失楽
「よろしくね跡継ぎさん。それよりも零士。早くしてくれないか、私はもう待ちきれないよ。」
「あぁすまないね。これから起きる出来事は跡継ぎとなる綾音にも見てもらいたかったから……分かるだろう?こんなこと、言葉で言っても信じてもらえないのだから。」
父は奥の方へと移動して、やがてガラガラと音を立てて何かを運んできた。キャスターのついたベッドのようなものだ。
ベッドの上には覆面を被らされて身動きのとれない拘束された人がいた。
「殺してはいないだろうね。」
「薬で眠らせているだけさ。確認が必要だと思ってほら……こういうのも用意していた。」
父の両手には棒状のものが握られていた。それを拘束された人の身体に当てるとバリバリと音を立てる。電気ショックのようなものだろうか。電撃を当てられた彼は痙攣を起こした後に目を覚ます。
「ンー!!ンーンー!!」
抗議のつもりなのかもぞもぞと動いて抵抗を見せる。そんな姿を父は冷たい目で眺めていた。
「ふむ、お仕置きを忘れたようだね。」
グシャリという音がした。悲鳴があがる。見ると父の手に拷問器具が握られていた。その器具で指の骨を潰したのだ。
「パ、パパ……何をしているの?こんなの犯罪じゃない……早く解放してよ。」
私の言葉を無視して父は黙って微笑みながら血濡れの拷問器具を私に手渡した。
「さぁ綾音もやりなさい。玖月家はね、こういう仕事もやらなくてはならないんだ。大事なことなんだよ。大丈夫、死にはしないさ。人の上に立つというのは、こういうことなんだよ。」
何がなんだか分からなかった。ただこの場で父の言うことを聞かないと、何かもっと大変なことになる気がして、私は父に言われるがままに拷問器具を使い、拘束された人の指を砕いた。悲鳴があがる。
一本、二本、三本。感覚が麻痺していく。まるで現実世界じゃないようだった。この狂気的な空間に、私の気持ちはおかしくなってしまったのかもしれない。
「上出来だよ綾音。そのくらいで良いだろう。女というのはそれだけで軽く見られるからね。やる時はやるというのを見せつければ、愚民というのは大人しくなるものさ。」
満足そうに父は私を褒める。まるで初めて満点をとった我が子のように。
「教育実習は終わったかな?そろそろ確認したいのだが?覆面では分からない。」
アンブロースは苛立ちげに父に対して文句を言った。父は軽く謝罪し覆面に手をかける。そして拘束されていた人の素顔が露わになった。
「!!?」
私は声にならない悲鳴をあげた。ベッドの上にいるのは雨宮くんだった。どうしてこんなところに?どうして玖月家が彼を?混乱で頭が一杯で、今自分がしていることの意味を理解するのが遅れた。
拷問器具を持つ私を、雨宮くんは怯えた目で、そして憎悪を孕んだ目で睨んでいた。
「……!ち、違うの!こ、これは違うくて……!!」
嫌だ。そんな目で私を見ないでほしい。私はそんなことするつもりは無いのに。違う。したけどそうではなくて、雨宮くんだと知っていたらそんなことは絶対にしなくて。あれ、どうして、そんなこと。他の人なら良かったなんて……違うくて……。
手足がガタガタと震える。とにかく言い訳を考えるので精一杯だった。頭の中が真っ白になって何をすれば良いのかまるで理解が追いつかない。
「おお、これは……素晴らしい……!だが随分と傷物にしてるな……穏便に済ませないのか?」
ボロボロの雨宮くんを見てアンブロースは不満を漏らす。
「仕方ないだろう。当然のことだが理解してもらえるはずなどないからね。大人しくしてもらうために多少躾ける必要があった。生きていればそれで良いという注文には答えたつもりだが。」
父はそう言いながら雨宮くんに覆われたシーツを剥がす。それは何度も見た凄惨な傷痕。見慣れていた筈なのに。なぜだか今日はとても恐ろしく見えた。彼への拷問に私も加担したからだ。その罪悪感が私の心を蝕んでいく。
そんな雨宮くんの姿を見て、震えている私に父は気がついた。
「……そうか。説明していなかった。これはね綾音。人間じゃあないんだよ。だからあまり気にしないで良い。」
──────は?
今……こいつは何と言った?
震えが止まった。恐怖、罪悪感よりももっと強い感情が私の腹の底でどす黒く燃え上がったからだ。
「人間じゃないとは失礼極まりないな零士。これは大事な私の片割れなのだからな。」
「ああ、すまない。確かに君の前でそれは失礼だったか。まぁ確かに語弊はあるな。彩音、見ての通りこれと彼……アンブロースは外見上とても似ている……というより同じだ。それには理由があるんだよ。」
父は勿体つけるように一呼吸おいて言葉を続けた。
「これはね、この世界で生まれた彼自身、アンブロースそのものなんだ。彼はね、かつてこの世界で一度死んだんだが、転生して蘇ったのさ。」
父の説明は意味が分からなかった。理解のできないことが起きたということは分かる。
その言葉に補足するようにアンブロースは口を開いた。
「気がつくこと自体は簡単だった。この世界では異変が起きている。おそらくそれはウタカタによるもの。そう……何者かが時間を巻き戻して、同じ世界を繰り返している。」
血の気が引いた。バレている。時間の逆行が。よりにもよってこんな連中に。だけど一体どうして?時間の逆行なんて普通は分からないはずなのに。
アンブロースは語りだした。どうしてこんなことになったのか。その説明を。
何度も繰り返すこの時間逆行にユグドラシル界の人々は気がついた。この現象を引き起こしているものは自分たちを認識していないと。
時間の巻き戻しでこの世界の人間は巻き戻す前のことを忘れてしまうが、ユグドラシル界の人間は対象外なのだ。全て覚えている。
ウタカタとはこの世界の法則に干渉するもの。即ち異世界の存在に対しては干渉できない。それでも異世界との融合自体は巻き戻るし、この世界での物理的行動は逆行の法則に従い巻き戻るが、彼らの記憶は残り続ける。彼らは理解しているのだ。とうの昔に、この世界が何者かの手によってループしていることに!
アンブロースは最初の世界で一度死んだ。だが死に際に魔法を刻んだのだ。復活の魔法。それが奇妙な化学反応を起こした。予期せぬ巻き戻しで彼は復活した。だが魔法による復活と巻き戻しによる復活。二つの矛盾した結果が残ってしまった。
結果何が起きたかと言うと……アンブロースの魂とも呼べるのか力の半分はこの世界の人間として生まれるようになった。普通の家庭の子供として。
最初はその異常事態を酷く恨んだが、同時にこうも考えたのだ。
この世界の人間として生まれたのならば、ウタカタにも目覚めるのではないのか……と。自分たちはどう足掻いても届かない力。ユグドラシル界の精鋭たちを蹂躙したあの力が自分のものになる。そう考えるとアンブロースは歓喜に満ちた。
そして何としてでも、この世界の自分を見つけ出し、元の一つの身体に戻ろうと画策したのだ。もはや侵略など、頭にはなかった。
「探すのは簡単だったよ。この世界の人間は魔力を持たない。にも関わらず魔力を持つ人間がいる。それがもう一人の彼……名前は確か、雨宮蒼音なのだから。」
私は青ざめた表情でその話を聞いていた。
雨宮くんは、生まれた時からこいつらに狙われていた。しかも厄介なことに、こいつらは時間逆行を認識している。時間逆行が無敵の力なのは、相手がその事実すら認識できないから。そもそもの前提条件が崩れ去っている。何度も繰り返す中、彼らの中で着々と対抗策が作られていくのだ。そして彼らは一人ではない。王子というからには王国。圧倒的組織力。
自分が時間逆行のウタカタだとバレた時点で、王国をあげて全力で私を始末しにくる。私を殺せば、全てはうまくいくのだから。





