第二十九話 「炎と剣①」
※アンセス視点
後方の鉄格子が重い音を立てながら閉まる。
アンセスは後ろを振り返らずに、白い砂の上を歩いていく。
雲一つない晴天。
高い位置にある太陽が地面を照らし、白い光を反射する。
そのまばゆさに思わず目を細める。
瞬間、雷が落ちた。
そう錯覚させるほどの大歓声が大気を揺らした。
観客席を見ると、あふれるほどの大勢の人々がこちらを見下ろしている。
相当な盛り上がりようだ。
一歩、また一歩と足を前に運ぶたび、歓声が雨のように身体を打った。
ミルメコに住んでいる人間のほとんどが、この闘技場に集まっているんじゃないか?
様々な状況で戦ったことがあるが、これほどの人間の前でというのは初めてのことだ。
何百、何千もの瞳が、その好奇心を一切隠そうとせずに投げかけてくる。
あいつはどんな風に戦うんだ?
何を見せてくれるんだ?
どうやって俺たちを楽しませてくれるんだ?
これらの視線に込められているものは、おおかたそういったところだろう。
きっとこいつらは、先ほどの試合のような派手な演出を望んでいるのだ。
悪いが、その期待に応えてやるつもりはない。
剣を振るのは一度だけだ。 その一太刀で勝負を決める。
アンセスは腰の剣に軽く触れながら歩く。
闘技場の中心には既に一人の男が立っていた。
細身で長身の男だ。 癖のある栗毛を後ろで軽くまとめている。
仕立ての良いシャツ、ズボン、ブーツ…… 随分と羽振りが良いらしい。
腰には金細工で彩られたレイピアが下げられている。
工芸品なんじゃないか、と疑いたくなるほどの過度な装飾。
しかし、その剣身には使い込まれたような細かい傷がわずかに見受けられる。
素人ではない。
どうやらこいつがエストラーダ陣営の先鋒らしい。
そいつはこちらを見やると、深々とお辞儀をした。
「初めまして、僕はヒース・ブランフォーク。 ブランフォーク家の次男だ。 名前ぐらいは聞いた事があるだろう?」
「いや、無いな」
どこかの貴族か。
まあ、あんな悪趣味な剣を喜んで振っているようなのは、経験上、大抵が貴族だ。
「……ところでキミの名前は? 名乗るのが礼儀なんじゃないのかな?」
「その必要はない」
そう言うと、ヒースは「やれやれ」と呆れるように首をすくめた。
「自分の名前も碌に言えないんだね、ヴェンデミールの騎士ってのは」
「……なに?」
「キミさ、ヴェンデミールのアンセス・フルコットだろう? 大貴族フルコット家の歴史の中でも随一の天才だとか?」
ヒースはそう言いながらこちらを値踏みするように見下ろした。
「俺を知っているのか」
「もちろん。 この中央大陸で剣を握る者達の間で、キミの名を知らない奴はまず居ないだろうね。 一時期よく噂が流れてきたよ。 一個中隊をひとりで相手したこともあるんだろ? さすがは騎士様……」
ヒースはそこまで話すと不気味に口角を吊り上げる。
「ああ…… いや、すまない。 もう騎士じゃないんだったっけ? 祖国を捨てて逃げたそうじゃないか。 ヴェンデミールの英雄がいい笑い者だ。 そんなにアルバが恐ろしかったのかい?」
「どうして、それを……」
ヒースは質問に答えず、ねっとりとした蛇のような視線をこちらに向ける。
そして、ゆっくりとレイピアを抜いて構えた。
「フフ…… ほら、かかってきなよ。 負け犬くん」
神経を逆撫でするような笑い声が頭の中で反響した。
ヴェンデミールを捨てたこと、それは紛れもない事実だった。
正確には違う…… と否定したいところだが、そう言われても仕方がないほどに、自分勝手な理由で国を出た。
なぜ、こいつがそれを知っている?
もしかして俺が知らないだけで、やつはヴェンデミールの貴族なのか?
いや、刺剣使いなんて聞いたことはないが……
闘技場を照らす空とは裏腹に、胸の中に暗雲が立ち込める。
アンセスはそれを追い払うように、腰の剣を勢いよく抜いた。
……いまは関係のない事を考えている場合じゃない。
目の前の敵に集中しろ。
自分に言い聞かせながら相手を注視する。
レイピア特有の半身の構え。
肘と膝を柔らかく使い、刺剣のリーチを押し付けるスタイル。
注意するべきは、やはりその攻撃範囲の広さ。
中途半端な間合いでは、一方的に差し込まれる。
踏み込むなら思い切りだな。
戦略を立てるうちに少しずつ冷静さを取り戻して行くのを実感する。
その観察眼はやがて、ある違和感にたどり着いた。
ん……? こいつの構え……
その疑問はアンセスの口から自然と零れる。
「……あごが前に出てるぞ」
「は?」
ヒースの口から間の抜けたような声が漏れる。
「脇も開きすぎだし、全体的に姿勢が前のめりすぎだな。 ブランフォーク家とやらの剣術は亜流なのか?」
「お前……!」
ヒースの顔が真っ赤に染まり眉が吊り上がる。
アンセスは構わずに続ける。
「それに加えてさっきの挑発、『正攻法じゃ自信がありません』と言っているような物だろう。 舌は良く回るようだし、剣よりペンを握っている方が似合っているんじゃないか?」
そこまで言うと、レイピアを持ったヒースの腕がだらりと下がる。
「……もういいわ。 お前。 少し遊んでやろうと思ったけど、もう殺す」
他人には散々暴言を吐いていたというのに、自分が煽られたらすぐキレるのか。
扱いやすいタイプで助かるな。
心の中でほくそ笑んだのも束の間、ヒースは突如剣を持っていないほうの腕をこちらに向ける。
その手は紅に輝き、炎の塊を撃ち出した。
アンセスは横に逸れて炎を躱す。
ヒースが続けて指を鳴らすと、指先に小さな火の玉を生じる。
それはだんだんと膨れ上がり、直径1メートルほどの大火球に成長する。
大火球はヒースの後方へと浮かび上がり、小さな炎弾をばらまきはじめる。
アンセスは後ろに跳んで火の雨を回避しつつ、ヒースとの距離を取った。
「僕は剣だけじゃなく、魔術も扱える。 ……鉄の板切れ振り回すしか能が無いお前とは格が違うんだよ!」
ヒースは剣術を侮辱された怒りをぶつけるかのように火炎弾を撃つ。
それに呼応するかのように、後方の大火球も炎の弾を弾き出す。
アンセスは横に走りながらそれらを避け、思考を巡らせた。
あの炎が…… たぶん精霊魔術というものだよな。
ファルシネリが土の魔術を使うように、あいつは火の魔術を用いるらしい。
口ぶりから察するに、剣術と魔術を組み合わせた戦闘スタイルなんだろう。
離れたら火、近づいたら剣。
シンプルで良い戦術だが、攻めるのはそう難しくはない。
あいつの後方に浮かんでいる大火球の援護射撃が厄介だが、正直それだけだ。
魔術の速度も範囲もそこまで脅威ではないし、剣術は俺に分がある。
普通に戦えば、俺が勝つ。
アンセスはそう確信していたが、不用意に攻められない理由がひとつだけあった。
それは、固有魔術の存在だ。
……あいつの剣術は、妙な癖があった。
剣術が洗練されていないということは、それだけ魔術に頼った戦い方をしているという事。
それが何なのかを把握しなくてはいけない。
今のところ固有魔術を使っているような動きは無いが……
能動的には使えない能力なのか?
もしくはメリーガムの無敵のようにカウンターを狙っているのかもしれない。
少し探ってみるとしよう。
アンセスは飛んでくる火炎を躱し、ヒースとの距離を詰める。
するとヒースは即座に攻撃態勢に入った。
「……?」
その行動をアンセスは理解できなかった。
お互いの距離はまだ10メートル近くはある。
いくらレイピアのリーチが長いとはいえ、剣の間合いではない。
意図を読み取ろうとするアンセスの思考を置き去りにして、ヒースは真っ直ぐに剣を突き出してきた。
絶対に当たるはずが無い距離。
だが長年の戦闘経験で培った直観は警鐘を鳴らしていた。
何かがやばい、と。
アンセスはそれに従って、咄嗟に横へ大きく跳ぶ。
その瞬間、右の太ももに鋭い痛みが走った。
「なっ!?」
踏ん張りが効かずに慣性のまま地面を転がり、砂が巻き上がる。
一体何をされた?
痛みがする箇所を確認すると、右足の内側から激しく出血していた。
溢れた血が白い地面にゆっくりと染み込み、赤い模様を作っていく。
出血量から見るに、かなり深く刺されてしまったようだ。
「よく避けたね。 腹を狙ったんだけどな。 ……でもソレさあ、結構深いんじゃないの?」
ヒースは愉しそうに笑い、地面を転がるアンセスに対して容赦なく火の玉を浴びせる。
アンセスは痛む足に鞭を打ち、再びヒースから距離を取った。
「ほらほら、頑張って避けないと焦げちゃうよ?」
大火球が輝き、無数の火の玉が飛び出す。
アンセスは攻撃をなんとか凌ぎながら、背中を冷たい汗が伝うのを感じた。
まずいな、攻撃の正体が分からん。
あいつの剣は間違いなく届いていなかった。
にもかかわらず、俺の足は刺されていた。
剣に何か仕掛けがあるのか? それとも暗器か何かを投擲したのか?
いや、それならば俺が見逃すはずが無い。
やはり固有魔術を使ったとしか考えられない。
10メートル程度のリーチがある不可視の攻撃……
それがレイピアの速度で襲ってくるという事か?
自分がたどり着いた仮説に、思わず身震いする。
そんなの相手にどうやって近づく……?
アンセスは足から血が流れるにつれ、少しづつ体温が下がっていくような感覚がした。