第92話 【移送】安らぎの村へ
【10月30日 23時:拠点村・東門】
拠点村の喧騒が、遠ざかっていく。
私は再び、あの「人の皮」でできた幌の馬車に乗せられていた。
行き先は、もはや「異国」ではない。さらにその奥、地図からも、王都の記録からも抹消された地――「安らぎの村」だ。
馬車の揺れに合わせて、私の腹部が激しくのたうち回る。
横には、言葉を失ったワットが、折れたペンを握りしめたまま、虚空を見つめて座っている。彼の瞳には、もう「記録者」の光はない。
足元には、ルキアの眼鏡が落ちており、馬車が揺れるたびにカチ、カチと不吉な音を立てて、誰かの「死の秒読み」を刻んでいる。
馬車の隙間から見える外の景色は、もう「ナゴノ平地」ですらなかった。
一面が脈動する肉の湿原。
道端に並ぶ案山子たちは、私たちが通るたびに、ぬるりと首を回して、その青い眼球で私たちを「品定め」している。
【研究員のメモ】
名古屋のマンションの自室にいたはずの私は、今、馬車の床板を爪が剥がれるまで掻きむしっている。畳の感触は消え、指先には「湿った粘膜」の感触がまとわりつく。プレハブから始まった私の調査は、いつの間にか、私自身が「検体」として移送されるプロセスに変わっていたのだ。
【研究員のメモ:追記】
学生が、馬車の幌を外から固く結びながら囁く。
「先生、もうすぐ『安らぎの村』に着きますよ。そこが、先生の論文の最終章であり、先生の新しい『家』になる場所です」
馬車が止まった。
扉が開いた瞬間に流れ込んできたのは、耐えがたいほどの「甘い花の香り」と、数万人の人間が同時に啜り泣くような、地響きに似た「歌」だった。
さあ、10月31日が来る。
私の「文責」も、この村の泥に溶けるまで、あと20時間。




