這い寄る悪意
移民船イカロスの船内は一つの小さな都市機能を有している。
大半はコールドスリープにより長期間の睡眠状態となっているが、船を管理するエンジニアたちのために娯楽施設や観葉植物などが用意されていて、そこはさながら船内であるにも関わらずちょっとした観光地のようだった。
ロボットが案内役を務め、招待客を会場へと誘導する中、俺たちは零士に声をかけられ別行動となる。
「記憶を喪っていようが君と私は同志。今回の親睦会で改めて紹介するつもりなのだからあまり変なことをしないで欲しいのだが。」
「招待客の中でも待遇を分けているなんて知らなかったんだよ。ついていけば良いのか?」
勿論、嘘である。一般招待客の窓口からこの船に入ったのは警戒してのこと。向こうのお膳立てに完全に付き合うのはまずいと感じているからだ。大衆の場だと下手なことはできないのは、零士の性格から察しがつく。
一般招待客に案内している経路は船内の華やかな部分を周遊する。そうすることで移民船の印象を良くするほか、ユグドラシル界の人々が文化的な人間であることをアピールするためだ。
一方、零士が案内する経路は船内の無骨な光景が続く。エレベーターに乗り更に奥へ。長い長い道のりをようやく終えて、最後の扉を開けるとそこにはきらびやかな会場が広がっていた。
「ここが今日のメイン会場だ。見てのとおりまだ準備中。一般招待客の方々にはまず船内を観光してもらうからね。だが我々は別だ。さぁ来るんだ雨宮くん。紹介したい人がいると言っただろう。」
零士に連れられて更に奥に向かう。一流ホテルのフロアのような豪華な内装。そして重厚な扉を開く。招待客の控室だった。
「おお、これは零士さん。お待ちしていました。ということは件の彼が……おぉ!?」
見知った顔だった。ユグドラシル界ではそれなりに有名な政治家たち。そしてきな臭い噂もよく聞く。だが奴は俺の……蒼音のことなど知らないはずだというのに酷く驚いた様子を見せる。
「落ち着いてください。彼が件の雨宮蒼音です。驚くのは無理もありませんが。」
「お、おぉ……本当に?た、確かに雰囲気がよく見ると違うような……しかしまさか……いやしかし。」
狼狽えながらもまじまじと俺を見つめる。何が気になるのだろうか。
「あの……。」
「皆、君が死んでいたと思っていたんだよ雨宮くん。突然連絡を失ってしばらく経って……。彩音から学校に現れたという話を聞いて驚いたよ。大丈夫、記憶喪失だとしても我々の関係は崩れないさ。そうですよねユグドラシルの皆様方。」
「ああ……いや驚いたよ。実際目の当たりにすると……いや失礼。雨宮くん、今後とも我々とは良い付き合いでいようじゃないか。」
話は終わり、軽く頭を下げて部屋から立ち去る。
「さて挨拶も終わったし、しばらくは自由にするといい。控室の鍵も渡しておこう。時間が来ればアナウンスが来るだろうから忘れないでくれ。」
そう言って零士は奥へと消えていった。おそらくはこの会合の参加者に対して挨拶してまわるつもりなのだろう。
これまでの様子からこの会合は本当に親睦会の意味合いでしかない。
アイビーにスキャニングをばれないように指示していたが何も異常はない。よからぬ企みは何一つないのだ。本気でユグドラシル界とこの世界との友愛の架け橋を作ろうとしているのは分かる。
ただそれはあくまで今回の一連の出来事が偶然であったことが前提にある。意図的に無理やり二つの世界を融合させ一方的に何十万人もの人々を定住させるのは、今はまだ武力を使用していないにしても、侵略と変わらない。
だが証拠がない。今のユグドラシル界の立ち位置は不幸な事故でたまたま繋がってしまった異世界と平和的に友好関係を結ぼうとしている。紳士的な対応だ。
「駄目だな……せっかくここまで潜り込んだっていうのに糸口がつかめない。」
いっそのこと全部杞憂だったら良かったというのに。だが雪華の証言が事実ならば、確実にここにいるはずなのだ。異界域の融合テストをしたものが。
「難航しているようだね。そういうときは目的を整理してみたらどうだろう。」
頭を抱える千歳の提案を受けて俺は一度問題を整理した。
「まず第一に……この一連の事件。異世界の融合が人為的ではないか確認することだ。もし事実なら全てが茶番になる。」
「次に雪華の証言からこの世界で過去に起きたモンスターの発生。こちらも人為的ならば問題だ。」
「最後に……蒼音自身の問題だ。零士の話だと、この異世界との融合は俺がしたという。記憶がないので確かめようがないが、それを知るものがいれば……。」
「それだ。」
俺の言葉に千歳が呼び止める。
「前見つけただろう。涼華という人物と彩音の会話記録。その二人が君の過去を知っている。今一度確認し直すべきなんじゃあないかな。」
綾音は……ここにいるはずだ。だがこの間話しをしている。千歳はその場にいなかったから分からないのだろうが、彩音の知らないところで蒼音と零士に関係性があったのだ。
涼華は蒼音のパートナーだと言っていた。その点で奇妙なことに零士と被っている。彼女は蒼音のことを真剣に心配していた。そして、玖月財閥に関わらないように忠告していた。零士は俺のビジネスパートナーだったらしいが、何か裏があるというのだ。
涼華にはまだ連絡をしていない。急ぎスマホを取り出して涼華に連絡をとる。通話はすぐに繋がった。
「涼華か?少し話したいことがあるんだけど。あれから玖月零士とあったんだが……俺は零士とビジネスパートナーだったっていうのは本当なのか?」
「あ?あー確かに間違いではないかぁ?というかお前、あれだけあたしが関わるなって言ったのに結局話したのかよ!今どこ!危険だぞ!?」
「え、移民船イカロスの中だけど。誘われたんだ零士に。」
「逃げろ。」
涼華の雰囲気が変わった。その声は真剣そのもので、緊張感が走る。
「今すぐ逃げろ。アンブローズがね……て……や……く……。」
涼華の声が途切れた。スマホの画面には圏外の表示が出ている。何かが起きたのだろうか。俺は不安になって周りを見回した。移民船イカロスとは、この世界から別の世界へ移住する人々の乗る巨大な船だった。零士は俺をその船に招待してくれたと言っていたが、本当の目的は何だったのだろうか。
「アン……ブローズ……知らない名前だ。」
涼華の忠告に従い逃げるべきか考えた。だがそれはすぐに無理だと察する。ここは宙空。そして外に出る装置はすべてロックがかかっている。力づくでいけないこともないが、騒ぎになる。そんなことをして、明確な理由があるかといわれるとない。ただ涼華の言葉を信じたからというだけだ。
涼華と零士どちらを信じて良いのかも分からない今、そんな行動をとるのはあまりにもリスキーなのだ。
「アイビー、アンブローズって覚えはあるか?」
ダメ元でアイビーに尋ねる。意味のないこととは分かっているが長年連れ添った相棒に尋ねる習慣のようなものだ。
『秘匿事項コード5ニ接触シマス。認証コードヲ提示シテ下サイ。』
……何?
アイビーとは長い付き合いだがこんな反応は始めてだった。彼(彼女?)は独立思考型AI。倫理コードに引っかかるなら教えてくれるはずだし、こんな事務的な態度を示さない。いつもの声色と違う。無機質な警告音だった。冷たく、機械的に響く警告音だった。突然の豹変に唖然とする。今まで何度もやりとりしたアイビーが、こんな風になるなんて考えもしなかったからだ。
周囲を見回す。零士の姿が確認できない。
「アンブローズ……この船のどこかにいるんだな。」
アイビーの反応から察するにその秘匿性は極めて高い存在。だからこそ今は絶好の機会と見たのだ。
連中に対しての切り札は俺自身。誰もこの船にあのキャプテンドレイクがいるとは思っていない。その意識の盲点をつくのだ。この世界の人間にはできない、ありえない出来事を引き起こすことで裏をかくのだ。





