第一話
灯:あかり
久世:くぜ
屋敷の外から賑やかな音楽が聞こえる。
わたしの心臓もドッドッドッと耳に響く。
「二度とボクに触らないで」
殺意が込められた目がわたしを突き刺す。
今日、初めて顔を合わせた夫に、わたしは拒絶された。
(いや、ちがう…)
まるで、わたし自身の存在を否定するかのような…?
ドクドクと激しい心臓に、頼むから止んでくれと懇願する。
ゴクリと生唾を飲み込んでようやく声を出せた。
「ご、ごめんなさい…久世さん…」
久世さん、そう、この男こそわたしの夫だ。
利害が一致して結婚しただけなので、最初から好かれようとは思っていなかったのに、ここまでマイナスのスタートとは思わなかった。
外の音楽は止み、怒声が聞こえるようになる。
「あの、わたし、お部屋にご案内したかっただけで、決して下心は…」
ブルブルと震える手を必死になだめて、わたしは言い訳をしながら夫に一礼する。
帰宅した久世さんのコートを預かろうとしただけだった。
「お持ちします」と声をかけたまではよかったのだ。
けれど、受け取ろうとしたその瞬間…チョン、と軽く手が触れてしまった。
その瞬間火傷でもしたかのように久世さんはバッと手を引っ込めた。
そして冒頭のセリフに戻るのである。
彼の目の前から早く姿を消したいが、鋭い目線から逃げられなくなってしまった。
「下心…?」
はっと嘲笑され、恐怖のギアが一段階上がる。
しっしっと手で追いやられたので、慌ててもう一度一礼して、速やかに部屋に戻った。
外の喧騒が酷く耳に残る。
(少し手が触れてしまっただけなのに…)
あんなに、強く怒られるとは思わなかった。
そこまで嫌がることだろうか?
快く思われてないだろうとは認識していたものの、ここまで嫌われているとは思わなかった。
外の怒号が強くなる。
続いて悲鳴が上がったのを聞くに誰かが処罰されたのだろう。
(…いつになればこの国は、平和になるのかな)
軍が闊歩し、民衆は虐げられる。この国は少し腐っているのだ。
軍人のなにが偉いのだろう。民衆となにが違うのだろう。
そうは思いつつ、軍人側にいるわたしは、なにも起きない、なにも変わらない毎日を送る。
ところが、父を亡くして、わたしの生活は一変した。
地位も後ろ盾も失ったわたしを救ったのが…久世さんだ。
彼を出迎えるのもわたしの仕事なのに、それすら満足にできなかった。
(いや!でも、始まりが最悪なほど、ちょっとしたことで評価は上がるし!)
悪人がちょっと良いことをしただけで善人に見えるのと同じ理屈で、逆にマイナスからで良かったのかもしれないと奮起させるが虚しいだけだった。
(家族とは支え合う存在だ、かぁ…。お父さん…わたしは上手くできるかな)
はあ、と何度目かのため息を吐く。
そうだ、使用人に久世さんのご飯を運ぶよう頼まないとだった。
気が重いがやるしかないので扉を開けると目の前に久世さんがいた。
おののきながらもぎこちなく笑うと久世さんはじっ…とこちらを見つめる。
何もかもを見透かすような目に射抜かれ、萎縮する。
耐えられなくなりわたしは口を開いた。
「あ、えっと、女中さんが作ってくれたご飯がありますけど…」
「いらない。すぐ出掛けるし」
ピシャリと言われ、そうですか、と口ごもる。
やることもなくなったので自室に戻ろうにも久世さんの手前戻りにくい。
じっとわたしを見つめる瞳が少し怖い。
(なんなんだろう…。わたしに用事があるのかな…?)
「一応、今日から君とボクは夫婦でしょ」
「え、は、はあ、まあ、そうです…」
急に話しかけられたことと、思いもよらない言葉につっかえながらも答える。
(夫婦という認識あったんですね、久世さん…)
触らないでと言われたので、てっきり夫婦とも思いたくないと考えていそうだったとは決して口に出さないでおく。
「…なにその間抜けな答え方。まあ、いいや。君とは夫婦になったけど、ボクのことには干渉もしなくていいし、気にかけなくていいから」
「え、」
「じゃあ」
言いたいことは言ったからとわたしの前から姿を消す久世さんに何も問いかけることは許されないということを感じた。
「気にかけるなと言われても…」
一応夫婦なのですが、と口ごもる。
父の部下だった久世さんは、かなり優秀だが何かがあって昇進出来ずにいたらしい。そこで、父のいたポストを狙い、わたしと結婚した…と噂されている。
所謂、政略結婚である。
地位を奪われ、路頭に迷うよりは数千倍マシだと思うし、思い返しても久世さんと結婚する以外わたしの道は見えない。後悔はしていない。
久世さんにとってもわたしにとっても利がある結婚だったはず。
それに、夫婦なのだ。
歩み寄りは必要だと思う。
廊下の奥で、再び怒号が上がり、ビクリと肩が跳ねる。
何かが叩きつけられる鈍い音と銃声音が轟く。
(…まだ、終わりじゃない)
わたしと久世さんの関係も、外の騒がしさも。
首都が近いこの邸宅では、こういうことは珍しくない。
わかっている。この国が平和でないことくらい。
それでも…
「……久世さん、」
小さく名前を呼んでしまってから、はっとする。
気にかけるな、と言われたばかりなのに。
ぎゅっと唇を噛みしめて、わたしは首を振った。
(…きっと大丈夫。無事に帰ってくるはず)
そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと布団に潜る。
ウトウトと瞼が落ちる直前、脳裏に浮かんだのは、あの冷たい目と、すぐに軍へ向かう後ろ姿だった。
わたしの平和は彼のおかげでもあるのだ。
(また明日から頑張ればいいよね…)
この時のわたしがかなり楽観的だったと知るのは後になってからだ。
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