学校
朝。日差しが窓から入り込み、目を細める。ふかふかのベッドに慣れぬ女々しい部屋。いつもなら半裸で外に出て碧天の景色を眺めながら電子タバコで一服するのだが、それは出来ない。
「アオトー?起きたー?」
「……あ、俺のことか。今、着替えるから待ってくれー。」
母親の声がしたので返事をしておいた。こいつの口調とか知らないので、そこは俺らしくいく。
ソウルコンバート後に病院に担ぎ込まれるように仕組んだ俺は、医師から記憶喪失の診断を受けた。一時的なショックで混乱しているが日常生活には支障が無いので数日の経過観察後に解放。こうして久々の学校というわけだ。
この少年、アオトの家庭は父親は仕事で忙しいのか殆ど家庭には姿を見せず、母親が家事全般を取り仕切っていた。俺にとっては新鮮な家族ごっこというわけだが、母親に気づかれないか内心ビクビクしている。
「ねぇ蒼音……本当に大丈夫?保健室登校とかでも良いのよ?」
母親が学校まで一緒に行こうと言ってくれたので、俺は快く了解した。当たり前だが俺は学校への道を全く知らないからだ。
「大丈夫でござるぞ母上殿、拙者の身体の方ならば万全でござる。」
「は、はぁ……。その、無理はしないでね?何かあったら頼っても良いのよ?逃げることは悪くないのだから。母さん蒼音がいなくなることのほうがずっと怖いから。」
ドキリとした。バレて……いないよな?母親の悲痛な願いに罪悪感が蝕む。
ともかくこの母親のために、この少年の生きる気力とやらを回復させなくてはならない。改めてそう胸に刻み、正門をくぐるのであった。
『中々良い調子ですマスター。徹夜での勉強が実を結びましたね。まぁ間違えていますけど。映画でも観たんですか?』
「……道理で母親の目がやばい奴を見る目だったわけだ。」
『それよりも気をつけてください、この世界での……。』
「目立つようなことは厳禁、だろ?分かってる。」
髪飾りに擬態した端末。アイビーをインストールさせて俺のこの星での活動をサポートする。何せまったく分からん未開の土地だ。そのくせよく分からない生命体の身体。勝手が分からなさすぎて吐きそうになる。
「あー雨宮。記憶喪失だって?大変だな……それでそのことはクラスで説明した方がいいか?ほら一応そういうの許可いるんだよ。」
「全然オッケーっすよ、もうばんばん宣伝しちゃってください。」
教師とかいうのに確認をとられたので、俺も願ったりかなったりという態度で答えた。教師は面食らう。
『教師の反応から推察。マスター、雨宮蒼音はもっと大人な性格だったようです。』
「性格なんてデータじゃわからんよ……。」
「そ、その……わかった。それじゃあチャイムがなったら一緒に教室に行こうか。」
とても助かる。今のうちに学校の地図も見る。空賊が未知の領域に侵入した時、まず第一に地図の確認。それが大事なのだ。……トイレと食堂くらいしか分からん。
「えーと、雨宮さんは記憶喪失で入院していました。今日やっと退院してきたんですが、みんなのことを忘れたままです。なので、みんな優しくしてあげてくださいね。」
「先生の言う通り、みなさんのことを覚えていません。でも、迷惑をかけないように頑張ります。よろしくお願いします。」
教室に入って、教師の紹介にクラスメイトはざわついた。まあ、そりゃそうだろう。教師が指さしたのは俺の席だった。学校ってやつは席が決まってるんだな。狭いけど。
教室の真ん中にあるから、みんなの視線が俺に集まってる……ような気がする。
「なに見てんだよ、お前ら?動物園かよ?」
舐められないように睨みつけた。空賊としてのプライドだ。
『マスター、この世界では空賊としてのプライドは通用しないみたいです。』
「え、マジで?じゃあ、酒宴で盛り上がるための一発芸とかはどうすればいいんだ?」
『マスター、この世界では未成年は酒を飲めません。ちなみにタバコも駄目ですよ。』
「なんだって……!?」
生きる気力が無くなりそうだった。くそっ酒もタバコも駄目だとかそりゃ死にたくもなるもんだ。
「ねぇ雨宮くん?本当に記憶喪失なの?」
「えっと……どちら様でしょうか。」
金髪の派手な女が俺に話しかける。
「……本当に覚えていないんだ。すごーい、記憶喪失なんてドラマみたい。」
「凄いでしょう?ところでどちら様?」
「ねね、それじゃあこの子も忘れちゃったの?ほらほら。」
「知らんわ、そんなメガネ女。ところでどちら様?」
「わぁぁぁ!本当に本当なんだ!ねぇ聞いた皆、雨宮くん本当に記憶なくしてる!」
「そうだ記憶なくしたんだ、ところでどちら様だお前?」
「じゃあさ、ちょっと後で付き合ってよ、いいでしょ?」
「だから!!誰なんだよお前は!!?」
俺はイライラして机を叩いた。まずい、これじゃあ酒場の乱暴者と同じだ。紳士な空賊だと自負しているのに。
『自負しているだけで事実ではないですけどね。』
「確かに今はガキの姿だし紳士というには些か早すぎるかな。」
『そうきましたか。さすがマスター、図太いです。』
俺が突然叫びだしたことが予想外だったのか金髪女は唖然とする。
「そうね、私の名前は玖月綾音。あなたのお友達なの、思い出した?そうでなくても玖月家の名前は知っているでしょう?丘の上にあるお屋敷の……。」
「いや、知ら……覚えてないな。よく分からんが、その言い回しだと何か凄いのか?」
「ええ、そうよ。あの辺りの土地は玖月のもの。数百年も前から続く大地主の家系なのよ。」
「地主……?百姓なの?そう言われると土いじりとか好きそう。」
適当に話を合わせると綾音は顔を真っ赤にした。周りからプッとした声が一瞬聞こえた。聞こえたのか綾音は周囲を睨むと静まり返る。
「ふ、ふふ……まぁそういうことだから私はあなたの友達なの。よろしくて?」
握手を求められる。この世界での親愛の証らしい。俺はこいつに親愛の欠片もないのだがまぁ応じるのがマナーだとか何とか。