第88話 【速記録】強制速記1
【10月27日 23時:ギルド地下、特別拘束室にて】
ギルベルトの声:
「さあ、ワット。震えるな。君の指先は、村で一番正確に真実を刻むはずだろう? 彼女の変化を逃さず記せ。それが君に残された唯一の存在価値だ」
ワットの記述:
(紙面には激しいインクの滲みと、震えた筆跡が残っている)
目の前にいるのは、本当にミレットなのだろうか。彼女は今、長椅子に横たわり、陶酔しきった表情で天井を見つめている。彼女の腹部は、他の犠牲者たちのように、内側から押し上げられるように大きく膨らんでいる。だが、彼女はそれを「重い」とは言わず、愛おしそうに撫でている。
彼女の指先が、ゆっくりと溶け始めた。爪が剥がれ落ち、そこから溢れ出したのは赤い血ではない。透き通るような、美しい「青い粘液」だ。粘液は床に広がり、意志を持つ生き物のように、僕の足元まで這い寄ってくる。
ミレットの声:
「ワットさん……。聞こえる? 歌が聞こえるの。……安らぎの歌が。私、もうすぐ、みんなと一つになれる。アイゼンも、カイルも、みんな、私の中にいるのよ」
彼女が口を開くたびに、喉の奥から「甘い花の香り」が室内に充満する。それは腐敗と再生が混ざり合った、この世のものとは思えない香りだ。
ギルベルト様は、彼女の頬を撫でながら、私にこう告げた。
「見ていろ、ワット。これが31日に完成する『最高の果実』だ。彼女は死ぬのではない。永劫の安らぎとして、この村の血肉になるのだ」
私は、書き続けなければならない。
彼女の皮膚が、ゆっくりと「肉の壁」と同じ質感に変わっていく様を。
彼女の叫びが、歓喜の鼻歌に変わっていく様を。
31日の「収穫祭」まで、私は彼女が人間でなくなるすべての瞬間を、この手に刻み込むことを強要されている。
筆が、重い。
私の指もまた、彼女と同じ「青」に染まり始めているからだ。
【研究員のメモ】
やっと名古屋に戻れた。プレハブの冷たい空気も、学生の不気味な笑い声もない。自分のデスクに座り、コーヒーを飲みながらこの記録を整理している。だが、何かがおかしい。コーヒーを一口飲むと、それは「甘い花の香り」がする青い粘液の味がした。窓の外のテレビ塔を見上げると、それは鉄塔ではなく、巨大なアイゼンの案山子が空を突いている姿だった。
私は本当に戻ってきたのか?
それとも、名古屋という街全体が、すでに「安らぎの村」に飲み込まれたのか?
キーボードを叩く私の指先から、赤い糸が溢れ出し、カレンダーを真っ赤に染めていく。
【研究メモ:追記】
学生が、私の膨らんだ腹部に耳を当てて囁く。
「先生、中から『鼻歌』が聞こえますよ。ミレットさんの歌と同じですね。31日まで、あと少し。美味しくなりましょうね」
私は、ワットが書いた「彼女の終焉」を読みながら、自分自身の「収穫」を待つだけの器になった。




