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第三十話 「炎と剣②」

 

 剣を握ったのは六歳の頃。

 父から一本取ったのは九歳の時。

 騎士団に入ったのは十五歳の誕生日。

 初めて敵を斬ったのは、その翌日だった。


 激しい剣の世界。

 常にその前線に立ち続けたアンセスにとって、「敵の剣が見えない」というのは初めての経験であった。


 卓越した技術を持つ者。

 速度に優れた者。

 様々な使い手と剣を交え、そのすべてに勝利してきた。


 剣の技量で言うならば、目の前の男は高く見積もっても中の上といったところだ。

 本来ならば苦戦する相手ではないはず。

 だが、実際に血を流しているのは自分の方だった。


 固有魔術。


 限定的な現実改変を可能とする異能の力。

 その不可視の一撃によってアンセスは追いつめられていた。


 この現状にアンセスは憤っていた。

 相手に対してではなく、自分自身に対して。

 剣ならばこちらに分があると信じて疑わなかった、無意識の驕り。

 それが必要のない負傷を招いたのだ。


 常に研ぎ澄ましていたのなら、ここまでの深手を負うことは無かったはず。


 その静かな怒りを秘めた頭を、炎の魔弾が掠める。


「苦しそうだね~ 全裸になって僕の靴を舐めたら、許してあげてもいいよ~?」


 遠くから下品な罵声が聞こえる。

 その男の後方には、変わらず大きな火球が浮かんでいた。

 大火球は絶えず炎の球をはじき出し、アンセスを攻め立てる。


 アンセスは闘技場を走り回りながら、なんとか火の雨をかいくぐっていた。

 走る度に、右足の刺し傷が自分を責めるように痛んだ。


 まずい。


 身体の動きが鈍くなっていくのを感じる。

 どうやら足の傷は太い血管を切っていたようだ。


 このまま戦った先に待ち受けているものが容易に想像できる。

 血を流しすぎて動けなくなるか、炎に焼かれるかだ。

 ただ逃げ回っているだけでは、この勝負には勝てそうにない。

 自分から行動を起こさなくてはならない。


 相手は俺が疲れ果てるまで炎の魔術を撃っていればいいだけだ。

 あちらから近づいて来るという事は無いだろう。

 とすれば、やることは一つだ。

 距離を詰める。


 もう一度近づいて攻撃を誘発し、奴の固有魔術を看破する。

 さらに傷を負う可能性はあるが、これ以上後手に回るのは避けなければ。


 ……足の傷からして、炎の魔術をかいくぐってヒースに近づけるのは、あと二、三回といったところだろう。

 それまでに決着をつける必要がある。


 そこまで考えたところでアンセスの胸に不安の霧が立ち込める。


 だが、どうすればいいんだ?

 何と言っても、相手の攻撃は見えない。

 速さや超技術で、まるで消えたように見えるのではなく、文字通り『見えない』


 不可視の攻撃をどうやって視認すればいい?

 相手の手元を見ればいいのか?それとも足さばきか?


 ヒースの攻略に頭を悩ませながら炎弾を避け続ける。

 そのとき、ふと、ある言葉を思い出す。


「魔術は万能ではない」


 いつのことだったか。

 三人で雨宿りをした時、木の下で座り込みながら、ファルシネリがそんなことを言っていた記憶がある。


 そうだ。 何を弱気になっている。

 魔術はなんでも思い通りにできるわけではない。

 必ずどこかに隙や弱点があるはずだ。


 闘技場の壁を沿うように走っていたアンセスは方向転換し、その言葉に後押しされるようにヒースの方へと突進した。


「おいおい、何度やっても同じことだよ」


 哀れみを含んだ言葉。

 それと同時に、無数の炎弾が降り注ぐ。

 紙一重で炎の大群を躱しながら、少しずつ、そして確実に距離を詰める。


 20メートル…… 15メートル……

 そこまで近づくとヒースは炎の発射を止め、刺剣を構えた。

 後ろに浮かんでいる大火球も、それに従うように静かになる。


 アンセスは目を見開く。

 攻撃が来る。


 重心、目線、呼吸……

 ヒースの一挙手一投足を決して逃すまいと集中する。


 先ほどよりもやや遠い位置。

 ヒースは素早く踏み込み、そして……


 肩が動いた。


 アンセスは攻撃の予備動作を完璧に捕捉した。

 そしてレイピアが突き出されるよりも速く反応する。

 突進の勢いを殺して後ろに大きく跳び、狙いがぶれるように身体を捻る。


 ヒースのレイピアは、やはり剣では届かないであろう距離で繰り出された。


 アンセスは不安定な体勢からしっかりと着地した。

 その足元に赤い雫が一粒落ち、遅れて胸に鈍い痛みを感じる。

 だが、その傷は皮膚の表面を切った程度の浅いものだった。


 なんとか避けられたようだ。


 11メートル。

 それが相手の間合いの限界らしい。

 剣とは思えない攻撃範囲だが、これを把握できたのは大きい。


 しかし、注視していたつもりだったが、肝心の固有魔術はわからなかった。

 どういう仕組みで攻撃しているんだ?

 剣にも身体にも妙な動きは無かったんだが……


 強いて挙げるとするならば、視線が低い。というところだろうか。

 俺の足に注目しているような気がしたが…… 傷の具合を観察していたのか?


 高速で情報を整理しながら、15メートル程の距離を開けてヒースとにらみ合う。


「チッ 心臓をひと突きしてやろうと思ったんだけどな。 今のを避けるとはね」


 ヒースはそう言って再びレイピアを構えた。


 その時、



 ぼとり。



 何かがアンセスのすぐ横に落下した。

 アンセスは反射的に横に跳ぶ。


 なんだ?

 ヒースの攻撃か?


 落下物に対して剣を構えるが、地面に転がるそれはピクリとも動く様子が無い。


 よく見ると、落ちてきたのは小鳥の死骸だった。

 鳥の腹部には刺し傷があり、そこから流れた血によって白い羽毛が赤く濡れている。


 アンセスはその姿から目を離せなかった。

 その傷がまるで、レイピアで刺されたもののように見えたからだ。


 なぜ鳥の身体に刺し傷が?

 ヒースの攻撃に巻き込まれたのか?

 いや、だが…… 空を飛んでいる鳥に剣が当たるはずが……


 頭が混乱する。

 それと同時に、これがヒースの固有魔術を見破る手がかりであると、直観がささやいている。


 奴の能力は一体なんだ……?


 鳥の傷に気を取られている隙に、ヒースが炎弾を撃ちだす。

 アンセスは間一髪でそれを避けた。


 両者の間に空間が開き、ヒースは火の魔術による牽制を再開する。

 アンセスは絶え間なく降り続ける炎弾を躱しながら考え続ける。


 あの鳥はヒースが俺に攻撃した際に、落ちてきた。

 傷口から察するに、おそらくあいつの攻撃に巻き込まれたんだ。

 地面にいたわけではなく、空中を飛んでいたのに……?

 なぜ、剣の攻撃に当たってしまったんだ?


 地面にいる俺と空を飛ぶ鳥に、同時に攻撃を当てられる能力?

 やはり何かを飛ばして攻撃しているのか?

 いや、それならレイピアを使う意味が無いだろう。


 くそっ わからん。


 いや、落ち着け。

 違和感を探せ。

 小さい事でもいい。 

 何かないか?


 火の精霊魔術、見えない攻撃、視線の低さ、射程距離……


 ……そういえば、さっき15メートル程度まで近づけた時があったが、

 なぜ火の魔術を使わなかったんだ?

 あの距離なら普通、剣と魔術を同時に使った方が圧力があるんじゃないか?


 連射される火の魔術を避けながら、見えない剣を躱す。

 これを相手に強制できるのならかなり強い行動に感じるが……

 なぜそうしなかった?


 いや、もしかすると…… 同時にはできないのか?


 点と点が線でつながる。


 わかったぞ。 奴の能力は……


 その時、ひと際大きな炎弾が地面をえぐる。

 衝撃で吹き飛ばされたアンセスは闘技場の壁に叩きつけられる。


 いつのまにか、壁際まで追い詰められていたようだ。


 アンセスは壁を支えにして立ち上がる。

 深く突き刺され、走り回った右足はもうほとんど力が入らない。

 ヒースはその姿をみて愉しそうに笑う。


「結構頑張ったほうだね。 どうする? みじめな姿で降参するかい? それとも騎士らしく潔く死ぬかい?」


 炎弾の発射を止めたヒースはレイピアを構えた。

 ヒースの後ろには、大きな火球が静かに浮かんでいた。


 やはりそうか。

 アンセスの仮説が確信に変わった。


「答えを聞こうか。 アンセス。 降参か、死か」

「……幼い頃、俺には友人が少なかった」


「…………はあ?」


 アンセスの思わぬ返答に、ヒースは首を傾げた。


「ヴェンデミールは騎士の国だ。 子供はみな騎士に憧れ剣を習う。 だが俺は、剣があまり好きではなくてな。 輪の中になかなか入れなかった」


「何を言っている? 狂ったか?」


「だから遊び相手は、アルしか居なかった。 アルは牧羊犬で、賢い犬だった。

 あいつとはよく、影が伸びる夕暮れまで影踏みをして遊んだものだ」


 ヒースの眉がピクリと動いた。


「……お前の能力は影踏みだな、ヒース」


 ヒースは無言のままこちらを睨む。


「『自分の影を踏んでいる相手に必ず攻撃が当たるようになる。』 ……大体そんな能力だな。 常に後ろで浮かんでいる火球は、援護射撃のためではなく自分の影を相手の方向へと伸ばすためにある。 だから、敵が近づいた状態では迂闊に火の魔術を撃てないんだろう。 影の伸びる向きが変わってしまうからな」


 アンセスはさらに続ける。


「鳥が落下してきたのもそうだ。 俺に攻撃をしたときに、空を飛んでいる鳥の影とお前の影が接触していたんだろう? どうやらお前の攻撃は、影が触れてさえいれば、どれだけ離れていてもかまわないらしいな」


 思えば、あいつの視線が妙に低かったのもそうだ。

 あれは俺の足元を見ていたのではなく、地面に伸びるレイピアの影を見ていたのだ。


「……なるほど。 ただの馬鹿じゃないんだね。 その通り、僕の固有魔術は『自分の影を踏んでいる相手に攻撃が必中する』能力だよ。 でもさ、わかったところでどうにもできないだろ?」


 ヒースはレイピアを構え直し、ゆっくりと近づいて来る。


「それはどうだろうな」


 アンセスはそう言って、腰に差したナイフをヒースの頭めがけて投擲した。


「なに!?」


 急な搦め手にヒースは面食らう。

 しかし、すぐさま対応し身体を捻って躱してみせた。


 投げたナイフはヒースの顔の真横を通り抜けていった。


「飛び道具か! 往生際が悪いぞ!」


 ヒースの反撃。


 突き出されたレイピア。 


 それに伴って伸びる影。


 アンセスは地面に映る刺剣の影をしっかりと捉えて躱す。


 しかし、後ろには闘技場の高い壁がそびえたっている。

 ヒースのレイピアが身体を貫くのは時間の問題だ。


 アンセスは腰のポーチから『あるもの』を取り出して、再びヒースに投げつけた。

 それは首元に向かって真っすぐに飛んでいく。

 避けにくい位置とタイミングだ。


「何度も同じ手を食らうか!」


 だが、ヒースは器用にレイピアを捌き、投擲物をはじこうと構える。


「いや、むしろそうでなくては困る」


 アンセスが小さく呟く。


 投げつけたあるもの。

 それは、ファルシネリがむりやり詰め込んだ火打石だった。


 最初のナイフは『俺が投擲物を持っていること』を相手の意識に植え付ける布石だ。

 ……火打石をレイピアではじいてもらうためのな。


 ヒースの豪奢なレイピアが火打石をはじく。


 その瞬間、

 剣と石がぶつかりあうことで火花が散る。


 小さな火花。

 小さな明かり。


 しかし、その光はほんの一瞬だけ大きく辺りを照らし、ヒースの影を消し去った。


 それは一秒にも満たない僅かな時間であったが、戦闘中には長すぎる時間でもあった。


 そして、鍛え抜かれた剣士であるアンセスが、この機会を逃すはずが無かった。


 強烈な踏み込み。


 爆発したかのような速度。


 巻き上がる白砂のなかで銀閃が煌めく。


 それは吸い込まれるようにヒースの首へ。

 頭を跳ね飛ばさんと迫る。



「あ。」



 ヒースは遅れて、重大な判断ミスに気付いた。


 狼の牙のような鋭い剣が、既に目の前にある。


 火打石をはじいたレイピア。

 それを握る右腕を、限られた時の中で必死に動かす。


 いなすのも、躱すのも、迎撃も無理。

 せめて受けるだけでも……!


 世界のすべてがゆっくりに見える。

 自分の身体もゆっくりと動く。


 その中でひとつだけ、アンセスの剣だけが世界に囚われずに動いていた。


「あ。あ。あ。」


 無慈悲な鉄は、滑るように首に。

 自分の命に。


「あああああああぁ~~!!」


 そこでヒースの意識を途切れた。


 アンセスは首をはねる直前で剣を止めた。

 気絶したヒースは、糸の切れた人形のように地面に転がった。


「……斬られる覚悟も無いのなら、剣士を名乗るのはやめた方が良い」


 恐怖で失神した男を見下ろしながら、静かに剣を収める。


 それが合図であるかのように大歓声が闘技場を揺らした。

 アンセスは盛り上がる人々を背に、仲間のもとへと戻っていった。


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