欲望の果て
イカロスのコア部分に厳重な守りはなかった。ゴールデンハインドが突っ込んできたせいで、そちらに警備部隊が向かっているのだろう。トーマスが今頃、一人で頑張っているはずだ。
ドアをこじ開けるとコンピューターがたくさん並んでいる。一応、異世界航行船の船長なのでこの辺の操作は手慣れたものだ。操縦モードをオートからマニュアルに切り替える。
全て順調。この調子で行けば墜落事故は免れる。そう思った矢先だった。壁が突然破壊される。何者かがやってきたのだ。
「ハァ……ハァ……ドレイクゥ!!」
「アンブロース!?お前生きてたのか!?随分とイメチェンしたなぁ……とりあえず後にしてくんない!?」
アンブロースはゴールデンハインドの主砲で確実に倒したと思っていた。だがしぶといようで生きていたのだ。だが当然無傷というわけでなく、ところどころが焦げている。俺は無視して操作パネルを弄ろうとするもアンブロースが飛びかかってきて、そのまま部屋の外へと投げ出される。
「後でって言ったじゃん!墜落すんだぞ!」
俺の訴えをアンブロースは無視する。強い重力魔法は健在。引きはがすのは不可能だ。
「綾音!後は頼んだ!」
「え!?し、知らないわよこれの操作方法!」
「総当りしろ!時間逆行すりゃいずれ正解するだろ!!」
綾音の抗議の声を無視してアンブロースの方へと視線を移す。
「異界再───。」
「おっと!それは禁止だ!!」
アンブロースが詠唱を始めようとした瞬間俺は殴りつけた。詠唱は中断され虚しく術は不発に終わる。
「くっ……異界───!」
「だからそれやめろって!!」
しつこく詠唱を始めようとするが、蹴りを入れる。アンブロースはうめき声をあげてまたもや中断される。
偽界召喚を俺が多用しないのはこれが理由だ。つまるところ発動までの隙が大きすぎる。そんな状況下で使用できるなら、その前に致命的な一撃を相手に与えることができる。発動条件に対してリターンが見合っていないのだ。
最初に偽界召喚をお互いに使ったのは、ゴールデンハインドを確実にこの船に突撃させるため。ドレイクにとっては偽界召喚とは、必殺の技ではなく、ただの選択肢の一つでしかないのだ。
「ま、そんな大げさな魔法に頼っている時点で二流ってこと……ガハッ!」
アンブロースの拳が入る。重力魔法で強化された一撃はそこらの一撃とは比べ物にならなかった。
「そうか、ならドレイク。俺のこの手でお前を始末してやるよ。」
奴も理解したようだ。この戦いは早さの勝負。いかに素早く相手に有効打を与えるかであると───。
アンブロースはドレイクの顔を見ると、胸が痛くなった。彼は自分の人生のすべてを奪った男だった。彼がいなければ、自分は最高の存在になれたはずだった。彼がいなければ、自分は無限とも言えるループの果てに全てを手に入るはずだった。彼がいなければ、自分はこんなに苦しまなかったはずだった。
「ドレイク、お前を許さない。お前のせいで俺は何もかも失ったんだ。お前のせいで俺はこの世に生きる価値もなくなったんだ。お前を殺して、俺はやっと安らかになれるんだ!!」
アンブロースがこの世界に固執する理由の一つとして彼自身が王族であることが大きかった。彼は王族、王子の一人。王位継承権を持つだけで、正式な王ではない。故に彼は焦っていた。何か王に認められる功績はないか、実力はないか。そこで目をつけたのが異世界融合、そしてウタカタなのだ。
ウタカタはユグドラシル界の魔法とは明らかに異なる高位な技。それを自分のものすれば、他の王子と圧倒的な差が付けられると考えたのだ。
ドレイクはアンブロースの目を見ると、冷ややかに笑った。怒りを孕んだ目で睨むその姿は滑稽だった。今の事態は他でもない、綾音が数多のループを繰り返して辿り着いたものだ。決して俺一人でどうにかなった話ではない。それを理解しようとせず、まるで自然災害にでもあったかのように、綾音の努力を認めようとしない奴が、滑稽だったのだ。
「アンブロース、お前は愚かだな。お前が失ったものなど、俺には関係ない。俺はただ、気に入らない奴を叩きのめすだけだ。これからも……!」
二人は言葉を交わすことなく、互いに魔法を放とうとした。しかし、その瞬間、二人の意識は一致した。魔法を使えば、相手に反撃される可能性が高い。魔法を使えば、相手に隙を見せることになる。偽界召喚どころではない。ほんの僅かな隙が、致命的になると感じたのだ。
同時に魔法を中断し、互いに飛びかかった。拳と拳がぶつかり合い、血と汗が飛び散った。傷と痛みが体中に広がり、呼吸と鼓動が高まった。怒りと憎しみが心を支配し、理性と感情が失われた。
ただ殴り合うことしかできなかった。殴り合うことしかできなかった。
「俺は!これからも上り詰めないといけない!王子として!王族として!ドレイク!お前は石ころだ!!俺の道に転がる!!」
その時だった。天はアンブロースを味方したのか、突如船体が傾く。その大きな揺れを受けてドレイクはバランスを崩す。アンブロースは重力魔法を展開していたおかげで、その揺れの影響を受けない。
千載一遇と見たアンブロースはドレイクに向けて突進し、馬乗り状態になる。その手でドレイクの首を思い切り締め付ける。更に同時に重力魔法を多重展開。確実に仕留める手はずを整えてきた。
「くっ……やばっ……。」
「魔法適正の差が出たなドレイク。死ね、そしてその身体を、雨宮蒼音を返してもらうぞ。」
容赦は一切しない。隙の欠片もない。天はアンブロースを味方した。ただそれだけだった。考えに考え抜いたが、この現況を打破する術がない。そう思っていた。
「グガッ……!き、貴様……その髪飾り……ポータブルサポートデバイスか!?」
突然、アンブロースは痙攣を起こし俺から距離をとる。
何のことだか分からなかった。完全に意識の外だった。その声を聞くまでは。
『システム再起動完了。マスターの危機と判断したので承認を無視し防衛装置を起動しました。おはようございます。マスター。』
「アイビー!お前、もう大丈夫なのか!?」
それはずっとこの身体と共にしていた、ゴールデンハインドから持ち出したサポートAIであるアイビー。その機能の一つに自己防衛装置が存在する。あくまで護身のための装置だが、それでもアンブロースを牽制するには十分だった。
「周囲には重力魔法で生成された重力球が無数……どうするよアイビー、これ俺一人で突破できるかな。」
『演算……突破できる確率は3%です。敵は極めて高度な重力魔法を使用。こちらはソウルコンバートにより大幅な弱体化を受けており格落ちは否めません。』
3%。絶望的に近い。アイビーの分析で初めて分かる実力差。腐っても奴は王族の一人ということだ。
「あー……そりゃあどうも。でもほら、できればもうちょっと配慮してほしかったな?きついけど頑張ってーとか。」
『お忘れですかマスター。あなたは一人ではありません。』
「……!そうだな、忘れてたよアイビー。質問が間違っていた。」
大切なことだった。そうだとも。どんな絶望的な状況下でも俺たちは戦ってきた。水臭い言い方なんてなしだ。
「言い直そう。"俺たち"で突破できる確率はいくつだ?」
『100%です。私はマスターの完全なサポートを実現します。ご指示を。』
「───OK、最高の回答だ。」
アイビーによる演算、分析を開始する。時間は限られている。俺の周囲に展開された重力球がそれ一つずつが莫大なエネルギーを内包している。一撃でも喰らえばそれは致命的なものになるだろう。だが重力球はあくまで魔法により生成されているもの。そのバランスを崩し、制御を奪うことも可能。
並列演算により、その魔力構成を分析。その挙動を予測した。
指先でいくつか魔力素子を構成、ノイズは大きいほど良い。限界まで引きつける。
「終わりだドレイクッ!超重力に呑み込まれ、潰れて果てろッ!!」
その合図とともに重力球が一斉に俺に向かってきた。それと同時に俺も溜めた魔力素子を放出。重力球は魔力で構成されている。そこに他者の魔力がノイズとして入ることでその挙動に狂いが生じるのだ。無論、適当なものでは上手くいかない。その魔力構成を分析し、より悪循環に向かうノイズを生成しぶつけなくては上手くいかないのだ。
一斉に放たれた重力球は本来であるならば、逃げ場所など許さない一撃だった。だがノイズが混じり制御に異常をもたらした今、若干の隙が生まれる。そこを狙い、俺はアンブロースへと駆け抜けた。
ギリギリのところで躱す。重力球が肌を削る。少しでもズレれば肉が、骨が削がれていたであろう一撃。
「なっ!」
アンブロースの驚いた顔が見える。俺は奴の手を、指をへし折った。魔法を唱えるのには必要な所作がある。それは個々人の個性が出るものだが、アンブロースは全て自身の手指を使用するという極めて一般的なもの。言うならば奴の手指が指揮棒となって魔法は制御されていた。その指揮棒を壊せば、怖いものはない。
奴のうめき声とともに、重力球はあらぬ方向に向かい、そして自然蒸発した。
俺はそのままの勢いで奴を押し倒し、懐に忍ばせていた護身用ナイフを突きつける。
「お前がな。」
「ドレイクゥッッ!!貴様ァァァッッ!!!」
断末魔とも言えるアンブロースの咆哮。俺は突き立てたナイフを容赦なく押し込んだ。ナイフは奴の首を無情にも引き裂き、そして血が噴き出る。
やがてアンブロースの目から光は消えて、力なく崩れ落ちた。





