お分かりいただけただろうか
「お分かりいただけただろうか」という表現は、厳密には間違いだ。
実は僕が前回書いたエッセイは「お分かりいただけただろうか」という一文で締めくくっているのだが、もちろんこれはワザとそのように書いている。
実際、「お分かりいただけただろうか」と言われたら、誰でもちょっとイラッとするのではないだろうか。
ご存知のとおり、これは「お分かりいただけましたでしょうか」とするのが正しい表現だ。
これなら、イラッとさせられる事はない。
だがこれだと表現が丁寧過ぎて、恐怖映像のナレーションには不向きだという事情も理解できる。
理解できるがイラッとする。
無礼と知りつつ、ワザとぞんざいな表現をしているのだという意図は汲んでいるが、それでもやっぱりこう言われるとイラッとする。
更年期のせいだろうか。
いや、関係無いな。
話は変わるが、一時期よく言葉違いの間違いとして「ら抜き言葉」が取り上げられた事があった。
「食べれる」は間違いで「食べられる」が正しい、とか、そういうやつだ。
僕は「食べれる」でも間違いだとは思わない。
もちろん、「食べられる」と言うのが望ましくはあるが、「食べれる」は許容範囲だ。
「食べられる」には受身と可能の意味があって紛らわしいケースがあるが、「れる」だと意味が可能に限定されるから、逆に使い勝手が良いとも言える。
さらに言えば、「れる」の方が他の動詞との釣り合いが取れている。
例えば、「走る」という動詞。
「走ることができる」という意味にするには「走れる」以外にはなく、「走られる」とは出来ない。
動詞全般を見れば、「れる」の方がむしろ一般的であり、「られる」は例外的だと言える。
だが、「れる」を使う最大の利点は、言葉が短くて済むことにある。
「食べられる」とするより「食べれる」とした方が労力が少なくて省エネになるのだ。
「食べられる」という表現に慣れている人にとって「食べれる」は違和感があるだろうが、「食べれる」という表現が一般的になれば、だんだんそっちに慣れてきて、何年後か何十年後かには「食べれる」に違和感を持つ人はおそらく居なくなるであろう。
一番やっかいなのは、「食べれる」という表現が主流になってもなお、「食べられる」が正しい、と言い張る人たちである。
言葉とは、使い勝手が良い方向へと変化するものだから、頑なに過去の表現にこだわらず、主流となった表現に合わせて使い方をシフトしていくべきだと僕は思う。
とは言うものの、文句を言いたくなる表現が多々あることも事実だ。
僕の嫌いな表現を例に挙げるとすると、例えば「ゲリラ豪雨」なんかがそうだ。
そもそも「ゲリラ」という言葉自体の語感が悪すぎて気に入らない。
あと、センスも古い。
おそらく団塊世代のジジイが言い始めたに違いない。
普通に「集中豪雨」という言い方もあるし、何なら「スコール」でも問題なかったはずだ。
若者受けを狙うなら、「とりま豪雨」なんてどうだろう。
「何かとりあえず凄ぇ雨降ってんだけど、ヤバくね?」みたいな。
「ゲリラ豪雨」なんて言い出したヤツは、いっそ死ぬまで下痢に悩まされて欲しい。
一時期「女子高生」という言葉が気に入らなかったが、今ではすっかり慣れてしまった。
「JK」にも違和感がない。
そうやって人は順応していくのだ。
また一時期は、後ろの「たり」の省略が気になっていた。
おそらく意味が通じていないだろうから例文を出そう。
「若者はバイトでお金を得たり、友達から借金をして必要な費用をまかなっている」
これは文法的には「~たり、~たり」と2回付けるのが正しかったはずだ。
つまり、この例文で言えば、本来はこうするのが正しいとされている。
「若者はバイトでお金を得たり、友達から借金をしたりして必要な費用をまかなっている」
だが、これも今では気にならなくなった。
無くても意味は通じるし、そういう言い方をする人が増えたせいで聞き慣れてきたからであろう。
「全然」の使い方が違うと注意する人は今もいるのだろうか。
「全然」は「~ない」と否定形が続くのが正しくて、「全然かわいい」とか「全然平気」なんて言い方は間違いとする人たちのことだ。
ちなみに僕は、「私、可愛くないから」という女の娘に対して「えー、全然かわいいよ」とか平気で言えるし、「全然OK」とかも普通に使っている。
たぶん、ほとんどの人がそうだろうと思う。
学者や教授や先生がどう言おうが、言葉に限っていえば、多数派こそ正義である。
「~になります」という表現にケチを付ける人もいた。
店員が焼き鳥を持ってきて「こちら、焼き鳥になります」とか、値段を聞かれて「300円になります」とかが気に入らない人たちだ。
彼らは「こちら、焼き鳥です」「300円です」が正しい表現だとし、たしかタレントのタモリもそんな事を言っていたと記憶している。
だが問題ない。
「オタマジャクシはカエルになります」と言っているのとは訳が違う。
「こちら、焼き鳥になります」も「300円になります」も決して悪い表現じゃない。
意味が通じているし、語感も柔らかい。
ぶっきらぼうに「焼き鳥です」「300円です」と言われるよりは、よほど気が利いていると思う。
これは敬語(丁寧語)の一種と見るべきだ、と僕は理解している。
ちなみに僕が最近、個人的に耳障りに思っているのは「なのでした」という言い方だ。
某局の朝のテレビ番組で、どこかの家の飼い犬の行動を紹介する「今日のワンコ」というコーナーがあって、締めくくりのナレーションが毎回「なのでした」で終わるのだが、これがどうにも引っかかる。
例えば、
「いつまでも大好きなご主人様の背中を見送っているポチなのでした」
「いつか隣のネコちゃんと一緒に遊んでみたいと思うジョンなのでした」
「嬉しくてソファの周りをグルグル回ってしまうタロウなのでした」
みたいなヤツだ。
なぜこれを僕が耳障りに思うのか、自分でもよく分からない。
僕自身が自覚していないトラウマでもあるのだろうか。
心当たりは全く無いのだが……。
思い付くままに色々と書きすぎて、結局何が言いたいのか分からなくなってしまった僕なのでした。




