一話
「……くん、着いたよ」
誰かが自分を呼んでいる。微睡みの中で、声の持ち主が穂香だと分かった。
「幸浩くん、中村駅着いた。早くしないと発車しちゃうよ」
ゆっくり目を開けると、窓枠が目に入った。埃っぽいステンレスの窓枠。電車の窓枠だ。視線を上げると、ガラス越しに駅のホームらしき場所が見えた。駅名を表示する看板が正面に提げられている。眼鏡をかけていなかったので目を細めてそれを読み取る。
中村。
(ああ、そうだ。俺は穂香と……)
「ああもう、早く! 本当もう発車しちゃうよ!」
穂香が俺の腕を掴んで引っ張った。ぼんやりとした頭のまま眼鏡をかけ、リュックサックを肩にかけて席を立った。車内に他の乗客はいない。もうみんな降りてしまったのか、初めから誰も乗っていなかったのかは思い出せなかった。いつの間にか寝てしまっていたらしい。
通路に立つと穂香が幸浩の腕に手を置いた。
「通路、狭いし後ろから袖でも掴んでる方が良いかも」
幸浩が言うと、穂香は素直にそれに従った。Tシャツの袖を強く握りしめるのが分かった。その感触にふっと心が温かくなった。
「行くぞ」
幸浩がゆっくりと歩き出すと、穂香も歩き出す。ドアの前までたどり着いて、幸浩は一瞬立ち止まった。反応できずに穂香が背中にぶつかる。
「あう、止まるなら言ってよ」
「ごめんごめん、えっと、ホームに降りるから。十五センチくらいの隙間あるから、気を付けて」
「オッケー。ありがと」
ホームに降り立つと、じっとりとした夏の空気が身体に纏わりついた。クーラーの冷気に慣れていた体を重たい熱気が包む。強烈な太陽光線も相まって、体から汗が噴き出した。
穂香も手を引かれながらホームに降りる。幸浩と同じように顔をしかめて「あっつい……」とぼやいた。白いワンピースに日の光が反射して輝く。
後ろ手に電車のドアが閉まり、轟音と共に線路の遥か向こうへと消えていった。それを待って、幸浩はホームを三六〇度見渡す。そして、いつものように感想を述べる。
「すごく寂しい駅。ホームの隅に錆び付いたベンチが四個並んでて、正面には改札。ちゃんと自動改札になってる。まあ観光地だから当たり前かもだけど。でも横浜とかと違って三つだけ。反対側には別に何もない。木とか、草が茂ってる。いかにも田舎の駅って感じ。駅舎がやたら新しいのが逆に寂しい感じ」
振り返ると、穂香はにこにこと笑っていた。心底楽しそうなので、幸浩はほっとした。不安そうな顔をしていたらどうしようかと思っていたが、杞憂だったらしい。
「ありがとう。想像できた」
「駅、出ようか」
「うん」
穂香の手が自分の腕に添えられるのを待って幸浩は歩き出す。ゆっくりと、穂香が付いてこられるように慎重に。あまり気にしなくても、穂香は杖を使って一人でだって少しは歩ける。それでも幸浩は気を遣わずにはいられなかった。今は隣に自分しかしないのだ。自分が、しっかりしていなくては。
閉じられた双眸に陽が当たって、色白な肌が輝く。瞼の奥の目に、この差すような日差しをどれだけ感じているのだろうか。燦然と輝く、太陽すらも見えないのだろうか。
丁度一年前の夏に、穂香は視力を失っていた。
お読みいただきありがとうございます。
文章もストーリーも未だ稚拙ではありますが、頑張っていこうと思います。
感想やアドバイス等、いただけると幸いです。お待ちしております。