エピローグ
輸送船イカロスでの事件から数日が過ぎた。
イカロスを中心とした次元断絶反応はその後も連鎖的に起き続け、結果イカロス船とその周囲の異界域ごと、どこか別の世界へ転移してしまった。勿論そこにいたこの世界の人々はその転移に巻き込まれてなどいない。
故に人々は一連の事件をまるで夢物語のようだったと語る。そう、全ては泡沫の夢だったと。
だが現象としてウタカタと呼ばれる能力は健在していた。それは確かにユグドラシル界との融合があったという証であり、絆であるのだ。少なくとも私はそう思っている。短い間であったが、ろくな人間ではないが、私の無限に続くと思っていた地獄に終止符を打ってくれた男。魔王……いいや、空賊キャプテンドレイクという男との。
トーマスと名乗る男は雨宮くんの髪飾りを受け取ると、少し寂しそうな顔を見せたが「あいつらしい最後だ」と呟いて、巨大な船に乗ってどこかへ行ってしまった。きっともう二度と会うこともないだろう。
政府が打ち出したウタカタクラスは引き続き継続したが、異界域が消滅した今、形骸化してしまい、普通のクラスと変わらなくなった。違うことがあるとするのなら、体育の授業でのウタカタ使用禁止とかその程度だ。
世論はウタカタ保持者に対する規制を求めるように運動が活発化していたが、やがてそれも落ち着いていき、才能の一つ、多様性の一つとして社会に受け入れられるようになった。
そして季節は巡り夏。セミの鳴き声が五月蝿く、煩わしい季節になった。
夏休みが近づいているということでクラスの皆は浮き足立っていて、どんな休みを過ごすか今から話していた。
「まったく私には理解できないね海だの山だの……いや山や海に行きたくないというわけではないよ?ただ意味のないことが嫌だと言うんだ。」
東雲千歳はクラスのグループから、主に男子から遊びの誘いを受けていたが全て断っていた。辟易とした様子で愚痴を話す。
「意味のないことを楽しむ余裕がないなんて哀れね。愛に意味を求めてはダメなの。理解するものではなく感じるもの。」
狂咲雪華が受けた超法規的措置は異界域が消滅したあとも有効だった。もっとも彼女が犯した罪は消えるわけではない。彼女は公安の対ウタカタ部隊として組み込まれることになった。ウタカタを使用した犯罪者は少なからずいる。彼らを取り押さえるためには高レベルのウタカタ保持者が政府側に必要であるからだ。
「まったく殺人鬼が愛を語るなんて滑稽だね……しかし遅いな。生徒会の手伝いだとか言っていたか?参ったな……今日は所用があるんだ、一足先に帰らせてもらうよ。」
そう言って千歳は校門へと走り去っていく。東雲家は玖月家とは別に名家。彼女にも色々とやることがあるのだろう。
「私も時間だわ。公安の手伝いなんて嫌になるけど仕方ないわ。それじゃあ綾音さん、また会いましょう。」
雪華もまた走り去っていく。
あれから私はこの二人と交流するようになった。別に理由はないのだが、彼と親交のあった二人だから、そのまま私も付き合うようになっただけ。もっとも彼は二人のことなんて記憶にないから、なんのことだかわからない様子だったけど。
セミの鳴き声が聞こえる。じめじめとした熱気。少し汗ばんでくる。
夏の訪れを、私は嫌というほど実感している。
私は空を見上げた。夏の空は、青々としていて澄み切った景色が広がる。大きな雲は希望に満ちていて、風に導かれて前に進んでいた。太陽は力強く輝き、私の目に新たな光を映した。空気は清々で、遠くの山や町の景色が鮮やかに見えた。
今という日々は決して幻ではない。確かに在り続ける日々。大切な人が当たり前にいる日々。それは決して泡沫に消えた夢ではない。少なくとも私はそう思っている。今という日々は、確実に私の胸に刻まれ続けるのだから。
私を呼ぶ声が聞こえた。ずっと昔から聞き慣れた声。愛おしく大切な人。決して忘れることのない私の大切な思い出。これまでも、これからもずっとずっと。
私は駆け出した。最愛の人のもとへ。この青く透き通った空の下で新たな一歩を踏み出す。今度こそきちんと想いを伝えるために───。





