始まりのウタカタ
「何のことか……理解できていないようだなアオト、当然だ、君たちのような者たちには何一つ理解できない。良いだろう、教えてやろう!なぜ我々がこの世界にやってこれたのか!なぜウタカタが、なぜ君のような存在が生まれたのか!」
俺はアンブロースの憎悪に満ちた言葉に戸惑いながらも、彼の言葉に耳を傾けた。二人の関係には明確な謎が存在し、その真実を知ることが必要だと感じたからだ。
アンブロースの声はますます激しくなり、ウタカタという存在が彼にとって何か特別な意味を持つことを示唆していた。俺の心には混乱が広がり、綾音という名前が彼の思考を支配し始めた。
「綾音……?」俺は小さな声でつぶやいた。何故その言葉が出てきたのか、自分でも分からない。
アンブロースは狂気に満ちた笑みを浮かべ、俺に向かって進み出た。
「そうだ! 玖月綾音こそがこの世界の始まりなのだ! 我々が存在する理由、君の存在の意味を知るには、我々の生きる意味を見つけるには、彼女を見つけ出さなければならなかった!」
生きる意味……。それは俺が最も知りたいことだった。蒼音が何故目覚めようとしないのか、その言葉は俺を混乱させ、言いようもない不安が心を押し潰すような感覚に襲われる。彼女が何者なのか、彼自身がなぜ生まれたのか、雨宮蒼音を巡る未解決の謎が積み重なっていった。
「黙ってアンブロース!!それ以上、その不愉快な口を開かないで!!」
綾音は怒りを込めて叫び、アンブロースを制止しようとした。
「そうだとも、それは……彼女が……玖月綾音こそが最初のウタカタだからだ!!」
狂ったようにアンブロースは嘲笑う。だがその言葉はまるで意味の分からない、論理性の欠片もなかった。
欠片も無いはずなのに……なぜだかその言葉には説得力を感じる。
「何を訳の分からないことを言っていやがる!最初のウタカタだからって事象の説明にならないだろうが!!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
ウタカタとはこの世界とユグドラシル界が融合することで偶発的に起きた現象。魔力のないこの世界に住む人々が目覚めた力。そこに最初だのなんだの関係ない……はずだ。なのに何故だろうか、脳裏に浮かぶ……あるはずのない記憶。
「そうだとも!だが彼女の特異性ならばなし得る!この世界の人間である君には理解できないだろうが……彼女のウタカタは……時を巻き戻す力なのだから!!だがその影響はこの世界の存在のみ……ユグドラシル界の我々にはその時間逆行の影響を受けないのだ!故に起きたパラドックス!二律背反!起こり得ぬ奇跡!!そうだとも……全ては泡沫の夢、夢幻泡影!数多の偶然が必然となったのだ!」
アンブロースの周囲に黒い渦が生まれる。重力魔法だ。あらゆるものを吸い寄せる術。その対象は限定的にすることも可能。狙いは……誰でもない俺であった。
「王子様!!」
雪華が俺を掴む。引き寄せられる身体が止まる。
「なっ……!なんだ……!何が目的だてめぇは!俺の何なんだ!!」
吸い寄せられる引力に抵抗する。だがその力はあまりにも強く、少しずつ引っ張られていく。俺の身体を掴む雪華の腕の力の限界は近い。
「君は私だ!私は君だ!恐れることはない、ただ一つに戻るだけなのだから!あぁ何という僥倖か!特異点を見つけた今、私は何も恐れることはない!止めたければ止めるが良い玖月綾音!だが私は何度でも何度でも何度でも何度でもアオトを求めるぞ!いずれ君がどうしようもなく、止めることのできないそんな世界線が生まれるまで……なぁ!アハハハ!!」
時間の逆行。
それが綾音の持つウタカタ。だとすれば、だとすればそれは世界を変革する力。だがそんな様子はまるで見えなかった。彼女は一体、何度時間を戻していたのか、アンブロースの口ぶりから一度や二度ではないのは明白だった。
ユグドラシル界の人間は綾音の時間逆行の影響を受けない。奴はそう言っていた。つまり、世界が逆行したとしてもその記憶の連続性は保持されるということ。
「お前は、犠牲者の人たちのことを……何とも思わないのか。」
思い巡らす。何度も繰り返したというのなら、何度も何度も彼らは繰り返していたのだ。狂咲家に起きたような悲劇を。
アンブロースに限った話ではない。異世界で人を攫う人攫い連中。鬼畜外道。彼らの考えはまるで理解ができなかった。攫った人には家族がいる、友人がいる、恋人がいる。残されたものの気持ちを考えたことがないのか。今もつらい思いで、神頼みのように両手をあわせ無事を祈る残された人々の想いに何も感じないのかと。
「犠牲?なにを言っている?犠牲というのは不幸や災難を言うもの。あるいは目的のために身を捧げることを言う言葉だ。その実験に犠牲者などいない。何故ならば我々が活用しただけにすぎないからだ。君はわざわざノートを書き留めるのに、インクが犠牲になったと言う表現を使うのか?」
当然のことのように答えた。
この男は、最初からこの世界の人間を人間と扱っていないのだ。まるで路傍の石。ただの消耗品。故に犠牲など、尊い命など微塵も感じない。
理解をするのはもうやめた。考えるのは、体裁は、取り繕うのはもう嫌になった。
冷え切った感情。奴をここで終わらせると───。
「───我が魂よ、熱を抱いて我が手に集え。紅蓮の刃となり、敵を焼き尽くせ。」
彼がそう呟いた瞬間、その腕の周囲に無数の剣が出現した。ただの剣ではない。燃え盛る炎の剣。展開された炎の剣はアンブロースの重力魔法にまるで影響を受けず彼の腕を取り囲むように並んでいく。
それは炎熱魔法。魔王の異名を持つ、彼の力のほんの一端である。





