変わり果てた彼
翌日の放課後、帰路へと向かう雨宮くんをこっそり私はつけまわす。彼はまっすぐに家には帰らず繁華街の方へと向かっていた。時間は過ぎていき、日も暮れてきた。私は買収した暴力団の連中に連絡し、現地で落ち合う。指を差してあの男がそうだと伝えると、暴力団の一人は舌なめずりをして静かに頷いた。
人気のない場所に連れて行くつもりだったが、彼は自ら人気のない場所へと向かっていった。そして私たちの方へと振り向く。
「……それでお前たちは何のようだ?」
つけまわしていたのがバレていたようだった。私たちは姿を見せる。
「ふーん、君が雨宮ちゃん?マジかよ神崎のやつこんなのにやられたわけかよ。」
暴力団の一人が雨宮くんを見て呆れたように答えた。
こんなの?お前に雨宮くんの何が分かるというのか。苛立ちを隠しきれず思わず、睨みつけるが、心を落ち着かせる。
「雨宮くん?状況はおわかりよね?なら今すぐ惨めに頭を下げなさい。そして私の言う事を何でも聞くと宣言しなさい。そうすれば許してあげる。」
いくら何でも分かるはずだ。屈強な男性数人。明らかに危険な連中。記憶喪失とはいえ全てを喪っているわけではない。危ない連中が脅しているのだ。危ない橋を渡る必要はない。私の言うことを聞くだけで助かるのなら、悩むことすらないはずなのだから。
「いーじゃん綾音。先にヤっちまってからでも良いだろ?」
馴れ馴れしく私の名前を呼んで、暴力団の一人が一歩前に出る。
「やめなさい、私は雨宮くんと……何のつもり?」
止めようとすると私は後ろから羽交い締めにされた。彼らは最初から私の言う事を完全に聞くつもりが無かった。この程度の相手なら、私は数多の時間の繰り返しで身につけた護身術で撃退できる。
だから敢えてここは見守ることとした。彼らの言い分も分からなくは無いからだ。雨宮くんには少し痛い目を見てもらったほうが、より私に対して強く助けを求め、私のことを必要としてくれるだろう。雨宮くんは私にだけ依存すれば全て解決するのだから。
だが予想に反して雨宮くんは奮闘していた。コンクリートブロックをどこかから拾ったのか、それを武器に対等に暴力団の男たちと戦っていた。
しかし調子にのったのか、折角の武器を捨てて暴力団のリーダー格の男に挑発的な態度をとる。私の知る雨宮くんとは少し違っていた。お調子者なのは少し私の思い出の彼とは違う。
予想通り雨宮くんは男に思い切り蹴飛ばされ転がる。
「……あーあ。雨宮くん?私の言うことを聞かないからこうなるのよ?」
これでいい。男は頭に血が上っていたが、蹴飛ばし転がる雨宮くんを見て少し気が晴れたのか、ナイフを納めていた。彼とて人間だ。殺しは流石にまずいと思っているのだろう。あとは適度に雨宮くんを痛めつけてもらって、最後に私が雨宮くんに甘い言葉をかければ終わり。きっと落ちる。
歪んだ形かもしれないが、それが最適解なんだ。この限られた時間で彼を救うための私に残された選択肢。
そう、思っていた。
「す、すいません……もう勘弁してください……。」
男は雨宮くんに胸ぐらを掴まれ、子供のように涙を流しながら謝っていた。
意味が分からなかった。こんな雨宮くんを一度も見たこと無い。彼はこんなに強かったの?どうして私の前でその実力を一度も見せなかったの?疑問……というより怒りが湧いた。幼馴染、心を許していたと思ったのに、こんな隠し事があったなんて。
「な、何なのよあんた!こんなの今まで見せなかった!隠してたの!?」
私を睨む雨宮くんに対して思ったことがつい口に出る。どうして幼馴染の私に隠していたのか。これも異世界融合とかいう事業のために必要なことだったのか。疑問は山のように積み重なる。何でいつもいつも私を置いてけぼりにするのか。
「お前も同じだ、俺に二度と関わるな。次はこの程度じゃすまさねぇぞ?」
そんな私の言葉を無視するように、彼は冷たい言葉を浴びせた。その言葉には親愛の欠片もなかった。初めてのことだった。私にこんなことを言う彼は、今までいなかった。
パンッ!
乾いた音。一瞬何のことか理解できなかった。遅れて感じる頬の痛み。雨宮くんが、その手で私の頬をぶったのだ。喧嘩は小さい頃から何度もしたことあるけれど、そんなのとはまるで違う。彼の冷たい目は、喧嘩なんて生易しいものではない。
思わず身体が震えた。今、起きている現実があまりにも信じられなくて。
「うっ……うっ……何で……こんなことに……。」
堰が切れたかのように涙が零れる。全部雨宮くんのためにしていることだった。彼に嫌われても良かった。それで彼が救われるならそれで良かった。そう決意した筈なのに。
私のガラス細工のような脆い仮面は、簡単に雨宮くんの叱責一度で崩れ去った。無理だったんだ。私の中ではとっくに彼が大きくなりすぎて、頭の中では分かっていても抑えきれるものではないってわかった。
「綾音?返事をしろ?」
泣いている私を見ても彼はあの時、初めて会ったときのように頭を撫でてくれない。優しく抱きしめてもくれない。ただ冷たく、淡々と話を進めようとする。そこに幼馴染なんて感情は欠片もなく、ただの他人。
「はい……分かり……ました。」
止まらない涙。鼻水も垂れそうだった。せめて彼にそんな情けない姿を見せたくなくて、ただ頷くしかなかった。
雨宮くんは立ち去っていった。私を一人置いて。行かないで。待ってと言いたかったけど、今の彼は私のことなんて何も覚えていない。とても悲しくてつらかった。
一人きりで、腫れた目を隠すように下を向いて帰路についていた。街中の雑踏は私の混乱した頭の中を整理するのに丁度いいノイズだった。
今回の雨宮くんは別人のようだった。父にも狙われず、異世界融合が起きても平然としている。それどころか、あらゆる困難を平然と乗り越えている。
記憶喪失が起きるだけで、こうも変わるのか、それは少し不思議だったけど……。
きっと今回はレアケース。ならば私も多少無茶をしてでも、雨宮くんを守ろうと思った。
きっとこの世界なら、あの日、あの時、一緒に見た景色がまた見れることを信じて───。





