奇跡の再会
何もしたくなかった。雨宮くんの言葉が未だに私の脳髄に刻まれたかのように木霊する。覚悟はしていたはずなのに、いざその場になると、そのダメージは耐え難いものだった。
それでも私は平静を装わないといけない。だって、だってそうしないと全てが無駄になるから。雨宮くんは父にバレてしまい拷問を受けてしまった。でもまだ生きている。生きていれば希望はある。
幸いなことに涼華さんの工作活動のおかげで異世界融合は遅れているらしい。ならば私はそれに合わせて雨宮くんを安全な場所へと逃がせば良い。玖月家の地下牢はもう駄目だ。父の目の届かないところ……私は親戚中をあたり、そういう隠れ家になるようなところを探し出した。
移送の準備は済んだ。私が手引きしたという証拠は一切残さない。隠れ家は遠い外国でもう二度とこの国には戻れないだろう。
でも心配しないで欲しい。事が落ち着いたら私もこの家を捨てて、その隠れ家に向かうから。拷問による傷跡は酷く、雨宮くんには消えない傷や後遺症も残るだろう。だから私は一生をかけてでも償い続ける。
「雨宮くんが脱走した!?」
その知らせは唐突なものだった。彼の逃げ場を用意していた筈なのに、先に逃げられた。でもおかしい。地下牢から抜け出すには屋敷の中を通らなくてはならない。いくらなんでもそれは不可能だ。
「旧避難路を使用したか……馬鹿な真似を……。」
父はその報告を聞いて珍しく苛立ちげな態度を示した。
「パパ!?何か知っているの……?それに雨宮くんはどうなるの!!?」
「旧避難路とは地下牢から繋がる山の方へと向かう避難経路だ。この屋敷は歴史が深いからね。そういう抜け道を活用していたころもあったのだ。最近は封鎖していたのだが力技で解放したらしい。だが……残念ながらその行き先がな……。」
避難先は山の中。昔はともかく今はまるで整備されておらず、ヘリも車も入れない場所らしい。すなわち徒歩で都市圏まで移動する必要がある。そんなこと拷問で疲弊していた雨宮くんには不可能だ。そして拷問で受けた傷は医療行為を受けなくては酷くなる一方……すなわち……野垂れ死にである。
「そ……ん……な……。」
私は愕然として膝をついた。そんな私とは対照的に父は深刻な表情で従者たちに指示した。
その日から旧避難路の先にある山は徹底的に調べ尽くされた。だが、雨宮くんは見つかることはなく、皆、野生動物に死体さえも食われたのだろうと悲観的な見解を示していた。
また手遅れだった。雨宮くんを守ることができなかった。
早く異次元融合が始まって欲しい。こんな世界に用はない。価値はない。早くやり直したい。虚無のような日々が続いた。
万が一にも私が時間を逆行させていることを知られてはいけない。その為には何があっても日常を繰り返さなくてはならない。意味のない世界で、空虚とも言える気持ちを抱え、私は今日も登校する。
飽き飽きするクラスメイトとの会話。つまらない日常。チャイムの音が鳴り皆が席に戻る。授業中はせめてもの救いだった。誰とも話をしなくて済むから。
担任が教室に入りホームルームが始まる。いつものルーティンだった。
だがその時だけは違った。私は目を疑った。担任の後に気怠そうについてくる彼の姿を見て、言葉を失った。
「えーと、雨宮さんは記憶喪失で入院していました。今日やっと退院してきたんですが、みんなのことを忘れたままです。なので、みんな優しくしてあげてくださいね。」
そこには雨宮くんがいた。凄惨な拷問がまるで悪い夢だったかのように、傷跡一つ残っていない。
「先生の言う通り、みなさんのことを覚えていません。でも、迷惑をかけないように頑張ります。よろしくお願いします。」
ペコリと頭を下げて、何食わぬ顔で教室のど真ん中を歩き自分の席についた。何も……覚えていない?そんな都合のいいことが?私は彼から目が離せなかった。こんなパターンは初めてだったのもある。都合のいい夢、妄想じゃないのかと脳が理解を拒む。
でも、でも何度見ても雨宮くんだった。彼がまた同じクラスで席についている。それが私にとって何よりも嬉しくて嬉しくて、何度も何度も視線が向いてしまう。
「ねぇ雨宮くん?本当に記憶喪失なの?」
チャイムが鳴って休憩時間。私はすぐに席を立って彼の席に駆けつけた。彼は戸惑いを見せながらも答える。
「えっと……どちら様でしょうか。」
怪訝な表情を浮かべて私を見る。少し悲しくはあった。今までのこと全部忘れてしまったということは、小さいころ、幸せだったころ、宝石箱のような思い出も彼にはない。
それでも、あの血塗られた地下室の記憶が抜け落ちていて、以前と変わらず私に接してくる彼が私は嬉しかった。
「わぁぁぁ!本当に本当なんだ!ねぇ聞いた皆、雨宮くん本当に記憶なくしてる!」
私は思わず興奮して、ずっと偽っていた仮面が剥がれ、本当に心底嬉しくて、思わず両手の指先を合わせて胸に押し当て、心の奥底から笑顔を浮かべる。
それから彼の言葉を無視して私は一方的に話しかけ続けた。本当に嬉しくて嬉しくて仕方がなかったから。
「だから!!誰なんだよお前は!!?」
突然彼は机を叩いて怒鳴りだした。何か悪いことを言ってしまったのか。彼をまた怒らせることを言ってしまったのか。私は頭の中で彼にすがりたい気持ちで一杯だったが抑える。どうして彼が私にこんな態度をとるのか、考えに考え抜いた。
そしてハッとした。彼には記憶がないのだ。彼からすれば知らない女から突然、まくしたてるように絡まれているわけで……不愉快なのは当然だった。
「そうね、私の名前は玖月綾音。あなたのお友達なの、思い出した?そうでなくても玖月家の名前は知っているでしょう?丘の上にあるお屋敷の……。」
「いや、知ら……覚えてないな。よく分からんが、その言い回しだと何か凄いのか?」
「ええ、そうよ。あの辺りの土地は玖月のもの。数百年も前から続く大地主の家系なのよ。」
「地主……?百姓なの?そう言われると土いじりとか好きそう。」
私と雨宮くんが話をしていると、周りからプッとした声が一瞬聞こえた。笑われた。思い返すとそうだ、まるで私は子供みたいに雨宮くんに一方的に話しかけていて……恥ずかしくて顔が真っ赤になった。
「ふ、ふふ……まぁそういうことだから私はあなたの友達なの。よろしくて?」
手を差し出す。彼の手は綺麗なままだった。拷問の痕なんてまるでない。本当に良かったと心から安堵した。





