09
魔人への接近は時間をかけて行った。
俺はもちろんそうだが、相手である魔人も、次の対戦相手である俺を警戒している。先ほどアルとの戦闘でやったように、まずは俺のレベルを見極めて戦うつもりだろう。
それなりに知能を持っている。
もし相手がミノタウロスのようにただ突っ込んでくるだけの脳筋だったら、俺もそれなりに楽に戦えていた。
動きのパターンを分析し、敵を挑発することで勝利を導く。
だが、魔人の動きは予測不能。
相手も考えている。俺と同じように、最善策を頭の中で練り続けているんだ。
「遅い」
ロルフが気を散らすようなことを言ってきた。
このタイミングでわざわざ言うか、それ。
やっぱりこの狼は性格に難がある。
そんな言葉を無視し、剣を前に構え、徐々に距離を詰めていった。
アルを貫いた長い爪を狙って、長剣を突く。
魔人の息遣いを感じた。
一瞬だ。
アルの攻撃に対処していただけはある。高い俊敏性と、回避能力。
スピードのアルが敵わなかった相手だ。俺も同じようにスピードで勝負するというわけにはいかない。結局地雷を踏むだけのことだ。それに――。
「オーウェン! 血!」
ハルが叫んだ。
簡潔過ぎて意味不明。さっぱりわからない……というのは冗談で、俺にはすぐに彼女の伝えたいことが理解できた。
血液。
魔人は血を流させた相手のやる気や活力を奪うことができる。アルの正気が失われていったのは――そもそも常に正気失っているのかもしれないが――腹を貫かれ出血してからだ。
大き過ぎるダメージへのショックであることも考えられる。
だが、俺はある異変に気づいていた。
地下迷宮の床に溢れたアルの血液――それがもうなくなっている。
これが何を意味するのか。
その時、魔人が笑った。
にやーっと。
黄色く染まった並びの悪い歯は光すら反射しない。赤い瞳はウィルのものよりも濃く、見れば見るほどに深くなっていっている。
感情が読み取れた。
楽しいのだ。
俺達を苦しめることに喜びを感じている。地下迷宮が生み出すモンスターには限界がある。魔人は魔界に本来存在するべきモンスターだ。
だが数百年前、魔王は魔人を地下迷宮に送り、そうして魔界と人間界の道を作った。
魔人は魔王の分身だ。
苦しみをエネルギーとし、世界に溢れる活気を吸い取る。
だから魔人は恐れられるのかもしれない。他のモンスターよりも、遥かに。
とはいえ俺にとって魔人なんか敵じゃない。
魔王なんて論外だ。
勇者パーティーは魔王を討伐するためにあるもの――だが、俺はちっとも魔王を倒そう、なんて面白くないことは考えない。
魔王を倒すことも、魔人を倒すことも、ただの過程だ。
強くなるために必要だというだけ。
乗り越えれば強くなれる、そのためのイベントに過ぎない。
魔人は俺のスピードをアル以下と判断した。
その醜い微笑みからもわかる。
勝利を確信した――そんな表情だ。モンスターの表情からも伝わってくることはたくさんある。
俺の方も、勝利を確信していた。いや、勝利は確定していた、と言うのが正しいか。
この間合いを管理できているうちに、決着をつけたい。
魔人がその圧倒的な速さで爪を俺に向けてきた。俺の目には全てがゆっくりに見える。この軌道を変えることは不可能だし、俺は魔人を上回るスピードで動いて回避するのも無理だ。
ならば剣で防ぐ。
火花が散った。
この程度のことで赤く光る剣を呪いたい。
爪の耐久性は思っていたより高かった。
俺の長剣はオリハルコン製なので、普通に考えればこれ以上に硬い素材はない。
が、金属は気まぐれだ。
必ず結合している隙間というのが存在する。分子と分子の間には、隙間があるわけだ。それを俺は、『金属の隙』と呼んでいる。たとえオリハルコンでも、結合部分に偶然当たったら砕ける。
魔人の爪はオリハルコンといい勝負をした。
一度の激突ではどちらも壊れなかった。
『グァァァ』
何が言いたいのかさっぱりわからん。
悪いな、マジスケ。
スピードで負けていたとしても、パワーでは負けていない。剣は幼い頃から握っている。慣れた剣での戦闘。力の入れ方も熟知した俺に、魔人ごときがパワーで勝てるはずもない。
『結構やるじゃない』
『オーウェンくん……オラの命の恩人だ〜』
双子の憎めない会話が耳に入る。
魔人が大きく後ろにつんのめった。
今だ!!
今度の狙いは心臓。
魔人は崩れた態勢を元に戻そうと力を使うので、俺の対応に追いつかない。心臓はすぐに目の前だった。
魔人とはいえ、心臓を刺すのは残酷か?
いや、それは違う。
俺は目的のためにやるべきことをやった。それだけだ。
魔人が溶けていく。
地下迷宮が血と同様に魔人を吸収し、残っている邪気と共に葬り去る。絶望を招いた暗黒のモンスターはここで死んだ。
「貴様に怪我ひとつないとは意外だ」
「なかなか酷いことを言いますね」
ロルフは最後に見た時から1CMも動いていない。
いざとなれば出てきて加勢してくれただろうが、初めから動く気はなかったように思える。
それが、俺が必ず魔人を倒すと信じてくれていたから、とかいう理由だったら感動的かもしれない。
「もし魔人に傷をつけられていれば、貴様の敗北は決まっていた」
「それもそうですね」
ここでロルフがふっと笑う。
「右手を見てみろ。【絶望の魔人】は多くの命を奪った強敵だ。それを倒したらそれなりの報酬がある」
右手の甲が疼く。
燃えるような痛みと、神からの祝福を受けたような安心感。矛盾したふたつのものが、俺の右手に降り注ぐ。
この感覚――間違いない。
右手の甲に現れたのは『A1』の文字。
ランクが上がった。
目標には程遠い。
だが、俺には見えている――このアレクサンドリアを支配し、勇者でさえも頭を垂れる『最強』の姿が。
【アレクサンドリア】
どの王国にも、帝国にも属さない神聖都市。
人間やエルフ、ドワーフ、獣人など、他種族が暮らす。
『勇者パーティの街』とも言われていて、数多くのパーティーが結成されている。どのパーティが魔王を討伐するのか……本来協力して魔王を倒すはずが、魔王が何千年も現れていない比較的平和な世の中となってからは、パーティ同士での派閥争いが繰り広げられている。
勇者パーティ所属者にはランクが定められ、そのランクによって、待遇にも違いが生まれる。




