既読スルーと沈黙のメッセージ
カフェの外は、雨が降り出していた。
小粒で、でも確実に濡れるタイプの雨。
窓ガラスを伝う水滴を見ながら、エマがぽつりとつぶやいた。
「ねえ、既読スルーって、どう思う?」
突然の一撃に、私たちは一瞬顔を見合わせた。
ミナが反射的に「ついにやられたの?」と聞く。
「うん。やられた。」
「なんかね、時差もあるし、忙しいのもわかってるの。
でもさ、こっちは夜中の1時に“おやすみ”送って、朝になっても既読つかない。
午後になっても反応ないと、頭の中で勝手にストーリーが始まるの。」
「“ストーリー”って?」サエが興味津々で身を乗り出す。
「“あ、他の人と出かけてるな”とか、“もう気持ち冷めたのかな”とか。
完全にセルフサスペンス。主演・監督・脚本すべて私。」
「上映時間、長そうだね。」ミナが笑う。
「長いどころじゃないよ。
頭の中で“ラスト・メッセージ~沈黙の恋~”が24時間ノンストップで流れてる。」
みんな笑ったけど、誰も否定はしなかった。
その沈黙の裏にある“心の通知音”を、全員が知っていたから。
私はそっとカップを持ち上げながら言った。
「既読スルーって、沈黙の言語だよね。
何も言ってないけど、何かを伝えてる。」
エマがうなずいた。
「そう。だから怖いの。
“何も言われない”って、想像が暴走するから。
しかも海外にいるから、すぐ会って確かめられない。」
サエは少し首をかしげた。
「でもさ、沈黙って、相手が悪いときもあるけど、自分が埋めすぎるときもあるよね。」
「埋めすぎる?」ミナが聞き返す。
「うん。“沈黙”を悪いものとして全部解釈しちゃうの。
でも、相手にとってはただの“呼吸”かもしれない。」
ミナがストローで氷をつつく。
「なるほどね。でもさ、“呼吸”が長すぎる人いない?
酸素ボンベでもつけてんのかってくらい。」
笑いが起きる。
けど、その冗談の中に少し本音が滲んでいた。
エマは目を伏せたまま、スマホを軽くタップした。
「たぶん、私の問題でもあるんだよね。
“愛されてる証拠”が、返事とか、言葉の頻度にすぐ変換されちゃう。
で、沈黙が続くと、“もう愛されてない”に自動翻訳される。」
「それ、めっちゃわかる。」
私は思わず声が出た。
「“何もない”が、最悪のニュースに聞こえるやつ。」
サエが少し微笑んで言った。
「でもね、子ども育ててて思うけど、“沈黙”って信頼の証のときもあるよ。
毎日“ママ見て!”って言ってた息子が、急に何も言わなくなった日、
“あ、成長してる”って思ったの。」
「なるほどね…沈黙も、相手の変化か。」ミナがうなずく。
エマは小さくため息をついた。
「でも、恋愛って難しいよね。
母性と違って、成長が“遠ざかること”だったりもするから。」
私はその言葉に少し胸が刺さった。
“遠ざかる成長”。
それは、優しさが冷たさに変わる瞬間のような響きだった。
「ねえ、エマ。」ミナが少し柔らかい声で言う。
「その既読スルーの彼、最後にちゃんと話したのいつ?」
「2週間前。
“仕事が忙しくなる”って言ってたけど、
SNSには旅行の写真上がってた。」
「おお、それは燃料投下案件。」ミナが即答する。
「でもね、私、怒りより先に“虚しさ”が来たの。
“あ、私の存在、彼の中で軽くなったんだな”って。」
その静けさに、カフェの音が戻ってくる。
カップの重なる音、ミルクを泡立てる音、外の雨音。
それらがまるでBGMみたいに彼女の言葉を包み込んだ。
私は言った。
「ねえ、それって“軽くなった”んじゃなくて、
“彼の世界が広がった”のかもしれないよ。」
エマが顔を上げた。
「広がった…?」
「うん。愛って、重さで測ると壊れるけど、
“広さ”で測ると、少し優しくなれる。」
沈黙が少しだけ柔らかくなった。
ミナがスマホをいじりながら言った。
「私なんて、夫が既読スルーしたら“夕飯スルー”で返すけどね。」
「復讐が早い!」サエが笑う。
「いや、愛のバランス調整だよ。
“返さないなら、出さない”。
それでお互いに“あ、ごめん”ってなる。
あれ、会話より効くんだよ。」
エマが笑った。
「なるほどね、沈黙の返報性。」
私は静かに考えていた。
“返さない”って、怒りの手段じゃなくて、
“私は待つ価値のある人間だ”と伝えるサインなのかもしれない。
「でもね、私、次は返さないでおこうと思う。」エマが言った。
「“既読スルー”に“スルー返し”。
対抗じゃなくて、バランス。
“私の時間も大事にするね”って意味で。」
「いいね、それ。」サエが笑う。
「沈黙って、実は優しい戦い方なのかも。」
雨が少し強くなった。
窓の外では傘がぶつかり、しずくが跳ねた。
私たちはそれをぼんやり眺めながら、それぞれの沈黙を抱えていた。
エマが小さく言った。
「ねえ、沈黙の中でも繋がっていられる関係って、理想だね。」
ミナが言う。
「理想だけど、きっと現実には“距離の調整”が必要なんだと思う。
だって、音がないと心の温度も下がっていくから。」
私は思った。
人と人の間にある“静けさ”は、時々凶器になるけど、
ちゃんと向き合えば、やさしい境界線にもなれる。
私たちは最後に笑って、傘をさした。
外はまだ雨。
けれど、心の中では少しだけ晴れ間が見えていた。
“返さない”という選択が、
“終わり”ではなく“始まり”かもしれない──
そう思えた夜だった。




