第一世界-胡蝶の夢-
───並行世界という考え方がある。
我々が住む世界は、無数に存在すると考えられる世界の一つにすぎない。それらの世界は、私たちの世界と同じだが違う特徴を持っている。その世界を並行世界と呼ぶ。
並行世界では、歴史や自然法則や人間関係などが私たちの世界と異なっていることがある。また、選択や行動や運命によって並行世界が変わることもある。知らない自分や望まない自分、戻れない自分に出会うこともある。
それは恐怖や不安が引き起こされるかもしれない。一方で希望や夢を与えられるかもしれない。並行世界で起こる結末は、誰にもわからないのだ。
私、玖月綾音が得た能力は時間逆行。時間が巻き戻るということは、それだけ並行世界が生まれることを意味している。それはつまり並行世界を行き来することを意味する。
舞台は最初の世界。まだ綾音がウタカタに目覚めていなかった世界。
きっかけは偶然だった。突如世界が歪み、この世界とユグドラシル界が融合を始める。そして人々は目覚め始める。ユグドラシル界からの魔力に影響を受けて、"ウタカタ"という特殊能力に。
辟易していた。
厳格な父の教育。玖月という血筋の重さ。幼い頃から彼女は一目置かれ、同じ年頃の子供たちから距離を置かれていた。
彼女は孤立していたのだ。
仕方ないことだと思っていた。玖月という名士に生まれた以上、普通の人生は送れないと諦めていた。誰とも心通わすこともなく、一人ぼっちで生涯を終える。それが玖月家に生まれた宿命。
それは異世界融合という大事件が起きても変わらない。まるで別世界のことのように綾音はテレビで報道を見る。
「爺、私はいつ学校に戻れるの?」
頬に手を付き愚痴るように呟く。騒動が起きて以来、学校に行くことすら禁じられ、家庭教師に勉強を教わっている。
「申し訳ありません、綾音様。ただいま情勢が不安定でして、この屋敷に籠もるよう旦那様に言いつけられております。」
テレビではウタカタに目覚めた人々が暴徒と化しているのが報じられていた。溜まりに溜まった鬱憤、民衆の不満はウタカタという強力な力を得て、箍が外れる。
こんな騒動がいつ落ち着くことになるのか。綾音は呆れた目で、暴徒となり街を襲っている人々をテレビ越しに見ていた。
そんな状況がしばらく続いてのことだった。状況は一変する。
異世界融合の結果、向こう側の世界からやってきたという特使が現れたのだ。彼は自分のことをユグドラシル界の王子と名乗り、この世界に対してユグドラシル界の属界になるよう伝えた。
属界とは属国、植民地のようなものだ。聞けばユグドラシル界は異世界転移技術を有しており、私たちの世界を侵略することなど容易であるという。事実、支配を受け入れなかった世界は徹底的に破壊し尽くしたというのだ。
傲慢不遜ともとれるその態度。彼の名前はアンブロース・ユグドラシル。今はまだ、彼が綾音にとって、最悪の存在となることを知らない。
アンブロースの要求は当然受け入れられなかった。その結果起きたのは全面戦争。
徹底的に叩き潰してやろうと、意気揚々とアンブロースは軍隊を次々と投入した。
結果は惨敗だった。ユグドラシル界のである。
アンブロースには大きな誤算があった。この世界には存在しないはずだったウタカタという能力。この世界ではウタカタの保持者を軍隊として編成し、即座に戦力として投入した。
その流れはあまりにも統率的で見事なものであった。当然である。異世界からの侵略者。それも異世界間航行を可能とする強大な敵。
示威行為のつもりだった過剰な戦力は逆効果だった。この世界の全人類が共通の敵を倒すために結束し、徹底的に抗戦する理由を自らの手で作り出してしまったのだ。
「ひぃ!!なんなんだこいつら……聞いていないぞ!こんな高度な魔法使いばかりがいる世界だなんて……対魔法兵器はどうなっている!!」
「既に使用しています!!ですが……ですが通じないのです!!連中が使うウタカタとは!魔法ではないのです!!未知の兵器です!!か、勝てません!!うぁぁぁぁああ!!!」
自らの誇示のために前線に出たアンブロースはいつの間にか孤立していた。敵陣のど真ん中で、補給経路も失い、完膚なき敗北を経験し、そして囚われてしまった。
ユグドラシル界の人間が魔法という意味の分からない技術を使うことはとっくに知れ渡っていたため、アンブロースの扱いは酷いものだった。両足は切断され、更に鉄枷とコンクリートで固められ動けない状態。また収容された牢は潜水艦を改造した牢屋。海底に位置しており、例え檻を抜けたとしても脱出は困難。
すべてはアンブロースが招いたことだった。必要以上にこの世界の人々を脅したせいか、人々は必要以上に厳重に彼を拘束したのだ。
アンブロースは一人、孤独に独房で虚無とも呼べる時間を過ごす。拷問により付けられた傷の痛みはもう感じない。点滴針を刺されていて、薬品が彼の身体には常時入りこむ。死なないように無理やり生かされているのだ。
どのくらい時間が経っただろうか。日付の感覚もわからなくなったころだった。
足音が聞こえる。看守は来ない。食事は自動的にロボットが運んでくる。人との交流すら一切絶たれたこの牢で一体誰がやってきたというのだろうか。
「はじめまして、アンブロース・ユグドラシルくん。今回はとても残念な結果だったようだね。」
透き通るような白い肌と金色の髪。人並み外れたその容貌は話に聞く日本人の特徴とは大きく離れ、どこか奇妙な感覚を抱く。だがそれよりも深く印象に残ったのは瞳であった。何もかも見透かされたような気に食わない目。
この世界の多くの人々を見てきたが、この男は違う。その腹に抱えた底知れぬ悪意。
その男の名は玖月零士。日本という国の、それなりの有力者だという。





