表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の忠告を無視した代償は大きいですよ?  作者: 逆立ちハムスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

仄暗き揺籃、傲慢なる帝都

大地が鳴っていた。


それは、私たちが暮らすこの優美で、冷酷なガルニア帝国の帝都セレスティアの足元から、絶え間なく湧き上がる不気味な胎動だった。普通の人間はそれを「単なる地鳴り」だと笑い飛ばし、高級なワインを傾けて御茶を濁す。けれど、私――エルゼ・ヴァルハイトには分かっていた。

あれは、漆黒の深淵で無数に蠢く、飢えた爪と羽が石を削る音なのだと。


「また、南区の観測儀が微弱な震動を捉えたよ、エルゼ」


ランプの仄青い光に照らされた薄暗い研究室で、私を呼ぶ声があった。

声の主は、私の幼馴染であり、この国で数少ない『地下生物生態学』を修める若き学者、ジュリアス・ランバートだ。

整った顔立ちに、度の強い眼鏡。普段は冷静沈着な彼の細い指先が、今、古びた羊皮紙の図面の上でかすかに震えている。


「南区……。あそこは先月、軍が『新型の魔導榴弾』の実験と称して、意図的にシェルウィングを地上へ誘き寄せた場所でしょう?」


私が駆け寄ると、ジュリアスは深く、重い溜息をついて眼鏡の位置を直した。その瞳には、寝不足による濃い隈と、それ以上の深い絶望が宿っている。


「その通りだ。軍は『実験は成功し、地上に現れた個体はすべて木っ端微塵に粉砕した』と発表した。だが、私の観測データは違うことを示している。爆破の瞬間、地下の震動は……『逃げ惑う群れのそれ』ではなかった。まるで、爆風の威力と、魔導の波長をじっくりと測定するかのように、一定の距離を保って円陣を組んでいたんだ」


ジュリアスが示した図面には、無数の不気味な線が引かれていた。それは、この大陸の地下全域に張り巡らされた、蟻の巣のごとき巨大な迷宮の概念図。

そこに住まうのは、古来より人類の天敵として君臨する怪物――『シェルウィング』。


二階建ての家屋ほどもある、巨大な有翼の蠍。

翼を含めた全身が、あらゆる魔法や斬撃を弾き返す、鋼鉄以上の硬度を持つ漆黒のキチン質で覆われている。尾の先からは、かすっただけで成人の肉体を内側からドロドロに溶かす無数の毒針を放ち、その巨体に似合わぬ敏捷さで、闇に紛れる完全な擬態能力まで持つ。

何より恐ろしいのは、彼らが「完璧な組織形態」を持つ大群であるということだ。


「彼らは学んでいる。私たちの武器を、戦術を、限界を。軍の上層部が『自国の兵器は無敵だ』と自惚れている間に、シェルウィングは地上を根絶やしにするためのデータを集めているんだよ」


ジュリアスの言葉が、冷たい氷の針となって私の背筋を突き刺す。


私、エルゼ・ヴァルハイトは、ガルニア帝国のしがない下級貴族の娘だ。華やかな夜会や、贅沢なドレスには縁がない。幼い頃から、この大陸を蝕む「シェルウィングの脅威」に誰よりも強い危機感を抱き、こうしてジュリアスと共に独自の調査を続けてきた。

しかし、私たちの言葉に耳を傾ける者は、この帝国には一人もいなかった。



「すべての国が手を取り合い、大陸共通の防衛線を築く? ……ハハハ! ヴァルハイト嬢、君は相変わらず、おとぎ話の聖女にでもなったつもりかね?」


翌日。私は帝都の中央そびえ立つ、大理石と鉄で造られた軍務省の謁見の間にいた。

豪奢な毛皮を羽織り、ふくよかな腹を揺らして笑うのは、帝国の軍事技術開発を牛耳るギルバート侯爵。その周囲に控える将校たちからも、隠そうともしない侮蔑の失笑が漏れる。


「侯爵閣下、笑い事ではありません!」

私は床を強く踏み鳴らし、一歩前へ出た。周囲の衛兵が不穏に槍を動かすが、ここで退くわけにはいかない。

「ここ数ヶ月のシェルウィングの侵攻パターンを分析しました。彼らは、各国が『穴』を爆破して塞ぐタイミング、その際に生じる犠牲者の数、さらには使用された魔導の属性まで、すべてを記憶している節があります! 何より、我が国が他国への威嚇のために行っている『誘き寄せ実験』。これはシェルウィングの最奥にいるとされる『女王』へ、我が国の最高機密の兵器データを自ら貢いでいるのと同じなのです!」


「黙れ、ヴァルハイトの小娘が」


低く、地を這うような声が室内の空気を一瞬で凍らせた。

笑っていた将校たちの顔が引き締まる。声の主は、侯爵の傍らに音もなく佇んでいた男――ガルニア帝国軍総司令官、ルファス・グレンジャー大将だった。


燃えるような真紅の髪に、冷徹極まる氷の如き青い瞳。若くして帝国の軍権を握った彼は、その圧倒的な美貌と、それ以上に冷酷無比な戦術から『氷血の死神』と恐れられている。なにより、彼は現皇帝の遠くも、親族だ。

ルファスは、長い軍靴の音を響かせながら私へと近づいてきた。その長身から見下ろされるだけで、肺が潰されそうなほどの圧迫感を覚える。


「……エルゼ・ヴァルハイト。君と、あの哀れな負け犬学者の妄言は、以前から耳に入っている。シェルウィングに知性があるだと? 地下の最奥に女王がおり、地上の根絶を狙っている、だと? その妄言の代償は高くつくぞ」

「決して妄言などではありません、グレンジャー大将! 現に、回収された個体のキチン質は、前回の実験の魔導属性に対して、明らかに耐性を得た変異を起こしています! 彼らは毎回、変化しているのです!」


ルファスは私の目の前で足を止めると、形の良い唇を侮蔑の形に歪めた。

その細く冷たい指先から念動魔法が放たれ、突如、私の顎を強く乱暴に掴み上げる。


「くっ……」

「身の程を知れ。我がガルニア帝国の軍事力は、世界を統べるためにある。シェルウィングなど、他国を脅かし、我が国の新兵器を研磨するための、都合の良い『デカい鼠』に過ぎん。隣国の無能どもが、自国の領土に開いた穴を塞げずに、泣き叫びながら死んでいくのを見るのは実に愉快だ。時には、こちらからその『穴』を広げてやる手引きすらしているというのに、なぜ私たちが、あの無能どもと手を組まねばならない?」


彼の冷たい吐息が顔にかかる。美しくも狂気に満ちたその瞳に、私は戦慄した。

この国は狂っている。

他国を力でねじ伏せ、自国だけが生き残ればいいと考えている。だがその傲慢さこそが、シェルウィングという底なしの怪物に、最高の「餌」と「情報」を与えていることに気づいていないのだ。


「……他国を欺き、怪物の力を利用しているつもりが、利用されているのは我々の方だとしたら? その傲慢が、いつかこの帝国のすべてを食い尽くす戦火となるでしょう。私は、それを最も恐れているのです、ルファス様」


私がその名を呼ぶと、彼の青い瞳の奥に、一瞬だけ鋭い光が走った。

かつて、彼がまだ一介の騎士であり、私が幼い子供だった頃、微かな接点があった。しかし、今の彼にその面影はない。あるのは、覇権という怪物に魂を売った軍人の冷徹さだけだ。


「これ以上の不敬は、ヴァルハイト家の爵位剥奪だけでは済まさんぞ。失せろ、狂人の娘よ。少し頭を冷やせ」


ルファスは乱暴に私の顎を放り出した。私はよろめきながらも、彼を真っ直ぐに見据え、静かに礼をしてその場を去った。

背後で、再び貴族たちの嘲笑が響き渡る。悔しさに爪が手のひらに食い込み、血の味が口内に広がった。



軍務省を飛び出した私は、夕闇に染まる帝都の街並みを、走るようにしてジュリアスの研究所へと向かっていた。

空は不気味なほど赤く、まるで血の海をひっくり返したかのような色をしている。


(誰も信じてくれない。このままじゃ、本当に手遅れになる……!)


各国の利権争い、自国ファーストの壁。隣国では、シェルウィングの出現ルートを意図的に操作され、一夜にして一つの街が消滅したという噂すらある。私たちが互いの足を引っ張り合っている間に、地下の巣穴は、確実にこの地上のすぐ足元まで肉薄しているのだ。


研究所の扉を勢いよく開けると、ジュリアスが慌てた様子で立ち上がった。


「エルゼ! どうだった?」

「駄目よ、ジュリアス……。ギルバート侯爵も、ルファス・グレンジャーも、まるで話にならないわ。彼らはシェルウィングをただの害獣、いや、他国を侵略するための便利な道具だとしか思っていない。新兵器の実験を止める気なんて、毛頭ないわ」


私は力なく椅子に崩れ落ちた。ジュリアスはそっと私の肩に手を置き、温かい紅茶を淹れてくれた。彼のその静かな優しさだけが、今の私の救いだった。


「そうか……。やはり、言葉では伝わらないか。彼らは、本物の地獄を見るまで、その黄金の椅子にしがみつき続けるつもりらしい」

「ジュリアス、私、怖いわ。もし、あなたの仮説が本当なら……シェルウィングが、こちらの『学習』を終えて、一斉に地上へ牙を剥いたら……」


私の手が震えているのを見て、ジュリアスは私の手からカップを取り、その両手で私の手を包み込んだ。彼の掌は少し冷たかったけれど、とても力強かった。


「その時は、僕が君を守るよ、エルゼ。たとえこの国が滅びようとも、君だけは……絶対に。僕の研究のすべては、そのためにあるんだから」

「ジュリアス……」


彼の真摯な眼差しに、胸が締め付けられる。幼馴染としての境界線を越えそうな、切なくも熱い感情が二人の間に流れた、その時だった。


――ズ、ズズズズズズズズン!!


これまでにない、激しい地鳴りが帝都を襲った。

ガタガタと音を立てて棚から本や書類が崩れ落ち、ランプの火が激しく揺れて消える。


「きゃあ!?」

「エルゼ、伏せろ!」


ジュリアスが咄嗟に私を抱きすくめ、床に伏せた。暗闇の中、彼の心臓の音がうるさいほどに耳に響く。

だが、その心音さえも掻き消すような、凄まじい音が地底から響いてきた。


ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ!!


それは、数千、数万もの硬質な何かが、激しく擦れ合う音。そして――。


――シャアアアアアアアアーーーーッ!!!


空気を引き裂くような、聞いたこともない不気味な咆哮が、帝都の至る所から沸き起こった。


「この音は……まさか……」

ジュリアスが顔を青ざめさせ、窓辺へと駆け寄る。私もその背を追って、窓の外を見た。


そこにあったのは、悪夢そのものの光景だった。


帝都の中央、さっきまで私がいた軍務省の目の前にある大広場。そこの石畳が、まるで割れた卵の殻のように内側から弾け飛んでいた。

もうもうと立ち込める土煙の中から姿を現したのは、夕闇の中でも悍ましく光る、漆黒の巨大なキチン質の塊。

二階建ての家屋を遥かに凌ぐ巨体。背中には、半透明の不気味な四枚の羽が激しく羽ばたき、不快な高周波を撒き散らしている。そして、その背後で鎌のように鎌首をもたげるのは、無数の鋭い毒針を備えた、巨大な蠍の尾。


「シェルウィング……! なぜ!? 爆破して塞いだはずの防壁ルートからは、遥かに離れているはずよ!?」

私が悲鳴をあげる中、ジュリアスは窓枠を指が白くなるほどに握りしめていた。


「擬態だ……! 彼らは、地中に潜む間、その生体波動を完全に消し去っていたんだ! 観測儀に引っかかっていたのは、単なるデコイ……! 本隊は、とっくに帝都の真下まで、完全に組織化された統率の元で穴を掘り進めていたんだよ!」


「そんな……っ!」


広場に出現したシェルウィングは、一匹ではなかった。

二匹、三匹、十匹、二十匹……。

次々と石畳を突き破り、地底から噴き出してくる漆黒の怪物たち。

悲鳴を上げて逃げ惑う帝都の市民たちに、怪物の敏捷な爪が襲いかかる。一瞬にして、美しい大理石の街並みが、鮮血と絶叫の地獄絵図へと変貌していく。


「あ、ああ……、あああああ!」

逃げ遅れた女性が、シェルウィングの尾から放たれた無数の毒針を浴びた。彼女の身体は、悲鳴をあげる暇さえなく、紫色の毒によってドロドロに溶け崩れ、怪物の巨大な顎へと吸い込まれていった。


屠殺。その言葉すら生ぬるい絶望が、ガルニア帝国の心臓部を直撃したのだ。


「軍は何をしているの!? 迎撃は!?」

私が叫んだ瞬間、軍務省の方向から、眩いばかりの魔導の光が放たれた。帝国の誇る『対怪獣魔導砲』だ。直撃すれば、並の亜竜なら一撃で消滅する一撃。


眩い光軸が、先頭のシェルウィングの脳門を正確に捉えた。

勝った、と思った。


しかし――。


キィィィィィィィン!!


耳を劈くような金属音が響き渡り、魔導の光は、シェルウィングの漆黒の頭部で『霧散』した。怪物のキチン質は、以前の実験データを完全に『学習』し、その魔導属性を完全に無効化する変異を遂げていたのだ。


「そんな……嘘でしょう? 我が国の最高兵器が……全く、効いていない……?」

私は目の前の光景が信じられず、へたり込んだ。


シェルウィングは、嘲笑うかのようにその半透明の羽を激しく鳴らした。

そして、その巨大な複眼が、ギラリと赤く光り――私とジュリアスがいる研究所の窓へと、真っ直ぐに向いた。


怪物の擬態が解ける。壁の模様に変化していた皮膚が、ぬるりと漆黒のキチン質へと戻っていく。

気がつけば、私たちの研究所のすぐ下の壁に、すでに三匹のシェルウィングが音もなくへばりつき、その巨大な顎をギチギチと鳴らしながら、窓枠へと這い上がってきていた。


「エルゼ、走れ!!」


ジュリアスが私の手を強く引き、部屋の奥へと走り出す。

その背後で、ガラスが激しく粉砕される音が、地獄の幕開けを告げるかのように鳴り響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ