第84話 【研究メモ】佐藤の記録2
村を歩き始めて数分、私は自分の「学識」が、この異常な空間を前にもろくも崩れ去るのを感じていた。まず目を引いたのは、この村の建物の異様さだ。
遠目には中世風の石造りに見えたが、至近距離で壁に触れると、それは石ではなかった。温かく、湿り気を帯びた、漆喰のような質感の「肉」だ。家の角には、雨樋の代わりに、巨大な「静脈」のような管が這い、ドクンドクンと村の地下から汲み上げられる「青い液体」を運んでいる。
風習もまた、私の理解を超えていた。広場では、村人たちが「収穫祭」の準備として、巨大な案山子を組み立てている。だが、その案山子には藁ではなく、湿った髪の毛が植え付けられ、顔には「アイゼン」という名の男が着ていたという赤と黒の縞模様の布が、皮膚のように貼り付けられていた。
村人たちは、私と目が合うたびに、異様なほど深いお辞儀をする。その際、彼らの襟元から覗くうなじには、魚の鰓のようなスリットが刻まれ、そこから「安らぎの村」特産の塩の香りが、腐敗臭と共に溢れ出していた。
「サトウさん、この村は素晴らしいでしょう? 何もかもが、自給自足なんですよ」
通りすがりの老婆が、濁った青い目で私を見つめ、歯のない口で笑った。彼女が手にしていた籠の中には、人間の指のような形をした「白いキノコ」が山盛りに詰められ、それらはまだ、微かに動いていた。
私は、必死にスマートフォンを向け、この「地獄の標本」を撮影しようとした。だが、画面に映し出されるのは、美しいナゴノ平地の風景ではなく、私の腹部から溢れ出した青い粘液が、村の地面と溶け合っていく光景だけだった。私は神などではない。私は、この「巨大な胃袋」の中に自ら飛び込んだ、最も無防備な「最新の食材」に過ぎないのだ。
【研究員のメモ】
私のプレハブの壁が、完全に「喉」の形に変質した。窓から見える名古屋のビル群も、今は巨大な「歯」のように見え、私を噛み砕こうとゆっくりと迫ってきている。ミレットが描写した「肉の壁」は、私の肺の中まで侵入してきた。
【研究メモ:追記】
学生が、私の喉に指を突っ込んで笑う。
「先生、喉が渇くのは、そこが村の『入り口』になったからですよ。21時になれば、先生自身が、この村の最高の『お品書き』になりますから」
私にとっての「今日」は、10月31日の収穫祭へと、永遠にループし続ける肉の迷宮だ。




