閑話 「ある雨の夜」
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
着ている服は下着まで濡れてしまった。
俺はそれでも、泥の塊を蹴り上げながら歩いた。
冷てえ。 冷てえ。
体温が奪われていくのを感じる。
これはきっと罰だ。
最愛の妻を殺してしまった俺への罰なのだ。
きっかけは些細なことだった。
なんてことはない、ほんの小さな口論だったのに。
つい頭に血が昇ってしまったのだ。
酒のせいだ。
酒を飲んでいたせいだ。
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
俺は地団駄を踏むように、森の中を急ぎ足で歩いた。
いや、ちがう。 あいつのせいだ。
俺をなめてやがったあいつが悪いのだ。
「お酒はやめて」だと? 「何日も家に帰らないのはやめて」だと?
ふざけるな!!
いったい、俺がどんな気持ちで金を稼いでいると思っていやがる。
酒と女がなきゃ、やってられねえんだよ。
バカ女が。
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
最低限の荷物を詰め込んだ鞄の紐が、肩に食い込んだ。
いや、それも違う。
あいつは良い女だった。
俺なんぞにはもったいないくらいの、できた奴だった。
アルバだ。
こんな世の中をつくったアルバが悪いのだ。
封魔鉱だかなんだか知らんが、あれを設置したのはあいつだ。
あの石のせいで身体が重いのだ。
毎日起きるたびにつらいのは、あいつのせいだ。
あんな訳の分からん石に見張られながら働けだと?
ふざけるな。
いきなりでしゃばってきやがって。
くそやろうだ。 暴君だ。
あいつに比べれば…… ふん、俺なんかまだマシなほうだ。
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
横殴りの雨が、顔を容赦なく叩いた。
とにかくいまは逃げなきゃならねえ。
あいつを殺しちまってから、俺の頭の中は恐ろしく冷静になった。
浴びるほど飲んでいた酒が急に覚めちまった。
それから大急ぎで荷物をかき集めて、夜の深いうちに街を出た。
そして、あの場所を求めて森に飛び込んだ。
まだあいつは見つかってねえよな?
まだ見つかってねえはずだよな?
俺は後ろを見て、誰も追いかけてきていないのを確認して、またすぐに後ろを見た。
もう肩で息をしている。
どうしてこんなに空の機嫌が悪いのだ。
俺のせいじゃないだろう。
俺のせいじゃないのだ。
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
迷路のような森を、ほとんど自棄になりながら歩いた。
雨はもう嵐になっていた。
雨の粒が、風が、木の枝が、葉が、叱るように俺の身体を責めた。
痛え。 痛え。
なんで俺がこんなめに合わなきゃならねえんだよ。
いままでまっとうに生きてきたのに。
一度失敗しただけだろう?
なあ、ケリー。
すまなかった、ケリー。
許してくれ。
俺は殺した妻へ懺悔した。
もういない妻へ。
その時、急に視界が晴れた。
行く手を阻むように並んでいた木々は無くなり、開けた空間が現れる。
そこにはたくさんのテントが密集して並んでいた。
遠くにはしっかりとした建物も見える。
ランプだろうか、橙色の灯りが集まっているのも見て取れた。
着いた。
たどり着いたのだ。 ついに。
俺は疲れ切った身体を引きずりながら、四つん這いになって街に近づいた。
泥をかき分けながら地面を這う。
すると、高級そうな質の良いブーツが突然視界に飛び込んでくる。
驚いて見上げると、ひとりの男が立っていた。
両手の指は煌びやかな宝石で彩られ、柔らかそうなローブを肩に掛けている。
腕輪や首飾りが輝き、整えられた金髪が風になびいた。
金髪の男は口を開いた。
「何のためにここに来た?」
俺は頭の中が真っ白になって、夢中で叫んだ。
「つ、妻を殺して、ここに逃げてきた!」
そう答えると、男は口元をゆがめて笑い出した。
「ハハハッ! クソ野郎だな? お前。 でもいいぜ。 」
男はそう言って、こちらに手を差し伸べる。
「ようこそ略奪の街ミルメコへ。奪い、奪われる者こそ、この場所に相応しい」
美しい指輪で飾られたその手を、俺は泥だらけの手で握った。
ひどい雨が降っている。 ひどい雨が降っている。
俺にはその男が神のように見えた。