の()()が見付けられそうだと期待を抱いていた。しかし黄皇后も、さすがに馬鹿では無いらしい。

皇后は後宮中の女官や妃達に黒い羽根の付いた贈り物をばら()いた上に、後宮のいたる所に、大きくて黒い羽根を飾らせていた。しかも自分の持ち物になど、黒い羽根で出来た扇やペンなど、よくぞここまで、と感心してしまう位ふんだんに紛らわしい羽根を使用している。

ここまでやると自分が犯人であると証言しているようなものだが、肝心の本物の黒鳳凰の羽根は、一向に消息が(つか)めないままだ。

羽根の行方の見当さえもつかずに、もどかしさを感じながらただ時だけが過ぎて行く。

まだ熱い薄荷茶を一口すすると、(すみれ)の砂糖漬けを飾った焼き菓子を繊手(せんしゅ)でつまんだ麗宝が、苛立(いらだ)たしげに言う。

「羽根を見付けるのがこんなに大変なら、孫中丞の頼みなんか聞くんじゃなかったわ!『羽根が見付かるまで御史台には戻って来るな。李恵秀の元に戻りたかったら、一刻も早く探し出すんだな』ですってえ?!私は仕事をする為に官吏になんかなった訳じゃないのよ!」

最後の一言は、世の科挙受験者達が聞いたら暴動が起きそうな発言だが、彼女はいたって本気だ。

孫中丞も、ようやく麗宝の使い方が分かって来たらしいと青慎は思ったが、口には出さないでおいた。

そういえば、こんなに長い間麗宝と過ごすのは、一体何年振りだろう。

彼女が恵秀を愛しているのは周りの誰もが知っている。自分は今でも麗宝の正式な婚約者だが、当の彼女には全く見向きもされないどころか、どうやら今では単なる『恵秀兄様の被害者その一』でしか無いらしい。

それでも未練たらしく婚約を解消しない自分は、さぞかし皆の笑い物となっているに違いない。だが、恵秀を(した)う麗宝の為にも、この婚約を破棄するわけには行かないのだ。

目の前に居る、美しく成長した幼馴染(おさななじ)みを眺めながら、青慎は幼い頃の二人を思い出す。

ずっと昔、まだ二人がお互いの邸宅を行き来し合って無邪気に遊んでいた頃。青慎の体はとても弱かった。

一緒に雨に濡れても、麗宝は何ともないのに、彼だけがいつも熱を出して寝込んでしまう。熱が出ない時でも、一度咳をし出すと止まらなくて、いつか息が出来なくなってこのまま死んでしまうのかも知れないと思った事は、何度もあった。

健康で溢れんばかりの生命力に満ちた麗宝に(あこが)れながら、あの頃はまだこんな自分でも将来は彼女の夫になれるのだと信じて疑わず、それが彼の生きる力となっていた。

だが、ある日のこと。たまたま太子がお忍びで訪れていた龍家を訪ねた青慎は、そこで偶然女官達の会話を耳にしてしまったのだ。

「ねえ、聞いた?!陛下は麗宝お嬢様を将来、太子様の貴妃になさりたいんですって!なんでも黒華族と白華族の、民族融和の象徴とされたいのだとか」

「でもお嬢様はもう、珀家の御子息と婚約されているじゃない?龍家は代々珀家と婚姻を結んで来たのだし、いくら太子様でも、他人の婚約者を(めと)るのは無理よ」

「あら、代々珀家と結婚して来たのは、双子の弟の方よ。それに、『龍の花嫁』なら、珀家の子息じゃなくて、皇帝となる者の妻になるべきだわ。そうすれば、国に龍神の加護を与える事になるもの」

飛ぶ鳥を落とす勢いの百華国の太子と、血筋だけは良いが、今ではただの一家臣の息子で病弱な青慎。幼い彼にすらも、自分に到底勝ち目が無いのは明らかだった。

けれども・・・。

(嫌だ・・・!麗宝だけは誰にも渡さない!)

この日から人知れず、青慎の起死(きし)回生(かいせい)を掛けた必死の努力が始まった。

少なくとも青慎自身さえひとかどの人物になれば、いくら太子殿下が相手とはいえ、そう易々(やすやす)と婚約者を奪われる事は無い(はず)だ。幼心(おさなごころ)にそう考え、彼はただひたすらに上を目指し続けた。

幸い珀家は教育に熱心だった。現在の珀家の繁栄も、ひとえに実力で勝ち取って来たものだ。そして更に幸運なことに、すぐ近くには武家として名高い、李家の道場もあった。

大好きな麗宝を太子に取られまいとして、幾年も血の(にじ)むような努力を重ねた結果。青慎は天下に名だたる名門・明啓塾の神童の名声と、李家の門弟(もんてい)として若輩者(じゃくはいもの)には前代未聞の、師範代という名誉を手に入れる事が出来た。

だが、彼が麗宝を一人残したまま、彼女の為に一心不乱に突き進んでいる間に・・・。

いつも一緒に居たはずの彼女は、気が付くと同じ明啓塾の塾生である、恵秀の後を追うようになっていたのだった。

太子との縁談の話は、今も麗宝本人には知らされていないらしい。青慎との婚約破棄を望んでいる彼女ではあるが、恵秀が麗宝の求婚を断り続けている限り、婚約を解消した後に彼女の夫となるのは、ほぼ間違いなく太子だろう。

彼女が恵秀以外の男に(とつ)がされて泣くのは見たくない。だが万が一、恵秀が彼女を受け容れる日がやって来たとしたら?

自分に彼女を手放す事など、本当に出来るのだろうか・・・?

「青慎、青慎ってば。ねえ、寝ちゃったの?」

椅子に腰かけたまま卓にうつ伏せになっていた青慎に、さっきから話しかけていた麗宝が声を掛ける。

耳を澄ませて返事を待っていると、代わりに彼の静かな寝息が聞こえて来た。

(青慎ったら、やっぱり寝てたのね!でも仕方がないのかしら。昼間は後宮でひっぱりだこの上、夜中は鳳翔様がいつ寝込みを襲いに来るか分からないから、ほとんど眠れていないみたいだものね・・・)

風邪をひかないよう、シルクの上掛(うわが)けを探して来ると、そっと彼の肩から掛けておく。

相変わらずどこか線は細いが、記憶にあるよりもずっと広くなっていた背中を見て、思わず少しドキリとする。引き()まった腕にもしなやかな筋肉がついているのだろう。自分の腕とはもう随分違ってしまったのが見てとれる。

(思えば青慎も、随分変わったわよね)

麗宝の記憶にある幼い青慎は、麗宝が知っているどの女の子よりも綺麗で、そしてとても体が弱かった。ちょっと風邪をひくと必ず熱を出す上に、すぐに咳が止まらなくなって、息をするだけでもとても苦しそうな音がした。

彼が突然、厳しい修練で知られる李家の道場に通い始めた時は、周りがこぞって止めさせようとした。

だが見た目によらず頑固な彼は、修練の際に何度倒れても弱音を吐かず、決して道場通いを止めようとはしなかった。

そして次第に青慎の体が丈夫になり、道場仲間も増えてゆくにつれて、それまでいつも一緒に居た麗宝は一人、取り残されるようになって行ったのを覚えている。

彼が明啓塾の門弟になると、会う機会は更に減った。

文明の発達した百華国だが、伝統的に女性は二級国民だ。大きくなっても他人に(へりくだ)るのを(いと)わないよう、女の子が生まれた時には、三日目に土間(どま)に転がしておいて、瓦や石ころを握らせておくしきたりさえある。

勿論、女性は官吏になどなれないし、女の子は通常道場にも塾にも通わせては貰えない。

入塾は出来なくてもせめて一緒に勉強出来ればと、龍家の書庫を明啓塾に解放するよう親に頼んだ彼女の、たっての願いは聞き届けられた。

そして龍家の書庫へ通い始めてから間もないある日のこと。そこで麗宝は初めて恵秀と出会ったのだ。

(恵秀兄様ったら、李家の息子なのに武術は全くダメで、運動音痴なのだもの。最初は本当にびっくりしたわ)

当時からの恵秀の不器用ぶりを思い出し、彼女はついくすりと笑う。世の中にあんなによく転ぶ大人が、他に居るだろうか。

恵秀は青慎のように取り立てて見た目が良いわけでも、覇気(はき)があるわけでもない。頭脳は優秀なのに、ぼ~っとした見た目と身のこなしの鈍さから、いつも(ひる)行燈(あんどん)と勘違いされがちだ。

誰もが口をそろえて青慎の方が断然いいと言い、なぜ麗宝だけがこうも恵秀に()かれるのかと不思議がる。彼女自身にも理由は説明出来ないのだが、まるで千年の恋人に抱く様なこの強い想いは、きっと本人にしか分からないに違いない。

(青慎は確かにハンサムだけれど、恵秀兄様だって糸目を開けるとすごく恰好(かっこう)いいんだから!それに・・・)

結婚してはくれなくても、恵秀はいつも彼女を受け容れてくれる。いつも変わらぬ暖かさと包容力で彼女を包んでくれる。

たとえ彼女が一生恵秀を追いかけたとしても、彼は麗宝の為に生涯独身でいてさえくれるという確信すら、彼女にはあった。

恵秀の妻になれない事よりも、彼がいつか突然目の前から消えてしまったとしたら、その方が遥かに耐えられないだろう。

麗宝はふと、百華国に伝わる白龍姫の伝説を思い起こした。彼女は白華帝が黒鳳凰と化した後、珀家の先祖と再婚したという。

白華帝と白龍姫の(むつ)まじさは伝説に残り、誰もが知っている通りだ。だが彼女は白華帝が去った後に、再三(さいさん)求婚していたという幼馴染みの珀家の先祖と、家の為とはいえ再婚した。

珀家にも龍家にも、彼女の再婚は穏やかで幸せなものであったと伝わっている。言い伝えの真偽のほどは謎だが、龍家の娘の中で、彼女だけが二度も結婚していたというのは事実だ。

(青慎のご先祖様と再婚した時、白龍姫はまだ白華帝を愛していたのよね。でも、再婚後にはどうだったのかしら・・・・?)

最愛の夫と離されて、家の為に他の求婚者に嫁いだ白龍姫の影が、今の自分の姿と重なる。

麗宝も本当は知っているのだ。黒耀帝が『龍の花嫁』を、太子の妻に望んでいる事を。

その太子が実は男色家だったという事だけは、つい最近まで知らなかったけれども・・・。

一人考えを巡らせていると、静かな夜の部屋にドアを軽く叩く音が響いた。

「鳳翔だけど、入ってもいいかい?」

ドアを開けると、背の高い太子が、いつもの無愛想な護衛を従えて部屋の中に入って来る。

眠っている青慎に早速気付いた鳳翔が、急に目を生き生きと輝かせて彼に忍び寄ろうとした。

麗宝がすかさず間に入って懇願する。

「鳳翔殿下、青慎は慣れない後宮の任務でとても疲れておりますの。どうか床に描かれた円の中には、お入りにならないで下さいませ」

彼が足元を見ると、紐で作られた半径一丈(約3メートル)程の円が、青慎の周りを取り囲んでいる。

鳳翔が金色に近い明るい栗毛を揺らしながら、同色のいたずらな瞳を細めて(たの)しげに笑った。

「おや、なんという野暮(やぼ)なことを、と言いたいところだけれど、しどけない姿の青慎君を触れずにこうして眺めるだけという我慢プレイも、これはこれでそそるかな」

目の前に魚をぶら下げられた猫の様な目で青慎を見詰める鳳翔に、今度は彼の教育係のような護衛が、万里の長城並みの防壁を張り巡らす。

「珀青慎は白華族の皇族の子孫だ。この国の半数近くを占める白華族に暴動を起こさせたくなかったら、絶対に手は出すな」

仮にもこの国の太子に対して、この()(じゅん)という従者はいつも、容赦の無い命令口調で話す。

まるでどちらが太子か分からない様な言い(ぐさ)だが、鳳翔本人は全く気にしていない様子だ。

幼馴染みか何かなのだろうか。彼等はいつも一緒に居る上に、まるで兄弟の様に仲が良い。

(それにしても、この二人って目立つわよね)

青慎ほどの美男子ではないが、背が高くてハンサムな上に、二人とも明らかに胡人(こじん)の血が混じっている為、どこに居ても直ぐに分かる。

顔の()りが深い彼等の面立(おもだ)ちは、平坦な造作(ぞうさく)の顔が多い平均的な百華国人とは随分異なる。

特に李洵など、髪こそ見事な烏羽(からすば)(いろ)だが、瞳の色は透き通った緑色だ。

気さくな鳳翔はどこへ行っても人気者だが、(かたわ)らで護衛の李洵が、あの鋭い緑の目で突き刺す様に見るものだから、後宮の女官達も鳳翔には容易に近付けない。

(あの瞳で見ると、この世界は一体何色に見えるのかしら・・・?)

そんな事を考えながら、彼の瞳を凝視していたからか。ただでさえ威厳がありすぎて迫力満点の彼が、無言でギロリとこちらを(にら)んだ。

(うっ、まるで千里眼のような目つき!何だか苦手なのよね、この人。それに・・・)

何かを思い出そうとして、(しば)し考え込んだ後。麗宝がふいに納得した様子でぼそりと呟いた。

「そうだわ。初めて会った時から思っていたのだけれど・・・彼って孫御史中丞に性格が似ているのよね。二人共見た目は全然似てないけれど、親戚か何かかしら。じゃあ彼も、今はふさふさだけれど、いずれ歳をとったら頭のてっぺんが孫中丞みたいになるとか・・・?」

「おい」

それまで無言で堪えていた李洵が、とうとう我慢出来ないという様に、青筋を立てて彼女を怒鳴り付けた。

「一人言は一人で居る時に言え!お前の思考が全てダダれになっていて不愉快だ!言っておくが、俺に孫家との血の(つな)がりは一滴たりとも無い!それから、お前も新米とはいえ監察御史として後宮に潜入しているのなら、他人にそう簡単に思考を読ませるな!」

「思った通り、千里眼だったんだわ!」

「だからその一人言を止めろと言っている!その頭は飾りものか?!」

二人のやりとりを横で可笑(おか)しそうに聞いていた鳳翔が、とうとう堪え切れずに吹き出した。

「ぷっ・・・あははは!いや~、李洵の神経をここまで逆撫(さかな)で出来るとは、怖い物知らずだよねえ、氾御史って。実は今日は青慎君じゃなくて、そんな君に聞きたい事があってやって来たんだよね」

「え、私に?」

「おい、こんな脳天気な奴に何を聞いても無駄だ。さっさと帰るぞ!」

「まあまあ、氾御史だって科挙に合格したんだから、これ位は答えられるでしょ?実はこのところ陛下も僕も、科挙出身者の朋党(ほうとう)に悩まされていてね。特に白華族出身の官吏には、黒華族の支配に反発して、陛下よりも朋党を優先させる者が多い。何とかしたいと知恵を(しぼ)っているのだけれど、何せ周りの官吏達は皆朋党出身者だからね。誰も朋党を崩す為の案など本気で考えてはくれないんだ。君には朋党の繋がりもあまり無さそうだし、もしいい案があるなら、聞かせて欲しいのだけど」

麗宝は一瞬ぎくっとした様子で、視線を泳がせた。

氾寧悠としての麗宝が朋党に取り込まれていないのは、単に彼女が偽物だとバレないよう、科挙での繋がりを一切絶っているためなのだ。

朋党とはコネと金で繋がれた政党のようなものだ。朝廷の高官の中に大親分が、中央から地方にかけては中・小親分が要所に配置され、その下に無数の子分が従属している。

官位の昇進は賄賂(わいろ)により朋党の親分との間で密かに取引され、後に形式的に政府の決定となって公表される。典型的な癒着(ゆちゃく)の図式だ。

朋党の中で最も厄介なのが、科挙出身者のそれである。試験官と科試の及第者(きゅうだいしゃ)の間には先生と弟子、同期の進士達の間には「同年(どうねん)」と呼ばれる繋がりが出来上がっていて、お互いに便宜を計り合うのだ。

この朋党から仲間外れにされると一生出世は望めない為、彼等は君主への忠誠よりも、朋党内の関係を優先させてしまう。これでは幾ら賢帝が人民の為の政治を行おうとしたところで、官僚の為の政治を止めさせる事は不可能に近い。

鳳翔はあくまで黒華族の皇族の立場でこの問題の解決を願っているのだが、実は麗宝にとっても朋党の癒着は他人事では無い。国中に黒華族が溢れる昨今、白華族の朋党の中には、白華族の王朝を復活させたがる者も多いからだ。

現在白華族達が黒華族の治世を甘んじて受け容れているのは、現在の黒耀帝の治世が、その先帝である白華族の(はく)()(てい)のそれよりも遥かに良きものであるからに他ならない。

珀貴帝のもとでは官吏の腐敗が進み、その上贅(ぜい)の限りを尽くした皇帝の暮らしぶりは、法外な徴税を伴って万民(ばんみん)を苦しめた。

この「()(せい)は虎よりも(もう)なり」を地で行く悪政振りに反乱を起こしたのが、現皇帝である黒耀帝だ。

勤勉実直で倹約家の新帝は、次々に乱れた国政の改革を成功させて行き、現在の百華国の繁栄をもたらすまでに国を立て直した。ほとんどの国民にとって彼は反逆者というよりも(むし)ろ国の救世主であり、その思いは白華族の麗宝達にすら共通のものだ。

にも係わらず、白華族王朝の復活を企む者達はいつも、龍家と珀家を復活の御輿(みこし)として(かつ)ぎ上げたがる。そしてその(はか)りごとの(かなめ)には大抵朋党が関わっているのだ。麗宝達にとってみても、はた迷惑もはなはだしい存在なのである。

(白華族の皇帝達でさえ手を焼いて来た官吏の朋党だもの。異民族の黒耀帝には更に手ごわい存在に違いないわよね)

もしも黒耀帝が朋党の結束を崩して官吏の癒着を防ぎ、彼等を自らの手足として働かせたいと思うならば、一体どうすれば良いのだろうか・・・?さすがに麗宝にも、簡単には答えが出せない。

恐らく一つの策で朋党の結束を崩せる特効薬は、存在しないだろう。だが、複数の有効な策で包囲網をつくり、周りから(から)め取る様に逃げ道を(ふさ)いで行くのならばあるいは・・・・。

しばらくの沈黙の後、麗宝がおもむろに口を開いた。

「朋党を無くす特効薬はありませんが、複数の策を用いて結束自体を弱める事でしたら可能ですわ。私の案では、陛下のご負担も大きくなりますが、それでも(よろ)しいでしょうか?」

「構わん、言ってみろ」

何故か鳳翔ではなく、李洵が返事をする。麗宝が慎重に言葉を選びながら話し出した。

「科試の際には通常、試験官と受験合格者との間に師匠と弟子の私的な関係が出来ます。合格した進士達にとって、数ある答案の中から自分の物を選んでくれた試験官は、一際(ひときわ)恩を感じる相手です。この関係が朋党の始まりで、これを防ぐ為に陛下が自ら試験官となって試験を行い、恩を売って合格者全てを自分の弟子とするべく創設されたのが、殿(でん)()ですわよね?」

「ああ、そうだ」

「ですが実際には陛下が自ら答案を手にとってご覧にはならず、しかも殿試は形式上のみの試験で、貢挙にさえ受かっていれば、余程の事が無い限りは不合格にはされませんわ。これでは進士が、陛下が自分の答案を選んで下さったと恩を感じる事は無く、天子たりとも彼等の朋党の親玉となる事は叶いません。ですから私の一つ目の策は至って単純です。陛下が答案の採点を全て読巻(どくかん)大臣(だいじん)に任せきりになさるのではなく、真に御自(おんみずか)ら合格者を選べば良いのですわ。それから、例え陛下が朋党の『総締(そうじ)め』になられたとしても、実際に朋党をまとめるのはその下の親玉達です。貢挙以降の試験官は、陛下が直接任命される事も必要かと思います」

「だが、いくら何でもそれでは陛下のご負担が大きくなり過ぎる」

「負担を減らす方法は幾つかあります。例えば殿試での陛下の面接で、儀式的な奏上形式の遣り取りをお止めになり、実際に陛下ご自身に簡単な口頭試問をして頂いてはいかかですか?」

「簡単な口頭試問だと?」

「そうです。陛下が受験者にその場で、御自身でご用意された簡単な質問に即答させ、その答えを御自(おんみずか)ら採点なさるのです。貢挙合格者が受ける殿試では、知識の素養自体は保障済みですもの、試問自体は平易で構わないと思います。この方式でしたら、(あらかじ)め用意してある答えを奏上するのみである現行の殿試の手間と時間の無駄を省くだけでは無く、四書五経は得意でも実務では機転の利かない者が合格してしまうという可能性も排除出来ます。賄賂を受けた読巻(どくかん)大臣(だいじん)が進士を選ぶ事も防げますわ。」

麗宝にとってはごく当たり前の事を指摘したに過ぎないのだが、それを聞いている鳳翔と李洵の表情は真剣そのものだ。

一拍置いて、鳳翔が尋ねる。

「有難う、氾御史。参考にさせてもらうよ。他の策も聞かせて貰えるかい?」

「はい。朋党の結束には一定の法則があります。ですからその法則を上手く利用出来れば、自然と結束は弱まるはずですわ」

「例えば?」

「朋党の親玉には通常、地位の高い官吏がなります。けれど幾ら地位が高くても、家の後ろ(だて)が弱いれば、『十華』などの名家出身の者を思い通りにする事は難しいですわ。逆に、『十華』の者が親玉である場合、朋党の力は強まります。名家以外の官吏の朋党には十華の者を、そして十華の親玉の朋党には他の有力十華出身の者が入るよう上手く誘導出来れば、朋党の結束は弱まる筈ですわ」

「なるほどな・・・他にも策はあるのか?」

今度は李洵が聞いて来た。

「ええ。朋党の男性秩序の(わく)から離れた、女性の官吏を登用するのも、一定の効果があると思います。最後に理論上では一番効果的な策が残っていますけれど・・・残念ながらこちらは、普通の人間には実行出来無い机上の策ですの」

「・・・言ってみろ」

「朋党が問題になるのは、陛下の目の届かない所で、官吏達が私的な目的の為に重要案件の決定権を悪用出来るからです。ですからもしも陛下が全ての高官達を直接の監視下に置かれ、彼等の職務内容を熟知なさった上で、重要事項の最終決定権を掌握(しょうあく)なさる事が可能でしたら、当然朋党内で勝手に陛下の御意(ぎょい)に反する決定を下す事は出来なくなりますわ。けれどもこちらの案は、陛下が十人でもおられない限りは実現不可能ですもの。どうぞお忘れを。」

「全ての高官達を直接の監視下に置いて、重要事項の最終決定権を掌握する、か・・・」

一人思考に(ふけ)りながら「俺に出来るか・・・?」などと呟いている李洵をうながすと、鳳翔が椅子から立ち上がり、笑顔で麗宝に帰りの挨拶をする。

「今日は有難う、色々参考になったよ。そこで(たぬき)寝入(ねい)りをしている青慎君にも、後で宜しく」

いまだ無言のままで何やら考え込んでいる李洵と、名残惜(なごりお)しそうな鳳翔を、麗宝は部屋のドアまで見送り別れの挨拶を済ませる。

そして彼等の姿が、鳳凰の装飾を施した(すず)のドアに隠されて消えようとした時。

ふいに鳳翔がドアを押さえると尋ねた。

「ところで、氾御史は龍家の双子の弟と仲が良いんだってね。時々手紙をやり取りしていると聞いたよ」

不意を突かれて一瞬、麗宝の表情が強張(こわば)った。

「え、ええ。龍家とは昔から交流がありますの」

「そうかい。龍史明の美貌と頭脳は名高いからね。そのうち紹介してくれないかな、頼むよ。それから青慎君に、明日の夜また来ると伝えておいておくれ」

麗宝にウインクしながら今度こそドアを閉めると、鳳翔は李洵と夜の回廊を歩き始めた。

二人が去って、ほっと麗宝が安堵の息を吐いている頃。人影の無いところで真顔(まがお)に戻った鳳翔と李洵が、立ち止まって互いの目を合わせた。

鳳翔が声を潜めて話し出す。

「・・・龍史明と手紙の遣り取り、ねえ。彼の筆跡は個性的過ぎて、本人と双子の姉以外には誰も読めないことで有名じゃなかったっけ?」

「科試の試験官達は皆、あの氾寧悠の顔を覚えていないと証言していた。あれほど(すき)だらけならば、少なくとも刺客ではなさそうだがな。龍家との繋がりからすると、白華族王朝復活を企む一味かとも思っていたが・・・あの朋党対策の案を聞く限りでは、本気で朋党を(つぶ)しても構わないと考えているとしか思えんぞ」

「確かにこれまで聞いた中では、ピカ一の朋党殺しの策だったよねえ。実際に科試を受けていたとしても、間違いなく合格はしていただろうね。刺客でもなく、旧王朝復古派の一味でもない、偽物の宦官かあ。でもあの見た目からすると、本当に宦官かどうかも怪しいところかな・・・実は女の子だったとしても不思議は無いよね。ところで君、氾御史って、御史達の間では、李恵秀御史が大大大好きなことで有名なんだって。知っていたかい?」

「なんだあいつ、お前のお仲間だったのか?」

「と、最初は僕も思ったんだよね。でもそれを聞いた時、他にもう一人、李恵秀大好きで有名な子が龍家に居るのを思い出したんだ。一体誰だと思う?」

「誰だ、その物好きは?」

「『龍の花嫁』、つまり龍史明の筆跡が彼以外に読める双子の姉・龍麗宝だよ」

 

その時、二人の後ろの回廊から、音も無く黒い人影が闇に消えていったのを、話しに夢中になっていた彼等は気付いていなかった。

人影は後宮の闇を滑る様に移動し、黄皇后の寝室へ忍び込むと、部屋の主へ青貴妃の部屋で見聞きした全てを報告する。

間者(かんじゃ)を退がらせて独りになった黄皇后が、愉快そうに喉を鳴らして嗤った。

「珀家の息子と『龍の花嫁』とは、気付かぬ内に最上の手駒(てごま)を手にしていたものじゃ。さあ、一体どうやって利用してやろうかのう」

彼女の頬をくすぐる、白い繊手に(つま)まれた黒い羽根。それは紛れも無く、麗宝達が探している、黒鳳凰の羽根であった。


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