第二十一話 「ミルメコ」
木の葉の隙間から差し込む光が地面を照らす。
足元の草には朝露が降り、雫が宝石のように輝いている。
そんな静かな森の中を私たちは歩いていた。
頭上から降ってきた水滴が肩に落ちる。
私はそれを右手で軽く払った。
「あー 靴が濡れちゃう」
隣を歩いていたファルシネリが、小鹿のようにぴょんと跳ねながら地面の水たまりをよけた。
「それくらい問題ないでしょう」
「いやいや、服が濡れるのは出来るだけ避けた方がいいよ。 びちょびちょの服で長時間歩くの最悪だから」
そう言った次の瞬間、彼女は木の根に躓いて水たまりにダイブした。
「だーーっ!?」
「あーあー 大丈夫ですか?」
私は転んだファルシネリに手を貸して起こす。
靴どころか、膝や袖まで濡れている。
彼女は旅に慣れているらしく知識は豊富だ。 知識は。
だが、なんというか…… 結構うっかりしている。
杖を盗まれたのもそうだが、顔を枝にぶつけたりしているのをよく見る。
運動はあまり得意ではないのだろうか?
「お前たち、なにを遊んでるんだ」
先頭を歩いていたアンセスがこちらを振り返る。
魔力切れはもうすっかり回復したようで、彼の足取りは力強く軽快だ。
「ごめんごめん」
ファルシネリは濡れたローブの端っこをギュッと絞った。
「それにしても、かなり歩いたと思いますがミルメコはまだでしょうかね」
ミルメコを目指し始めてから、既に三日ほど経っている。
ずっと歩きっぱなしというわけではないが、結構な距離を移動したはずだ。
「その話だが…… あれを見てみろ」
アンセスの指さした方を見ると、遠くに大きな円形の建物が見えた。
「え、もしかして……?」
「あれがミルメコだ」
「おお、ついに!」
どうやらミルメコはもう目と鼻の先にまで迫っているらしい。
私たちは足を速めて、建物の方に向かった。
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ミルメコは森の開けた場所に位置していた。
どうやら、先ほど見えた大きな建物を中心として、円を描くように街が形成されているようだ。
外周付近には赤や黄色など、色とりどりのテントや屋台が立ち並び、中心に近づくにつれてちゃんとした建物が並んでいる。
目玉焼きのような構造だ。
街というよりも巨大な集落という表現の方がしっくりくる。
失礼な話かもしれないが、こんな森の中にある街に情報など集まるのだろうか?
プロナピエラの場所を知っている人が居るとは思えないが……
そんなことを考えていると、街の手前まで来たところでアンセスがこちらに向き直る。
「前にも言ったと思うが、ここは危険な場所だ。 物を盗まれたりしないように気をつけろよ」
彼はファルシネリの方を向いて言った。
「わ、わかってるってば!」
ファルシネリは顔を真っ赤にして言い返した。
私は丸腰なので盗まれるような物はないが、彼女の鞄には寝袋など有用な物が入っているので注意したほうがよさそうだ。
「というか、ミルメコという街はなぜ危険なのですか?」
「……ミルメコは故郷に居られない者たちが集まる場所だ。 罪人、亡国の民、没落貴族、そういった連中の逃げ場所というわけだ。 すべての住民がそうというわけではないが、注意しておいた方が良い」
「あー やっぱりそういう感じの街なんだ……」
アンセスの説明を聞いたファルシネリはため息を吐く。
「そういう感じとは?」
「いや、訳ありの人たちが集まる場所ってどこにでもあるからさ。 旅をしてると何度かそういう街を通ったりするんだよね」
「なるほど」
「でもここまで大きな規模の街は初めて見たかな」
彼女はそう言って遠くにある円形の建物を眺めた。
つまり、いろんな場所から人々が集まっているということか。
それならばプロナピエラについて知っている人がいてもおかしくはないかもしれない。
「そろそろ行くぞ。 はぐれるなよ」
私達はアンセスを先頭にしてミルメコに入ることにした。
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街の中にはたくさんの人が暮らしていた。
道の端で寝転がっている人もいれば、殴り合いの喧嘩をしている人もいる。
だが多くの人々は喧嘩などには目もくれず、楽しそうに談笑しながら道を歩いていた。
こういった光景はミルメコでは珍しくもなんともないようだ。
道の両側には店や屋台が並んでおり、道行く人々を呼び込んでいた。
そして、道の真ん中には等間隔に細い柱のようなものが設置されていた。
柱の先端には薄い紫色の宝石が付いている。
封魔鉱だ。
この街にもあの宝石が設置されているのか。
周囲の人々から魔力を吸う道具だ。 あまり長居はしない方がいいかもしれない。
しかし私は封魔鉱よりも、あまりの人の多さに圧倒されてしまった。
イダリッカルでテオルレンの兵士やゴーレムに囲まれたことがあったが、あの時よりも多いのではないだろうか?
これだけ人がいれば、漁村の比でないくらいの魔力が集まるだろう。
というか、封魔鉱を設置されているというのに住民はみんな楽しそうだ。
漁村ではもっと悲惨な雰囲気が漂っていたが、ここの人々は酒を飲んだり歌ったりと、生活に余裕がある感じがする。
そんなことを考えながら人の波に押し流されないように歩いていると、突然誰かに右腕を掴まれる。
驚いてそちらの方を見ると、若い女性が私を覗き込んでいた。
重要なところだけを隠したような服装で、背中やへそが大胆に露出している。
ほとんど裸のような見た目だ。
「あなた、たくましい身体してるわねえ。 ね、こっちでもっとよく見せてよ」
女性は私の腕に絡みつき、身体をすり寄せた。
独特な甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
「いえ、私は……」
「ね、ほら。 こっち来て、こっち」
彼女は微笑みながら私の首筋を撫でる。
そのまま腕を回して抱きつき、ゆっくりと顔を近づけてきた。
柔らかいものが私の胸に当たる。
「こ、困りますよ」
押しのけようとすると、彼女はより一層こちらに体重をあずけてくる。
「えー…… そんなにおっきな身体してるのに照れ屋さんなの? かわいい」
女性は足を絡ませ、ぴったりと密着する。
う…… ま、まずい。
誰かに助けを求めるようと周囲を見回すが、アンセスもファルシネリも居ない。
いつのまにかはぐれてしまっていたようだ。
「ね…… こっちみて……」
「いや、ちょっと……」
「おい」
もう少しで唇が触れるというところで、間にアンセスが割りこんできた。
彼は女性を強引に引き離す。
「あら、お兄さんも混ざりたいの?」
「結構だ。 先を急いでる」
アンセスは適当に彼女をかわすと、私を連れてその場から離れた。
「す、すみません。 助かりました」
私は前を歩くアンセスに話しかける。
「ついさっきはぐれるなと言ったはずだぞ」
「思ったよりも人が多くて……」
「まあいいさ。 こういうところには慣れてないだろうしな。 大丈夫か?」
「あ、はい。 大丈夫です」
彼は人ごみをかき分けながら答えた。
本当に助かった。
急な出来事だったのでパニックになって、身体が動かなかった。
こ、こういう感じなのか、ミルメコ……
今度から気を付けよう。
私はいまだに大慌てしている心臓をなだめるように胸を抑えた。
「ファルシネリはどこに?」
「そこらへんに待たせてる」
アンセスがはぐれた私を探すために、彼女を待機させたのだろう。
いやー…… 申し訳ない。
少し歩くと道の端にファルシネリが立っていた。
「あ、メリーガムさん大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。 待たせてしまってすみません」
「気にしないで。 こういうとこって、初めて来るとびっくりするよね」
彼女は笑いながら私の肩を軽く叩いた。
「さて、これからどうする?」
「私達の目的は、プロナピエラの情報とファルシネリの杖ですよね?」
「う、うん…… ごめんね杖盗られちゃって」
ファルシネリが申し訳なさそうにうなずいた。
「……なら、俺がひとりで情報を集めよう。 お前たちは杖を探せ」
「二手に分かれるのですか?」
「え、危なくない?」
「こういう場所は慣れている。 問題ない」
そう言って彼は腕を組んだ。
すこし危険な気がするが…… アンセスの強さならば心配する必要はないか?
「集合場所だけ決めておくか。 日が暮れるまでにあそこで落ち合おう」
彼は街の中心にある円形の建物を指さした。
「ファルシネリ、こいつが迷子にならないようにしっかり見張っておけ」
「も、もうはぐれませんよ」
「あはは! 了解、ちゃんと見ておくね」
アンセスは私をからかうと、踵を返して人々の群れの中に入っていった。
「じゃ、わたしたちも行こっか?」
「そうですね」
私とファルシネリは杖を探すため、道に並んでいる店を回ることにした。