第二十七話 「お酒は飲みますか?」
ミルメコに戻り、ファルシネリと合流した私たちは街の大衆食堂で食事をとることにした。
明日はいよいよ闘技場に挑むということで、精が付くものを食べにきたのだった。
せっかく街に訪れたのだから、干し肉とパンばかり食べるというのも、もったいない話だろう。
食堂の中はたくさんの人でごった返していた。
ここは酒場も兼ねているようで、酔っぱらった男達がカップをぶつけ合いながら騒ぎ立てている。
私たちは彼らから少し離れた丸いテーブルに座った。
「金は足りるのか?」
「大丈夫だよ。 一部屋しか宿をとってないから、その分のお金が浮いたの」
「……そうか」
アンセスは複雑そうな顔をして背もたれに体重をあずけた。
その様子を横目に、ファルシネリは品書きをペラペラとめくっていく。
「ワイバーンの肉が食べられるみたいだよ」
「魔物はいままでさんざん食っただろ。 多分これからも食う羽目になるしな」
彼はファルシネリの発言を軽く流して、鶏肉を使った料理を注文した。
ファルシネリは色々と悩んだ結果、魚の香草焼きを選んだ。
私も品書きを見てみたのだが、文字が読めず書かれている料理が何なのかよく分からなかったので、とりあえずファルシネリと同じものを頼むことにした。
思えば魚を食べるのは久々かもしれない。
私たちは運ばれてきた料理をつまみながら、明日の事について話し合った。
「今日は二人で頑張ってたみたいだけど、どうだったの?」
「私が一方的にボコボコにされました。 ですが、良い経験になったと思います」
「あ、そう? ……アンセス、手心とかあってもいいんじゃないの……?」
「手加減したら意味がないだろ」
「それはそうだけどさあ。 こう、自信を持たせるとか」
「自分を過大評価する奴は早死にするだけだ」
アンセスはファルシネリの意見を受け流して肉をかみ千切った。
結局、彼には一度も勝てなかったが、少なくとも昨日よりは強くなっているという実感がある。
「欲を言えば精霊魔術も練習したかったのですが」
「いやー そっちの魔術は難しいからね…… 固有魔術が上手く使えるようになっただけでも十分すぎるよ」
彼女は口の端にソースを付けながら笑った。
私はファルシネリのことを羨ましく思った。
もし彼女のように土を操れたりしたのなら、戦略の幅がもっと広がっただろうに。
そのようなことを考えていると、ファルシネリと視線が合った。
彼女はゆっくりと瞬きをした後、真剣な顔になる。
「あのね……二人とも自分の命を優先してね? 危ないと思ったら逃げていいから」
ファルシネリは少し俯きながらそう言った。
美しい黒髪が重力に従って流れ、彼女の表情を隠した。
私とアンセスは顔を見合わせる。
個人的なことに巻き込んでしまったことに責任感を感じているのだろうか。
実際はこちらから首を突っ込んだのだから、彼女が気に病む必要などないのだが。
私はファルシネリを元気づけるため、あえて楽観的に明日の事を話した。
「ですが、いざとなれば回復魔術もあるでしょう? そんなにひどい事は起きないと思いますが」
「あれは大抵の傷を治せるけど、死んだ人を生き返らせたりは出来ないんだよ。 魔術は万能じゃないからね」
ファルシネリは明日の戦闘をかなり警戒しているようだ。
てっきり、闘技場というのは力比べのようなもので、本気の殺し合いまで発展するとは思っていなかったのだが…… 考えが甘すぎただろうか?
彼女を励ますつもりが、逆に私が不安になってきてしまった。
「……だが、エストラーダが提示したルールに従うなら、俺たち三人のうち二人が勝てばいいんだろう? そこまで深刻に考える必要は無い。 警戒するのは大事だが、自分の中で敵を強大にしすぎるのは避けるべきだ」
アンセスはそう言って静かにスープをかき混ぜた。
私とは違い、アンセスはかなり落ち着いているようだ。
戦闘慣れしていることもあって、彼の言葉には安心感がある。
こういった戦いへの姿勢はみならった方が良いかもしれないが、なかなか真似できる事ではない。
……このまま明日の事を考えていてもさらに不安になるだけな気がする。
闘技場については充分話し合ったことだし、話題を変えることにしよう。
「そう言えば、アンセスはプロナピエラのことを調べてましたよね? なにか手がかりは見つかりましたか?」
「あ、それわたしも聞きたかった」
「その件だが…… あまり有益な情報は得られなかった。 すまない」
「おや、そうなのですか」
「ひとつだけわかったことは、ここから西にある広大な砂漠のどこかにある、ということだけだ」
アンセスはそこまで話すと、一旦はなしを区切って鶏にかぶりついた。
「え!? すごく大事な情報じゃない? 一歩前進だよ!」
「だといいがな……」
目を輝かせるファルシネリに対して、アンセスは微妙な顔をした。
プロナピエラのおおよその位置が分かったのは喜ぶべきことだが、あまり詳細な場所までは特定できなかったようだ。
砂漠をしらみつぶしに歩き回るのは骨が折れそうだが……
「ほお…… プロナピエラを目指してんのか」
突如、頭の上から軽薄そうな声が響いた。
振り向いて後ろを見ると、そこには意味ありげな薄笑いを浮かべたエストラーダが立っていた。
「エストラーダ!? なぜここに……?」
「なぜここに、だって? ここは俺の街だ。 俺がどこにいようと勝手だろう?」
彼はなれなれしく私の肩に手を置く。
「それで? お前らは何のために旅してるんだ? 観光ってわけじゃないよな?」
「あなたに教えるわけないでしょ!」
隣に座ったファルシネリが口をとがらせた。
言葉は強気だが、椅子を移動させて少し距離を取っている。
当たり前のことだが、彼女はかなりエストラーダのことを警戒しているようだ。
「そう言うなって。 なあ、教えろよメリーガム。 こんな状況の大陸を旅するなんて、なにか特別な目的があるんだろ?」
エストラーダはこちらを覗き込むように顔を近づける。
すこしズレた表現かもしれないが、その姿は小さな雛鳥が母鳥に食べ物をねだっている姿に似ていた。
彼は決して善人ではないが…… 根っからの悪人でもないような気がする。
というか善悪という概念よりも、自分が楽しいか、興味があるかがすべての行動指針なのではないだろうか?
本来なら目的を教える必要などないが、この街で最も多くの知識を持っているのは間違いなくエストラーダだろう。
もし、彼が私の推測通り、自分の快と不快のみに従って生きる人物なのだとしたら、なにか情報を落としてくれないだろうか?
……試してみる価値はあるかもしれない。
「アルバを倒すために旅をしています」
私は包み隠さずにこの旅の目的を教えた。
エストラーダの顔から薄ら笑いが消え、気が抜けたように無表情になる。
そして次の瞬間には食堂中に響くほどの大声で笑い始めた。
「おいおいマジか!? あのアルバを倒すって? 本気で言ってんのかよ! この大陸の覇者をお前ら三人が?」
「プロナピエラにはアルバの情報を集めるために行くのです」
エストラーダは目尻に涙を浮かべながら、膝から崩れ落ちた。
その後もヒーッヒーッなど言いながら床に突っ伏した。
この反応を見るに、アルバを倒すというのはやはり現実的ではないらしい。
彼はしばらく笑い続けた後、テーブルを支えにして起き上がる。
「いや、マジで面白いな。 ……よし、地図を出せ、地図」
彼は涙を拭いながら手を伸ばし、地図を要求してくる。
「なぜだ?」
「いいから、早く出せよ」
アンセスはしぶしす腰に付けたポーチから地図を取り出し手渡す。
エストラーダはそれを勢いよく取り上げると。懐からおもむろに羽ペンを取り出して、その地図にバツ印を付けた。
「ここがプロナピエラのある場所だ」
「え…… 知っているのですか?」
「一度だけ行ったことがあるんだよ。 俺からすればクソつまらん街だったけどな。 街は結界で隠されているが、そこの優秀な魔術師がいれば問題ないだろ」
エストラーダはそう言って、ファルシネリをあごで指した。
「……なぜ俺たちにそんなことを教える?」
「俺は面白いものが見たいんだよ。 アルバを倒すなんて馬鹿みてえなこと言ってる奴らを放っておくわけないだろ」
彼は心底楽しそうに地図を見つめたあと、放り投げるようにして返した。
「俺はな、猫に追いつめられたネズミが何をするのかが見たいんだよ。 極限まで追い詰められたやつの次の一手! それを見ると興奮するんだ……! わかるだろ!? 次の一手こそがそいつの本質なんだよ! そいつの一番深い部分を俺の手で抉り出して眺めたいんだよ!!」
エストラーダは両腕を広げ、まくしたてる
頬は上気し、恍惚とした瞳は天井を見上げている。
心ここにあらずといった様子だ。
私がその姿を見て呆気に取られている内に、彼は深いため息を吐いて、いつもの飄々とした雰囲気に戻る。
「……明日は楽しみにしてるぜ。 簡単に死んでくれるなよ、ネズミくん」
エストラーダは私の頬をぺちぺちと軽く叩き、踵を返した。
私は彼の金髪の頭が、人込みに飲まれて見えなくなるまで、その背中を見ていた。
嵐のような男だった……
エストラーダが消えるのを確認してからアンセスが口を開いた。
「おい、不用心すぎるぞ。 他人に大事な情報をペラペラしゃべるのはやめろ」
彼の言葉は心配と少しの苛立ちを帯びていた。
「すみません。 エストラーダなら何か知っているかと思いまして」
「今回は良い方向に転んだが、毎回そうとは限らないだろ。 もう少し後先考えて行動しろ」
「まあまあ、結果的に良かったから……」
不機嫌そうなアンセスをファルシネリがなだめる。
確かに後先考えずに動いてしまうのは私の悪い癖だ。
「だが、プロナピエラの場所を聞き出せたのは大きいな。 あとは……明日を乗り切るだけだ」
アンセスの言葉に、私とファルシネリはうなずいた。
次の目的地が明確になったのは良かったが、闘技場で負けてしまえばどうなるか分からない。
私は気合を入れるように魚の切り身を口に放り込んだ。
それはなんだかぼんやりとしていて、あまり味を感じなかった。