第三十六話 「引き金」
目を覚ますと木造の天井が見えた。
背中に柔らかいベッドの感触、身体の上には薄い毛布がかかっている。
上体を起こしてあたりを見渡すと、見覚えのある部屋が広がっていた。
どうやらここはミルメコの宿屋のようだ。
「あっ 起きた!」
声がする方に視線を向けると、隅に備えられた椅子にファルシネリが座っていた。
彼女は読んでいた本を閉じ、こちらに近づいて来る。
「大丈夫? 痛いところない?」
ファルシネリは心配そうに私の顔を覗き込む。
なぜ私は宿屋のベッドで横になっているのだろうか?
先ほどまでエストラーダと闘技場で戦っていたはずだが……
「何があったのですか? エストラーダはどこに?」
そう尋ねると、ファルシネリは困ったように口を開いた。
「エストラーダの攻撃で気絶しちゃったんだよ。覚えてない?」
その言葉を聞いた瞬間、闘技場での戦いが鮮明によみがえった。
私はエストラーダをあと一歩のところまで追い詰めた後、反撃にあってしまったのだ。
そして、そのまま意識を失ったのだろう。
つまり……
「私は負けてしまったのですね」
ファルシネリの杖を懸けた戦いだったというのに、最後に敗北してしまうとは……
「すみません……ファルシネリ。私の力不足です」
私は彼女に向かって頭を下げた。
せっかく二人が自分まで繋いでくれたというのに、自分のせいで負けてしまった。
それから何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
「フフッ」
ファルシネリはなぜか、そんな私を見て軽く笑った。
そして隣のベッド脇に置いてある荷物から何かを取り出した。
「ほら、みて! これ!」
その言葉で顔を上げると、彼女の手には鮮やかな青の布が巻かれた杖が握られていた。
目の前にあるものは、あのとき確かに道端の店で売り出されていたファルシネリの杖と全く同じものだった。
「それは……エストラーダに取り上げられたはずの、あなたの杖? なぜここに?」
私が困惑していると、ファルシネリが明るい笑顔で口を開く。
「あの勝負はね、メリーガムさんが勝ったんだよ」
「え? それは……いったいなぜ?」
情けない話だが、私はエストラーダに手も足も出なかった。
意識を失い倒れてしまったというのに、なぜ私が勝ったことになっているのか?
「エストラーダが負けを宣言したんだ」
低い声が聞こえた方を見る。
いつ部屋に入ってきたのだろうか、そこにはアンセスがドアを背にして立っていた。
「おかえり」
「ああ」
彼はファルシネリに短く返事を返すと、ドアがしっかり閉まっていることを確かめ、私のそばまで歩いてくる。
そしてジロジロと私の身体を見下ろし、背中や腕を軽く叩いた。
「傷はすっかり治っているな。 ……つくづく魔術の万能さには関心する」
彼はあきれたように言うと、隣のベッドに腰かけた。
「あの、エストラーダが負けを宣言したというのは一体……?」
私が質問を投げかけると、アンセスはゆっくりと話し始めた。
話によると、闘技場での戦いの最後、エストラーダは自分ごと巻き込む形で魔術を使用した。いわゆる自爆のような攻撃をしたのだが、私がエストラーダを守ったため、私だけがダメージを負う形になった。
それが無ければ勝っていたのはメリーガムだった、というのがエストラーダが自ら敗北を選んだ理由らしい。
「お前は試合に負けて勝負に勝ったというわけだ。あんな奴にも戦いの哲学があるらしい。 そんなことより……」
アンセスは言葉を区切ると、こちらに顔を近づけた。
「お前、なぜあんなことをしたんだ? 奴をかばったりしなければもっと良い体勢で防御できたはずだ。それなら耐久力の差でお前の勝ちだっただろう?」
「す、すみません。つい反射的に……」
「戦いに慣れていないにしても、敵を守るなんて意味が分からん。どういうことだ」
彼は低い声でさらに詰め寄ってくる。
「まあまあ、過ぎたことだしいいでしょ」
ファルシネリが間に割り込み、アンセスをなだめた。
彼はまだ納得がいっていないようだったが、再びベッドに腰を下ろして口を閉じた。
「でもメリーガムさん、無茶しすぎだよ。 丸一日ずっと寝てたし。 傷を治すのだって闘技場の人達が大勢でやってくれたんだからね」
「迷惑を掛けました……」
「そういうことじゃないって。わたしの杖のために頑張ってくれたのは嬉しいけど、もうあんな戦い方しないで。……わかった?」
ファルシネリは真剣な表情でそう言った。
私は彼女の雰囲気に、黙ってうなずくしかなかった。
「もう少し休んで、明日から行動しよう。それでいいよね?」
「わかりました」
私はもう十分動ける程度に回復していたが、いまの彼女にそんなことを言えば、さらに怒られてしまうだろう。
彼女に従って今日は体を休めることにした。
―――翌日。
私たちはミルメコの露店市場に足を運んだ。
次の目的地、プロナピエラに向かうための準備だ。
エストラーダの話が本当ならば、この先は砂漠を超えなくてはならない。
「そう言えば、ファルシネリは、どれくらいお金を持っているのですか?」
「わたしは……あんまり持っていないなあ。宿代を払ったらほとんどなくなる」
「えっ」
砂漠越えの準備ならばそれなりの出費が伴うはずだ。
しかし、私は一切お金をもっていないし、アンセスもあまり手持ちがないと言っていた気がする。
ファルシネリに頼るしかないかと思っていたが、彼女もあまり余裕が無いとは……
私の不安そうな表情を見て、ファルシネリはニコリと笑顔をつくった。
「心配しないで。ほら、見てこれ」
彼女は鞄から袋を出すと、中身をこちらに見せる。
そこには大量の硬貨が鈍く光っていた。
お金の価値は正直あまり把握していないが、それがかなりの大金だということは直観的に分かる。
「それは?」
「闘技場で勝った時の賞金だよ。杖と一緒に貰ったんだ。これだけあれば準備には十分!」
彼女はそう言って、硬貨をひとつ摘まみ上げる。
そして、それを目線の高さまで持ってきて笑った。
露店市場にはこの前と同じようにたくさんの住民であふれかえっていた。
気を抜いていると二人に置いて行かれそうなほどの人混みをかき分けながら進んでいると、マントを羽織った女性と肩がぶつかる。
「おっと、すみません」
私が声を掛けると、女性は被っていたフードを外してこちらを見上げる。
それに伴って金色の髪が胸元まで垂れ下がった。
そして髪色と同じ金の瞳が、静かに私の方を見据えた。
髪と瞳の色が同じだからだろうか?
目の前の女性に妙な親近感のようなものを覚えた。
「……いえ、こちらこそ失礼」
女性は小さくそう言うと、私の横をすり抜けていった。
「あの……!」
私は女性を呼び止めようと振り返る。
しかし人込みに紛れてしまったのか、すでにその女性は見えなくなっていた。
「おい、メリーガム何してる。早く来い」
少し遠くの方でアンセスの声が聞こえる。
こんなところで彼らとはぐれてしまうのは避けたい。
あの女性ともう少し話してみたかったが、私はあわててアンセスの声がする方に向かった。
……買い物は想像していたよりも大変だった。
パンや干し肉などの食糧と、いざという時の薬。
着替えや寝袋、調理用具といった最低限の生活用品。
アンセスが「地面で寝るので寝袋はいらないのでは」と提案したところ、ファルシネリに「ありえない!」と怒られていた。
最近気が付いたことある。それは、意外とアンセスは問題を力押しで解決しようとすることが多い。これを本人にいったらお前が言うなと怒られそうだが。
逆にファルシネリはかなり理性的で慎重派、準備を怠らない性格のようだ。
その割によく転んだりしているし、大事な杖を盗まれたりしてはいるが……私たち三人のなかで最も冷静なのは彼女かもしれない。
いつのまにか、買い物はファルシネリが中心となって進んでいき、私とアンセスは荷物持ちとして彼女の後ろについていく形になった。
様々な露店を回り、旅の必需品を買いそろえていく。
「これと……これもあった方が良いね」
「なあ、荷物が多すぎるだろう。もっと減らせないのか?」
「あのね、これから砂漠を超えるんだよ?しっかりと準備しておくべき!」
二人は小さく口論しながら、私の両手に商品を積み上げていく。
私の抱える荷物がいっぱいになったとき。
周囲が急に薄暗くなった。
「なんだ……?」
アンセスが誰よりも早く反応し、剣に手を添える。
先ほどまで活発に動き回っていた住民達も足を止め、辺りを見回している。
人混みの中、数人の住民が空を指さす。
それに釣られるように空を見上げると、そこには謎の模様が浮かんでいた。
街を覆いつくすほどのそれは円状に広がっており、淡い光を帯びている。
「魔法陣……!?」
ファルシネリが短く叫んだ。
「知っているんですか?」
「うん……これは固有魔術の奥義だよ。自身の魔術規模を拡大する技だけど、並みの魔術師じゃ到底できない。高度な魔力操作が必要なはず……!」
空の魔法陣が不気味に輝く。
群衆がそれを見上げる中、アンセスが剣を抜き、ファルシネリが杖を構えた。
私は辺りを見回し、もう一度空を見上げて魔法陣を観察する。
光り輝く円形の幾何学的な模様が、街を蓋するように空中で鎮座している。
これがひとりの人間によって行われているとは思えないほどの大きさだった。
「攻撃されているのか?」
「……わ、わからない。今のところそんな気はしないけど」
互いに背中を預けて周囲を警戒し、静かに会話を交わす。
これが固有魔術であるのならば、術者は一体何のために展開したのか?
魔術の規模を拡大するというのが、具体的にどういったことなのかはよくわからないが……
魔術を使っているという事は、戦闘中ということなのだろうか?
考えを巡らせていると、魔法陣は突如として消え失せ何事もなかったかのように空に青空が戻った。
戸惑っていた住民たちも数分後にはこれまでの日常に帰っていく。
アンセスが数回辺りを見渡した後、剣を納めた。
「……よくわからないが、なにか妙なことが起こっているらしいな」
「うーん、明日の早朝に町を出ようと思ったけど、今日の方が良いかもね」
時間は既に昼を過ぎており太陽が傾き始めていた。
しかし、先ほどのようなことがまたいつ起こるか分からない以上、ファルシネリの言うように町から出てしまった方が良いだろう。
私たちは買ったものを抱えて足早に宿屋へと戻った。
○
「よし、忘れ物は無いよね?」
「おまえが一番忘れ物をしそうだが」
「うるさいっ」
二人が小さく言い争うのを聞きながら鞄に荷物を詰め込む。
着ている服以外何も持たずに旅をしていた頃に比べると、随分荷物が増えたものだと感じる。
膨らんだ鞄を背負い、お金を支払って宿屋を出ようとしたとき。
「ちょっと待ってくれ、そこのあんた」
宿屋の店主が私たちに声を掛ける。
より正確に言うのなら、彼が声を掛けたのは……
「そこのデカいあんただよ」
「……私ですか?」
「ああ、聞きたいことがあるんだ、少しいいか?」
「わかりました」
私は二人に、先に宿の外へ出ているように促す。
しかし、アンセスはなぜか中々外へ出ようとせず、店主の方を鋭く睨みつけた。
「アンセス?どうかしましたか?」
「……いいや。何かあったら呼べ」
アンセスは低い声でそう言うと静かに宿屋から出ていった。
それを見届けた後、私は店主が立っているカウンターの方へ身を寄せる。
「それで、私に何か?」
「いや、ちょっとした興味というか質問何だが……あんた闘技場でエストラーダと戦ってたろ? 俺もそれを見ていたんだが、どうしてあのときエストラーダをかばったんだ?」
店主は眉間にしわを寄せながら、小さな声で尋ねた。
なぜ彼がそんなことを気にしているのだろうか?
妙な違和感があったが、別に隠すことでもないので正直に話す。
「危ないと思ったので咄嗟に助けてしまいました」
そう答えると、思っていた答えと違ったのか、彼は口をぽっかりと開けたまま固まってしまった。それから思い出したように何度か瞬きをした。
「は?それだけか? もっとこう、ないのか?恩を売るためとか……」
「ええ。敵だとわかっていたのですが、つい体が動いてしまって。それに、なぜか彼の事を悪人だとは思えなかったのです」
彼は「そうか……」と一言呟いたまま目を伏せた。
なにか考え事をしているようだった。
短い沈黙の後、店主は再び口を開いた。
「あんたって長生きしなさそうだよな。そんな性格のじゃ、この先も今回みたいに酷い目にあうぜ。……そう考えたりしないのか?」
「そうかもしれません。ですが私は、せめて手が届くなら助けたいと思う。助けたくなってしまう自分でいられたら、と思うのです」
「……はあ、そういうものかね」
店主は、今度は腕組みをして黙ってしまった。
彼は先ほどよりも長く口を閉ざした後、「少し待っててくれ」とだけ言い残して、カウンター横の倉庫へ行ってしまった。
少しして、店主は布で包まれた細長い物を抱えて帰ってきた。
それは、硬く鈍い音と共にカウンターに置かれる。
覆いが取り外されると、それは見覚えのある金属の筒……石銃だった。
エストラーダが使っていたものとは形状が異なっている。
どちらかというと、前に漁村で撃たれたときのものと似ていた。
「こいつを持っていきな」
「な、なぜあなたがこんなものを?」
「じつはな、この石撃ちを使って『メリーガムを殺せ』とエストラーダから言われていたんだ。あんたを殺したら大金をくれるって話だった。まあ結局、撃てなかったけどな。剣をぶら下げたあんたのお仲間がずっと周囲を警戒してたせいでよ」
まったく気が付かなかったが、どうやら私は店主に命を狙われていたらしい。
先ほどのアンセスの妙な態度は、店主を疑っていたためだったようだ。
「なにより、あんたがエストラーダと戦うところを見てたらそんな気も失せちまったよ」
彼はカウンターに置かれた石銃を肘でこちらに押しのけた。
「あんたの生き方、苦労しそうだが……羨ましいよ。俺もそういうふうに生きられたら、って思うぐらいにはな。……今更遅すぎるがね」
店主はため息を吐きながらそう言った。
彼の視線は目の前の私を通り過ぎ、どこか別の遠い場所、もしくは時間を惜しんでいるようだった。
「今からでも遅くはないですよ。きっと」
私がそう言うと、彼は今度こそ私の方へ目を向けた。
見開かれた目には驚きと、少しの郷愁とが混じっていた。
彼に何があったのかはわからない。
どのように生まれ、どのように育ち、どのような経緯でこのミルメコの街に住んでいるのか。
人には話せない事情があるのかもしれない。
だがしかし、金のために石銃を撃つことが出来ない善性こそが、彼の性格を端的に表していると思った。
「……さっさとこんな町から出て行けよ。あんたが居るべきところじゃない」
彼は目を逸らし、吐き捨てるようにそう言った。
「ありがとうございました」
私は頭を下げ、石銃を布で包み直した。
そして、それを担ぎ宿屋の扉を開いた。
それから二人と合流し、一度も振り返る事なくミルメコを出発した。
見ミルメコは正直あまり好きな雰囲気の街ではなかった。
物を盗まれたり大怪我をしたりと散々な目にあったので印象良くはない。
だがいつかまた、旅が終わった後に訪れてみたいと思った。




