第N世界-恋を知ったあの日-
「───我が娘を窮地から救ってくれた小さな英雄が。本日は彼に感謝の意を伝えるために開催したパーティーでもあります。さぁ……来るんだ雨宮くん。」
何度経験しただろうか。幸せだったころの話。
長ったらしい父の演説のあとに、壇上の奥から男の子が現れた。何度も見た光景。初めて彼との出会いが繋がった日。大切な、大切な日。玖月家が用意した服を着せられて、不格好な男の子。お世辞にも良家の人間ではない。
それでも私にとっては今までで一番大事な人だった。照れくさいのか彼は顔を真っ赤にして、中々こちらに来ない。私は彼に向かって駆け出していた。
「助けてくれてお礼は言うわ。でも勘違いしないで。あなたみたいな田舎者、本来こんな場には相応しくないの。こんなこと一生に一度あるかなのだから、せいぜい舞い上がっていなさい。」
私は雨宮くんを、命の恩人である彼を、大切な存在である彼を、公衆の面前で徹底的に侮辱した。周りの皆は私に同調し彼を侮辱する。胸が締め付けられる。ストレスで胃の中のものが全て吐きだしそうだった。今すぐにでも全てを謝り、訂正して、彼を嘲笑い侮辱する連中を殴りたかった。
でもそれは出来ない。そもそも彼が死ぬ未来では全て私に関わっているから。
幼少期の関係を断ち切れば、もう彼は平穏に暮らせるはず。
私との繋がりがなければ、彼はきっと普通の人生を送り、普通の人たちと過ごし、普通の人と恋をして、普通の人と結ばれる。それが彼にとって一番の幸せのはずで、それが私にとっても一番良いこと。
なのに、何故だろうか、彼が、雨宮くんが私以外の女の人と幸せそうにしている未来を思うだけで、胸の奥が締め付けられそうな気分になるのは。
どうしてだろうか、幸せな未来の筈なのに、私はそんな未来を、他でもない雨宮くん自身が愛して欲しくないと願うのは。
自然と涙が零れ落ちていた。ああ、そうなんだ。気づいてしまった。
私はずっとずっと、彼のことを想っていて、敢えて口にはしなかったけども。私は彼にあの時からずっと恋をしていて、そして初めて失恋したのだと。そのとき初めて理解した。
それからは退屈な日々だった。
一番最初の夢のとおり。いいや……最初の世界といった方が正しいのだろうか。今でも時々、彼の家のある方に視線を向けることがある。彼は今、何をしているだろうか。私がした酷いことなんて忘れて、平穏に暮らして、友達に恵まれて、恋人も作って……普通の人生を送っているだろうか。
偶然、通学路で会わないか、偶然、買い物で会わないか。都合の良い妄想を考える。でもそれは駄目だ。それじゃあ意味がない。私との関係を絶たないと、彼は幸せになれないと、理解しているのだから。
そして約束の日は来た。異世界との融合。これは雨宮くんには関係がない。必ず起きる出来事。問題はその先。確か雨宮くんがいないと異世界と戦争になるけれども、結局こちらの世界が勝利して、平穏を取り戻すという筋書きだったはず。
「御覧ください!今、異世界の人々との友好の握手が交わされました!私は感動しています!」
え……?
テレビの報道を見て私は唖然とする。それは私の知る未来と違っていた。
いや、正確には知っているけれども少し違う。だって……異世界との関係性を持たせるよう玖月財閥に持ちかけたのは雨宮くんで、彼のいない世界では戦争になったはず。だというのにどうして、父は平然と異世界の人たちと交友を結んでいるのか。
わけが分からなかった。ただ戦争なんていうのは個人の意思にもよるところだってある。単に気まぐれで戦争を回避したのかなと、その時は思っていた。
「綾音、ちょっといいかな?紹介したい人がいるんだ?」
父が私に人を紹介するのは珍しいことだった。パーティー以外では私に対して業務内容などほとんど話そうとしなかった。
断る理由もないので私は頷き父についていく。
「綾音も玖月家の仕事を引き継ぐことになるからね。顔合わせは大事だと思うんだ。これから長く付き合う相手だからね。」
地下室へと向かいながら父はそう話した。どうやら紹介したい相手というのは異世界から来た人らしい。テレビで報道していた人だろうか。確かにいずれは私も本格的に父の仕事を引き継ぐことになるので、今から顔見知りになることは大事だ。
深く考えず、地下への階段を下りる。
いや……おかしい。来客を招くのにこんな地下室に案内するなんて失礼極まりない。こんなこと今まで無かった。私は不気味な感覚にとらわれてこの場から逃げ出したくなったが、踏みとどまる。本能が警報を鳴らしている。これ以上は駄目だと。でも私は前に進んだ。知らなくてはならないと、言いようのない使命感に突き動かされていた。
錆びついた扉の前にやってきた。ギィィィと音を立ててゆっくりと扉は開かれる。
「遅かったじゃないか零士。へぇそれが君の跡継ぎかい。なにげに初めて見るよ。」
──────。
言葉を失った。そこにいるのは雨宮くんだった。どうして彼がこんなところにいるのか、理解が追いつかない。
「紹介するよ綾音。彼はアンブロース・ユグドラシル。異世界……ユグドラシル界からやってきた、向こうの世界の王子だ。」
別人……?そっくりさんということ……?
それにしてはあまりにも瓜二つだった。黙っていればきっと判別がつかない。だが彼の態度は雨宮くんとはまるで別物で、傲慢、陰湿、下劣さを感じさせる。私は彼のことが嫌いだとすぐに理解した。





