3 推しの未来が暗すぎる
意識が完全に覚醒した『あたし』は、すぐにこれが転生なのだと気づいた。
幼いころからゲームやアニメを楽しみ、大体のジャンルの漫画やラノベは履修済だ。
父も母も兄もオタク、当然私も筋金入りのオタクである。
好きVの朝活配信で目覚め、昼休みにはソシャゲをし、帰宅後はゲームやらアニメやらを履修しつつ、二次創作の世界で遊ぶ。
休みの日にはあらゆる方向と方法で推しを愛でる。
そんな『あたし』だから、今の自分の状況をすんなりと受け入れられた。
(異世界転生? 大好物ですが??)
前世の家族のことや、自分が死んだ後のことに思いを馳せるのはいったん置いておき、『私』ナディアの状態を把握する。
こうなった以上は今を、ナディアの生を生きるしか道はない。
大人3人がゆうに寝転がれそうな大きなベットに寝ている小さな体。
自分の顔は見えないが、手足だけでも分かる、ふっくらと育ちのいい幼子の姿。
記憶違いでなければナディアは今年で5歳のはずだ。
レイモンドの魔力が暴走したのは、3歳のとき。
ウィルメット公爵家に連れてこられた日の夜だった。
乳母の話によると、その夜に私は気を失い、3日間も寝ていたことになる。
土の妖精の契約者である主治医の手当ては抜かりなく、外傷はすぐに治癒したが、謎の発熱と昏睡が続いていたようだ。
『あたし』と私の統合が進んだせいだろうか、身体中をめぐっていた熱さや痛みはなくなっていて、ベッドの上で体を起こすことも出来る。
(かわいそうなレイモンド、見知らぬ大人に囲まれ、知らない場所に連れてこられて、怖かったよね)
この国で契約者になる場合、親しくなった精霊や妖精に人間側から『お願い』するのが普通だ。
精霊側から選ばれるのはごく少数。
その中でも、精霊と妖精の元である大精霊に選ばれることがハイヤムだ。
そして選ばれた場合、人間は契約を拒否することが叶わない。
幼いレイモンドは自分が望んだわけでは無いのに『次代国王候補』として選別され、同意も無くこの家に連れてこられたのだ。
(今、レイモンドはどうしているんだろう……)
私が思うのと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「ナディア!」
駆けこんできたのは柔和な顔つきをした中年の男性と、少年だった。
「ナディー、だいじょうぶ?」
深刻な表情をした少年がベッドの上に乗ってくる。
男性は私の父ウィルメット公爵で、少年は兄のフリードだ。
「お父さま、お兄さま……」
父が両腕で私を抱きしめる。
「よかった。目を覚まさないから心配したよ」
「ナディー、よく顔を見せて」
そういって、私の頬を両手で包んだのは兄だ。
柔らかな金色の髪と碧色の瞳を持つ、天使のような姿。
私より10歳年上の兄は今年で15歳になる。
生真面目で優しい人間が多いウィルメット家の者らしく、家の中でも外でも優等生として扱われている。
見た目も中身もパーフェクトな彼の唯一の弱点が私、妹のナディアだ。
重度のシスコンであるフリードは、かわいい妹のためなら、たぶん、おそらく、何だってしてくれる。
盲目的な愛だ。
その分、重たい。
今もフリードはナディアをヒシッと抱きしめて、その髪に顎をうずめていた。
今夜が特別なわけでは無い。
大体いつもこんな感じだ。
正直15歳の兄としては少し過剰なスキンシップだと思うが、早くに母を亡くした妹が不憫だと思ったのか、母の分まで愛情を注ごうとしている節もある。
それは分かるが、日本人としての前世の感覚が蘇った今は少し、いやかなり恥ずかしい。
転生前は日本のごく一般的な家庭で、過不足ない愛情を与えられて育ったと思う。
親にべったりとくっついていたのは小学校にあがる頃までだし、兄とは小さなころに手をつないだ記憶がある程度だ。
だからこういった状況にまったくもって免疫が無い。
(恥ずかしがるな、あたし。
5歳のナディアにとってはスキンシップも必要なこと。
そう、あたしは……私はナディアよ!!)
私はくすぐったさを飲み込んで、されるがままになることにした。
代わる代わる心配の声をかけてくれるふたりに笑顔を返した後、私はレイモンドのことを聞いた。
「お父さま、あの子は今、どうしていますか?」
「あの子、ああ、レイモンドか、彼は……」
「部屋にいる」
「ひとりで?」
冷たく言ったフリードの顔を見上げると、バツが悪そうに視線をそらせた。
「もちろんメイドがついているよ」
原作のストーリーで語られたレイモンドの過去はわずかなものだ。
ウィルメット公爵は善良な人間なので彼を閉じ込めたり、わざと虐げたりはしていない。
かといって家族のように扱ったわけでもない。
そもそも彼はハイヤム王国の要人で非常に忙しく、家のことは出来の良い息子にまかせきりにしていたのだ。
ナディアはそんな父の目が届かない所でレイモンドを虐め、フリードはそれを黙認した。
「妹は最初に起こった事件をきっかけに、レイモンドのことを恐れているだけだ」
自らの心に言い訳をして、悪いのはレイモンド自身だとフリードは結論付けていた。
そんな生活の中でレイモンドは闇に落ちていく。
大精霊の中にある闇属性の影響を大いに受けて、巨大な力を手にしていく。
(そうなれば、運命は最悪の方向へ進む)
レイモンドが闇落ちして魔王になる。
それは彼が死ぬということだ。
絶望の中でひとり、世界の敵として殺される。
(レイモンドのエンディングは本当に……胸糞だった)
正規のエンディングルートでは、レイモンドは必ず倒される。
では全キャラのグッドエンディングを攻略した後に発生する、レイモンドの隠し攻略ルートで彼が救済されるのかと言えば、決してそうではない。
あくまでも『レイモンドの過去が明かされ、魔王になった理由が分かる』だけで、結局は魔王として倒されてしまうのだ。
レイモンドに好感を抱いていた主人公エマ、その胸は張り裂けそうになるが、最後は「彼も、世界を滅ぼしたいなんて本当は思っていない!」とか言って、魔王を倒してしまう。
「つまり……なにも……救われていない……!」
思い出すだけでも腹立たしい。
恨み言をつぶやいて拳を握ってしまうほどだ。
あのエンディングを見た当時は、コントローラーを握りつぶしそうになった。
なんでだよ!!
そこは主人公の愛のパワーでなんとか推しを救ってくれよ!!と。
前世のあたしが『ゆめエタ』の舞台作品にドはまりしたのは、この本家エンディングに対するフラストレーションを解消出来たことにも一因がある。
舞台の上では、推しは皆の人気者だった。
もちろん原作ストーリー上、推しは舞台の上でも倒されてしまう。
だけどショーパートやライブでは『常闇のレイさま』は大人気だった。
クールで美人で発言は俺様だけど、繊細な推し。
人の悲しみも世の不条理も理解できる推し!
歌って踊って、みんなに愛される推し!!
パーフェクト!!!
「私が、守ります……!!!」
つぶやいて、ギュッと手を握る私の顔を父と兄が同時に覗き込んだ。
私はふたりと視線を合わせ、断固とした口調で言った。
「レイモンドに会わせてください」