伏魔殿
玖月零士から話を聞いて数日が経った。宣言どおりイカロスと呼ばれる移民船がやってきて、まるで最初から決まっていたかのように玖月グループがその移民船との交渉にあたり、こうしていよいよ移民団との顔合わせを兼ねた親睦会が開かれることが決まった。
親睦会には政治家は勿論、著名人たちも多く参加することになっていて、一大イベントとして国は盛り上がっていた。
そんな親睦会の招待状が郵送で俺の家に届いた。友達も呼んでも良いと言っていたとおり、ご丁寧に複数枚用意されていた。
親睦会自体はマスコミも招待されていて生中継もするという。つまり大衆の前であるのとほぼ変わらないということだ。だから派手なことはできず、下手なことをしなけければ、危険な目には合わないだろう。
「そんなわけだから玖月零士の誘いを受けようと思うんだ……聞いているか千歳?」
俺は協力者として今までの話を伝えるために学校が用意した千歳の私室に来た。だが千歳はそんなことを気にせず何か作業に没頭している様子だ。
「ひょっとしてもう異世界の話とか興味なくなったのか?まぁ異界域なんてもんができたしな……。」
彼女は俺の言葉に反応せず、窓の外を見つめていた。異界域の存在は俺の存在よりもはるかに希有なもの。彼女の好奇心がどちらに向かうかは明白だった。
「いやそんなことはないよ。無視をしていたわけじゃあないんだ。ただ気になることがあってね。君の使う魔法とウタカタ……名前が違うだけで同じ体系のものだと君は思っているようだけど、どうも違う。」
彼女はコーヒーを一口飲み、真剣な表情で俺を見る。俺はその視線に気づき、やや驚いた様子で彼女に向き直った。
「違う?何がどう違うんだ?」
「その前に一つ聞きたいんだが、君はユグドラシル界では魔法の使い手として、どのくらいの実力者なんだい?下から数えたほうが早い方かな。」
彼女はからかうように笑った。
「む、失礼なことを言うな。こう見えて俺の異名は魔王。そこらの魔法使いは足元にも及ばないよ。」
自信満々に胸を張った。
事実、蒼音もといドレイクはユグドラシル界では有名な魔法使いだった。その才能と力は誰もが認めるものだ。
「うん、そこでなんだが、政府はウタカタレベルなんてものを測る機器をすぐに用意してここの生徒たちにも測らせたのは覚えているかな。その時の君のレベルはいくつだったんだい?」
彼女は再びコーヒーを飲み干し、カップを置いた。俺は思わず顔をしかめる。
ウタカタレベルというのは、ウタカタの強さや種類を数値化したものだった。それを測る機器は表向きには政府が開発したもので、学校で測定してクラス分けを実施した。
「それは……測定不能だったけれど……あっ。」
言葉を途中で止め、目を見開いた。彼女はニヤリと笑って頷いた。
「気がついたみたいだね。もしも魔法とウタカタが起源を同一とするのなら、君のレベルは高めに出るはず。でも実際は違った。これはね、魔法とウタカタが根本的に違うことを意味しているよ。それに加えて……。」
彼女は声を低くして続けた。
「あまりにも早すぎる。測定器を作るにはある程度の分析や指標が必要なのに。まるで最初から分かっていたかのようだね。それが魔法と同じものだからと思っていたけれども……そうではないとしたら……。」
俺は彼女の言葉に驚きと恐怖を感じた。ウタカタが魔法と違うものだとしたら、それは何なのだろうか?そして政府がそれを知っているとしたら、何を企んでいるのだろうか?
「うん、異界域の出現だけじゃない。そもそもウタカタという現象そのものが何かしら計算の結果……偶発的に起きたものではなく、必然性をもって起きた出来事だというわけさ。」
彼女は最後まで言って、深刻な表情で俺を見つめる。俺も同じく真剣な眼差しで応えた。ここから先どうするのか、その選択は俺に委ねるということだろう。
「千歳、今回の親睦会に一緒に来てくれないか。今はまだ上手く言えないが……玖月財閥がその件について何かを握っている。そのためには、協力者はできる限り必要だ。」
「勿論だとも。言っただろう、私を退屈させないでくれと。異世界からの来訪者との親睦会……誘ってくれなければ一生恨んでいたところさ。」
そう言って彼女はいたずらっぽく微笑む。俺もその微笑みに応えるように笑顔を浮かべた。
異界域周辺。銃を持った軍人たちが警備している。最大限の警戒態勢。今日ついにこの世界では、異世界から来た人々と初めて民間を通じて交流することが叶うのだ。今までは政府の要人としか話をしていない。そんな謎に包まれたヴェールが公になるときが来たということだ。
招待された報道関係者たちは機材のチェックを入念に、この歴史的な日を確実に記録しようと躍起になっている。
「……確かに私も誰が来るとまでは言わなかったさ。言わなかったけども……それはないだろうアオト。」
待ち合わせの場所で、俺の姿を……いや俺の隣りにいる雪華を見るなり千歳はがっかりした様子で嘆く。
「気持ちは分かるけども、ここから向かう先は伏魔殿みたいなものだ。雪華自身がついてきたいと五月蠅かったのもあるけど、大事なことだよ。」
俺は千歳に謝りながら言った。俺は雪華を連れてくるつもりはなかったが、彼女は俺についてきたいと言って聞かなかった。彼女は俺に対して強烈な興味と愛情を抱いており、俺のすべてを知り尽くしたいと思っていた。
「王子様を一人危険なところに向かわせるわけにはいかないもの。よろしくねストーカー女さん。」
雪華は微笑みながら言った。彼女は俺に対して殺意や暴力を持っておらず、むしろ守ろうとしてくれているのかもしれない。あるいは他人に危害を加えられるならば……という考えがあるのかもしれない。
「前々から気になっていたんだけどね、そのストーカーっていうのはなんなんだい?殺人鬼が精神状態が通常のはかりを超えているのは分かるけどね。」
千歳は不信感と好奇心を混ぜた声で言った。彼女は雪華の正体や目的を知りたがっていた。雪華が俺に何かしようとするのではないかと警戒しているのだ。
ぎくしゃくとした空気の中、突如陽気な音楽が流れ始める。待機していた招待客の談笑も止まり、一同が空に浮かぶ移民船イカロスを見上げる。
音楽が鳴り止むと、イカロスから光のカーテンのようなものが降りてきて、そのカーテンの中からゆっくりと人が一人降りてきた。
「お待たせしました皆さん。私、本日の会合を取りまとめることになりました玖月零士と申します。以後、お見知りおきを。」
玖月財閥といえば今でも各方面に顔が効く。その総帥自らがこうして出迎えに来たというのだ。皆がおそるおそる光のカーテンの中に入っていく。
「やぁ雨宮くん。来てくれたようで嬉しいよ。言ってくれれば別口で案内をしたというのに。」
零士は俺の傍に立って耳打ちをする。俺たちがいた場所は一般招待客。此度の会合には政治家や著名人もいるため敢えて分けて招待をしていたのだろう。
俺は零士の言葉に適当な相槌をうちながら浮遊していく奇妙な感覚を懐かしく想い、イカロスへと乗り込むのだった。





