あの日描いた真実
「これで……終わりか……。」
一息つこうとしたその時だった。爆発音がした。周囲を見渡すとアンブロースの黒点がまだ残っていて、それは肥大化していた。アンブロースは確実に殺した。であるならばこの黒点はいわば残照。制御を離れ現象として独立したのだ。黒点は重力の塊。ブラックホールのようなもの。放っておけばいずれ消えるものだが、そんな余裕はない。
空間に歪みも生じていた。暴走した重力球が引き起こす超重力により、次元断絶反応が起きているのだ。空間は歪み、まるで違う世界へと誘われるようだった。
この場から早く逃げ出さなくては、何が起きるか分からない。そう確信した。
コアユニットの制御室に向かうと綾音が一人、墜落させまいと奮闘していた。モニターを見る。アイビーに演算させたところ、これならば墜落は免れるという結果が出た。
「もう大丈夫だ綾音!急いでここを脱出するぞ!!」
崩壊していくイカロスの船内。パラパラと瓦礫が落ちてきて、空間はところどころ断絶していて、次元の裂け目も生まれていた。
「なんなのこれ……何が起きているの!?」
「アンブロースの最後の悪あがきだ。周囲に小型ブラックホールが複数誕生していて、それが相互作用し空間断絶現象を引き起こしている!」
ブラックホールなんて大層な言い回しだが、それ自体は大した問題ではない。ブラックホールとは真空の宇宙空間だからこそ維持されるもの。こんなところに発生しても一瞬にして蒸発し消えてなくなる。今、残り続けているのは魔力により生成されたものだからだ。それも魔力に限界が来ればいずれなくなる。
問題なのは偶発的なものか狙ったものかは不明だが、ブラックホール同士が相互反応を引き起こし空間に歪みが起きていることだ。
この場合、何が起きるかまるで見当がつかない。時間の流れは無茶苦茶になり空間と空間は混ざり合う。
「ほら見ろ、早速お出ましだ。」
空間の歪から、こちらを覗くもの。連中は異界の住人、異次元通路に巣食う獣。上位種と呼ばれる連中は知能も高く慎重故に滅多に次元の裂け目からこちら側には来ないが、下位種と呼ばれる連中は違う。虎視眈々と、機会があればやってくる。その名を「猟犬」。上位種の猟犬と呼ばれる連中が出てきた。
「綾音、連中は異次元の存在だ。時間逆行は使うな。連中にそんな概念は存在しない。時間という概念が存在しない連中。逆行現象など無視して襲ってくるぞ。」
面倒なのは下位種という名目だがその実力は高位の魔法使い複数人が束になってようやく倒せる相手だということ。この世の法則に当てはまらない、まさしく触れられざる者たちなのだ。
俺は魔法を展開する。炎、水、地、風、空。五大元素を一纏めにして拳に纏う。
倒し方は一つしか無い。物理で殴り殺す。それだけだ。
飛びかかる猟犬に対し俺は拳を叩き込んだ。牙が腕に食い込んだが、無視して魔力を放出。猟犬の頭部が吹き飛んだ。残り二匹。
今の戦いで俺の実力を理解したのか猟犬たちは距離をとり唸り声をあげる。時間はかけられない。俺は魔法でロープを作り、そこに五大元素を纏わせる。生き物のように動くロープは猟犬二匹を捕まえた。そして思い切り、締め上げる。猟犬は悲鳴をあげて絶命した。
『マスター。猟犬相手に無理をしすぎです。慎重な行動をお願いします。』
アイビーの警告。もっともな話だった。治癒魔法で噛まれた腕を瞬時に治療する。奴らの牙には毒がある。通常の毒ではない、呪いのようなもの。本来は攻撃を受けるような真似もしないことが望ましい。
それでも俺には時間がなかった。「猟犬」が出てくるほどの空間断絶。であるならば急いで抜け出さないと、次元の狭間に取り残される可能性も十分にある。
最早、周囲はイカロス船内と異空間が混ざりあったような世界だった。脱出するのに記憶は当てにならない。ただ一つを除いて。
いうなれば曖昧な量子空間。ありとあらゆる事象が半端に存在し、そして存在しない。
「どこに向かうの!?もう周辺は無茶苦茶、出口なんてのがあるの!?」
綾音の主張はもっともだった。こんな無茶苦茶になった空間で、崩れていく世界で、どこに逃げ場があるというのか。
息を切らしながら俺は目的の場所まで走っていた。そしてたどり着いた。その場所は、イカロスの船内脱出艇。緊急避難装置だ。
中には小型艇が積まれている。一人乗りだが詰めれば二人は余裕で乗れる。
「これって脱出艇……?こんなものでどうするの?」
既にイカロス船内は異空間と融合し始めていて、脱出艇の先は出口ではなくただの地面だった。それでも俺は綾音に乗るように促す。
大切なのは概念だ。その目的だ。この量子空間ではそれこそが最も優先される。脱出艇はイカロス船からの脱出を目的として設置されていたもの。空間が歪み、全てが曖昧なものとなったこの空間では、そういった役割というのは大きな意味を持つ。
空間魔法を展開しその曖昧さを更に加速させる。最早、俺たちのいる空間は心象的なものであり量子的な存在となっている。
『マスター。やめてください。その行動は推奨されません。』
アイビーは俺の目的を察したのか警告をする。だが止めない。これは俺の罪滅ぼしでもあるのだから。
「綾音、お前が俺に話してくれたこと……お前は蒼音がこんなことになったのは自分のせいだと言っていたな。」
突然だった。綾音にとってはドレイクがそのようなことを今、言い出す意味が分からなかった。
「気休めで言っているわけじゃない。蒼音が、この世界の人間がユグドラシル界の連中に狙われるようになったのは俺のせいだ。お前は気に病む必要ないんだ。」
最後に伝えたかった。異世界融合の真実を。
それは俺があの時、アンブロースの手引きでまんまとこの世界の座標を登録したオーパーツを持って異世界転移したのが始まり。オーパーツだけなら無害だった。連中は俺自身が持つ莫大な魔力を利用したのだ。俺の魔力は連中にとっての異世界の目印、指針。
異世界と異世界を融合するための座標。あのとき、俺の目の前で異世界融合が起きたのは偶然ではない。必然だったのだ。
それを俺は、何度も何度も繰り返していた。綾音が時間の逆行を繰り返すたびに何度も。
俺は知らずとはいえ、連中の策略を手引きしていたのだ。
「まぁこれはただの告白。俺の自己満足。でも安心しろ。お前たちは必ず元の世界に返す。それが俺の責任ってやつだ。」
空間魔法により更に次元は歪み始める。開いてくる裂け目からは上位種たちの鳴き声が聞こえてくる。俺は俺自身の魔力を生命力に変えて、蒼音へと流し込む。
『マスター!やめてください!!』
アイビーが語気を荒らげて本気で警告をしてくるが、もう止められない。俺の魂は少しずつ、この身体から離れようとしていた。
脱出艇はカウントダウンを始める。それは「イカロス船から脱出する」という役割を定義付けられた存在として。あらゆる次元を突き破り、ただ結果だけを残すための装置となって稼働を始めた。
周囲の空間が割れた。完全なる異空間に飲み込まれる。曖昧さを全て弾き出し、正しい結果へと戻すための世界の法則が機能し始めた。そう、曖昧なのは俺自身もそうだ。
一つの身体に二つの魂。それは決して許されない自然の摂理。どちらか片方は消えなくてはならない。答えは一つだった。
「綾音、お前は雨宮くんを返してと言っていたな。遅くなったが、これで終わりだ。」
光に包み込まれる。俺の感覚は少しずつ消えてなくなる。
その直前、一つの灯火が見えた。小さな小さな輝きだったが、それでも確かに輝いていた。ポツンと一つ、ただ自分が分からなくて、殻にこもっていた。そんな灯火に俺は傍に寄って、ただ一言伝えた。
「生きろ、お前はここにいて良いのだから。」
アンブロースの片割れとして生まれた男。本来ならばこの世界に存在しなかった存在。同じ身体を共有したからこそ分かる。蒼音はそんな自分に深い絶望を感じていた。自分のせいで世界は危機に繋がり、自分のせいで幼馴染が傷ついていく姿が耐えられなかった。だから自死を選ぶことで、せめてアンブロースとの融合に抵抗していた。
何度も何度も何度も、彼は死に続けた。それしか道はないと、それしか綾音を救う術はないと、そして偽物の自分を、騙し続けたみんなへの贖罪なのだと。
だがそんなことは関係ない。経緯はどうであれ、彼が生きることを望んでいるものはたくさんいる。その生まれは仮初めのものだとしても、その気持ちは間違いなく本物なのだから。
だから、負い目に感じることなどない。堂々とすれば良い。生まれたことが罪であるなどと、誰も決めることなど出来ないのだから───。
綾音は一人乗りの脱出艇で、雨宮蒼音を抱きかかえながら、ただ時がすぎるのを待っていた。とてつもない騒音と振動。気を抜けば外に弾かれそうな衝撃。それでも決して離すまいと、蒼音の身体を抱きしめた。
やがてガラス細工を割るかのように空間は割れた。外を見ると今までの恐ろしい景色は嘘のようで、見慣れた風景、夕焼けで茜色に染まった街の景色が見えた。あの時、二人で見ていた光景と何一つ変わりない、それは二人だけの世界に確実に存在した真実だった。





