虚構宇宙-星炎大河-
魔法使いは、黒いコートに身を包み、顔をマスクで隠していた。彼は車に激突した衝撃で吹き飛ばされていたはずだが、まるで何も無かったかのように立ち上がり、魔法を放ったのだ。私たちの方へと歩み寄ってくる。彼の手には火球のようなものが発生していた。
「アンブロース様も甘いよね。疑わしいものは皆殺しにすればいい。そうすればいずれは当たりを引くというのに。」
不気味な声だった。緊張感の欠片もなかった。まるでショッピングモールに来たかのように平然とこちらに向かって笑顔を向けて歩いてくる。
「だから今日は君たちを襲うことにしたんだ。ごめんね。でも心配しなくてもいいよ。すぐに終わらせてあげるからさ。君たちが件のウタカタじゃないならね……!」
彼が手のひらから出した火球の輝きが強くなる。その輝きが限界を超えた瞬間、それは解き放たれる。レーザービームのように周囲に拡散し無差別に貫いた。
「……うん、玖月家の執事だもの。そのくらいは予想がついていたさ。」
拡散したレーザービームは周囲を貫き市民の中には巻き込まれ怪我人も出ているというのに私は無傷だった。理由は明白。爺が身を挺して庇ってくれたから。
「爺!どうしてそんなことを……!」
駆け寄ろうとした私を爺はこちらを振り向かず手をこちらに突き出し制止する。
「執事たるもの主の安全は身を挺してでも守るもの。ご無事で何よりお嬢様。」
爺は明らかに重症だった。血が吹き出し、地面には血溜まりが出来ている。息も荒い。
「今のうちにお逃げ下さいお嬢様!ここは私が……食い止めます!!」
爺は、静かに構えた。彼の姿は、まるで山のように堂々としていた。爺の目は、鋭く相手を見据えていた。手は自然に前に出て、足は地面に根を張るかの如し。呼吸は深く落ち着いて、体の一つ一つの筋肉が緊張と緩和のバランスを保つ。
爺の心は、冷静に状況を判断していた。爺は長年玖月家に仕えてきた執事であり、武道の達人でもある。
「うーん、僕は年寄りをいじめる趣味はないんだがなぁ?放っといても死にそうだし。」
張り詰めた空気を見せる中、男だけは緊張感のない様子を見せる。
「お心遣いに心が痛み入ります青年。ですがご安心を。例え老体だとしても、子供一人食い止めるくらいの体力は御座いますので。」
「へぇ?ならお望みどおり、もう一度食らいなよ。」
男の手元に火球が生まれる。
その僅かな隙を爺は見逃さなかった。その距離は、既に爺の間合いだったのだ。
縮地。武道の技の一つである。瞬時に相手との距離をつめる。ただ距離を詰めるだけではない。相手の呼吸や気の動きを見て、その緩みを掴み、その瞬間を狙うもの。達人ともなれば、まさしく瞬間的に移動したかのように見える。
更に放つ一撃は寸勁。中華八極拳の奥義の一つである。剄とは中華武術における力の流れ。寸勁とはその力を極めて短い区間で解き放つものである。
元来拳を握り殴りつけるためには振りかぶる動作が必要。脚、腰、肩、肘……それぞれを動かして叩きつけるのが基本である。寸勁はその一連の動作を最低限に省略。故に何も知らぬものが見た時、その一撃は一寸の感覚で放たれた衝撃波のように錯覚する。
気がつけば、目の前に爺は移動していて、腹部に掌が当てられていた。そして放つ。ゼロ距離に近い位置から、勁を爆発させた。
その一撃は、当然達人とも呼べる実力者であれば、骨を粉砕し、内臓を破壊する。
男は未知の衝撃を味わっていた。これはウタカタだろうか。手から衝撃波を出すウタカタ?それとも瞬間移動のウタカタ?理解できなかった。確実な事実としてあるのは、腹部の強烈な痛み。
「ガハァッッ!!」
堪らず叫ぶ。嘔吐……ではない。血反吐が出た。今の一撃で内臓のどこかがやられた。
油断をしていた。そうだ。一度は我らは敗北したのだ。この世界の連中に。ウタカタという悍ましい力を持つ化け物どもに。最初から全力でいかなくては、ならないのだ。
両手で印を結ぶ。結界術式の詠唱。
瞬間、魔力は爆発的に膨張する。結ばれた印は魔法陣を展開し、周辺には無数の方陣が描かれる。
「偽界召喚、火炎天無明蓮花。」
───そしてその言葉とともに、男を中心に新たな世界が広がった。
知っている。これはアンブロースが見せた偽界召喚と呼ばれる大魔術。だがあのとき見たものとはまるで違っていた。感覚は似ている。しかしその世界はまるで違っていた。市街地にいた私たちはいつの間にか宇宙空間にいた。
いや、そんな世界が作り出されたのだ。上下の感覚がおかしくなりそうなのもあるが、特筆すべきは周囲に無数に輝く恒星。尋常ではない数だった。これは宇宙のようであって宇宙ではない。





