絶望の開花
零士は牢の鍵を開けて中に入る。劣悪な牢内の環境をものともせず、アンブロースの目の前に視線を合わせるように座り込んだ。
「君たちはきっと深く考えなかったのだろう。この世界の異変を何一つ理解せず、下等な存在だと決めつけ、慢心し、そしてこの"ザマ"だ。今……どんな気持ちなんだい?」
心底、屈託のない微笑みを浮かべる。その言葉には裏表が一切ない。この玖月零士という男は、ただそれだけを聞くために来たというのならば悪趣味も良いところだ。
「話すまでもないだろう。敗北者。後悔の念しかない。お前みたいな下衆にこうして嬲られることも含めて……。」
「やり直したいと、思わないのかな?」
言葉を遮るように出た零士の言葉。
意味が分からなかった。やり直すとは……どういうことか。この失態を挽回する機会があるというのか。
「安心したよアンブロース。君は強い人だ。ああ、君に拷問をするよう指示したのは実は私だ。憎いだろう?下等なこの世界の人間に良いようにやられて。だがその目はまだ死んでいない。ならばほら、考えるんだ、君は何をするべきか。今、君はこの世界でもっとも大きな失敗をして、転落した者だと言っても良い。ほんの小さなミスで、やり直しさえばこんなことにはならなくて済んだ。」
零士の言葉の意味が分からなかった。
唖然としているアンブロースにトドメとばかりに零士はアンブロースの頭部を掴み耳元で囁いた。
「ウタカタは、願いの具現化だ。強い願いは具現化に至る。それがこの世界の新たな常識だよ。」
心臓が跳ね上がったような気がした。
願いの具現化。事実ならばユグドラシル界の人間である自分でもウタカタに目覚めるかもしれないと。
もしもそうならば、やり直したい。やり直して今の惨めな現実を塗り替えたい。
「それが本当ならやりなお……!!」
最後まで言い切る前にガクリと意識を失う。
零士の手がアンブロースの頭部から離れる。
「その強い願い、思い、確かに受け取ったよアンブロース。本当にありがとう。この世界で誰よりも君が適任だと思っていたんだ。私の理想とするウタカタを発現するためのね。」
目的を遂げ牢から立ち去る。
しかし、零士は気がつかなかった。牢で気を失っていたアンブロースが、保険に展開していた自動発動魔法が発現していたことに。歪な、執念とも呼べる世界を呪う大魔術が───。
玖月屋敷に戻った零士は早速、綾音を部屋に来るように呼びつけた。目的は一つ。
「パパ、どうしたの。急ぎ来て欲しいだなんて。」
綾音は純粋無垢な目で何の疑いもなく零士に言われるがままに部屋へと訪れた。
「綾音、祖父のことは覚えているか?九鬼祖父だ。」
「いいえ、私が幼い頃に亡くなられていましたからあまり……お祖父様がどうかしたの?」
「玖月家はね、代々続いた名家とは言うが九鬼祖父の力が大きいんだ。偉大な人だったよ。預言者めいた力を持っていて、戦後の動乱全てを読み切ってここまで成長させた。」
零士は語りだす。この異次元融合騒動の話を。ウタカタとはどんな力であるかを。アンブロースという男の話を。
そして玖月家の未来を語った。自分たちには九鬼祖父のような卓越した能力はない。自身の能力に対して過ぎた資産を持つ我々は衰退する一方でしかないと。
「はぁ……パパ、それがどうかしたのですか?確かに驚きはしますけど、私はウタカタを持っていませんですし……。」
「うん、きっと私がウタカタに目覚めて、綾音がまだウタカタに目覚めないのも運命だったんだ。言うならば神託。綾音?綾音は良い子だから、玖月家のために動いてくれる。だってそう育てたんだから。」
そう言うと突如手を伸ばし綾音の頭を掴んだ。突然の父の豹変に綾音は混乱し暴れるが一瞬のことだった。
零士が一言呟くと、頭の中にとてつもない感情が流れ込んだ。深い絶望、深い後悔、深い憎悪。あまりにも途方もない情報量で脳が焼ききれそうだった。
「ガハッ……!うっ……お……おぇ……!」
たまらずえずく。不快感が頭の中で駆け巡り、胃の内容物を吐き出す。今のは一体、何なのか。
「大丈夫、つらいのは一瞬だ。人間は簡単には壊れない。パパが綾音に酷いことをするわけないじゃないか。」
奇妙な感覚だった。いくつもの想いや願いがなだれ込んでくる。知らない感情、強い想い。まるで他人の人生を追体験しているようだ。
「さぁ目覚めるんだ綾音。そしてただ素直になるんだ。綾音のやりたいこと、君が今したいことを。一度目覚めれば、あとはきっかけ次第だ。それが君のウタカタ。」
願い……そうだ願い。
やり直したい。なぜだかは分からないけど、あの日からやり直したい。今度こそは失敗しないように、最初から……。
その時、奇妙な感覚に陥った。世界に光が広がり、その光に包まれていく。そして光の中で私はただ俯瞰する。まるで逆再生している動画のように。今までの出来事が巻き戻り続ける。一瞬なのか永遠なのか、時間の感覚すらよくわからない。そんな感覚が続いた。
「……ま……様………綾音様!」
私を呼ぶ声がする。
ゆっくりと目を開けるとそこは自宅の庭園だった。今までの出来事は夢だったのだろうか。





