第二十話 「曇天教室」
強い雨が降った。
まだ昼過ぎだというのに空は灰色の曇天。
癇癪を起したような雨の粒が頭上の枝葉を叩いた。
私達は木の下で雨宿りをしながら、小鳥のように身を寄せ合っていた。
「ミルメコまであとどれくらいなの?」
ファルシネリは濡れた頭にタオルを当てながら尋ねた。
「明日には着くはずだったが……」
アンセスは地図から顔を離さずに答えた。
ワイバーンを倒し、いざミルメコへ向かうぞ、というところで突然の大雨により出鼻をくじかれてしまった。
周囲を見渡すことすらできないほどの雨の勢い。
とてもじゃないが、この中を進むのは難しいだろう。
早めに止んでくれると良いのだが、あの厚い雲をみるかぎり、おそらく通り雨ではない。 しばらくここで足止めを食らう事になりそうだ。
そんなことを考えていると、隣に座ったファルシネリが「ちゅん」と、くしゃみをした。
身体が濡れて寒いらしい。
焚き火でもして暖を取りたいところだが、周りにある木はすべて濡れてしまっている。
……そうだ。 ファルシネリの魔術なら火を起こせるのでは?
ワイバーンを料理したときに火の魔術を使っていた気がする。
あれならば乾燥した木は必要ないだろう。
そのことをファルシネリに提案すると、
「うーん…… ごめん。 ちょっと難しいかも」
と言われてしまった。
「なぜです?」
「いや、火はある程度扱えるけど、そんなに器用には操作できないんだよ。 それこそ、薪の着火ぐらいにしか使えないかな」
「火打ち金程度の能力しかないのか?」
「火を扱うのが苦手ってだけだよ!」
アンセスの意地悪な質問にファルシネリは頬を膨らませた。
魔術ってそんなに万能ではないのだろうか?
あの力があれば、何でもできそうな気がするのだが。
そうだ。 よい機会だから、魔術について教えてもらおう。
彼女は私のあの力を固有魔術と呼んだが、そこらへんのところ、私は全く分かっていないのだ。
「ファルシネリ、魔術について教えてくれませんか?」
彼女は目をまん丸にして驚いた。
「え? 魔術を?」
「ええ。 私もアンセスも、魔術について完全な素人なのです。 あなたは魔術に精通しているでしょう?」
「うーん…… あんまり他人に教えたことないけど、それでもよければ……」
彼女はそう言うと、ひとつ咳払いをした。
「まず、魔術は固有魔術と精霊魔術に分けられるの。これは知ってるよね?」
「知りません」 「初めて聞いた」
固有魔術は聞いたことがあるが、精霊魔術?もあるのか。
精霊とは、あの光の玉のような物のことだったはずだが、関係あるのだろうか。
「あ、そう? じゃあ基礎からね。 魔術を使うには魔力っていうエネルギーが必要なんだけど、それはどこにあるか知ってる?」
「えー…… 動物とか植物の体内ですか?」
「惜しい! 魔力はこの世のすべてのものに宿ってるの」
ファルシネリは雨宿りしている木の幹を、手の甲でコンコンとノックした。
「私達人間はもちろん、木も水も、大気ですら魔力を持ってる。 唯一魔力が宿らないのは、死んでしまった生き物。 つまり死体だね。 逆説的に言うと、魔力を失った生物は死んでしまうってこと」
「アルバはその魔力を奪うことで、大陸の民を縛っているわけだな?」
「そうみたい。 魔術師らしいやり方だね」
ふむ。 魔力はすべての物に宿っていると。
「でも、生物に宿る魔力と、非生物に宿る魔力はちょっと性質が違うんだよ。 元は同じなんだけど、生物に宿る魔力は、その生物を守るようにふるまうの」
「なんかよく分からなくなってきましたね」
「人間が体内に持つ魔力と、大気中の魔力は違うってことだけ分かればいいよ」
ふーむ。 人間の魔力と大気中の魔力は違う。
「そして、人間が持つ魔力を使うのが固有魔術。
大気中の魔力を使うのが精霊魔術だよ」
「具体的にどう違うんだ?」
「固有魔術は限定的な現実改変。 精霊魔術は自然現象の再現」
だんだん難しくなってきた……
「わかりやすく言うと、固有魔術は現実では起こりえないような特殊な能力が使えて、精霊魔術は火とか水を操ったりできるってこと」
「例として、二人がイダリッカルで戦ったって言ってた魔術師。 カルッゾだっけ? その人の魔術を考えてみようか」
「あいつは…… 電気を使って攻撃してきた。 それに、魔力を多く含むものを追いかけるような電撃も撃ってきたな」
「おそらくだけど、カルッゾの固有魔術は『自身の魔力に誘導性を付与する』能力で、精霊魔術は雷の属性。 そういう魔術師だったんだろうね」
やはりあの誘導性は固有魔術だったのか。
私の考察も案外あてになるのではないだろうか。
「精霊魔術は雷以外にもあるのか?」
「火、水、土、雷、風っていう5つの属性があるけど、基本的にはひとりひとつの属性しか使えないよ」
「なぜだ?」
「適正があるんだよ。 わたしの適性は土属性だから土を操ったりするのが得意なんだけど、火や水は適正がないから、土ほど上手くは扱えないんだ」
なるほど。 精霊魔術には適性がある。
「固有魔術というのは、なんでもありなのか?」
「なんでもは無しかな。 魔術は万能にみえるけど、『死者の蘇生』と、『永遠の命』は不可能って言われてる」
「なるほどな」
逆に言えば、死者の蘇生や永遠の命以外のことは可能なのだろうか。
「そういえば、私の傷を治してくれた回復術は? あれは何なのですか?」
「回復術は魔術じゃなくて魔力操作の一種だね。 魔力を活性化させて治癒を促進してるだけ」
「他にも結界とか魔法陣とか色々あるけど、基礎的なとこはこれで全部かな」
つまり…… 固有魔術はなんかよくわからん特殊能力で、精霊魔術は火とか水とかを操るやつということか。
ざっくりだが大体こんな感じだろう。
「というわけで……問題! わたしはどんな魔術師でしょうか?」
ファルシネリは胸の前で腕組みをした。
「……土の精霊魔術を使うのは確定として、固有魔術はなんだ?」
「ワイバーンの炎ブレスを防いだり、首を千切ったりする能力ですか……」
難しい問題だ。
防御にも攻撃にも使える魔術……
「……なんらかの力場を発生させる能力か?」
アンセスが口元に手を当てながら答えた。
「うーん…… まあ正解かな」
早めに当てられてしまったせいか、ファルシネリはつまらなそうに唇を尖らせた。
「わたしの固有魔術は『斥力を発生させる』能力でした!」
「斥力とは? なんです?」
「簡単にいうと、反発する力場を生み出すってかんじ。 ワイバーンのブレスはこれで弾いたんだよ」
「では、ワイバーンを撃ち落とした技は?」
「あれは、土の精霊魔術で岩石の弾を成形して、斥力で発射。 あらかじめ岩に魔力を込めておいて、首に刺さったのを確認してから斥力を発生させたの」
たしかにワイバーンは内側から爆発したような傷だった。
首に刺さった岩に斥力を発生させて強引に引きちぎったのか。
……やりかたがえげつなくて怖いな。
「魔術師の戦いは初見殺し、わからん殺しの連続。 だから、自分の固有魔術を他人に簡単に教えちゃうと、戦略的有利を手放すことになるんだよ」
私が自分の固有魔術を話しそうになったとき、口を塞いだのはそういうわけか。
魔術師において固有魔術の内容というのは秘匿すべきものらしい。
たしかに、カルッゾと戦ったときも固有魔術を看破したおかげでなんとかなった。
……ん?
「というか、私たちに固有魔術を教えてしまってよかったのですか?」
「…………ふ、二人は、その、もう仲間だから良いかなって思ったんだよっ!」
ファルシネリは恥ずかしそうに耳まで顔を赤く染めた。
「な、仲間だよね……? そうだよね?」
彼女はちょっと涙目になりながら上目づかいで眺めてくる。
アンセスは「どう反応したらいいか分からん」とでもいうように、腕組みをしながら目を泳がせていた。
彼は真面目な男だ。 ファルシネリへの警戒心と信頼感がせめぎ合ってよく分からないことになっているのだろう。
私はファルシネリに向き直り、
「仲間ですよ。 少なくとも私はそう思っています」と答えた。
アンセスも続けて、
「ん…… まあ、そうだな」と言った。
ファルシネリは「えへへ、ありがと」と言うと、ローブのフードを被って丸まってしまった。
自分が言えたことではないかもしれないが、二人とも不器用だなと思った。
雨はまだしばらく降りそうだった。