第二十二話 「クモの巣」
道に並んでいる店には様々なものが売られていた。
食べ物や衣服などの生活品から、宝石をあしらった指輪や首飾りなどの高級品まで幅広い。
統一感が無さすぎるのではと思ったが、露店の市場というのはこういうものなのかもしれない。
「なあ、そこの兄ちゃん」
不意に声を掛けられる。
声のした方を振り向くと、道端に数枚の布を敷いて座っている老人が私を見上げていた。
「金、貸してくれんか? 貸してくれたら、アンタにもいいもん分けてやる」
老人はニタニタと笑いながらこちらに手を差し出してくる。
……乞食だろうか?
ボロボロの布を纏っているだけの貧相な身なりであるのにもかかわらず、差し出された手には豪奢な腕輪をいくつも着けていた。
しわだらけの手からじゃらり、と腕輪の擦れる音が響く。
不意に風に乗って甘い匂いが漂ってきた。
それは目の前の老人からしているのか、街全体から放たれているのか判別がつかなかった。
もしかしたら、その両方かもしれない。
「えーと……」
なんと答えようか考えあぐねていると、ファルシネリが私の腕を掴んだ。
「メリーガムさん、行くよ」
私は彼女に従ってその場を後にした。
老人は私が見えなくなるまで、あのニタニタとした笑いを張り付けながらこちらを眺めていた。
「あのね…… いろんなひとが絡んでくると思うけど、できるだけ相手しない方が良いよ」
ファルシネリは隣を歩きながらそう言った。
……この街はなんというか、不気味だ。
一見すると住民はみんな楽しそうだし、生活にもある程度の余裕があるように見える。
それでいて私が流れ着いた漁村よりも、ずっと不健全に歪んでいるような印象を受ける。
あまり長居したくない。
そのようなことを考えながら歩いていると、ファルシネリが後ろから小走りで追いついて来る。
どうやら無意識のうちに早歩きになっていたようだ。
「おや、すみません」
「大丈夫、大丈夫」
彼女はニコッと笑顔をつくった。
まるで子供をあやすような笑顔だ。
おそらく、私が不安な気持ちで落ち着かないのを察しているのだろう。
彼女の杖を探しているというのに、逆に気を使われてしまった。
……一旦落ち着こう。
私はファルシネリと歩きながら深呼吸した。
深く空気を吸って、吐く。 吸って、吐く。
何度か繰り返していると気持ちが落ち着いてきた。
「……ところで、あなたの杖はどんな形をしているのですか」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「多分、聞いてなかったと思います」
「えっとねー…… いい感じの木の棒に、青い布が巻き付いてるやつ」
「い、いい感じの棒?」
「長さとか太さが丁度いい具合の、こう、手に収まるって感じのやつで…… 子供だったら拾っちゃうタイプの棒!」
彼女は手をワキワキさせながら杖の見た目を説明してくれた。
だいぶ抽象的だが、彼女が言うのだからそうとう「いい感じ」なのだろう。
正直、「いい感じ」というのはあんまりピンと来ないが、青い布の巻かれた木の棒ならば一目見たら分かりそうだ。
子供だったら拾ってしまうような棒……
杖の見た目を思い浮かべながら周囲を見渡していると、人ごみの中でこちらを眺めている子供がいるのに気が付いた。
ん……?
彼は私の横の辺りを眺めながら目を見開いている。
その後、私と目が合うと慌てて逃げ出した。
「……ファルシネリ! ついてきてください!」
「え、え!? 急にどうしたの!?」
私は人の流れを横断するようにかき分けながら子供を追いかける。
「少年が私達を見て逃げました。 杖を盗んだ犯人かもしれません!」
「メリーガムさんを見て逃げたんじゃないの!? おっきくてびっくりしたとか!」
ファルシネリは私の後に続きながら、半ば叫ぶように答える。
「いえ、あれは私というよりも、あなたを見て逃げたように見えました!」
「わたしを!?」
街の喧騒に負けないように会話をしつつ群衆を抜ける。
すると、数十歩ほど先にこちらに背を向けて逃げる少年を見つけた。
「彼です!」
「ちょっと! そこのキミ! 止まって!!」
ファルシネリの制止を聞かずに少年は逃げ続ける。
私は脚に力を込めて彼との距離を一気に詰めた。
もう少しで手が届くというとき、
「うっ! くそっ!」
彼は腰からナイフを抜き、振り向きざまに切り付けてきた。
とっさに後ろに跳んで、それを回避する。
「近づいたら刺すぞ!」
少年は両手で握ったナイフをこちらに向けて威嚇した。
彼は刃物を構えたままじりじりと後ずさりすると、再び走り出し、角を曲がって暗い路地裏へ逃げていく。
彼を追って路地裏に続く曲がり角へ入った瞬間、銀色の光が闇の中できらめいた。
ナイフ……!!
「しつこいんだよ!」
叫び声と共に、待ち伏せしていた少年がナイフを突き出しながら飛び込んでくる。
下から突き上げるようなナイフの攻撃。
それを受け流すように半身で避け、武器を手刀で払い落とす。
「なっ!?」
ナイフが地面に落ちる。
そのまま慌てる彼の両肩を掴み、地面に取り押さえた。
「うわっ! ぐ、頼む! 殺さないでくれえっ!」
「落ち着いてください! 手荒なことはしませんよ」
少年は甲高い声をあげながらじたばたと手足を振る。
彼をなだめていると少ししてからファルシネリが追い付いてきた。
ファルシネリは息を切らしながら地面の少年を覗き込む。
「はあ、はあ…… ねえ キミがわたしの杖を盗んだの?」
「アンタがぼさっとしてんのが悪いんだろ? そんなんでミルメコの近くをうろついてんじゃねーよ!」
少年は悪びれる様子もなく言い返す。
「う…… そ、そんなことよりも、わたしの杖は!? どこにやったの?」
「もう売っちまったよ!」
「どこに!? 案内しなさい!」
「正直に言った方が良いですよ」
私は抑える腕に少し力を込めておどかす。
「わ、分かった! 案内する!案内するから!!」
騒ぎ立てる少年の拘束を解き、地面に立たせる。
「逃げてもダメだからね?」
「チッ 分かってるよ!」
彼は右腕を押さえながら小走りで店が立ち並ぶにぎやかな道の方へと進んでいった。
私達は彼の後に続き、喧騒のする大通りへ向かった。
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彼が向かった先は人々が集まる大通りの、ひとつ隣の道だった。
ここも人は多いが、先ほどまでいた場所よりはいくらか落ち着いている。
道をずっと行った先には、あの円形の建物が見えた。
この街の通路はすべてこの建物につながっているようだ。
円形の建物を中心として放射状に道が展開されているのだろうか?
「ここだよ…… この店に売った」
少年がある露店を指さす。
そこにはでっぷりと太った男が地面にあぐらをかいて座っていた。
彼の前には布が広げられ、その上には宝石や乾燥したきのこなど、様々な商品が並んでいる。
そしてその中には……
「……あ! あった!!」
ファルシネリが嬉しそうな声を上げる。
彼女の視線の先には、青布が巻かれた細長い木の枝が置いてあった。
鮮やかな青は、並べられた商品のなかでも一際目を惹く。
これがファルシネリの求めていた杖か。
たしかに「いい感じ」だ。
「はあ~ よかった~……」
彼女は安堵の声をもらしながら表情を緩ませた。
「おい、 もう俺は行っていいよな?」
ここまで案内してくれた少年は居心地が悪そうに周囲を見渡した。
「あ、ちょっと待って。 それ治してあげるよ」
ファルシネリが少年の右手を差し出すように促す。
彼の腕は赤く腫れていた。
私がナイフをはたき落とす際に怪我させてしまったようだ。
子供相手に力を入れすぎたかもしれない。
しかし…… 刃物を取り出してきたし、手加減できる状況ではなかった。
アンセスならばもっと上手く制圧しただろうか?
ファルシネリがしゃがみ込んで手を伸ばすが、少年は跳び退くように離れた。
「は!? 金なんて無いぞ!」
「えっ? お金? お金なんて取らないよ」
「嘘つけ! 信じらんねぇよ!」
「いや本当だって。 ほらみせてみて?」
「っ触んな!」
「あ……」
彼はファルシネリを振り払うと踵を返し、人ごみの中へ紛れてしまった。
「……あんな子供が泥棒で生活を立てようとしているのですね」
「う~ん…… あんまり責められないよね。 あの子も必死なんだろうし…… いや、良くないことなのは間違いないんだけど」
彼女は振り払われた手を軽くさすった。
「ファルシネリ、それよりも杖を」
「あ、うん。 そうだね」
私達は気を取り直して杖が売られている露店に近づく。
太った商人はじろり、と私達を一瞥すると商品に目をやった。
「……よう。 何か買っていくか?」
「この杖を買いたいんだけど、いくら?」
「横に値札があるだろ」
「あ、これか…… は!? なにこれ!?」
ファルシネリは突然目を見開いて大声を上げた。
私は彼女の肩越しに商品の置かれている布を覗き込む。
杖の横には木の札が添えられており、そこには0がいくつも並んでいた。
一目見ただけでものすごく高価だという事が分かる。
「なにこの価格? 数か月遊んで暮らせるくらいの値段なんだけど!? いくらなんでも高すぎじゃない!?」
「文句があるなら買わなきゃいいだろ?」
「こんな値段じゃ誰も買わないと思うけど、どういう基準で設定してるの?」
「必ず欲しがる奴が来ると思ってな……」
商人はにやりと口角を吊り上げた。
「……! あなた、これが盗品だとわかって売ってるでしょ!?」
「ふん。 なんのことだ? 見当もつかねえな」
彼はどうやら旅人の持ち物を盗ませて、それを持ち主本人に売ることで金を稼いでいるらしい。
随分と汚い手口だが、ファルシネリはその標的にされてしまったようだ。
「これは元々はわたしのものなの! 返してくれる!?」
「おいおい、そんな証拠どこにもねえだろ? こいつはそこらのガキから買ったものだぜ」
「その子に盗ませたのもあなたなんじゃないの!?」
「うるせえな! 買うのか買わねえのかはっきりしろよ?」
「こんなの払えるわけない!」
二人は杖を挟んで激しい口論を繰り広げている。
「払えねえんならどっかいけよ! 商売の邪魔だ!」
「うう…… でも……」
「……それとも楽に稼げる方法を教えてやろうか? 姉ちゃんぐらいかわいい顔した娘ならこれくらいの金、すぐに集められるぜ?」
彼はファルシネリの身体を下から上へなめまわすように眺めた。
「うっ…… そ、そんなこと……」
「へへっ 怯えるなよ、俺が男にウケるように手取り足取り仕込んでやるからよ」
商人はファルシネリのほうにゆっくりと手を伸ばす。
私はその手を払い落とした。
「っ……痛ってぇな! 何しやがる!?」
「失礼。 あなたのような人間に私の友人を触れさせるわけにはいきませんので」
「ああ!? うぜえな…… てめえは引っ込んでろよ」
商人が懐に手を突っ込んで何かを取り出そうとしたその時、
「おい。 なにをそんなに騒がしくしてるんだ? 俺も混ぜろよ」
と、声が響き渡った。
私は驚いて後ろを振り返る。
そこには金髪の男が立っていた。
胸元の開いたシャツを着ており、肩にはやわらかそうなローブを掛けている。
艶やかな皮のブーツには泥ひとつ付いていない。
両手にはすべての指に宝石の輝く指輪がはめられ、首元にも複数の装飾品がぶら下がっている。
「お前ら旅人だな? ようこそ略奪の街ミルメコへ。 俺にも話を聞かせてくれよ」
彼はそう言って、よく整えられた美しい髪をかきあげた。