第三十二話 「隠し牙②」
地面に座り込み立つことが出来ないわたしのお腹に、体重の乗った重く鋭い蹴りが突き刺さる。
ミシ、ボキッ。
乾いた音がやけに鮮明に身体の中から響いた。
わたしは踏ん張る事すらできずに蹴り飛ばされ、地面を転がった。
世界が何度も回転し、その度に砂が皮膚を切り裂く。
手の平やひざから血が滴り、白い砂に点々と赤い跡が付く。
壁にぶつかってようやく勢いが止まる。
次の攻撃に備えなければいけないことは分かっているけど、身体が上手く動かせずに地面をもがく。
「かっ……ふ、はっ、はっ」
息が吸えない。
精一杯に空気を取り込もうとしても上手く入っていかない。
驚きという麻酔が切れて、蹴られた部分がひどく痛み始める。
赤くなるまで熱した鉄の棒でお腹をかき混ぜられているような感覚。
すぐに次の攻撃が来る。
体勢を立て直さないといけない。
そんな考えは痛みによって頭の隅に追いやられてしまった。
わたしはただうずくまる事しかできなかった。
「おー すまんなあ。 こんな端っこまで蹴飛ばしちまったよ。 でもよ、俺もあんたに散々ぶっ飛ばされたから、これでおあいこだろ?」
頭上からバージェスの声が響いた。
優越感を帯びた声だ。
やられた。
この人の能力、自己強化系じゃない。
精神に干渉するタイプ……たぶん『催眠』だ。
思えば、最初の方に言っていた「俺は無敵だ」という言葉。
あれは自分を鼓舞するパフォーマンスに見せかけた自己催眠だったんだ。
『自分の身体は無敵である』という催眠を自分自身にかけて疑似的に肉体を強化していたんだ。
そうやって勘違いさせて、搦手は無いと思っている相手に催眠をかける。
これがバージェスの戦い方なんだ……!
「なあ、もう気づいてるよな? 俺の能力は自己強化じゃなくて精神干渉だ」
バージェスがゆっくりとわたしの周りを歩きながら能力を説明し始める。
もう、勝者は決まっていると言わんばかりに余裕たっぷりに。
「わかりやすく言うと催眠だな。 催眠をかける条件は相手の名前を知っていることだ」
名前……
最初に名前を尋ねてきたのはそのためか……!
「駄目だろ? 簡単に情報を渡したらよお。 何が固有魔術のトリガーかわかんねえんだぜ?」
バージェスは座り込んでポンポンとわたしの頭を撫でる。
「この催眠はな。警戒してる相手にはなかなか通用しねえんだ。 試合が始まったときのあんたは警戒心ビンビンだったからさ、何度も無謀な突進を繰り返したんだよ。 ……あんたが油断するように」
声が耳元まで迫る。
立ち上がろうと力を入れても身体がいう事を聞いてくれない。
もがくように手足を動かすだけで脂みたいな汗がにじみ、地面に染み込んでいく。
とっくに身体は限界みたいだった。
そんなわたしにバージェスはより一層顔を近づける。
「それで? まだ続けるか? 「降参します」って言えば許してやるけど?」
わたしは力を振り絞って斥力を発生させる。
「うお」
その衝撃でバージェスはわずかにのけぞった。
「まだ魔術を使う余裕があんのか? ……でもかなりギリギリそうだな。 さっきまであんなにぶっ飛ばしてきたのに、いまのは子供に押されたような威力だったぞ」
何とか固有魔術を使えたけど、痛みで意識を集中させられない。
さっきまでのような威力はだせないけれど……魔術が使えるなら、それで十分。
「…………ほ、本当に、わかったの?」
「は?」
「さっき、ふ、わたしの能力…… 大体わかったって、う、言ってたでしょ。 それって…… 本当?」
わたしは痛みに耐えながら言葉を吐き出す。
「……せっかく喋れるんなら、「許してください」って言った方が良いぜ」
バージェスは軽口を叩きながらも臨戦態勢をとった。
「あなた、と、同じように…… わたしも、奥の手、持ってるんだよ」
「ハッタリだろ。 お前の固有魔術は自分の周囲に斥力の力場を生成することだ。 防御能力は高いが、攻撃力は低い。 この状況をひっくり返せる能力じゃねえだろ」
「やっぱり、わかってないじゃん」
わたしは痛みに抗って口角を上げてみせる。
バージェスはその様子を見て、訝し気に目を細めた。
わたしの言葉が嘘か、それとも本当になにかあるのか探るような目。
でも、いまさら攻撃に備えても、もう遅い。
「この勝負、わたしの勝ちだよ」
「なんだと?」
「覚えてないの? 自分が何をしたのかを……」
「……! まさか!? てめえ!!」
バージェスが血相を変え、獣のように飛び込んでくる。
わたしはそれよりも速く固有魔術を発動させた。
バツン
鈍い音が響き、バージェスの右足が破裂する。
「が、ああああああ!!!」
片足を失った彼は地面に倒れ、痛みに悶えながら転がる。
「くそっ! てめえ……! っ俺の足……! 足が!!」
右足はすねから先が吹き飛び、その衝撃で左足も折れている。
あの足では得意の身体能力も活かせない。
わたしは気力で立ち上がり、バージェスを見下す。
「わたしの固有魔術は、周囲に斥力を発生させる能力じゃない。 『自分の魔力に斥力を付与する能力』だよ。 さっき蹴られたときに……あなたの足に魔力を流し込んでおいた。 体内から斥力波を生成されたら、どんなに頑丈な身体も内側から破裂する」
彼は苦悶に満ちた表情でこちらを睨み返した。
「あなたの敗因はわたしに不用意に近づいたことだよ」
わたしは手の平に岩の塊を生成し、地面を這うバージェスに向ける。
「動かない相手なら、杖が無くても岩石弾を当てられる。 おとなしく降参して」
「うっ……ぐ…… くそ……」
「早く! 本当に撃つよ!?」
「わ、わかった! 降参だ! 降参する!」
その言葉がバージェスの口から弾きだされた瞬間、けたたましい鐘が闘技場に響き渡る。
「なんと! 第二試合を制したのはファルシネリです! 無敵のバージェスが敗北しました!」
無数の歓声。
それと共に複数人の白装束がこちらに駆け寄ってくる。
「か、勝った……」
安堵と共にため息が口からこぼれた。
身体から力が抜け、白い砂の上にペタリと座り込んだ。